77 嘘も方便
イートンの執政官公邸。その中の一室である。
険しい顔で執政官のローデスが私の向かい側に座っている。
「サンバルト家か……。それは少しまずいかもな。実際、今晩にサンバルト家の令嬢が宿泊している宿に呼ばれていたのだ。何かと思っていたが、それか……」
私の横では、リンカーが不安な様子でそんなローデスを見ている。
「……ところで、その小娘は?」
ローデスが、ちらりと私に目をやる。
「はい。私、王都でパドルス商会という小麦の卸を営んでいる者の娘でございます」
勝手にしゃべるなと言わんばかりにリンカーが睨んでくるが、放っておく。
「商家の娘が何の用だ?」
「はい。織物の取引をしたいと思ってイートンに来たのです。今後の事を考えましても、是非この街の執政官様とお近づきになりたいと思ってまして……」
私は後ろに控えているジェームズに目配せする。
顔色を青くして頷いたジェームズは、用意してきた小箱を私に差し出す。
「これは、お近づきの印ですわ」
机の上に小箱を置いて、ローデスの方へ押し出す。
「ほう」
ローデスはさっきまでの険しい表情を緩め、口元を厭らしく歪める。
それを確認した私は、小箱の蓋をそっと開ける。
「これは?」
「黄金色のまんじゅうですね」
そう、一度、これがやりたかったのよね。その為にリンカーの所に来る前に街中を探し回ったんだから。
箱の中には、黄色の焼菓子。
「まんじゅう?」
隣でリンカーが首を傾げている。ローデスも意味が分からず戸惑いを浮かべている。
そうよね。饅頭なんて知らないよね。
「執政官様。よくご覧になってくださいな。とある国では、本当に相手に渡したい物を菓子などの下に敷き詰めておく風習がありまして……」
ローデスは、訝し気に私を一睨みした後、一つ菓子を取る。その下には、デドルが持ってきた織物の生地。明らかに品質の悪い粗悪品である。
「それは、サキロス産のものです。そう言えば、執政官様の前任地はサキロスだとか……」
「お前、何が言いたい?」
鋭い目つきとなり、ローデスが私を睨む。
分かりやすい反応だね。
「私の言いたい事ですか? まずは、うちの店に安く織物を卸していただく事、それと、他の王都の店には売らない事。その二点です」
私を睨みつけたまま、ローデスは微動だにしない。
「それと、私も王都の出です。それなりに知り合いもおります。もし、その条件を飲んで頂けるのなら、サンバルト家の件、何とかしますよ」
「何?」
ピクリとローデスの眉が動く。
「何やらお困りのご様子でしたので」
私はローデスから目を逸らさない。
「くくっ。いや、気に入った! その面構え、気に入った!」
面構え? 私の美貌を気に入ったのかしらね。困るわね。こんな悪人に言われても嬉しくないよ。
「その悪人面、とても小娘のものとは思えんな」
隣のリンカーも頷いている。
おい、お前ら。もう証拠なんていいから、この場で成敗してやろうか? 罪状は乙女の心を傷つけたで十分だ。
思わず、鉄扇を取り出しそうになるのをぐっと、抑える。ジェイムズも後ろで見ているのだ。感情のまま、暴れる訳にもいかない。ここは、我慢だ。
「つ、つきましては、サンバルト家への説明の為にも欲しい物があります」
顔を引きつるのを必死で抑え、社交界で培った笑顔を無理やり顔に張り付ける。
「ほう。何だ?」
「利益の確証です。うちの店が儲からないと向こうも納得出来ませんでしょう。その為にも、利益が確実に出るという証が必要なのです。それも、執政官様お墨付きのね」
何故必要かは、言わずとも分かるでしょ、と態度で表す。
「なるほど。サンバルト家中にも、話の分かる者はいるという事だな」
まあ、それは否定できないな。ミズールで、モーリスのような執政官が幅を利かせていたからね。欲に目が眩んだ愚かな人間がね。
「で、何が必要だ?」
「そうですね……。粗悪品の仕入れの伝票なんかは残ってますか?」
サキロスから仕入れた伝票。ローデスかリンカーの名前が入っているものが欲しい。
「そんな物が利益の証になるのか?」
ローデスが首を傾げる。それはその通りである。でも、その口ぶり、あるはあるのね。
「はい、十分です。誰が利益を保障してくれるのか。それが分かればいいのです。あちらにしても、うちが動くという事は利益が出るという事だと分かってますから。利益を保証してくれる方がいれば、納得していただけます」
「ふむ。そうか……」
「まさか、渡すおつもりですか?」
リンカーは私を疑いの目で見ている。
利益が減るのが、嫌なのかしらね。
「仕方あるまい。ここでサンバルト家に下手に口を出されるよりはいいだろう」
やった。うまくいった。私、ネゴシエーターの才能があるのかも。
ローデスは、立ち上がると机の引き出しから取り出した伝票の束を私の前に放り投げる。
ちらりと伝票を見ると、納品先として、リンカーの名前がある。
「ありがとうございます。これで、すべてうまくいきますわ」
私は、きっと今、悪い笑みをしているのだろうな。後ろでジェイムズが小刻みに震えているのが気になる私だった。
ニセリアたち一行の宿屋。その中でも一番大きな部屋に集まる面々の表情が面白い。
一番上座に座るニセリアは顔面蒼白。何が起こるのかと不安げに目をきょろきょろとさせている。ダメリカたちも似た様な顔をしている。
その隣には、ジェイムズ役のエディー。こっちは、ワクワクとしている感情が顔にそのまま出ている。隠すつもりも無いのだろうな。
そんな影武者ご一行様の脇で、ハイドさんが訳が分からないという様子で私を見ている。隣にいるキュービックさんに盛んに何が起きるのか説明して欲しそうにちらちらと何度も視線を送っている。
私は、マルムさんの後ろで控えている。隣には、奥さんのティンカーさんとイザベルも一緒に並んでいた。私たちは立たされたままだ。
先ほどからマルムさんがイートンの織物に粗悪品が混入してる事から始まり、それを一掃しようとする為のローデスらの計画はあまりにも危険である事をニセリカに向かって訴えている。
それを、ハイドさんの向かいに座り、涼しい顔でローデスがマルムさんを見ていた。私によりサンバルト家対策が済んでいると思っているのか余裕の表情である。その隣にいるリンカーは、余計な事をしてとばかりに、忌々しそうにマルムさんを睨んでいる。
「ですから、ローデス様の計画では、織物職人たちも苦しむ事になります。どうかお願いでございます。今一度計画の見直しを考えていただけますよう――」
「なら、他に対策でもあるというのか?」
ローデスがもう十分とばかりに、マルムさんの言葉を遮る。
「粗悪品混入の対策をどうやるのか。何か対案があるのか?」
「い、いえ。それはまだ……。ですが、ローデス様のやり方はあまりに乱暴かと……」
言葉に詰まりながら、マルムさんはぎゅっと拳を握りしめる。
「対案も無しにナタリア様にこの様な話を聞いて頂くとはマルム屋とはいえども、許されんぞ」
黙ったままのニセリアの反応が、サンバルト家は口を出さない証と思ったのか、ローデスは、この場の主導権を握ったとばかりに話を進めていく。
「そうですよ、マルム屋さん」
リンカーもマルムさんに非難の声を浴びせる。
「ナタリア様。申し訳ございません。この街の執政官としてお詫び申し上げます。まったくお見苦しいものをお見せしました。この者には、きつく言っておきますので、どうか広いお心を持ってお許しくださいませ」
ローデスが立ち上がって、ニセリアに頭を下げる。
ニセリアの目が私にどうすればいいと訴えてきている。
じゃあ、そろそろ私の番かしらね。
「よろしいでしょうか?」
私の声が部屋に響く。
「タ、タリアちゃん?」
突然の私の行動にマルムさんが振り返り、目を丸くしている。
「タリアちゃん、もういいわ。これ以上したら、あなたにまで……」
私を止めようとするティンカーさんの腕ををイザベルが掴み、首を横に振る。
そんなイザベルににっこりと笑みを返し、ローデスを見る。
ローデスの顔に戸惑いの色が浮かんでいる。
まあ、そりゃそうか。私の事を味方と思っているはずだからね。
「マルムさんの言う通りですわ。あの執政官の言う通りにしていたら、イートンの織物は寂れてしまします」
「き、貴様っ。何をっ!」
ローデスは、戸惑いから怒りの表情に変わり、私を睨み付ける。
「しかも、そのせいでそこのお二人は大金を得るでしょうが、他の多くの者は貧しくなる一方です」
「ナタリア様の御前で、そんな出鱈目を申すなっ!」
ローデスが怒りに染まり、声を張り上げる。
「出鱈目? そんな事ありませんわ。そもそも、事の発端である粗悪品を世に出回らせたのは、どなたかしら? あなたではありませんの?」
ローデスの顔が歪む。眉間の皺を深くし、顔を真っ赤にしている。その横でリンカーの方は顔を青くしている。
「だ、黙れ! これ以上の愚弄は許さんぞ! 私は王家からこの街を預かっている執政官だ。その私に訳の分からない言いがかりを付ける事は、王家への侮辱だ。おいっ、この者を捕えよっ!」
ローデスのその言葉に部屋に五人ばかりの兵が入ってくる。
大方、この後、マルムさんを理由を付けて捕えるつもりだったのだろう。
「これは、王太子殿下のご婚約者様でもあるナタリア様への侮辱でもあります。御前ではございますが、この場でこの不届き者を捕える事、お許しください」
ニセリアはローデスに頭を下げられているが、口をパクパクさせてダメリカたちと体を寄せ合い、真っ青となっている。
「ま、待て! その方はっ!」
ハイドさんが必死になって、ローデスを止めようとするのを、キュービックさんが止めている。
「マルム。お前もその小娘と同罪だ。一緒に捕えてやる」
初めから、そのつもりだったくせに。
「罪を犯したのは、どちらかしら?」
私は、鉄扇を取り出し、口元に添える。
「自らの欲望の為に混乱の芽を撒き、それに乗じて私腹を肥やす。その上、まっとうな意見を握り潰そうとするなど見過ごせません」
鉄扇をローデスに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をローデスに送る。
「何をごちゃごちゃ言っている! 早く、捕えろ!」
苛立ちを交えて、ローデスが叫ぶ。
私を取り囲もうとする兵士たちに氷の礫が襲い掛かる。隣室に控えていたアシリカだ。見ると、ソージュとデドルもいる。
「まあ、せっかちね。私一人でもいいのに。ま、いいわ。お仕置きしてあげなさい!」
相手はわずか五人。しかも、アシリカの氷の礫にすでに二人が動けないでいる。飛び出したソージュに残る三人も、瞬く間に意識を刈り取られてしまう。
今までの中で最短記録かしらね。私の鉄扇が一度も振るわれる事なかったわね。
「さ、後はお二人だけね」
何も出来ずに倒された自分の部下に唖然として、驚愕の眼差しで私を見ていたローデスが我に返る。
「ナ、ナタリア様、お助けくださいっ! この者たちは、王家に弓引く謀反人ですぞっ。さっ、配下の方にご命令をっ!」
ローデスが、ニセリアに向かって跪いている。
あーあ、情けないね。やっている事が悪い割に、すぐに人を頼るヤツね。
ニセリアが今にも泣きだしそうな顔でこっちを見ているな。そろそろ助けてあげないとね。
私はニセリアの元まで歩いていく。傍まできた私に、ニセリアが椅子から立ち上がり、席を私に譲る。
「な、何を……?」
席に着いた私にローデスが目を白黒させる。
「で、誰が謀反人かしら?」
手にしていた鉄扇をすっと開く。現れたのは、扇面に描かれた白ゆりの紋章。
「い、一体、これは?」
口をあんぐり開け、ローデスは人生の難問にぶち当たった様な顔となっている。
「ローデス、答えなさい! 王家にとって害悪なのは、民を苦しめる悪人は誰なのか、答えなさいっ!」
私の一喝に、床にがっくりと両手を付けガタガタと震え出す。その横で、リンカーも青を通り越し、真っ白な顔で呆然となっている。
「この街の執政官として赴任しておきながら、あなが始めた事は私腹を肥やす事。言語道断の所業ですわ。あなたの悪事、ジェームズ卿がすべて見届けております」
部屋の入り口でシルビアに付き添われて一部始終を見ていたジェイムズが、目の前の一連の出来事を信じられないといった目で私を見ている。
「すべては、このアトラス侯爵家当主であるジェイムズ卿があなたたちの悪事すべてを見破ったのです!」
エディーの首根っこを掴んで、前に無理やり立たせる。
今回の手柄、すべてジェイムズに上げるよ。所領に帰るのに、箔を付けよう。これが、私の仕業とバレる方がやっかいだしね。ローデスらにも、よく言い聞かせよう。
「ですわね? ジェイムズ様」
「ああ。ちゃんと見てたぞ!」
エディーは、すぐに得意満面な顔となり、頷く。
突然振った私が言うのもなんだけど、あなたもなかなかの役者ね、エディー。でも、言葉遣いをもう少し勉強する必要があるわね。
「デドル、キュービックさん。この不届き者たちを捕えておいて」
「へい」
デドルの事だ。きっと今回の件がジェイムズの活躍で解決したと彼らに言い聞かせておいてくれるだろう。
「あと、ハイドさん。近くの街の執政官に事の顛末を知らせて。事後処理を依頼してください」
「は、はい……」
夢を見ているかの様な顔でハイドさんが何度も頷く。
「イザベル。これで安心よね?」
「ナタリア様。一度ばかりか、二度も助けて頂きありがとうございます」
私にイザベルが頭を下げる。
「あ、あのナタリア様だとは知らずに数々の無礼、申し訳ございません」
マルムさんが、顔を強張らせている。私の噂の事かしら? 気にしないでいいよ。ティンカーさんもそんなに緊張しなくてもいいのに。
「これからもいい織物を世に出回らせてください。期待しております」
私は、にっこりとイザベルら親子三人に笑いかけた。
そんな私に、力強く頷く三人だった。
翌日には、ハイドさんが連絡した隣町からが派遣され、ローデスらは引き渡された。
事件は、ジェイムズとローデスに不審を抱いたマルムさんの二人が協力して解決した事になっている。
細かい事後処理をハイドさんに任せ、一足先にイートンの街に別れを告げた私たちである。
「姉様」
馬車に揺られていると、ジェイムズが私を呼ぶ。
「あれが、姉様のおっしゃっていた成敗ですか?」
「ん? そうね。世直しと言ってもいいわ。どう? 何か分かった事でもある?」
権力や富を笠に着て好き放題する者から、弱き者を助ける事の意味を分かってくれただろうか。
「はい。嘘も方便という言葉の意味を知りました」
そう言うジェイムズは冷めた目のままである。
う。確かに今回は、私もローデスらを騙すような真似をしたな。しかも、ジェイムズの目の前で……。
彼に私の真意が伝わるのは、まだ時間がかかりそうである。