75 ただでは帰らない
エルカディアを出て二日。馬車はアトラス領のある西へと向かって走っていた。
車中は相変わらずである。シルビアは木に感嘆の声を上げ、ジェイムズは俯いている事がほとんどである。話に加わろうとする素振りもなく、話しかけられたら答えるくらいだ。ソージュは昨日くらいから御者台を定位置と定めたようで、デドルに代わり馬車を操る時もあった。私はもっぱら、アシリカと話している。
だが、話す事もそろそろなくなり、時間を持て余す様になってきたのも事実だ。
アトラス領までは、まだ一月近くかかる。ミズール行きは自分たちだけの気楽な旅であったが、今回は代役のいる正規の一行の事もあり、自由気ままという訳にもいかない。
「ニセリアたち、何しているのかしらね」
彼女たちも暇しているのだろうか。
「結構楽しくやっているみたいですよ」
宿泊する街は一緒なので、その時にアシリカやデドルが連絡を取り合っている。その時に、あっちの様子も聞いたのか。
「そうなんだ。エディーが余計な事してなけりゃいいけどね」
まあ、キュービックさんも一緒だから大丈夫とは思うけどさ。
「そうだ。今日あたりは私も顔を出してみようかな」
少しくらい向こうに顔を出しても問題はないはずだ。
「お嬢様がですか?」
アシリカが眉を顰める。
「何よ、その顔。何か問題でもあるの?」
「いえ、そういう訳ではありません。ですが、お嬢様が動くと、何か問題も一緒に連れて帰ってきそうで……」
何だ、そりゃ。私がトラブルメーカーみたいじゃないか。今までだって、私の取った行動のせいで……、いや、冷静に考えればアシリカの言い分も的外れじゃない気がしないでもない。
「だ、だったら、アシリカも付いてきなさいよ」
「もちろんです。初めからそのつもりですよ。お嬢様をお一人で行かす訳にはまいりません」
それって、私の身を案じて、だよね? 決してトラブル防止の為じゃないよね?
訝し気な私をよそに、アシリカは涼しい顔で澄ましていた。
そんなやり取りをしているうちに、今日の泊まる予定の街へと到着する。私たちは、素性を隠しているので普通の宿で泊まる。一方のニセリアたち正規の一行は街一番の宿で宿泊する。
どうやら、王太子婚約者である私目当てでひっきりなしに来客があるようだ。あわよくば、サンバルト家や王家に便宜を図ってもらいたいという下心を持って挨拶に来るらしい。挨拶されているのは、ニセリアだけどね。
アシリカと一緒にニセリアたちの泊まる予定の宿に来たが、どうやらこの街でも下心を抱えた来客があるようだ。
キュービックさんに手引きされて宿へと入った私たちの前をいかにもな感じの商人らしき人物が歩いていく。
「ねえ、ニセリアに任せていて大丈夫?」
思わず心配になるな。だって、彼らからしたらニセリアの言葉は私の言葉になるのだからね。
「大丈夫だ。意外とうまくやっているぞ」
ニヤリとキュービックさんが笑う。ニセリアは、適当に相槌を打ってうまく相手をあしらっているらしい。
ま、エルカディアを出発する前にレクチャーをしたからね。アシリカが。
しばらく、アシリカとキュービックさんで明日の行程を確認した後、ハイドさんがやってきた。
「これはナタリア様。こちらにお越しでしたか」
声を小さくして、ハイドさんが頭を下げた。
正規の一行でも、今回の入れ替わりを知っているのは、彼と僅かな側近のみである。警護の者はこの事実を知らない。普段から部屋に閉じこもっているジェイムズの顔を知っているのが、数名の者だけなのが逆に役に立った形となっていた。
「一通り面会が終わりました。よろしければ、代役の方々に会っていかれますか?」
そうね。せっかく来たのだし、顔を見ていこうかしら。
ハイドさんにニセリアたちがいる部屋へと案内してもらう。
「おっ、姉ちゃんじゃねーか」
一応、貴族らしい服を着せられたエディーが、部屋に来た私を見て相変わらずの生意気な笑顔を見せる。
「エディー、余計な事してないでしょうね」
「大丈夫だよ」
そう言いながら、テーブルの上に置かれたお菓子を頬張っている。
いつボロが出るか心配だよ。
「ニセリアはどう? 何か来客の相手ばかりのようね」
本名は聞いたが、私の中で彼女はニセリアしか出てこない。彼女も慣れたのか、気にする様子も無い。
「少し疲れました。何やら難しい話ばかりされるものですから……」
適当に相槌を打っているのは、話が分からなかったからか。両隣のダメリカとウソージュもうんざりとした顔である。そんな三人にアシリカは複雑な表情である。
「ま、頑張ってね。ほら、お菓子でも食べてさ」
エディーも頬張っているお菓子を彼女らに渡す。
だが、食べる様子もなく、疲れ切った顔のままである。
「どうしたのよ? 食べないの?」
変わりに私が食べちゃうよ。美味しそうだしさ。
「はい……」
三人は気の抜けた曖昧な返事を返す。
「いやな、慣れない貴族令嬢とその侍女の真似事をしながらの来客の相手で疲れ切っているのか、食欲が失せたらしい」
キュービックさんが、苦笑しながら三人の様子を見ている。
それは、大変そうね。確かに私でも毎回のように下心満載の人間を相手していたら、疲れるしな。
「ハイドさん。これからは、街の代表以外はなるべく断ってあげて」
さすがに気の毒になってきたよ。私が来ている事は公になっているから、街の執政官などは挨拶に来ざるを得ないだろうが、商人まで通す必要はないだろう。
「かしこまりました」
ハイドさんも対応に苦慮していたらしく、ほっとした顔でお辞儀した。
これで多少は彼女らの負担も減るかもね。
「ほら。これでちょっとは苦労が減るでしょ。まだ先は長いのよ。しっかり食べて体力付けておきなさいよ」
少しは来客が減るかもと、安堵の表情を浮かべてお菓子を口にする。
「彼女ら、大丈夫でしょうか……」
アシリカが不安そうな面持ちで呟いていた。
ニセリアたちの泊まる宿から私たちの泊まる宿へと帰る道中である。
ここは、イートンという名の付近では比較的大きな街である。それなりに商店街が立ち並び、活気に満ちている。
中でも、この街の周囲で取れる亜麻という植物から作られる織物の加工品が多く店頭に並んでいる。色とりどりに染め抜かれていてとても綺麗だ。
全部、この街に着いた時にアシリカに教えてもらったばかりだけど。
「どれも素敵ね。メリッサお義姉様に何かお土産に買おうかしら」
手芸好きのメリッサお義姉様なら、きっと喜ぶでしょうね。
「きっと、お喜びになられますね」
そうよね。どんなものがいいかしら。どうせなら、加工された物じゃなくて、生地を買っていった方がいいのかな。
「あのっ、まさか、ナタリア様?」
店先で織物を物色する私の後ろから名前を呼ばれる。
「イザベル!?」
振り返ると、そこには、魔術学園を退学したイザベルが立っていた。
「やっぱり! イートンに来られると聞いていましたが、会えるとは思ってもいませんでした!」
満面の笑みを浮かべてイザベルは全身で私との再会を喜んでくれている。
「でも、何でイザベルがここに?」
「え? 言いませんでしたか? イートンが私の故郷ですけど」
そうだっけ? ごめん、よく覚えてなかった。地理に疎いから、許して。
「どう? 実家に帰ってきて少しは落ち着いた?」
ソレック教授の事件直後は憔悴しきっており、失意のまま魔術学園を去ったイザベルが気にはなっていた。
「はい。お陰様で。やはり生まれ故郷が一番です」
どうやら、すっかり元気になってくれたようだ。私も一安心である。
「そうだ! せっかくですので、我が家にお立ち寄りください。うちは、この街の名産である織物生地の卸業を営んでおります。是非、見ていていってください」
へー。織物を扱っているのか。ちょうどメリッサお義姉様へのお土産も買うつもりだったしいいかもね。
「じゃあ、お言葉に甘えようかしらね」
安くしてもらえるかも、なんて事は……、ちょっとは、期待している。
案内してくれるイザベルに付いていくと、ひと際大きな建物の前で辿りつく。
「ここです。まずは、父に紹介しますね」
でかいな。イザベルって、いいとこの子だったのね。ま、そうでなけりゃ、王都の魔術学園に行かせられないか。
中に入ると、所狭しと生地の状態の織物が山の様に積まれている。色とりどりの織物が揃っており、カラフルな模様の入った山がいくつも並んでいた。
織物の山を抜け奥に進むと、どうやら事務所スペースがあるようだ。
「あっ」
イザベルが小さく叫ぶ。
見ると、テーブルを挟んで何やら話し込んでいる人がいる。
商談だろうか。だったら、邪魔したら悪いよね。
「ですから、決して悪い話なんかじゃありませんよ。このイートンが、そして、織物を扱う者を守る為なのですよ」
でっぷりとした男。身なりからして商人だろう。その隣には、身なりのいいちょび髭を生やした男が腕を組んで座っている。
テーブルを挟んで、その二人の前に座る中年男性は苦い顔で話を聞いている。
「マルム屋さん。最近、粗悪な品が紛れ込んでいるのですよ。このままじゃ、イートンの織物のイメージダウンになってしまいます」
「それは、私も危惧してはいますが……」
マルム屋さんと呼ばれているのが、イザベルの父親だろうか。朴訥な感じが彼女と似ている気がする。
「マルム屋。私もこの街の執政官として、粗悪品の問題は見過ごせんのだ。この街を王家からお預かりしているからには、何もしないという訳にはいかん」
あのちょび髭、この街の執政官なのか。
「ローデス様のおっしゃっている事、重々承知しております。しかし、機織りから買い取る金額を一定にするとの事ですが、あまりにも低すぎるかと……」
マルム屋さんが上目遣いでちらりと執政官を見る。
「それに、卸売りをうちとリンカー屋さんだけに減らし、それ以外では織物を扱ってはならないというのも、どうかと」
「今でもうちとマルム屋さんで、この街で扱う織物七割以上です。他への影響は少ないと思いますよ。いえ、むしろ我々が決めれば、他は従う他ありませんよ」
でっぷり男がリンカー屋か。強者の理論だね。マルム屋さんの他の職を失う人や買い叩かれる機織りの人たちへの心配など微塵も無いのだろうな。
「なら、別の者を立ててもいいのだ。この街で一、二を争うリンカー屋とマルム屋を残そうと思ったが、別の店でも構わんのだぞ」
この執政官も強引だね。話を聞いていても、粗悪品の排除を目指して良い事をしている様で実際は、別の意図がある様に思える。端的に言えば、利益かしらね。
何やら、悪事の匂いがプンプンしてきたね。
「そんな……。うちの使用人たちはどうなるのです?」
マルム屋さんが、思わずといった感じで立ち上がる。
「露頭に迷う事が無い様にと、こうやって声を掛けているのですよ。執政官様に感謝すべきです」
執政官と商人。嫌な名コンビだね。
「まあ、返事は、明後日だ。それまで、考えておけ。それ以上は、待たん。あそこにいるお前の娘の事も少しは考えてやれ。あの年で露頭に迷わすのは、私とて気の毒だからな」
そう言ってローデスは、目線をイザベルに向ける。
「イ、イザベル。帰っていたのかい……」
まずい所を見られたという表情で、マルム屋さんがイザベルを見ている。
「いい返事、待っているぞ」
そう言い残して、リンカーを引き連れて、ローデスは去っていった。
「父さん……」
不安げにイザベルがマルムさんに近寄る。
「大丈夫だよ。お前は心配する必要ない」
娘の不安を消す様に笑顔を作り、頷く。
「でも、昨日もあの二人は来ていたじゃない……。それに、いくら何でもあのやり方は……」
イザベルの不安ももっともだ。彼らのやり方では、事実上の専売制。買値も売値も彼らの思うがまま。自分たちだけが一番儲かる仕組みだ。それを強引に続ければ、いつか、織物の産業が廃れてしまう可能性だってある。
「心配ない。父さんがもう少し話してみるよ。きっと、分かってくれるはずだ」
あの強欲そうな二人が納得するかしら? 話しているマルムさん自身もよく分かっているとは思うけど。
「おや。そちらのお嬢さん方は?」
マルムさんが私に気付く。
「あっ、紹介しますね。この方は――」
「初めまして。私、イザベルさんがエルカディアにいた時に知り合いまして」
イザベルの言葉を遮り、私は一歩前に進み出る。
「今日伺ったのは、他でもありません。事情があり、エルカディアから出てきまして。もし、良かったら、ここで働かせてはいただけないでしょうか?」
隣のアシリカが手を顔に当て、ため息を吐きながら項垂れる。
ごめんね。だって、このまま帰る訳にはいかないでしょ。目に前に不穏な動きがあるとなれば、黙って見過ごす訳にはいかないもの。
「ここで?」
突然の申し出にマルムさんもきょとんとなる。その隣で、イザベルも訳が分からず私とアシリカの顔を交互に見ている。
「はい。私……、タリアと申します」
念の為、名前を誤魔化す。
「やはり、ただでは帰らないのですね……」
がっくりと項垂れたままのアシリカの小さな呟きが聞こえた。