74 新たな旅路
暑い夏も終わり、秋も終わりを告げていよいよ寒さが身に染みる様になってきた頃。
この夏以降、何も無い。もちろん、社交の場には出てるし、私の誕生日を祝うパーティーも開かれた。毎日の家庭教師からの講義やこっそり屋敷を出て、道場に行ったり、街の雰囲気を楽しんだりはしていた。
何が無いかと言うと、世直しである。悪人もおらず、困った人もいない。それがいい事なのは、分かっているが、少し物足りなく感じてしまう私がいた。
今日は、王宮の王太后様を訪問している。レオの夏休み以降も二度ほど伺っていて、今日は約一ヶ月ぶりの王宮である。
「ナタリア。よく来てくれましたね」
いつもの優しい笑顔で王太后様が出迎えてくれる。
「お招きありがとうございます」
貴族令嬢としての挨拶をする私の目に、王太后様の横に一人の男の子が映った。
「ナタリア、紹介しますね。ジェイムズ・アトラス。レオの従弟にあたる子です」
まだ十歳くらいだろうが、レオの従弟だけあり綺麗な顔をしている。ただ、レオと違いふてぶてしさが無い。むしろ気弱に見える。
「は、初めまして。ジェイムズ・アトラスと申します」
視線を上下左右に動かし、声も小さい。怯えているようにも見える。
「お初にお目にかかります。ナタリア・サンバルトにございます」
私に出来る精一杯の優しい笑みを見せながら、挨拶を交わす。
だが、効果は無かったようで、下を向いて小さく頷いている。
我儘ナタリアの噂を久々に実感したよ。こんな子供でも知っているとは少々、ショックでもある。ズラを見破る女に上書きされてない人もまだいるのね。
「この子は昔から人見知りが激しくて……」
そんなジェイムズ君の反応に王太后様が苦笑する。
そうか。人見知りか。この反応は、決して私のせいじゃないよね?
そう信じる事にした私は、ジェイムズ君も交えて王宮の中庭でお茶を楽しむ。
ジェイムズ君は、レオの生母である前の王妃様の兄の子だそうだ。両親を相次いで亡くし、所領は災害に見舞われた彼は幼かった事もあり、領地経営は縁戚の者に任せて、遠く離れたこのエルカディアで暮らしているらしい。
以前に聞いていたが、実際にジェイムズ君を見ると不憫に感じる。王太后様も同じ様に思っておられるらしく、王宮に誘ったり、贈り物をしたりと気に掛けているそうである。
「あの子も十歳になりました。随分大きくなりましたが……」
庭の片隅で花を見ているジェイムズ君にちらりと視線をやり、王太后様は表情を曇らせる。
「どうも、消極的と言いますか、気弱と言いますか……」
うーん。両親を失ったのがやはり大きいのだろうな。心が痛む。ソージュもどこかで、親や血の繋がった人を求めていたみたいだし、本人にしか分からない悲しみや寂しさがあるのだろう。
「そうですか……」
「彼もそろそろ一度、所領に行かなければなりません」
そうよね。お父様だって忙しい政務の合間を縫って時々、所領の視察に行っているしね。
「ですが、問題がありまして……」
王太后様がため息交じりで、眉間に皺を寄せる。
「問題、にございますか?」
自分の所領に行くのに何が問題になるのかしら?
「ええ。それに関しては彼に……」
そう言うと、王太后様は一人の男を呼び寄せた。六十くらいの年齢だろうか。細い体は、長身のせいもあり痩せ細って見える。広い額は、頭頂部まで広がっていて、残っている白い毛も弱々しい。
「アトラス侯爵家に仕えるハイドと申します。ナタリア様にお目にかかれて光栄にございます」
頭を下げたハイドさんは、眼鏡がずれ落ちそうになったのを必死で手で押さえながら、挨拶をした。
「ナタリア・サンバルトにございます」
私も会釈を返す。
「ハイド殿はジェイムズの養育を任されている王都付きの使用人頭です」
王太后様が説明を付け足され、それに対して何度もハイドさんは頭を下げる。
ジェイムズ君のお守り役って事か。
「ジェイムズ様が所領にお戻りになられる事について、問題がありまして……」
王太后様に目で促されたハイドさんが説明を始める。
でも、私にその問題を相談して、何か意味があるのかしら? 王太子の婚約者の立場は、権威はあれども、政治的には意味が無いし、それ以前にまだ入学前の身なのになぁ。
「実は、先代のアトラス侯爵様が亡くなられて以降、所領では天災が続き混乱の極みに陥りました。それは、いまだ続いております。まだ幼いジェイムズ様では、そんな状況をどうする事も出来ません。そこで、当家の縁戚にあたるルドバン様が家令となり、事態の収拾に当たられました」
まあ、妥当な選択かな。幼君に変わり一族の者がその職務を代行するのは、おかしな話じゃない。
「ところがこの数年、そのルドバン様の専横が目立つようになりまして。そればかりか、自らアトラス家当主の座を狙っている節も見受けられる様になりました」
それも、ありそうな話ね。自らが名実ともに主となりたいと野望を抱く者もいるのも不思議ではない。
「そんな中、ルドバン様よりジェイムズ様に一度所領に来て頂きたいと言われまして……」
それのどこに問題が? 当主としての存在感を示せていいんじゃないの?
「実は、ここ半年の間に二度ジェイムズ様のお命が狙われております」
私が首を傾げるのを見て、ハイドさんが辛そうな顔となりジェイムズ君に視線を向ける。
暗殺未遂ですか。それは、ただ事では無いわね。
「もちろん、所領に行く事は今後の事を考えれば悪い事ではありません。ですが、ルドバン様が、道中で何かするつもりなのではないかとも思われまして」
なるほど。所領まで向かう途中は、王都に比べて警備も手薄になる。その隙を突いて、ジェイムズ君を亡き者にされるかもと考えているのか。確かに旅の途中であると、盗賊の仕業に見せかけるなど偽装もしやすいだろうしね。
「そうですか……」
庭でぼんやりと花を眺めているジェイムズ君に目を向ける。
彼のあのおどおどとした態度、そしてどこか世間との関わりを拒否する様な雰囲気。何となく分かるな。そりゃ、あの年齢で二度も命を狙われたら無理もない。
気分が重くなる話である。
「そこで、考えたのです。当家の紋章を掲げ、ジェイムズ様の一行である馬車には別の者を置き、実際のジェイムズ様には別でこっそりと所領に向かって頂こうと」
へー。影武者を立てるのか。それはまた手の込んだ事を考えたものね。
「私は、ジェイムズ様の代役を置く正規の一行と行動を共にしなければなりません。ですが、ジェイムズ様の事も気がかりにございます。それを、普段からお気遣いして頂いている王太后様に相談させて頂いたのですが……」
ハイドさんはそこまで話すと、ちらりと王太后様に視線を向ける。
「ナタリア。お願いがあります」
ハイドさんから向けられた視線を受け、話を王太后様が続ける。
「あなたは、ミズールにも行った事があります。旅慣れて、かつ、信用の置ける者があなたしか思い浮かばないのです。どうか、ジェイムズの側で一緒にアトラス領に行ってはもらえないでしょうか?」
あー、そうか。やっと、この話を私にされた意味が分かったよ。
いいね。この話、かなりいいかもしれない。ちょうど、最近刺激もなく、退屈をしていた毎日だ。王太后様からの頼みなら、お父様もお母様も反対は出来ない。それに、あのジェイムズ君を見ていたら放っておく事など出来ない。
「喜んで参りますわ。ジェイムズ様を必ずアトラス領まで無事に送り届けて参ります」
「おお。ありがとうございます!」
ハイドさんが涙を流さんばかりに喜んでいる。
「ありがとう、ナタリア」
王太后様も安堵の表情を浮かべる。
「どうせなら、一つ提案があります。正々堂々と、私が同行すると公にされてはいかがですか? 代役を置く正規の一行にも、相手はなかなか手が出しにくくなると思いますが」
こんなでも、一応王太子の婚約者。相手からしたら不気味な存在になるはずだ。
「それはいい考えとは思いますが……。ジェイムズだけでなく、あなたの代役はどうしましょうか。あの子の代役だけでも探すのが大変ですから」
王太后様は私の意見に賛成してくれたようだ。
「代役なら、ご心配には及びませんわ。来月の出立までに用意できますから」
私の代役。ちょうど適任者がいるではないか。おまけとして、侍女二人も付いてくるしね。なんなら、年齢的にジェイムズ君の代役も、将来の冒険者の修行の一環としてやってくれそうな生意気なヤツも付けておきますよ。
「ジェイムズ君の代役も含めて、私にお任せください」
自信満々の笑みを浮かべて、新たな旅路に思いを馳せていた。
デドルが用意してくれた紺色の私専用の馬車。
御者台では、デドルが手綱を取っている。車中には、私とアシリカ、ソージュ。それに今回のきっかけとなったジェイムズ君。そして、誘ったら即答で付いてきたシルビア。
「あちらは大丈夫でしょうか……」
心配そうな顔のアシリカである。
「大丈夫よ。問題ないわ」
アシリカの言うあちらとは、代役を立てた正規のアトラス家一行の事だ。
私たちの代役には、ニセリアら三人。そして、ジェイムズ君の代役としてエディーだ。狙われた時の対策として、御者台にはキュービックさん。彼なら、多少の相手なら問題ないだろう。だって、デドルと一緒にミズールで無双した人だからね。
正式に私が同行していると発表されている正規の一行は、私たちから半日遅れくらいの距離で、着いてくる感じで進んでいる。
「ジェイムズ、どう? エルカディアから出るのは、初めてでしょ?」
エルカディアを出て半日あまり。ほとんど口を開かず、俯いたままのジェイムズに声を掛ける。
「はい……。特には……」
ぼそっと答える。
「ほら、外も眺めてみたら? 王都にいては見れない景色よ」
車窓からは、草原が広がっているのが見えている。
「はい。ナタリア様」
ジェイムズは言われるがまま、窓の外に目を向ける。
「ジェイムズ。言ったでしょ。私の事は姉様よ」
いつもの如く、商家の娘の私とその弟という設定だ。アシリカたちは、店の使用人。シルビアは従姉妹かな。
「すみません。……姉様」
また、俯いて黙り込むジェイムズ。
うーん。こりゃ、先が思いやられるな。生意気なエディーもどうかと思うが、ここまで内気だと、逆にやりづらいな。この旅の間に何とかしてあげたいな。
「お嬢様、一応確認でございますが……」
アシリカが真剣な顔で、私を見ている。
「何?」
「アトラス侯爵家の内情に首を突っ込まれるおつもりですか?」
ああ、その事か。ルドバンだっけな。アトラス家の実権を握り、その家督まで手に入れようとしている男だ。
「そんな事聞かれるまでもないわ。私が悪と判断すれば……」
俯いていたジェイムズが顔を上げて、私を見る。
「この手で成敗するに決まってるじゃないの」
腰に差した鉄扇をポンポンと叩く。
「やはりそう来ますか……」
アシリカは諦め混じりのため息を吐く。
「成敗って……?」
ジェイムズが感情を見せてくれるのは二度目だ。初めは出会った時の怯えたような感情。そして、今は驚きの感情だね。
「ふふ。お姉さまはね、悪人を見たら放っておけないお人ですのよ」
シルビアが年齢のせいか、以前より何倍にも増した色っぽさを含んだ笑みを見せる。
「ナタリア様……、いえ、姉様は、王太子殿下のご婚約者様ですよね?」
ジェイムズは、話が見えないといった様子だ。
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「そんな方が悪人を自ら成敗する必要があるのでしょうか?」
先程まで見せていたジェイムズの感情が消え、冷めた目となる。
世の中を儚むような、すべてを拒否するような目だ。
この子の心はどうなっているのだろうか? 気弱で人見知りというのは表面だけで、心の奥底には何があるのか。
「ジェイムズ、それは自分で考えなさい。あなたもいずれは、人の上に立つ者よ。そこも含めて、アトラス領に着くまで私と一緒に見て聞いて、考えなさい」
何故私が悪人を成敗するのか。権力や富を持つ者に理不尽に虐げられた人々を助けようと思うのか。確かに私も最初は憧れからの行動だった。
でも、弱い立場の人たちと接するうちに、私だからこそ出来る世直しだと気づいたのだ。政治の中心で大局的に見るのではなく、直に弱い人たちと触れ合い、寄り添う。小さな事かもしれないが、それでいいのだ。私は大きな網ではない。小さな柄杓でいいのだ。
そして、それが積み重なって、いつか大きな実になると信じている。
「そして、私に教えてちょうだい。あなたが導き出した答えをね」
私の言葉に、ジェイムズは再び俯いていた。