72 意外なお誘い
魔術学園教授の不祥事と突然の死。それは、大きな話題となった。
もちろん、そこに私の存在は無い。デドルが、いつもの様に事後処理をうまくしてくれた様だ。世間に知れ渡ったのは、おどろおどろしい研究をしていたソレック教授が実験中に亡くなった、しかも、教え子を生贄の様にしていたという事実だ。
当事者の一人であるイザベルは退学し、田舎に帰った。魔術の才能に限界を感じていた事もあるが、やはり今回の出来事が大きなショックとなったみたいである。
なんとも後味の悪い結末だった。
世間では、十日もするとソレック教授の話題は、新たな話題に取って変わるが、私の中では、目の当たりにした呪術と資金を提供した正体不明の人物の事が頭から離れなかった。
どこかすっきりしない気持ちを抱えていた。
後味の悪い結末に加え、正体不明の黒幕の不気味さを感じていた事もあるが、それだけではない理由の分からない不安を感じていた。漠然とした言い表しにくい感情が渦巻いていた。
そんな気持ちのまま、夏休みを迎え王宮に帰ってきたレオに会いに来ていた。
「あれだけ、精進したというのに……」
手合わせで、私にまたもや勝てずに、悔し気に顔を歪めるレオを見ても気持ちが晴れない。
今回は、何やら妙な自信があったらしいレオは一段と悔しさがあるみたいだ。
稽古着からドレスに着替え、王太后様も交えてのお茶の時間である。
「どうでしたか? 来年もナタリアもコウド学院に入学しますが、気に入りましたか?」
どうやら、王太后様の耳に私がコウド学園のレオに贈り物を届け、パーティーにも参加した事が入っているようだ。
「はい。来年の春が楽しみにございます」
本心とは裏腹に、笑顔を見せる。
「そう、それは良かったわ。レオも学院での生活を楽しめているみたいですし」
王太后様は、ほっとした様な表情を浮かべて、孫であるレオを見られている。
「いろいろと勉強になります。王宮では学べなかった事も多く学ぶことが出来ています」
レオの返事に王太后様は嬉しそうに頷かれている。
「それより、おばあ様。少しリアと二人で歩いてきてよろしいですか?」
レオの言葉。
信じられない。今まで何度も王宮に来て、何度もレオと会っているが、彼が私と二人連れだって歩こうなど言った試しがない。
驚きを隠しきれず、立ち上がったレオを見上げる。
何かあるのか?
まさか、もうヒロインと出会っって恋に落ちたか? それで、私の存在が邪魔になって、消そうと考えているとか……。
いや、それは無いな。ヒロインは私より一つ年下だったはずだ。入学はまだだし、どこかで出会う要素も無い。それ以前に、レオに私をどうにか出来るとも思えないしね。間違いなく、返り討ちに出来る。
ならば、何だろう? 他に考えられるとしたら……。そうだ。クレイブに弟子入りした事を羨ましそうにしていたな。ひょっとして、自分も会わせろと頼むつもりかな。いや、そんな事なら会ってすぐに言いそうだ。
まったく、突然何なんだろう。レオは何を考えている?
「リア、行くぞ」
思わず考え込んでしまった私にすでに歩き始めていたレオから声が掛かる。
私は慌てて、レオの行動に嬉しそうな表情を浮かべている王太后様に一礼をしてレオの後を追いかける。
私が側に来たのを確かめてから、レオは再び歩き始める。
誘っておきながら、レオは一言も話す事なく、私の一歩前を進んでいく。
「どうですか? 学院での生活は?」
沈黙に耐えられず、私から話題を振る。
「ああ。新たな発見ばかりだ」
なるほど。随分と充実した学生生活を送っているのね。
「一番の発見は、アイザム副院長の“頭”だな」
少し振り返り、横顔だけを私に見せてレオはにやりと笑う。
「あ、あれは、その……」
その話は蒸し返さない欲しい。自分でもとんでもない事をしてしまったと思っているのだからさ。
「あれから、ずっと副院長の頭は輝いたままだ。最近では、その輝きに誇りをもっているみたいだな」
どうでもいい後日談だよ。
「あ、あの、レオ様。今からどちらに向かうので? やはりいつもの城壁にございますか?」
話を逸らそう。
「いや、今日は違う。別の場所だ」
別の場所? どこに行くつもりなのかしら?
広い王宮内を進んでいく。
「ここだ」
そう言って立ち止まったレオの前には、小さな建物。まあ、小さいと言っても、一般的な平民の家に比べると倍ほどの大きさはある。
レオは扉を開け、中へと入っていく。私もそれに続く。
中は意外とシンプルな造りだった。豪華というよりも、落ち着いた雰囲気と言ったところである。
「あれは……」
その建物の一番奥。正面に一枚の大きな肖像画が飾られてある。一人の女性が描かれている。綺麗な人だ。吸い寄せられるような瞳、優し気な口元。そして何より目を引くのが、腰元まで伸びている金色に光り輝く髪だ。
「……母上だ」
母上……。レオの亡くなった母親。こんなにも綺麗な人だったのか。何か納得だな。こんな綺麗な人が母親なら、そりゃその人が生んだ子供も美男子になるのも当然だよね。
綺麗だけでなく、慈愛に満ちた優しさも感じられる。この辺は、不愛想なレオは受け継がなかったのだな。
「綺麗でお優しそうな方……」
まさに、王妃に相応しい。理想の王妃と言っても過言ではないだろう。
「……俺は幼い頃、よくここに来ていた。どうしようもなく、寂しかったり不安になった時だ。何故かここに来ると落ち着く事が出来たのだ」
うーん。確かに分かる気がする。レオの母親はまだ彼が幼い頃に亡くなったはずだ。幼心に寂しく思うのは、もっともだと思う。
「何があった?」
唐突なレオからの問いかけ。
「何か、とおっしゃいますと?」
「ごまかすな。今日のリアは普段と違う。どこか、沈んでいるように思った」
気づいていたのか? これには、驚きだ。顔にたまに出る社交の場で鍛えた笑顔を張り付けていたつもりだったけど。実際、王太后様には、何も思われていなかったはずだ。
「き、気のせい――」
「何があったのだ?」
私の言葉に被せられる。
どうした、レオ? いつの間に、そんな鋭さを身に付けた?
「あ、あの、その……。自分の取った行動のせいで、不幸になった人がいると言いますか、その……、夢を諦めた人がいると言いますか……」
本当の事も言える訳なく、その上、今までに感じた事のないレオは迫力と予想外の展開にしどろもどろになってしまう。
「そうか……」
俯いてしまった私に短く一言だけ返すレオ。
うう。情けない。この私がレオにこんな無様な反応を見られるとは。
「でもリアは、その人の事を考えて行動したのだろう?」
それは、そうである。イザベルを助けたいという気持ちだったし、ソレック教授の狂った実験も止めた事は正しい事のはずだ。
だが、その結果は、ソレック教授の死とイザベルの帰郷だった。
「何もかもうまくいく事は少ない」
そうかもしれない。今までが順調に行き過ぎていたのだ。もしかしら、今後も世直しをしていたら、あり得る事かもしれない。それだけじゃない。私の大切な仲間が傷つくかもしれない。
そうか。私があれ以来、すっきりしない気持ちを抱えたままの理由が分かった。恐れていたのか。私は周りの者が傷つく事を恐れていたのだ。
「だが、それを恐れるリアでいて欲しくは無い。周りから見たら、無茶苦茶な事でも、お前の信じる道を進め」
「レオ様……」
そうだ。恐れているだけでは、前に進めない。周りの者が傷つくのが嫌なら、私が守ればいい。それに、私は皆を信じている。簡単にはやられるような仲間じゃない。
私を助けてくれる皆と私の決めた進むべき道を信じよう。
「ありがとうございます。レオ様」
私は作っていない自然な笑顔をレオに返す。
口数こそ少ないが、普段と様子の違う私を気にしてくれたのか。だからこそ、城壁ではなく、ここに連れてきてくれたのか。レオの意外な気遣いに嬉しくもあり、感謝でもある。少し、見直したよ。
「ああ」
レオは満足そうに、頷き返す。
それにしても、今日は、レオに負けた気分だね。まあ、一度くらいは、彼にも花を持たせてあげよう。
それにしても、よく気づいたな。どこで気づいたのかしらね。
「あの、レオ様。どこで、私の――」
「うわおっ!」
私がレオに尋ねようとした時、入り口の方から大きな叫び声が聞こえてきた。
「叔父上?」
叫び声の主は王弟殿下のデール様。
「デ、デール様?」
入り口を入ってすぐの所で、倒れ込むデール様とその従者であるディックさんがいる。
「見つかってしまったか」
バツが悪そうに苦笑しながら、デール様が立ち上がる。
「だから、あれほどお止めしたのです」
ディックさんが呆れた目でデール様を見つめながら、私たちに頭を下げる。
「いやいや。若い二人がこんな所で何をしているのか気になってしまってね。ついつい……」
「叔父上。いい趣味ではありませんよ」
レオはしかめっ面である。
「何を言うか。可愛い甥が大人への一歩を踏み出そうとしているかもしれんのを、見ずにいられる訳なかろう」
デール様は悪びれる様子もなく、にやりと笑う。
「お、お、おと……」
大人への階段ですって? 思わず顔を真っ赤にしてしまう。
勘違いしないで。そんな二人じゃないですから。
「叔父上!」
レオも顔を真っ赤にしている。
「ははっ。冗談だよ。たまたま二人がここに入っていくのが見えてね」
それでも、覗いていた事に変わりはないと思うんですけど。
「申し訳ございません」
主の代わりとばかりに、ディックさんが頭を下げて詫びている。
「それより、レオ。義姉上にナタリア嬢を紹介していたのかい?」
デール様がレオの母親の肖像画へちらりと目をやり、尋ねる。
「まあね」
「そうか。きっと、義姉上も喜んでおられるはずだ。レオはこんなにも、素敵な令嬢を連れてきたのだからね」
素敵な令嬢なんて、照れるな。
レオはデール様の言葉に無反応だ。
何か、腹が立ってくるな。
「レオは、小さい頃はよくここに来ていたな」
「叔父上は知っていたのか?」
驚いた様子でレオがデール様を見る。
「ああ。レオは決まって沈んだ様子だった。でも、僕には何と声を掛けていいか分からなかった。僕には、ただそっと見守るだけしか出来なかった」
懐かしそうに、そして同時に申し訳なさそうな顔となるデール様。
「でもね、ナタリア嬢」
ここでデール様は私の方に顔を向ける。
「君と出会ってからかな。その回数は随分と減ったよ」
剣術の稽古に忙しくなったからかな。今でもだけど、私に勝つ為に必死だったもんな。
「そんな事はないはずだ」
レオは、そっぽを向いて否定する。
隠れて稽古に必死になっているのを知られるのが嫌なのか。
「そうかい? では、僕の勘違いかな。ま、ナタリア嬢。我が甥殿をよろしく頼むよ」
柔和な笑みを残し、デール様は去っていく。
私に頼まれてもね。
「まったく、叔父上は」
ぶつぶつと文句を言いながらも、レオはデール様の事を慕っているのが分かる。
いやあ、今日はレオの意外な一面が見れたな。ぼんやりしていると思っていたのに鋭い所があったり、幼い頃の寂しい気持ち、そして、何よりレオに不安の正体を気付かされるとは思わなかった。
あれ? 何故だ? あれほど心の中に横たわっていた不安な気持ちが無くなっている。ざわざわと落ち着かなかった気持ちが綺麗に消えている。
「何故かしら……」
不安の理由が分かり、改めて皆を守り、世直しに邁進する決意をしたからかな。
「どうした?」
レオは、呟いた私を不思議そうに首を傾げる。
「いえ。何でもありませんわ。それより、レオ様。どうして、私が落ち込んでいる事に気付かれたので?」
デール様に邪魔された質問をする。
「ああ。それか。すぐに分かったぞ」
すぐに? それはすごい。
「いやな、いつも手合わせをした後、リアは倒れた俺をこの上もないくらいの自慢げな顔をして見下ろしているのだ。それが、今日は無くてな」
私、いつもそんなにドヤ顔してるの?
「もう何度も見てきた顔だ。見間違う訳がなかろう」
そう胸を張るレオ。
いや、自慢げに言われてもね……。それに、悪い気がしていないのも問題よね。これが、おかしなな方向に拗れて、変な性癖に目覚めないで欲しいと切に願う私だった。