71 燻り
校舎から出て、周囲を見渡す。
授業の開始直前に出て行ったそうだから、当然、その姿が見当たらない。
「早くイザベルを見つけ出さないと」
私の中で嫌な予感が膨らんでいく。
「ですが、どこを探すのですか?」
アシリカの疑問も、もっともだ。
いくらコウド学院より狭いとはいえ、この魔術学園もかなりの敷地の広さである。闇雲に探しても見つかるとは思えない。
「ソレック教授は、悪い奴ではありまセンカ?」
何やら難しい顔をして考えて込んでいたソージュの言葉。
あのね、今まで散々悪い奴らを見てきたけど、手当たり次第に疑うのは良くないわよ。
「でも、一晩帰ってこなかったイザベルをあんなにも心配していた人よ」
いえね、決して魔術学園へのコネを失いたくないとかいうつもりはないよ。
「その時デス。お嬢サマとイザベルさんは、襲われた事を言いましたが、襲われた時間は言っていまセン」
襲われた時間? どういう事?
えーと、あの時、どんな会話したっけ?
「言われてみればおかしいですね」
アシリカもソージュに同意する。
えっと、ごめん。説明してくれると助かるのだけど。
「お嬢様。ソレック教授の言葉を思い出してください」
だから、それを今思い出そうとしている最中ですってば。
「あの時、彼はイザベルさんにこう言ったはずです。“暗くなる前に帰ってくるように”と」
首を傾げる私にアシリカが説明してくれる。
そうか。何故、彼は暗くなってから襲われたと思ったのか。エルカディアの中心部から魔術学園へ帰ってくるには、昼間でも人通りの少ない道を通る。そこで襲われたと考えるのは不思議ではないが、何故、夜暗くなってからだと知っていたのか。
「確かに、おかしいわね」
私は顎に手をやり、考え込む。
もし、研究室の生徒だけでなく、ソレック教授も噛んでいるのなら目的は何か?準備の整った実験とやらが関係しているのじゃないだろうか?
「とにかく、ソレック教授の研究室に行きましょう」
私たちは、ソレック教授の研究室へと向かう。最近忙しい彼だから、研究室にいるかどうかは分からない。だが、じっとしているよりはマシである。
焦る気持ちを抑えながら、ソレック教授の研究室の前に辿り着く。
研究室の扉の奥から人の気配がする。
「誰かいるみたいね」
声を小さくして中の気配を伺う。アシリカとソージュも警戒しているようだ。
そっと扉を開き中を覗き込む。
研究室にいたのは、ソレック教授ではなく、一人の生徒。その顔には青く一本の痣が刻み込まれていた。私たちには気づいておらず、何やら本棚を眺めて探し物をしているようだ。
ソージュに目配せする。頷いた彼女は、一気に研究室へと駆けこむ。物音に気付いて、振り返ったその男の腹に掌底を一発食らわせる。
「ぐわっ」
苦痛のうめき声を出した男のその口の中が見える。何本か歯が抜け落ちていた。
「再会出来て嬉しいですわ」
腹を抱えてへたり込む男の前に立ち、見下ろす。
「お、お前は……」
私を見上げる男が目を見開く。
「あら。嬉しいわね。覚えてくれているみたいね。ならば、話は早いわ」
鉄扇を取り出し、男の頬の痣をなぞる。
「イザベルはどこ? 答えなさい」
男がゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえる。
少しでも魔術を発動する気配があれば、攻撃出来る様にソージュが構えている。
「な、何の事だ?」
男はそう答えながら、首を後ろに逸らして鉄扇から遠ざかろうとする。
「この前、夜道でイザベルを襲い、今日またイザベルをどこかに連れ出したのは分かっているのよ」
私の言葉に、男は私から目線を逸らす。
「ふん。答える気は無い」
なら、仕方ない。奥の手を使わせてもらおう。
私は鉄扇を開き、紋章の描かれた扇面を彼の目の前に出す。
「この紋章が何を意味しているか知らないとは言わせませんわ。これは、命令です。答えなさい!」
白ゆりの紋章に大きく目を見開き、全身を震わせる。
「ち、違うんです。僕は教授に命令されて……」
土下座せんばかりの勢いで、さっきまでの態度が一変する。
「私が聞いているのは、イザベルの居場所です」
冷たく言い放つ。
「は、はい。旧校舎です。そこに彼女や教授や他の皆もいます」
教授もグルだったのか。彼の研究はともかく、人は悪くないと思っていただけに残念だ。
「一体、あなた達は何をしようとしているの? イザベルを襲ったのは何故?」
今回は分からない事だらけ。それは、今も変わらない。
「そ、それは……」
青痣を作った顔を俯け、口ごもる。
「お嬢様のご質問に答えなさい!」
アシリカの怒気の籠った声。珍しいね。どうしたのかしら? やっぱり、同じ魔術を志す者として、許せないのかな。
「は、はい。答えます。実は――」
その彼の話は、私を驚かせるに十分だった。そして、一刻も早くイザベルの元に行かなければならない状況だと知ったのだった。
「まさか、信じられません……」
未だ衝撃から冷めやらぬといった表情のアシリカである。
研究室で青痣を付けた男から聞いた実験内容。とても理解出来るものではない。
私は、死者の魂を一次的に呼び寄せるものと思っていたが、それはどうやら違ったようだ。表向きはそう捉えられるようにしていたソレック教授みたいだが、実際は、依り代となる魔力を持つ人間に、死者の魂を乗り移らせる事を目的としていたのだ。当然、依り代となる者の人格は消え去る。そして、その依り代とされるのがイザベルだ。
私やアシリカはただの降霊術的なものと思っていたのだが、ソレック教授の冗談だと思っていた“蘇らせる”とは本当に、そのままの意味だったのだ。
そして、イザベルを襲った理由。ソレック教授らは、依り代とする予定のイザベルが何者かに狙われているという印象を植え付ける為だったのだ。自分たちに疑惑の目が向かない様にあんなにも怖い目に遭わせたのだ。
「ほら、着いたわよ」
私たちは、すべてを話した青痣を顔に付けられた男を研究室で縛っておき、旧校舎へとやってきていた。
今は使われていない薄暗く、人気の無い旧校舎。教えられた地下の倉庫へと進んでいく。
地下の倉庫の一室がら明かりが漏れている。私たちは、その部屋をそっと覗き込む。
想像以上に広いそこには、夜道で見た黒装束に身を包んだ者がいた。
「ゲイルはまだ帰ってきませんか……」
黒装束の一人。この声は、ソレック教授だ。
「確かに遅いですね。研究室に記録用紙を取りに行っているだけなのに」
隣の黒装束が答える。
「まあ、待ちましょう。イザベルさん。申し訳ないですが、もう少し待ってもらえますかね」
イザベルは椅子に座らされている。その手は後ろでに縛られ、足も椅子に縛り付けられている。どう見ても、自分から進んでその様な形になっているとは思えない状況である。
「きょ、教授。一体、これは……」
顔を青褪めさせ、恐怖におののいている。
「どうしました?」
ソレック教授のいつもの優し気な声は、より一層真っ黒な全身の歪さを強調しているようだ。
「この状況を説明してくださいって、言っているんです!」
イザベルの叫び声は、涙交じりになっている。
「さっきも説明しましたよ? 今から実験を始めます。イザベルさんにも言いましたよね、参加してもらうと。そして、それは将来の役に立つ事だとも」
ソレック教授の顔は黒い覆面で覆われているので、どんな表情をしているのか分からない。
「教授の言っている事が分かりません」
「今回の実験には、大金を出してくれた資金提供者がいます。この実験が成功すれば私の研究が認められて、さらなる実験に進めるのです。ですから、将来の役に立つと言ったのですが……」
資金提供者? そんなヤツがいたのか。
「その為には、依り代として膨大な魔力が必要なのですよ、あなたのね。まあ、失敗したら、謝ります。でも、安心してください。次の実験体はもう見つけましたから」
次の実験体。アシリカの事か。膨大な魔力量にすごい興味を示していたもんな。
「怖い……。誰か、助けて……」
イザベルが声を震わせる。
「恐れる事はありませんよ。実験が成功すれば、今の恐怖も消えますから。あなたという存在と共にね」
「残念ですわね。その実験、成功しませんわ」
これ以上、イザベルに恐怖を味わわせ続ける訳にはいかない。
私は実験の準備が整ったその部屋へと乗り込む。
「ナタリアさん? どうしてここに?」
ソレック教授の驚きの声を出す。
「ナ、ナタリアさん……」
縋る様な目で私を見るイザベルに、安心させるように頷いてみせる。
「簡単ですわ。この実験を止めにきましたの」
ソレック教授の教え子たちは、明らかな敵意を私たちに向けているのが、覆面越しからでも伝わってくる。
「おやおや。あなたは理解してくれませんか……」
呆れた様に首を横に振り、ソレック教授は肩を落とす。
「理解出来ませんわ。狂気を孕んだ研究です。死者は死者。一度この世を去った者を再び蘇らすなど、正気とは思えませんわね」
「……ゲイルですか? 彼が話したのですね」
ゲイル? あの私の攻撃で青痣を作り、歯が抜けた奴の事ね。
「まあ、いいでしょう。ですが、訂正させてください。死者を蘇らす。これは、決して狂ったものなどではありませんよ。考えてもみてください。魔術で生命を操れるのです。魔術の絶対性が証明されるという事です。これは、素晴らしい事とは、思いませんか?」
まるで演説をする様な口ぶりである。
「魔術の絶対性? 魔術とは、人の役に立つものであるべきです。力を誇示する為に使うものではないはずです。人を苦しめ犠牲にするようなモノは魔術とは呼べません。あなたがやろうとしている事は、禁忌に触れる行為です」
アシリカが怒りの形相となっている。
「やれやれ。だから凡人は困ります。やはり、真の魔術は選ばれし者だけが使えるものなのですねぇ……」
ため息交じりにソレック教授は両手の平を上げる。
「ま、いいでしょう。ついでですから、アシリカさんもここでしばらく暮らしてもらいましょう。次の実験に協力してもらいますから」
ソレック教授のその言葉に殺気を隠そうともせず、彼の教え子たちが身構える。
「どれだけ自分を優秀だと思っているのかしら」
私は鉄扇を取り出し、口元に添える。
「自分の力と考えをだけを正しいと勘違いし、その狂気に満ちた目的の為なら純粋に魔術を学ぼうとする者を平気で騙すばかりか、その人生を奪おうとする。とても許せる事ではありませんわ」
鉄扇をソレック教授に向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をソレック教授に送る。
「アシリカ、ソージュ、お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
ソージュは敵が魔術で攻撃してくる事を懸念し、私を守る様にして前に立ちはだかる。
「あなた方は、許しません。お嬢様のお体に傷を付けた事、万死に値します!」
うわあ。アシリカぶち切れてる。私に怪我させた事相当怒っているのね。どうりで、事実を知った時から怖い顔な訳だ。
普段より大きめの氷塊をソレック教授らに向かって投げつける。
教え子の一人が、土の壁を咄嗟に作り出すが、あっさりとアシリカの氷塊はそれを突き破る。そのまま、土壁を作り出した男の顔面を直撃する。
「素晴らしい! 見事です!」
自分の教え子が倒され、倒れて動かないにも関わらず、ソレック教授はアシリカの魔術に感嘆の声を上げている。
アシリカがさらに氷の礫を降らせるが、それに対して火を起こして対抗してくる黒装束の教え子たち。
「ソージュ。あなたは、イザベルを助け出してきなさい」
前に立つソージュに告げる。
「お嬢サマは?」
「私は、あいつらを叩き潰してきます」
そう言うやいなや、私は駆けだす。
クレイブから教わったあの秘技を使う時が来た。気合いと自信だ!
向かってきた私に火の玉が打ち放たれる。
今日は避ける気はない。
「気合いだぁぁ! 自信だぁぁ!」
絶叫と共に、向かってきた火の玉を鉄扇で一気に横一閃に切り付ける。
真っ二つに火の玉が割れたかと思うと、霧散していく。
「そ、そんなバカな……」
ソレック教授が絶句する。
「鉄扇は魔術より強し、よ!」
私はそのまま、黒づくめの一団に突っ込んでいく。
「お嬢様、お待たせ致しました」
いつの間にかデドルが隣にいる。
接近戦では、こちらが有利だ。アシリカの援護を受けつつ、私とデドルで、次々とソレック教授に教え子たちをなぎ倒していく。
最後は、私の魔術を吹っ飛ばした技に唖然としていた、ソレック教授の腹にも、一撃を加える。
「う、嘘だ……。魔術が負けるなど、信じられません」
「信じられないのは、あなたの考えの方です」
苦痛の表情で、両ひざを付くソレック教授を見下ろす。
「だが、諦めません。私は間違っていない。今回は駄目でもまた実験を……」
「残念ですが、次回の実験はあり得ませんわ」
手にしていた鉄扇をすっと開く。現れたのは、扇面に描かれた白ユリの紋章。
「この紋章に誓って、こんな狂った様な研究を認める訳には参りませんもの」
「白ユリですって!?」
ソレック教授の叫び声。
「控えなさい。この方は、サンバルト公爵家令嬢、ナタリア・サンバルト様です。あなた方はどなたの御身に傷を付けたと思っている!」
アシリカ、鬼の形相である。ソージュも怖い顔でソレック教授らを睨んでいる。二人は私の体に傷を付けられた事を相当頭に来ているらしい。
「人の事を何とも思っていないような者に魔術を研究するどころか、語る資格もありませんわ。魔術の前に人としての生き方を学び直しなさい」
覆面の穴からソレック教授の虚ろな目となり、光を失っていくのが見える。
「ナタリア様。ありがとうございます」
ソージュに縛られていた縄を解いてもらい、イザベルが私に頭を下げてくる。
「気にしないで。それより大丈夫? どこも怪我してない?」
「はい。大丈夫です……」
顔は青ざめたままであるが、受け答えははっきりとしている。
「あっ、そうだ……」
ソレック教授には、もう一つ聞きたい事がある。
「教授。このような馬鹿げた研究に資金を提供しているってのは、誰なの?」
そいつが大本の悪だ。研究の中身を知りながら力を貸しているのだから。
「それは……」
どんよりとしていたソレック教授の目が大きく見開かれて、言葉が止まる。
「う、うぐっ」
苦し気に首を掻きむしり、口をパクパクさせたかと思うと、仰向けに倒れ込む。そして、一度体を大きく痙攣させると、その動きがピタリと止まった。
「ソレック教授?」
一体、何が起こった?
ソレック教授に駆け寄り、被っていた覆面を取り払う。その顔に黒い象形文字のようなものが浮かび上がっている。
「な、何なの、これ……?」
私でもソレック教授がすでに息絶えているのが分かる。
状況が分からない。目の前の出来事に頭が追い付かない。
「こいつは、まさか……」
珍しくデドルが驚愕に満ちた顔をしている。
「何か分かるの?」
「へい。あっしも話でしか聞いた事がありやせんが、呪術の類じゃないかと。この独特な文様。きっと、呪術の契約の印ではないかと」
呪術? その響きだけで、いいものではなさそうね。黒幕とも言える彼への資金提供者が、この呪術を施したのだろうか。
ソレック教授の死と共に今回の一件は幕を閉じる。
私には、得も言われぬ嫌な感情が心の中に燻っていた。