70 魔術学園
コウド学院と同じく、エルカディアの中心部からは離れた場所にある魔術学園。両校はエルフロント王国で一二を争う名門校だが、その雰囲気はまったく違った。コウド学院ほどの敷地はなく、建物や設備も豪華と呼ぶには程遠い。だが、すべて機能的に作られており、校舎や寮も合理さを追求した結果という感じであった。
イザベルを送り届けた時、魔術学園の食堂でソレック教授にお茶とお菓子をご馳走になったが、有意義な時間を過ごせたと思う。
魔術が苦手だと言う私の話も真剣に聞いてくれた。実際に見せた氷の礫を出そうとしたら出る冷気を見てもらった。
「ほう。冷気ですか。夏場には持ってこいですね」
そう言って、褒めてくれたし。まぁ、本当は氷を出そうとして、ソレなんだけどね。
特に魔術の得意なアシリカは、魔術学園を興味深げに眺めていたが、ソレック教授にもいろいろな質問をしていた。とても勉強になったみたいで良かったよ。
ちなみに、ソレック教授の専門分野は、魔力の応用という、私にはよく理解出来ないけど、ここ最近特に重要なものらしい。
せっかく魔術学園に来たから、という事で私たち三人はそれぞれの魔力量を測定してもらった。
私とソージュは平凡なものであったが、やはりアシリカはかなりの魔力量を保持しているようだった。ソレック教授も驚いていたもんな。何だか、私まで鼻が高くなっちゃうよ。
何だかんだ言って、ソレック教授は私たちを気に入ってくれたみたいで、いつでも遊びに来るように言ってくれた。もちろん、彼の生徒であるイザベルを助けた事も大きいと思うのだけどね。
うん、いい感じだ。ぐっと、魔術学園入学が近づいてきたかな。しばらくは、魔術学園に通おう。生徒じゃないけど。
いつ狙われるか分からないイザベルも守れるし、一石二鳥じゃないか。
そして、魔術学園に毎日通う生活が一週間続いていた。
お母様には、不得意な魔術の特訓を魔術学園で受けると言って許可を貰っている。
学院のパーティーに行った時に、知り合った人の紹介で特別に行けるようになったと言ったのだが、嘘はついていないよね。
魔術学園では、イザベルと行動を共にしているが彼女を狙う存在はあれ以来まったく感じられない。むしろ、魔術学園の雰囲気を堪能していた私たちだった。
「へー。魔力の利用ですか……」
今日もソレック教授の研究室を訪れ、お茶をしながらのおしゃべり中である。
最初は、魔術の教授だから、どんなおどろおどろしい研究室かと思っていたが、ごく普通の部屋だった。大きな教授の机があり、本棚が並んでいる。
勝手なイメージでこうもりの羽だとか、ネズミの尻尾、不気味な液体の入った小瓶でもあるのかと想像していたが、その様なものは一切無く、むしろお父様の書斎の雰囲気に近かった。
そんな研究室で、教授の専門分野である魔力の応用についての話題である。イザベルはもちろん、アシリカも興味深くソレック教授に話に耳を傾けている。
「そうですね。まだまだ研究途上ですがね」
この一週間で何度か出た話題ではあるが、未だに私にはさっぱり理解出来ない。
「究極に言えば、いずれは魔力を依り代にして、魂を呼び寄せる事が目標ですね」
魂を呼び寄せる? それって、召喚みたいなものかしら? それとも、転生させるって事かしら?
「あの、それって、例えば異世界からとか、って事ですか?」
「異世界?」
私の質問にソレック教授はきょとんとなる。
「ええ。この世界とは文化や文明も違う、別の次元の世界というか……」
えっと、私、何か変な事言ってしまったかな。
「それは、面白い。実に興味深い話ですね」
実に生き生きとした顔になり、ソレック教授は身を乗り出す。
「いやいや、ナタリアさんの発想はすごい。今までその様な事、思いつきもしなかったですよ」
そして、感心した様に何度も頷いている。
「異世界ってものが本当に存在するかは、知る術がありませんが夢のある話ですね」
随分と感心した様にソレック教授は頷く。隣のイザベルも目を輝かせて私を見ているが、アシリカとソージュは、またおかしな事を……、といった目である。
「私の言う魂とは死んだ者の事です」
ソレック教授が説明してくれる。
それって、降霊術みたいなものなの? さすが、魔術学園。やっぱり、オカルトチックな事を研究するのね。
「ほら、ロマンチックじゃないですか? 例えば、死んだ恋人を蘇らせるとか」
蘇らせるって、それはもう降霊術じゃないよね。
ちょっと、引き気味の私をソレック教授はじっと見ている。
「……駄目ですかね?」
えっと、何が?
「うーん。女性受けする研究理由を考えているのですが、死んだ恋人を蘇らせるは心に響きませんか……」
がっくりと肩を落とすソレック教授。
「えっと、どういう意味です?」
「いえね、うちの研究室、女性からの受けが悪くて……」
まあ、死者を蘇らせるなんて聞いたらね。
「でも、ロマンがあると思いませんか? 古の英雄や伝説の名将なんかと話せる可能性があるのですよ? 男なら、ロマンを感じると思うのですがねぇ」
首を傾げながら、ソレック教授は残念そうにしている。
なるほど。どおりで、たまに見かけるソレック教授の元にくる研究室の人間は男ばかりだった。唯一の女の子がイザベルだもんな。
それに、詳しく聞くと、実際に蘇らせるという訳ではなく、依り代となる者の中にその呼び寄せた魂を宿らせる、という事らしい。じゃあ、その元の人はどうなるのだろうか。ちょっと、怖いね。ま、どうせ一時的なものでしょうけど。
「でも、本当にその様な事が出来るのでしょうか?」
アシリカが疑問を口にする。
いや、出来るかもよ。イタコみたいなもんでしょ。
「もちろん、難しい事ではあります。ですが、かなりいい所までは研究が進んでいるのですよ」
すごいね。でも、この研究成果はどうやって世の中に生かすのかしら? ソレック教授たちも完全に男のロマンとやらだけで研究に勤しんでいるみたいだしさ。
この一週間あまりで、ソレック教授とその研究室は、この魔術学園でもかなりの異端である事を薄々感じていた。魔力の応用は需要があるが、彼らの研究の方向性が、かなり変なベクトルに向かっているせいだと思う。
「あの、教授……」
研究室の扉が開き、一人の男性が顔を出す。何度か見かけたソレック教授の教え子の一人だ。
「どうしました?」
「はい。例の実験の準備が大方整いました。最終確認をお願いしたいのですが」
へー。実験か。何か魔術学園ぽくていいわね。どんな実験なのかしら。
「そうですか。分かりました。もう少ししたら行きますので」
ソレック教授の返事に一礼した教え子さんは去っていく。
「あの、教授、何の実験ですか? 私、何も……」
不安げな面持ちとなっているイザベルさんが尋ねる。彼女は実験について、何も聞かされていないのか。
「今回の実験の準備は去年から進めていたものです。それに、イザベルさんはまだ基礎を学ぶ期間。実験の準備より、するべき事が他に多くあります」
イザベルは、ソレック教授の言葉に悔し気な表情を浮かべる。
彼女の悔しい気持ちも分かるが、ここはソレック教授の言葉も正しいと思う。
「イザベルさん。実験には、もちろんあなたも立ち会ってもらいますよ。それもきっと将来の役に立つ事ですから」
立ち上がったソレック教授はポンとイザベルの肩を叩く。
「はい」
納得した顔になりイザベルは頷く。
いい子弟だね。
「あっ。そう言えば、私、講義の時間でした!」
イザベルも立ち上がる。
「ナタリアさん、私、ちょっと行ってきます!」
「ええ。頑張ってね」
慌てて研究室から駆け出すイザベルを送り出す。
講義の間は私たちは特にする事もない。
「じゃあ、私たちも少しその辺をぶらぶらしてきます」
ソレック教授に告げる。教授も実験の準備で忙しいだろうし、邪魔をしても悪いしね。
「そうですか。では、私も実験の準備に行ってきますかね」
「お菓子、ご馳走様でした」
「あっ。ちょっと、待ってください」
研究室を出ようとする私たちをソレック教授が止める。
「アシリカさん。もし良かったら、来年魔術学園に入りませんか? 魔力量も多いですし、すでに多くの魔術も使いこなせるようですし」
おお。魔術学園の教授から直接の勧誘だ。アシリカは、魔術学園に入学を希望していたし、良かったじゃないの。でも、魔術学園に入学したら侍女の仕事は、どうなるのだろうか。そこは不安だ。
「そのお言葉、嬉しくは思いますがすぐには……」
あれ、どうしたのよ? せっかくのチャンスなのに、どうして即答しないのよ?例え、侍女の仕事が続けられなくても、夢であった魔術学園に入れるのなら、私は迷わず応援するのにさ。
「まだ時間はあります。考えておいてください」
躊躇するアシリカにそう告げると、ソレック教授は会釈し、実験へと向かうのか立ち去ってしまった。
「アシリカ、チャンスじゃないの? 初めて会った頃に言ってたじゃない。魔術学園に行くのが夢だってさ」
曖昧な返事しなかったアシリカに詰め寄る。
「ですが、入学するとなるとお嬢様のお側に……」
俯くアシリカ。
「そりゃ、アシリカが側にいないと不安だし寂しいけど、私はアシリカの夢の為なら応援するわよ」
「いえ、実は私の夢、変わりまして」
言いにくそうにアシリカが私を見る。
「え? そうなの? あんなに言っていたのに?」
学費を稼ぐ為に、慣れない侍女になったのに?
「はい。それ以上にやりたい事が出来たのですよ」
何故か目線を私から逸らしてアシリカが答える。
魔術学園に入りたい以上の夢? 何かしら? まさかお嫁さんとか? そう言えば、エリックお兄様の結婚式をキラキラした目で見てたもんなぁ。
「分かったわ。じゃあ、まずは素敵な人を見つけないとね!」
「お嬢様……」
何故、呆れた目で私を見るのかしら? これは、アシリカの照れ方なのかしらね。
「そう言えば……」
アシリカはソレック教授に入学を勧められたけど、私は? やはり、夏場にしか役に立たない私は駄目なのでしょうか?
それからさらに三日が経った。
ソレック教授は、実験の準備が忙しいのか、この三日間見かけていない。今は、イザベルも講義を受けている。その間、私たちは時間を潰す為に魔術学園の中をブラブラと歩く。
「この前に黒ずくめの奴らがイザベルを狙っていたというのは、気のせいなのかしらね……」
イザベルを助けてから十日が過ぎている。その間、彼女に近づく怪しい者もおらず、平穏な毎日っである。
「どうでしょうか……。ですが、そろそろ毎日ここに来るのも限界かと」
アシリカも首を傾げながらも、渋い顔を見せる。
そろそろすべての予定をキャンセルして、魔術学園に通うのも限界なのだ。屋敷で講義を受けなければいけないし、たまには、パーティーにも顔を出さなければいけない。
イザベルが狙われているのは、考え過ぎだったのかな。でも、確かにあの時、あの黒ずくめの集団は彼女が目当てだった様に思えるのだけど。
考え込んでいるうちに講義の終了の鐘が学園に響く。
「講義が終わったようね」
イザベルを迎えに行こうかしらね。
彼女が講義を受けていた校舎の前で出てくるのを待つ。次々と生徒が出てくるが、イザベルの姿は見えない。
「おかしいわね。ここで間違ってないはずよね」
普段はさほど待たずに出てくるイザベルが出てこないのだ。
「ええ。ここで間違いないはずですが」
頷くアシリカと顔を見合わせる。
イヤな予感がする。他に出入り出来る場所も無かったと思うけど。そもそもイザベルにも、ここで待ち合わせの約束を講義の前にしている。
講義が終わり、校舎から出てくる人も疎らになってきた。慌てて、彼女が講義を受けていた教室へと向かう。
やはり、教室にイザベルの姿は無い。
「あの、ちょっとすみません」
その教室に残っていた生徒に声を掛ける。
「何か?」
見かけない顔の私に不思議そうな目を向けている。
「あの、イザベルって子がさっきまでここで授業を受けていたはずです。どこに行ったか分かりませんか?」
「イザベル? ああ、あのソレック教授の所の……」
残っていた生徒の一人がイザベルの事を知っているようだ。
「ソレック教授の教え子か。あそこ、おかしな研究ばかりしている所だよな。この前もさ、研究室の三年生がさ、怪我してたろ」
もう一人の残っていた生徒がくすくすと笑い声を立てる。
怪我? 実験で怪我したのいかしらね。でも、実験って、そんな危険なものなのかしら?
「ああ、そう言えば僕も見たな。しかも、一人歯が抜け落ちてたな。あれは笑ったよ」
歯が抜けてる?
「そいつさ、顔に綺麗に棒で叩かれた様な青痣まで出来ていたよな」
顔に青痣?
残っていた生徒たちで盛り上がり、大声で笑い始めた。
「ねえ、他にどんな怪我をしていた?」
別のイヤな予感を感じる。私は笑えない。
「そうだなぁ。切り傷や殴られたみたいな怪我だったな。実験で付いたと言っていたけど、どんな実験してるのか、逆に興味が湧くな」
切り傷は、短刀の傷。殴られたのは、氷塊を受けた跡。そして、鉄扇を打ち付けた奴の歯が飛んでいった記憶がある。
まさか、このあいだ襲ってきたのは、ソレック教授の研究室の人たち?
「で、イザベルは? どこに行ったの?」
思わず真剣な表情となり、笑う生徒たちに詰め寄る。
「え? えっと、そう言えば、講義が始まる直前、ソレック教授の研究室の二年生が呼びに来てたなような……」
険しい顔となった私に対して、怯えを浮かべている。
「呼びに来た?」
どういう事? 講義を抜け出させてまでの用事とは何だ? しかも、コウド学院からの帰り道で出会った黒づくめの集団はソレック教授の研究室の人たち。その呼びに来た先輩かもしれないのだ。
これは、マズイかもしれない。
「まさかとは思いますが……」
アシリカも困惑と心配の入り混じった顔で呟く。
一体、奴らの目的は何なのか? ソレック教授はこの件を知っているのだろうかしら?
今回は、初めから分からない事だらけだ。
「とにかく……、イザベルを探すわ」
焦燥感に包まれた私は、唇を噛みしめて廊下へと駆けだした。