69 秘技
魔術。
それは、体内にある魔力を使い行使する。うまく魔力を変換して、魔術という形に出来るかは人それぞれである。私はそれが苦手で、魔術が使いこなせない。アシリカは、それがうまく、あらゆる攻撃に利用する事が出来る。
多くの人は、それなりに魔力があり、魔術を使いこなせる。ただ、人を傷つけるだけの魔力と技術を持つ者は稀だ。大抵の人は、火を起こしたり明かりを灯すなどの生活に少し役に立つかなという程度である。私はそれすらも出来ないけど。
もっとも、それも専門の教師の元できっちりと習う事が前提である。だから、多くの平民は、代用の利く魔術をわざわざお金を払ってまで習得しようとは思わない。ゆえに、魔術を使える者は少ないのだ。
そして、持っている魔力量にも個人差がある。
アシリカも膨大な魔力量を持っているらしい。だからこそ、平民出身だが、魔術の道へと進んだのだ。もちろん、魔術を発動する才能も高い。
すごいね、アシリカ。残念だね、私。
「――という事ですが」
アシリカが魔術について一通り説明してくれた。
「これらは、すでに講義で習っているはずなのですがね」
ごめん。全然覚えていない。
アシリカが呆れ顔でため息をつく。
「私も習ったの覚えてマス」
偉いね、ソージュ。彼女は私をすでに追い越して、明かりくらいは灯せるようになっていた。見習わないとね。
「まあ、今はその話はいいわよ」
雲行きが怪しくなりそうな話題は避ける。
今、私は道場にいる。襲われていた子を助けた翌日だ。
目の前で寝かされている少女はあれからもずっと眠っているらしい。昨日起こった出来事をクレイブらに説明した後である。魔術の事をもう一度、アシリカから説明を改めて受けたのだ。
「魔術の使い手が六人も。しかも、皆それなりの腕の持ち主のようですね」
ブレストが昨夜の話に顔を険しくする。
「ええ。かなりの使い手だったわね」
苦戦したのを思い出し、自然と険しい顔になる。
「う、うーん……」
その時、少女がうめき声を出す。少しもぞもそと体を動かした後、ゆっくりと目を開ける。
「……ここは?」
目を開けると同時に視線を左右に動かし、不安げな声を出す。
「大丈夫よ。ここは剣術道場。あなた、昨日の夜の事は覚えている?」
安心させるようにゆっくりと話す。
「昨日……」
襲われた事を思い出したのか、顔が青ざめる。
「心配ないわ。ここは安全よ」
少女は私に目を向ける。
「あなたは、昨日の……」
「ええ。だから大丈夫。もうあなたを襲った奴らはここにはいないわ」
もう一度周囲を見て、やっと安心した表情を少女は見せる。
「あなた、名前は?」
名前を知らないと話しにくいしね。
「イザベルと申します」
イザベルは体を起こし、頭を下げる。
「イザベルね。私はナタリアよ」
「師匠はここの道場主代理代行です」
ブレスト。話がややこしくなるから黙ってなさい。
「すごい。見たところまだ十代半ばくらいなのに……」
イザベルが尊敬の眼差しを向けてくる。
うん。悪い気はしない。でも、その肩書、まだ有効なんだ。
「いや、まあ、成り行きでね。本当はただの商家の娘よ」
「まあ! 実は私の実家も商家なんです」
聞けば、地方都市の商家の娘さんらしい。
「でも、そんなあなたが何故、エルカディアに?」
エルカディアからは随分と離れた場所だ。
「はい。この春、魔法学園に入学しまして」
この子、魔法学園の生徒だったんだ。
「すごいね。魔法学園って事は、魔術が相当出来るのね」
「いえ、それが……」
イザベルの顔が曇る。
彼女は魔術が得意であるが、魔法学園に入れるとは思ってもいなかったようだ。実際、入学が認められたのも、入学式の二週間前に突然通知が届いたらしい。どうやら、一人の教授が彼女の素質を見込んで、随分と後押ししてくれたとのことである。
「入学してからも、うまくいかなくて……」
思う様に魔術の腕が伸びないのか。
「それで、昨日は気晴らしに買い物に出たのです。ですが、帰り道に迷いまして」
地方から出てきて日が浅いから、迷子になったのね。
「日も暮れて、どうしようかと彷徨っていたら、突然……」
そこで、イザベルは俯く。
「あの黒ずくめに出会った、と」
「はい。必死で逃げたのです。私には、対抗出来る程、魔術を使えませんし」
その逃げている最中に私の乗る馬車の前に飛び出してきたってわけだ。
「それで、あの黒ずくめの奴らに心当たりは?」
改めて尋ねる。昨夜聞き損ねた事だ。
「それが、私にもさっぱり……」
心当たりは無い様だ。でも、あの黒ずくめの集団は、明らかにイザベルを狙っていたと思う。
だが、本人もだが、私にも彼女が狙われる原因が分からない。特別な物を持っている訳でも無さそうだし、実家も裕福そうだが、特に狙われる様な事情も無さそうだし。
「あっ!」
突然、イザベルが声を上げる。
「私、寮に帰らないと」
それもそうよね。何も言わずに無断外泊状態だよね。
「でも、大丈夫なのでしょうか?」
アシリカが心配そうな顔を私に向ける。同じ魔術を志す者として、彼女が心配なのだろう。
「まあ、確かにね」
また、あの黒ずくめの集団がイザベルを襲う可能性が高いはずだ。
「まあまあ、まずは飯じゃろうて。お前さんも昨日から何も食べておらんじゃろう?」
クレイブが湯気を立てた器を運んでくる。部屋に食欲をそそるいい香りが漂う。
イザベルがごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。
「さ、冷めないうちに」
「あ、ありがとうございます」
お腹が減っていたのかイザベルは、頂きますと言うや脇目も振らず食べ始める。
これだけ食欲があれば、もう大丈夫そうね。とりあえずは、一安心かしら。
「お嬢ちゃんや」
クレイブが目で稽古場を示す。
そう言えば、昨日の夜も真剣な顔で意味ありげに来るように言っていたわね。
私は黙って頷くと、クレイブと一緒に稽古場へと移動する。
「で、やり合うつもりかの?」
開口一番のクレイブの言葉である。誰とか、は言わずとも分かる。
「まだ分からない事も多いわ。でも、イザベルをこのまま放っておくわけにもいかないわね」
本人の自覚はあるかないか分からないが、彼女は、明らかに狙われている。
「相手は魔術を使うようじゃが。勝算はあるのかの?」
痛い所を突いてくる。剣術は接近戦だが、魔術は遠距離からの攻撃が可能だ。分が悪いと言える。実際、昨夜も苦戦したのだ。追い返したとはいえ、勝ったとは言い難い。
「ふむ。確かに剣で魔術に立ち向かうは不利じゃからのう」
黙り込む私にクレイブが告げる。
悔しいが、事実だ。
「不利でも、何とかするしかないでしょ。それとも、何かいい手でもあるの?」
私の声に苛立ちが混じる。
「ふっふっふっふ。ワシを誰と思っておる?」
おっ。何かあるのか。さすが剣聖。料理の得意なだけのおじいさんじゃないものね。
「ワシは魔術に勝つ為に剣の道に進んだと言っても過言ではない。あれは、まだワシが十代の頃じゃった……」
おおっ! 剣聖の駆けだしの頃の話か。それは、是非とも聞きたいね。
「ワシも当時はまだまだ青臭いガキじゃった。そんなワシでも好きな女の子がおってのう。幼馴染の子じゃ。可愛らしい子じゃったよ」
クレイブは、遠い昔を思い出す様に目を細める。
「だがな、その彼女を魔術がちいっと得意な男に取られたのじゃ」
えっと、ごめん。何の話?
「それ以来じゃ。ワシが剣の道に邁進するようになったのは。いつか、魔術にも打ち勝つ剣を得ようと血の滲むような努力を重ねたのじゃ」
それが、剣の道を志した動機ですか……。正直、知りたくない事実だな。剣聖と呼ばれる男が剣を目指した理由にしては、残念過ぎる。
「その話、他ではしない方がいいわよ」
思わず冷たい目でクレイブを見てしまう。
「え? 何故じゃ?」
何故、分からない? こっちが聞きたいよ。
それよりも、結局、今の話は何かの役に立つのか? クレイブの失恋話を聞いただけじゃないか。
「もう! 私、戻るわよ!」
クレイブに期待した私が馬鹿だったわ。
「まあ、話は最後まで聞くもんじゃよ」
まだ、くだらない話があるの?
「魔術に打ち勝つ為に修行してきたワシじゃ。魔術を破る技も編み出しての」
前言撤回。さすが、剣聖!
「名付けて、秘技魔術斬撃の太刀」
うーん。ネーミングセンスはイマイチだな。絶対に放つ時、叫びたくない技名だ。
「それって、どんな技なの?」
そう、名前より中身が大事だ。
「うむ。魔術によって放たれた攻撃を一刀両断して、打ち消す技じゃよ」
すごい。それはすごい。昨日みたいに避けるのではなく、魔術攻撃を消し去るのか。名前は微妙だけど、すごいよ。
「それを教えてくれるの?」
思わずクレイブの方に身を乗り出してしまう。
「ああ。もちろん。じゃが……」
何か条件があるのか。
「必ずや魔術士を倒すのじゃ。ワシの過去の無念を晴らすのじゃぞ」
……結局は、私怨じゃないか。それに、あなたの幼馴染とくっついた魔術士とは別人だと思う。剣聖と呼ばれる男が小さな事を根に持っているな。無の境地に辿り着く為の修行の成果がまったくないね。むしろ、小物臭が漂っているよ。
「……もちろんよ」
まあ、クレイブの私怨はどうでもいいが、言われなくとも悪は懲らしめるつもりだ。
「さっそく、秘技魔術斬撃の太刀をお嬢ちゃんに授けよう」
「はい、お願いしますっ!」
これで、私も必殺技を手に出来る。魔術攻撃にも怯む事はないっ。
そんな意気込み十分の私の荒い鼻息が、すぐに、ため息に変わる。
「だから、気合を入れて、向かってきた火球なり、氷塊なりをこう、ズバッと斬るのじゃ」
言うは易く行うは難しとは、この事だよね。
「絶対切れると己を信じるのじゃぞ」
うん、やはりこの人は天才だ。剣聖と呼ばれるだけあるよ。私の様な凡人には、理解出来ない所にいるのかもしれない。
「本当に出来るの、そんな事」
疑いの眼差しを向ける。
「もちろんじゃよ」
じゃあ、試してやろう。
私はアシリカを呼ぶと、クレイブに向かって力いっぱい、火球を放つように頼む。
「本当によろしいので?」
アシリカは何度も確認をしてくる。
「ええ。思いっきりやってちょうだい」
「……どうなっても知りませんよ」
アシリカはそう言いながら、特大の火球をクレイブ目がけて放つ。スピードも申し分ない。
何の構えもしていないクレイブに火球は一直線に向かっていく。
クレイブの直前に火球が来たと思った瞬間、持っていた木刀を横に払う。すると、火球が霧散してしまった。
「嘘……」
魔術を放ったアシリカが呆然としている。
「すごい……」
これはすごい。説明を聞いた時は半信半疑だったが、目の前でこれを見たら、信じない訳にはいかないよ。そして、是が非でも私も習得したい。
「ま、こんなもんじゃ。分かったかの?」
クレイブは涼しい顔で私を見る。
「気合いと自信ね」
「そうじゃ。それを忘れるでないぞ」
私の返事に満足そうにクレイブは頷いた。
気合いと自信、気合いと自信。
そんな言葉を繰り返すという一風変わった稽古をしている間に食事を終えたイザベルさんと一緒に魔術学園に来ていた。
やはりこのまま放っておく訳にはいかないと、寮のある魔術学園に送り届けに来た訳だが、相手の事も狙われる理由も分からないままでは、手の打ちようもない。
「イザベルさん!」
寮の前に辿り着いた時、初老の男性がイザベルの姿を見て、駆け寄ってきた。
「昨夜帰ってこなかったので、心配しましたよ! 何かあったのですか?」
心配そうな表情でイザベルの両肩を持つ。
「申し訳ございません。実はその……昨日街で襲われまして」
「襲われたですって?」
心配している顔が、驚きの表情に変わった。
「はい。でも、大丈夫です。この人に助けて頂いて……」
「それは、それは。ありがとうございます。私は、彼女の担当教官のソレックと言います」
「ナタリアです。いえ、あのまま放っておくなんて出来なかっただけです」
挨拶を交わす彼は、イザベルの担当教官で魔術学園の教授である同時に、彼女を強く推薦した人物でもあるようだ。
今日の朝、イザベルが寮に帰ってきていない事を聞き、心配していたらしい。
「物盗りか何かなのですかね……。でも、まあ、無事で良かったですよ」
ソレック教授は、イザベルがどこも怪我していないのを見て、安堵している。
この心配ぶりと無事を知っての安心した様子、よっぽどイザベルの才能に期待しているのね。
教授は、夜盗の類に襲われたと思っているみたいだ。ま、下手に何も言わないでおこう。まだ分からない事が多いし、変な心配をかけるのもね……。
「ご心配おかけしました……」
イザベルはソレック教授に頭を下げる。
「いえいえ。無事だったからいいのですよ。それにしても、物騒ですね。今度からは、暗くなる前に寮に帰ってくるようにしてくださいね」
「はい。気を付けます」
「そうだ。ナタリアさん。是非、お礼させてください」
「いえ、お礼だなんて……」
私は両手を前にして、遠慮する。
いや、待てよ。ここでこのソレック教授に気に入れれたら、もしかして私も魔術学園に入れるかも。何せ、イザベルだって、この人の強い推薦で入れたのだからさ。可能性はゼロではないよね。
「……いいのですか?」
「もちろんですよ、さ、そちらのお友達方も一緒に」
ソレック教授は、にっこりと笑みを浮かべて、頷く。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
意外な所で魔術学園に伝手が出来たね。
よし、ここで頑張ってコウド学院入学を回避するぞ。
私も、期待の籠った笑顔をソレック教授に返していた。