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戦うお嬢様!  作者: 和音
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66 小さな恋の物語

 夏が近づき、暑さに顔を顰める機会が多くなってきても、道場には通っていた。

 剣聖クレイブが帰ってきた事で、門下生が増えたかと言うと、そうでも無かった。もっとも、活気づいたのは確かなようで、道場では、木刀の打ち合う音、気合を入れるかけ声が響き、それに引き寄せられるかのようにして、新たに三人の入門者が増えていた。なぜか、皆、剣術には縁の無さそうな人たちばかりだが。あそこの道場は、ああいう人たちを引き寄せる何かがあるのだろうかと思う程である。

 私の素性はバレてしまったが、ブレストたちからは師匠のままである。態度を変えずに今まで通り接してくれるのはありがたいが、道場主代理代行の職はそろそろ辞任したいというのが本音だ。

 ちなみにハンクだが、何と道場を解散し、一人で旅に出たらしい。やはり、この前の試合で私に負けた事が大きいようだ。彼の性格は、褒められたものじゃないけど、剣に生きる者としては、骨があるようだ。ま、どこかの剣聖さんみたいに、無一文にならなきゃいいけど。

 金貨百枚を回収し損ねてたのは残念だが、借用書は取り返せたし、良しとしようかな。

 道場に通い、屋敷での講義の数々。さらにはたまに義理に近い感じで顔を出す社交の場。なかなか忙しい毎日を送っていた。

 今日も全く成果の出ない魔術の授業を受けた後、折れそうな心を癒す為にお茶でもしようと、庭のテラスへと出る。


「あら」


 どうやら先客がいるようだ。ルーベルト君だ。

 ぼんやりと庭を眺めている。


「ルーベルト君」


「あっ。ナタリア様」


 近づいても気づかず、声をかけられてやっと私に気付く。

 何か、元気がないように見えるな。


「どう? 今からここでお茶でもしようと思っているの。ルーベルト君も一緒にどうかしら?」


「はい」


 笑顔を見せるが、ぎこちない。無理やり笑みを顔に張り付けているみたいだ。

 私は向かいにう腰掛けると、アシリカたちのお茶の準備を待つ。


「どう? ここでの生活には慣れた?」


 エリックお兄様とメリッサさんが結婚し、サンバルト家の屋敷で暮らし始めて三ヶ月が過ぎた。


「はい。皆さん、優しくしてくれていますし、すっかり慣れました」


 ルーベルト君は、優秀で、お父様やお兄様たちからの期待も大きい。それに応えようと本人も必死なのだろう。

 受け答えもすっかり貴族のそれらしい会話だが、初めて平民街にあったメリッサさんの家で会った時に見た無邪気な笑顔を最近見ていない気がする。


「そう……」


 メリッサさんも次期サンバルト家当主の妻として、忙しくしている。以前より一緒に過ごす時間も短くなっているはずだ。それに、ルーベルト君は、メリッサさんと違い、貴族生活の記憶が無い。彼にしてみれば、突然平民から縁の無かった貴族社会に放り込まれた様なものだ。いくら優秀と言ってもまだ十歳になったばかりである。戸惑いも大きいだろう。


「ねえ。聞いてくれる?」


 ルーベルト君は、私にこくんと頷く。


「私、実はね、貴族の生活が嫌でさぁ。ほら、いろいろと堅苦しいでしょ。あれはダメ、これもダメ。貴族の令嬢らしくしなさいってさ」


 私の愚痴にルーベルト君は戸惑いつつも、苦笑いを浮かべる。


「貴族ってだけで、何でそんなに上品に生活しなきゃならないのかしらね。やっている事がとんでもない奴もいるのにさ」


 肩肘を突いて、しかめっ面になる。


「だから、ナタリア様は、平民のお姿をして、街に出ておられたのですか?」


 周りに誰もいない事を確認してから、ルーベルト君が声を小さくして聞いてきた。


「まあね。だって、息が詰まらない? こんな生活」


 私の言葉にルーベルト君が俯く。

 やはり、突然の貴族生活は彼にとって負担にも感じているのだろうね。


「お茶が入りました」


 そっと、テーブルの上にカップが置かれる。


「少し、甘めにしてますからね」


 アシリカがルーベルト君に微笑む。


「ありがとうございます」


 アシリカに頭を下げて、ルーベルト君がお茶を口にする。


「……美味しい」


 ルーベルト君の表情がすっと緩む。


「でしょ。アシリカの入れたお茶はなかなかのものよ」


 私もゆっくりと一口お茶を口に含む。


「話を戻すけどさ、窮屈に感じる時があるわよね、貴族の生活ってさ」


 もしかしたら、私が一番そう思っているのかもしれないけど。


「……はい。ですが、多くの事を学ばせてもらえますし、前は考えられなかった様な暮らしですし……」


「う、うん、それは確かに……」


 令嬢生活にすっかり染まっている私には、耳が痛いね。そこは、私もお父様に感謝すべき所だな。やはりルーベルト君は真面目だね。


「で、でも、たまには息抜きなんかも必要よ」


 真面目一辺倒では、疲れてしまうよ。


「そうね、時にはハメを外してさ。こう、ぱーっとね――」


「ぱーっと、何をなさるおつもりですか? 是非、お聞かせ願いますかな」


 え? ガイノス? 

 いつも間にか、私の隣にガイノスが立っている。


「えっと、いつからそこに?」


 一番聞かれてはならない事を一番聞かせてはならない人に聞かれてしまった気がする。


「そうですな、話を戻すけど、という辺りですな」


 ガイノスの眉間に皺が寄っている。


「お嬢様は王家に嫁ぐ身なのですぞ。それを貴族の生活が窮屈など、どの口が言われるのですか?」


 この口です。でもね、時々いい事も言う口なんですよ。それ以上に余計な事も言いますけど。


「そもそもですぞ。貴族とは、この国と民を守っていく者です。決して気楽な身分ではないのです。ル―ベルト様も、決して忘れてはならない事ですぞ」


 ああ、ガイノスの説教が始まっちゃたよ。今日は長いのかな。


「よいですか、あまりルーベルト様におかしな事を教えてはなりませんぞ」


 私って、そんなにおかしな事ばかりしているのかしらね。

 比較的短めな説教も終わり、庭のテラスは、再び静けさを取り戻した。


「ごめんなさい。ナタリア様は本当は、僕を元気付けようとしてくれていたのですよね」


 ルーベルト君が頭を下げる。


「いいのよ。ガイノスのお説教には慣れているしね」


 ガイノスが去ったのを確認して、舌をぺろっと出す。


「あまり慣れられても困るのですが……」


 アシリカが私の態度にため息を吐く。


「まあ、いいじゃない。どう? 少しは元気出た?」


「はい」


 満面の笑みでルーベルト君は頷く。


「良かった。もし、困ったり、寂しく感じたらいつでも私の所に来るのよ」


 私にしたら、ルーベルト君は弟みたいなもんだもんね。


「ありがとうございます。それに、寂しくは……」


 ルーベルト君の言葉が途中で止まり、すっと顔に影が差す。


「どうしたの?」


「ここに来て、会えなくなった人もいますし……」


 そうか。気軽に屋敷から出られないから、平民時代の友人や知り合いには、なかなか会えなくなるよね。それは、確かに辛いだろうな。 


「じゃあ、会いに行く?」


「え?」


 私の問いにルーベルト君は、目を丸くする。


「ほら、行くわよ。ハメを外しにね」


 立ち上がり、ウインクする私をぽかんと口を開け、ルーベルト君が見上げていた。




「本当にいいのですか?」


 馬車に揺られて、ルーベルト君が尋ねてくる。


「お嬢様。私もルーベルト様と同感です。いくら何でも黙って連れ出すのは……」


 アシリカも不安顔である。


「大丈夫よ。ちょっと、屋敷から出るくらいだもの。それに、怒られるのは、私だからさ」


 さすがに、裏門を通る訳にもいかず、堂々と、正門から出てきている。

 もちろん、許可は貰っている。……お母様に。


「ですが、あのような嘘をつくのは……」


 しばらく会っていないレオにどうしても会いたい、会うのが無理なら、せめて学院を遠目からだけでも見たい、とお母様に訴えたのだ。お母様は、乙女の様にはしゃいで許してくれたけど、少し良心が痛むな。


「今さら、遅いわよ」


 お母様には、他の人に知られたら恥ずかしいからと、口止めもしているしね。


「いいのでしょうか……」


 アシリカが不安げに呟いているが、大丈夫よ。皆、真面目だなぁ。 


「さあ、行くわよー!」


 ルーベルト君に聞いて、彼の会いたい人に会っていく。通っていた学校の友人。住んでいた家の近所の知り合い。久々に会えて、いつしかルーベルト君は、初めて会った時の無邪気な笑顔を見せていた。


「どう? 楽しい?」


「はい! ありがとうございます、ナタリア姉さま!」


 ナタリア姉さま! 姉さま! いい響きだわ。


「あっ。ごめんなさい。思わず、姉さまだなんて……」


 気まずそうにルーベルト君が詫びる。


「いいえ。いいのよ。これからも姉さまと呼んでくれていのよ」


 むしろ呼んでほしい。


「はい! ナタリア姉さま!」


 ああ、素直な弟が出来て嬉しい。私って、末っ子だから、弟か妹が欲しかったのよね。 


「ねえ、他に会いたい人はいるの?」


 上機嫌になり、ルーベルト君に尋ねる。


「えっと、その……」


 顔を赤らめ、視線が目まぐるしく動く。

 ほう。この反応、さては女の子かな。まったく、そんな顔をされると、姉さまは焼きもち焼いちゃうぞ。


「いるのね。それも女の子じゃない?」


 悪戯っぽく笑みを浮かべて問いかける。  


「え、その……、はい」


 さらに顔を赤くして俯くルーベルト君。

 どんな子なのかしら? 気になるわね。これは、姉として、見ておかなければ。


「じゃあ、会いに行きましょう。どこに行けばいい?」


「それが……。どこにいるか分からないのです」


 ルーベルト君は、言いにくそうに私を見上げる。


「分からない?」


「はい……」


 ルーベルト君によると、彼の会いたいその子は、偶然見かけた人だそうだ。学校からの帰りに何度か見かけるうちに好意を抱くようになったらしい。


「どんな子なの?」


「実は、話した事がないのです。いつも遠くから眺めるだけで……」


 奥手なのね。でも、ルーベルト君の年齢を考えると仕方ないか。それはそれで、かわいらしいよね。


「でも、その人、いつも透き通る様な目で空を見上げているのです。その雰囲気がとても美しくて……」


 雰囲気が美しいか。何だか、詩的だね。


「どこで見かけたの? とりあえず、そこに行ってみましょう」


 ルーベルト君がその彼女を見たという場所へと向かうが、見当たらない。


「今日は、あっちなのかな……」


 周囲を見渡し、ルーベルト君は落胆の色を浮かべる。


「他でも見かけたの? なら、そっちも行けばいいわ」


 すぐに、別の見かけた場所へと向かうも、またもやその姿は無い。

 

「あれ? ここでも無いのですね。じゃあ、あそこかな」


 え? そんないろんな場所で見かけたの?

 そこからも、次から次へとルーベルト君がその子を見かけたという場所を周っていく。大きな公園や、並木通り。はたまた、何故、こんな所で? と思うような、何の変哲もない住宅街の一画。

 ねえ、その子何者なのよ? 行動範囲、かなり広いわね。


「いないわね……」


 気分的には、エルカディアの街を走り回った感じだが、お目当ての彼女と出会う事は叶わなかった。


「はい……。仕方ありません。ナタリア姉さま、ありがとうございます」


 少し寂し気な笑顔で、ルーベルト君が私を見上げる。

 うーん。何とか会わせてあげたいけど、こればかりはね。私は、会った事がないし、名前も分からないのだもの。


「ほら、元気だして。また日を改めて探しに来ましょう。そうだ。ちょっと、お腹が減ってない? 何か食べていこうか? いいよね、アシリカ」


「そうですね。そうしましょう」


 アシリカもルーベルト君を気の毒に感じているのか、あっさりと了承してくれる。

 そう言えば、ここは私が以前、迷子になった屋台の立ち並ぶ街の一画の近くだ。久々に、こってりとした濃い味付けのものが食べたいな。


「前にエリックお兄様と一緒に行った屋台に行くわ」


「ああ。お嬢様が迷子になられた所ですね」


 アシリカ、余計な事は言わなくていいよ。ルーベルト君に笑われるじゃないか。私のお姉さんイメージが崩れるじゃないの。


「今日は、はぐれないでくだサイ。ちゃんと手を繋いでくだサイネ」


 ソージュもやめてくれないかな。ルーベルト君も苦笑いで私を見てるからさ。


「もう、分かってるわよ。デドル、出してちょうだい」


「へい」


 御者台のデドルも笑いを噛み殺した顔で頷く。

 皆で私を馬鹿にして。でも、ルーベルト君も元気を取り戻したかな。なら、構わないか。

 馬車はすぐに、屋台が並ぶ通りへと着いた。香ばしい匂いに誘われ、ついつい買ってしまう。今日の支払いはデドル持ち。この前の賭場で私が勝った分のお礼らしい。


「どこで食べますか? 屋敷に持って帰る訳にもいきませんし」


 アシリカが尋ねてくる。


「この先に広場があったわよね。そこで食べましょう」


 偶然、シルビアと会った広場だ。あそこのベンチで食べよう。

 両手に屋台で買い込んだ食べ物を持ちながら、広場に向かう。今日は天気もいいし、気持ちいいはずだ。


「いただきます!」


 ルーベルト君も屋台の味は久々なのか、嬉しそうに鶏肉を頬張る。


「どう? 美味しい?」


 そんなルーベルト君を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。


「はいっ」


 良かった。じゃあ、私も早速――。


「まあ! お姉さま!」


 声と共に、私の首に纏わりつく二本の腕。

 誰だ、至福の時を邪魔する奴は?


「また偶然、お会いできるとは、嬉しいですわ!」


 シルビアだ。そう言えば、この広場にある木も彼女のお気に入りだったな。なおも、私の首に纏わりつく。


「ちょ、ちょっと。シルビア。離しなさい!」


 あっ、ほら、持っていた牛肉の串焼きを落としたちゃった。

 うわあ、勿体ない! えっと、三秒以内に拾えばセーフだったけ?


「ナ、ナタリア姉さま……」


 え、何? 今度はルーベルト君? どうしたのよ? 腕を掴まないで。拾えないから。三秒過ぎちゃうよ。


「こ、この方は……?」


 え? この方? シルビアの事? 

 見ると、ルーベルト君がやってきたシルビアを目を大きく見開き、口をパクパクとさせている。顔も急に赤くなっている。


「まさか、ルーベルト様のお会いしたいと言っていた方って……」


 アシリカが、ルーベルト君の顔を覗き込む。

 え、何? どういう事? まさか、ルーベルト君が恋い焦がれた相手って、シルビアだったの?


「ねえ、アシリカ……。その、もしかして……」


「ええ。私たちが探していたのは、シルビア様だったのかも……」


 その会話に顔をさらに真っ赤にして、ルーベルト君は俯く。

 いやいやいや。ちょっと、待って。シルビアが見ているのは、空じゃなくて、木だから! 透き通る目って綺麗な表現だけど、うっとりしているだけだから!


「あの、本当に?」


 私の問いに黙ったまま、ルーベルト君は頷く。

 おいおい。五歳も年上の女性だよ。おませさんだなあ。シルビアの色気にやられるには、少し早いよ。

 私は落ちて三秒以上経過した牛肉の串焼きを忘れて、ルーベルト君とシルビアを交互に見ていた。


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