65 無
稽古場の中央に進み出てハンクと対峙する。
大将戦である。これに私が勝てば、引き分けも含めて五分の星となり、決定戦。負ければ、その時点で、こちらの負けが決まってしまう。
何がなんでも負けられない戦いである。
「さっきのおっさんには正直、驚かされた。一つも落とす事なく勝てると思っていたがな」
ハンクは、忌々し気にデドルに目をやる。
「今からもう一つあなたにしたら予定外の事が起こるわよ」
「お前みたいな小娘にこの俺が負ける訳なかろう。俺は、剣術で必ずこの国の頂点に立つのだ。そして、剣聖となる」
胸を張るハンクは、自分のその言葉に一点の疑いも抱いていない自信に満ちた顔をしている。
「残念。あなたはは剣聖は無理よ。だって、人としては最低だもの」
剣聖とは強さだけではないはずだ。
「ふん。ほざいてろ。剣聖と呼ばれる事になる俺と剣を合わせられる事、記念にしていいぞ」
ハンクは、すっと上段の構えを取る。対する私は中段の構え。
「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうわ。あなたこそ、感謝なさい。この私と立ち会える事をね」
笑みを消し、真っすぐにハンクを見る。
「では、大将戦、開始!」
掛け声と共に両者とも一気に間合いを詰める。ハンクの振り下ろされた木刀を受け止めると、私の持つ木刀を伝って手に衝撃が走る。かなり重い攻撃である。
この若さで道場を構え、多くの門下生を抱えるだけはある。並みの速さではなかった上に、威力もある。実力は本物だ。
私は、後ろに飛び、少し距離を取る。力では劣る私では、まともに正面から打ち合うと、不利だ。動き回って場を攪乱させなければならない。
一定の距離を取りつつ、ハンクを中心に反時計周りに動いていく。私を正面に捉える様に彼も体を回転させていく。
丁度、半周ほど回った所で、一気に間合いを詰める。ハンクの間合いに入る直面に横に飛び、横っ腹目がけて木刀を薙ぎ払う。
だが、ハンクは私の動きにしっかりと反応する。素早く木刀を私の頭上に振り下ろしてくる。
「くっ」
横薙ぎに払っていた木刀の軌道を変えて、ハンクの剣撃を防ぐ……と見せかけて腰を落とすと、振り下ろされていた木刀の下を駆け抜ける。
間一髪とはまさにこの事だ。ハンクの木刀は私の髪の毛を掠めていく。
私は体を回転させると、踏み込み、ハンクを突く。
腹に一撃を与えられるが、踏み込みが浅かったようだ。いや、腹を掠めた程度だろう。ハンクは元いた位置からほとんど動かず、上半身だけを反らせて躱していた。
「ほう。意外とやるのだな」
「これくらいで感心されてもね」
一度大きく間合いを取り、短く言葉を交わす。
恐らく、ハンクは今まで本気を出していない。しかし、今の会話の後、木刀を握り直すと、ガラリと雰囲気が変わった。
どうやら、本気を出すみたいね。一撃で決めてやるという気合いが伝わってくるわね。殺気と言った方がいいかしら。
「こちらから行かせてもらうわ」
私はハンクに向かって駆けだしていく。私を捕食する獣の様な鋭い目で、ハンクがその動きを追っている。
またもや、ハンクの間合いに入る直前である。今度は私はスライディングする。その行動は、ハンクにとっては予想外だったらしく、私を追っていた目が一瞬、左右に動く。
隙が出来た!
私は渾身の力を込めて、木刀を向こう脛に打ち付ける。
「ぐわっ」
ハンクの体がよろめき、片膝を着く。さすが、弁慶の泣き所。痛そう。でも、私がその機会を逃す訳ない。
続けて、立ち上がりざまに後頭部への一撃を食らわす。さらに、顔を横殴りに、最後は、正面から脳天へと木刀を振り落とす。
「な、な……」
ハンクは、私を睨んだまま、バタリと倒れる。
「……終わりね」
肩で息を吐きながら、進行役に目を向ける。
「え、え……」
自分の師であるハンクの敗北に咄嗟に言葉が出てこないようである。
「私の勝ちよ」
「は、はい……」
もう一度、掛けた声にようやく我に返り、頷く。
「おおーっ!」
振り返る私に歓声が上がる。アシリカとソージュは、ほっとした様な安堵の顔である。
ガンズに抱きかかえられる様にして、ブレストも上半身を起こしている。
あ、気がついたんだ。顔は腫れあがったままだけど、嬉しそうにしているのが、分かる。
ハンクの方に視線を戻すと、弟子に抱えられて、起き上がらされている。自分で何度か頭を振っているので、すぐに意識は戻ったみたいだ。丈夫な体ね。
「ま、負けた? この俺が?」
うわ言の様に何度も周りに尋ねているが、彼の門下生たちは、誰一人答えられない。
「う、嘘だ。俺が負けるなどあり得ねえ。嘘だ……」
ふらつきながらも、突然ハンクは立ち上がる。
「あら? もう起き上がれたの? 決定戦の準備でもする?」
次は、決定戦か。これが問題だね。まだ、リックスさんは来ない。何とか時間を引き延ばせないかな。
「でも、どうかしらね。これで、決定戦でそちらが勝っても、果たして箔が付くのかしらね。特に、ハンク。あなたのね」
今度は私が勝ち誇った笑みを浮かべる番だ。散々馬鹿にしてきた仕返しだ。
「嘘だ……。俺は剣聖になる男だ。こんなの嘘だぁっ!」
ハンクは叫ぶと、門下生が持っていた剣を奪い取る。怒りで顔を真っ赤にして、我を失っているみたい。プライドを打ち砕かれ、激昂しているな。
「おいっ、お前ら。こんな茶番は終わりだっ! 決定戦? そんなものもう、どうでもいい! こいつら、まとめてここから無理やりでも叩き出してやるっ!」
無茶苦茶だね。でも、これで、対戦のルールは無視していいのね。ならば、こっちも破らさせて頂くわ。思う存分、アシリカとソージュにも暴れてもらいいましょうか。
剣を持ち出したハンクから私を守る様に両脇にアシリカとソージュが飛んでくる。
ハンクの門下生たちは、戸惑いながらも、彼らの師に従い、私を取り囲むようにして、剣を手にする。
「お嬢様には、やはりこちらがお似合いですな」
デドルが鉄扇を差し出してくる。
「そうね。ありがとう」
私は鉄扇を受け取ると、ハンクの方へと向く。
「情けないですわね。あなたは、弱いわ。それでは、剣聖なんて永遠に無理ね。ブレストの方がよっぽど強い信念を持っていますもの」
「うるさいっ!」
顔を真っ赤にしてハンクは叫ぶ。
「野心ばかり大きく、やる事は浅ましく、卑怯。そんな人間が剣聖を目指すというだけで、虫唾が走りますわ」
鉄扇をハンクに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をハンクに送る。
「アシリカ、ソージュ、デドル、お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
「へい」
まずは、アシリカ。大きな音と共に氷の礫が門弟たちに襲い掛かる。また、威力が増している。日毎に魔術の腕が上がっているみたい。次々に魔術の餌食になっている。
ソージュは、その身軽さで、振り下ろされてくる剣を巧みに避け、さらには、掌底を食らわしていっている。
先ほど、けた違いの強さを見せつけたデドルには、二の足を踏んでいる者ばかりで、近づかれただけで逃げ出す者もいた。
瞬く間に、稽古場にいたハンクの門弟たちは制圧される。その様子をハンクは唖然とした表情で眺めていた。
「な、何が起こって……」
もはや、頭での理解が追い付いていないみたいね。ここに来た時の自信に満ちた顔が嘘だったみたい。周囲を見渡し、身体を震わせている。
「ハンク。完全にあなたの負けよ」
「嘘だ……」
私の言葉に、ハンクは歯ぎしりする。
嘘じゃないわよ。いい加減、現実を認めなさい。目の前で起こっている事は夢なんかじゃないわよ。
「確かに、勝負ありじゃなぁ」
今までまったく存在感が無かったおじいさんが出てきた。
ハンクはおじいさんを睨みつける。
「剣聖を目指すと言っておるが、それでは駄目だのう。そもそも、お前さんは殺気がダダ漏れじゃ。それでは、並みでしかないぞ」
え? おじいさん? 危ないよ。剣を持っているハンクの前にのこのこ出てきて何してるのよ。
「何だぁ、じじい。黙ってろっ!」
ハンクが剣をおじいさん目がけて振り下ろす。
「あ、危な――」
私が叫び終わる前に、ハンクの振り下ろした剣はおじいさんに止められていた。しかも、素手で。剣をその両手で挟み受け取っている。
「こ、これは……」
私は愕然とする。これは、白刃取り? 嘘?
「お、おじいさん?」
私の呼びかけに応える事なく、おじいさんはハンクを見上げたままだ。
「剣の極意は、無じゃ。己の心を無にし、ただ目の前の剣のみを見つめる。そんな無の境地に辿り着いた者が剣聖となるんじゃよ」
おじいさんが立ち上がると、拳を作り、でハンクの腹を突く。
「うっ」
短いうめき声と共にハンクはその場に崩れ落ちた。
えーと、どういう事? いや、その前にちょっと、待ってよ。私の見せ場が無くなっちゃいましたけど。しかも、今までの分も全部おじいさんに持っていかれた気がする。
「ねえ」
今度は、おじいさんが私に振り返る。
「あなた、何者?」
いや、聞くまでもないかもしれない。なにせ、あんなモノを目の前で見せつけられたのだから。
「それは、お互い様じゃないかのう。ワシには、お前さんがただの商家の娘さんとは思えんでの。その鉄扇からして伝説級の代物だしの」
先程までの何とも言い難いオーラが消えて、ニコニコとしている普段のおじいさんに戻っている。
私は、言い知れぬ思いを抱きながら、見つめ合う。
「伝説と言うならあなたもでしょ。あなたが――」
「申し訳ありませんっ! 仕事が立て込んで、遅れて……、え?」
私の言葉を遮り、入ってきたリックスさんが、稽古場に転がるハンクたちを見て、目を丸くする。
遅いよ。もう全部終わった後だよ。
「あの、ナタリア様。説明して頂けますか? 私は、確か剣術の対戦に力を貸して欲しいと頼まれたはずですが……」
だいたいの状況を察したらしいリックスさんが難しい顔となり、私に詰め寄ってくる。
「見ての通りよ。ま、先に対戦の取り決めを破ったのは向こうですから」
「しかも、彼ら木刀ではなく、本物の剣を持っているじゃないですか! 前にも、申し上げましたが、王太子殿下のご婚約者のご自覚をお持ちなのですか?」
手を顔にやり、リックスさんは大きくため息を吐く。
「し、師匠?」
「王太子殿下?」
「婚約者?」
ブレストたち三人が狐につままれたような顔になっている。
「ほう、お前さん、貴族。しかも、王家に嫁ぐくらいじゃから、それなりの家の者だったのかい……」
「ええ。ナタリア・サンバルトよ」
私は出し所を見失った鉄扇を開いて、紋章を見せる。
「ほう。確かに白ユリじゃのう。その紋章を持つ者が大立ち回りとは、時代も変わったもんだのう」
いや、いくら時代が変わっても、私みたいなのは、なかなか出てこないと思う。
「ところで、おじいさん。あなたもそろそろ正体を明かしたらどうなの?」
私の言葉におじいさんは苦笑する。
「それで、甥っ子を褒めてあげてよね。剣聖、クレイブさん」
鉄扇を閉じ、ちらりとブレストに視線を向ける。
「え? 師匠、それは一体、どういう……」
すっかり顔が変わってしまっているブレストが、私とおじいさんを交互に見ている。
やっぱり、気づいてないか。あれを見て、何も思わないのも不思議だけどさ。
「クレイブさん。もう家出は終わり。これで、ここに帰ってこられるのじゃなくて? 今が長い不在を謝るタイミングよ」
そもそも、この人が道場に帰ってこなかったのが、すべての始まりだ。手紙の一つくらい寄越せばいいものを。
「大きくなったのう。ブレスト。ワシがここを出た時はまだあんなに小さかったのにの。しかも、あんな根性を見れて嬉しく思う」
クレイブは、ブレストを目を細めて見つめる。
「長い事、すまんかった。お前にもお前の父親にも苦労を掛けた。今日まで、よくこの道場を守ってくれたのう。感謝するぞ」
「お、叔父さん?」
頭を下げるクレイブに、ブレストが掠れた声を出す。
「ああ、そうじゃ。クレイブじゃ。帰ってきたぞい」
「師匠っ。ガンズさん、マールさん。やはり、父の言葉は正しかったのですね。叔父さん、いえ、剣聖クレイブが帰ってきたのですね」
痛々しい顔であるが、笑みで溢れているのが分かる。
「そうよ。あなたの父親は正しかったのよ」
「はい……」
笑いながらも涙を流すブレストにマールとガンズが駆け寄り、喜びを分かちあっている。私が来るまで、彼ら三人で頑張ってきたのだ。強い絆があるのだろう。
「それにしても、おじいさん。二十年も修行の旅に出ていたけど、一体、何をしていたのよ?」
それが聞きたい。何か極意の様なものを見つけ出したのなら、是非ともご教授願いたいものだ。
「うむ。それがの、剣の極意とも言える無の境地に辿り着くための修行じゃった。人からは剣聖と呼ばれたワシじゃったが、自分自身では、納得の出来る理想の無に辿り着けているとは思えなんだ」
無の境地か。言葉では簡単だが、実践となると難しいのだろうね。それで、その結果、何か必殺技的なものを編み出せたのだろうか。そっちが気になる。さっきの白刃取りみたいな凄い技をさ。
「じゃがの、修行に出たのはいいのじゃが、しばらくすると所持金が尽きての。いや、大変じゃった。働きながらもなんとか帰ってきたのじゃ。生きていくだけで精一杯じゃったよ」
は? 修行は?
「無の境地に辿り着こうとしたら、無一文になった、という話じゃな」
クレイブはドヤ顔を決め、声を上げて大声で笑う。
そんなオチ要らないわよ。ねえ、必殺技は? 極意はどうなったの?
うーん。経営とかお金の才覚が無いのは、彼らの血筋なのかもしれない。高笑いするクレイブを見ながら、肩を落とし、私は思っていた。