63 その肩書、何なのよ
私はいまだ、あの道場に通っている。もちろん、毎日ではないが、時間を見つけては、せっせと顔を出していた。
本当は、あのまま二度と行かないという選択も出来たと思うが、帰り際のまた来てくださいね、という期待の籠った目のブレストを放っておくのも、心苦しかったのだ。
そして、もう一つ私がクレイブ道場に通う理由が出来ていた。
「もっと、打ち込んできなさいっ!」
稽古場に私の激が飛ぶ。
目の前には、私の木刀に弾き返されたマールが転がっている。
「ガンズは、素振り三百回終わったのっ? ほら、休んでないで、続けるっ!」
あまりに体たらくな道場で、私がブレストも含め、稽古を付けていたるのだ。
「いやあ、活気ありますね」
おい、他人事みたいに言っているけど、ブレストも素振り終わってないわよね?
通い始めて三日目のチラシ配りの前についに呆れを通り越して、怒りを爆発させた私は、なぜかこの道場で、彼らに稽古をつけるようになっていた。
道場に通って、教える側になるとは、思ってもみなかったね。そして、ブレストから、道場主代理代行に任じられていた。
代理代行って何なのよ?
「しかし、ナタリアさんがこんなにもお強いとは、驚きですよ」
だから、アンタも稽古しなさい。
「お嬢様、今日の分終わりましたよ……」
アシリカとソージュが疲れ切った顔で戻ってきた。
ブレストの強い希望で、チラシ配りも継続中である。これは、剣の稽古の必要がないアシリカとソージュが担当だ。申し訳ない気持ちもあるが、今は、ブレストらを鍛える方が優先だ。
「しかも、いい所の商家の娘さんなんですよね。それが、剣の道に興味を持つなんて、嬉しいですよ」
アンタこそ、もっと剣術に興味持ちなさい。剣聖と呼ばれる人の甥でしょ。
「いつまで、おしゃべりしてるの? 素振りの回数、倍にするわよ」
私の一睨みに、慌ててブレストは素振りを再開させる。
改めて、私は稽古に励む三人を見る。
うん、だいぶサマになってきた。この三人をまずは立派に鍛え上げなければならない。そしたら、ここの門下生も増えるはずだ。
あれ、当初の道場に通う目的とずれてきている気がする。
「おいっ! ブレストはいるか?」
うーんと首を捻っていると、稽古場の入り口からブレストを呼ぶ声が聞こえてきた。鍛え上げられているのが、服の上からでも一目で分かる男が三人立っている。
「あっ、ハンクさんじゃないですか」
素振りしていたブレストが手を止めて、入ってきた男に目を向ける。
「さっき道で、これを貰ってな」
ハンクと呼ばれた男の手には、アシリカたちに配ってくる様に頼んだ門下生募集のチラシがあった。
「まさかハンクさん、入門希望ですか?」
ブレストの顔が明るくなる。
「馬鹿か、お前は。五年前にここを辞めた俺が何でまた入門すると思うんだよ。相変わらずおめでたい頭してるんだな」
そう言うハンクの目は明らかにブレストを見下している。
「それによ、今の俺は五十人を超える弟子を持つ道場主だ。こんな落ちぶれた道場に入門する意味がねえだろ。こんなチラシ配りしたくねえしな」
「そうですか……」
がっくりと項垂れるブレスト。
おい、それでいいのか? ここまでコケにされてそれだけなの? 確かに、話を聞く限り、馬鹿にされてもおかしくは無い気もするが、あまりにも情けない反応だよ。
「ねえ、あれ誰?」
側にいたマールに尋ねる。
「あの人はハンクさんです。昔、この道場で学んでいたのですが、先代の師範が亡くなった後に独立しました」
どこか怯えた様子のマールが答える。
「強いの?」
「そりゃあ、もう。当時、道場で一番の実力でした」
「よう、マールじゃねえか。それにガンズもまだいるのか。お前ら、いくら稽古しても意味がねえってのに、よく続けているなぁ」
勝ち誇った笑い声を上げるハンクとその後ろの二人。
ガンズとマールは俯いて、ハンクらの顔を見ようともしない。
「おっ。他にも門下生がいるのか。しかも、女かよ。ホント、剣聖の興した道場も落ちぶれたもんだな」
何なのよ、こいつ。女だからってバカにして。
「剣に男も女も無いわよ。強いか弱いかじゃないかしら。そんな事もご存じないの? それにね、今は稽古中よ。用が無いのなら、帰ってくれる?」
高笑いを続けるハンクらを睨みつける。
「生意気な小娘だな。ふん、まあいい。用ならちゃんとあるからな」
舌打ち一つして、ハンクはブレストに向き直る。
「今日来た用事は他でもない。さっきも言ったが、うちも弟子が増えて、道場が手狭になってきてな。そこで、この道場を買い取ってやるという話だ」
「道場を買い取る?」
さすがにこの提案には、ブレストも驚きの表情を浮かべる。
「いや、正確に言うと、違うな。借金のカタに貰うってのが、正しいな」
ハンクはチラシを投げ捨てると、懐から一枚の紙を取り出す。
「ほれ、これが借用書だ。しめて金貨三十枚」
金貨三十枚の借金!?
「何故、それをハンクさんが!?」
ブレストが叫ぶ。
「これか? お前が金を借りた相手から買い取ったんだ。金を返せないなら、さっさと道場を引き渡せ」
借用書をひらひらと靡かせながら、ハンクはまたもや勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お、お願いですっ。お金は必ず返します。だから、もう少し、もう少しだけ、時間をください。ここは剣聖と呼ばれた伯父と亡き父が心血を注いで作り上げた道場です」
ハンクに駆け寄って、土下座をするブレスト。
「父が無くなる直前に言っていました。伯父は必ず帰ってくると。それまでは、何としてもこの道場を続けなくちゃいけないんです! だから、お願いです! 何の期待にも応えられなかった僕のせめてもの親孝行なんです!」
必死で頼むブレストをハンクはニヤニヤと見下ろしている。
ふーん。ブレストも彼なりにいろいろと思いがあったんだ。いまいち方向性は間違っているとは思うけど、父から遺された言葉を守ろうとしてたんだな。門下生が減り、経営も苦しくなって、借金してまでも、この道場を剣聖と呼ばれた叔父が帰ってくるのを信じて守ろうとしていたのだろう。
「時間があっても変わらねえよ。どうやって、金貨三十枚を工面するつもりだ?」
冷たくハンクが言い放つ。
「そ、それは……」
ブレストは唇を噛みしめる。
「それにだ。剣聖クレイブは本当に帰ってくるのか? 俺が入門する少し前に修行と言って出ていったきりだから二十年だ。もうどっかで死んじまっているさ」
うーん、そうなのよね。もう二十年。生死は別にしても、帰ってくるとはなかなか思えないよね。
「生きているっ! 叔父は生きています! そして、必ず帰ってきます!」
土下座していたブレストが立ち上がる。初めて怒りの感情を露わにしているのを目にする。
マールとガンズも駆け出し、ブレストの隣に立ち、ハンクに対峙する。
「お、おかしいです。それに、道場を取られるには、金貨三十枚は少な過ぎる金額ですっ」
「そ、そうですよ。あ、あまりに無茶苦茶です!」
どもりながらも、マールとガンズもブレストに加勢して、ハンクに抗議の声を上げている。
「じゃあ、今すぐに金貨三十枚、返してくれるか? え、どうなんだ?」
ハンクはブレストら三人を睨み返す。
こいつ、無茶苦茶だな。土地や家の相場は知らないが、私でもさすがに、この道場を金貨三十枚で手に入れようとは無理な様な気がする。
「と、言いたいところだがよ……」
ふっと、ハンクは表情を和らげる。
「俺もこの道場には、一度は世話になった身だ。多少の恩もあるからよ。一つ、お前らにチャンスをやるよ」
「チャンス、とは……?」
ブレストもいつもの雰囲気に戻り、聞き返す。
「俺たちの道場との対戦だ。お前たちが勝てば借金はチャラ。負ければ……」
「ま、負ければ?」
ブレストがごくりと生唾を飲み込んだ。
「この道場を頂く。どうだ? 悪い話じゃないと思うけどよ」
すでに勝ちが決まっているとばかりに、自信満々の表情をするハンクである。
「ど、どうしてそこまで、この道場に拘るのですか?」
一方のブレストは、負けが確定したかの様に顔を青褪めさせている。
「さっきも言っただろ。ここはボロだが、広さはある。建て替えて、うちの道場にするんだよ。それと、理由はもう一つ。俺はさらに高みを目指す。ここで、腐っていても剣聖の興した道場に勝利したって箔が付く。俺は、いずれは王国最大の道場の主になってみせる。その時、剣聖と呼ばれるのは俺だろうな」
このすでに勝ちを決めつけている感じが腹が立つな。完全に勢いに押されて、ブレストは、話す事も出来ない状況みたい。顔を青くしたまま、口をパクパクとさせている。
もう頭の回転が追い付かなくなってしまったのだろう。これは、もうダメだな。とても、任せてはおけない。
それに、ここまで馬鹿にされて、大人しく出来る私ではない。
「条件に付け加えて欲しい事があるわ」
私の出番だ。いい加減、こいつの態度に我慢の限界も超えてきたしね。
「またお前か。小娘は黙ってろ」
うんざりといった感情を隠そうともせず、ハンクが私を見る。
「いいえ。私はここの道場代理……代行よ。ただの小娘呼ばわりしないでちょうだい」
私はビシッとハンクを指差す。
「代理代行? 何だそりゃ?」
ハンクは、きょとんと私とブレストの顔を交互に見る。
うん、鼻持ちならない奴だけど、そこだけは完全に同意見だな。
「細かい事はどうでもいいわ。それより、付け加える条件は、一つ。私たちが勝ったら、金貨百枚こちらに渡しなさい。それなら、その勝負受けて立つわ」
借金を買い取って、さらにここを建て替えるつもりなら、お金持っているでしょ。金貨百枚で建てれるかどうかは知らないけどさ。
「き、金貨百枚だと? お前、正気か?」
ハンクはここで、初めて驚きの表情を見せる。
「ええ、正気だし、本気よ。それとも、勝つ自信がないのかしら?」
小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「……いいだろう。条件を変えようが、結果は変わらん。その条件、受けよう。対戦形式は一般的なもので構わんな? 誓紙を交わすぞ」
ハンクは、連れてきた男に条件や対戦方法を記した誓紙を書かせ、内容の確認を求めてくる。私は、これ系は苦手なので、アシリカに内容におかしな所がないか確認してもらう。
アシリカが私を見て頷く。
どうやら問題は無いみたいね。
「それでいいわよ。じゃあ、署名ね」
さっきから空気になっているけど、責任者であるブレストの署名が必要ね。
「ほら、ブレスト」
私に促されて、言われるがまま、震えた手で署名する。顔はもはや、白くなってしまっている。
ほら。もっと、しっかりしなさいよ。
「勝負は二週間後だ。逃げるなよ」
誓紙を交わし終えると、再び自信に満ちた顔に戻ったハンクは、そう言い残すと稽古場から去っていった。
最後まで嫌な奴だね。
「さあ。ぼうっとしてないわよ。二週間後の対戦に備えるわよ」
静まり返った稽古場に私の声が響く。
「無茶ですよ! 今のうちの道場が彼らに勝てる訳ないじゃないですか!」
ブレストが頭を抱えて叫んだ。悲壮な面持ちのブレストである。少し涙目にもなっている気もする。
「大丈夫よ。私に任せない」
私があのハンクをとっちめてやるからさ。これでも、最終的には、王宮の剣術師範と互角以上の勝負だったのよ。
「ナタリアさんは確かに強いですよ。でも、それ以外のメンバーはどうするのです? 今の門下生だけでは、無理ですよ!」
それ以外のメンバー? ちょっと、待って。それ、どういう事?
「ねえ、アシリカ。対戦方法って?」
「はい。星取り戦形式です。ハンクも言っていましたが、ごく一般的な対戦形式ですね。特に問題はないかと」
星取り戦ですって! それぞれの代表者が一人で戦うのじゃないの?
まずい。これは非常にまずい。ちゃんと私も誓紙を確認するんだった。
いや、落ち着け、私。まだ、目があるはずだ。こっちにはアシリカとソージュがいるじゃないか。彼女たちもそんじょそこらの輩には決して負ける要素はないはずだ。
「あの、私は無理ですよ。剣術の試合に魔術は使えませんから」
「私、道具使うの、苦手、デス」
私に縋る目をされたアシリカとソージュは慌てて首を横に振る。
嘘でしょ。じゃあ、どうするのよ? こっちの戦力は?
「あの、まさかお嬢様は一般的な対戦形式をご存じなかったのですか? てっきり何か策をお考えかと」
アシリカの顔色が変わる。
「私の中に策なんて言葉が、あるわけないでしょ!」
自分でも言っていて、情けないと思う台詞である。
アシリカとソージュは顔を引きつらせている。
「うわああああ!」
私たちのやり取りを眺めていたブレストが、突然頭を掻きむしり絶叫する声が稽古場に響いていた。