62 いざ、入門?
麗らかな春の日。
エリックお兄様の結婚式が盛大に執り行われた。
幸せそうに少し照れるお兄様と女の私でも見惚れるほどに綺麗なメリッサさん。見ているこっちが赤面してくるような仲睦まじさでもあった。
お父様もお母様も目を細めて、新郎新婦を見ていた。二人からも幸せなオーラが感じられた。
イグナスお兄様は、照れるエリックお兄様をからかっていたが、ご本人はご存じなのだろうか。お父様とお母様が、次はイグナスお兄様の番だと、話し合っていたのを。
私たち家族だけでなく、屋敷の者も幸せのお裾分けをしてもらい、春の日差しみたいに、ポカポカとした気分にさせてもらった一日だった。
お兄様に嫁ぎ、メリッサさん、じゃなくて、メリッサお義姉様と一緒に住む事になったのも嬉しい。もちろん、弟のルーベルト君も一緒だ。まだ小さい彼一人で、再興されたファウド男爵家の屋敷では寂しかろうというお父様の配慮だ。ここで、一人前の当主となるべく、お父様やエリックお兄様から手ほどきを受けている。
お兄様の結婚式を無事に終え、屋敷が落ち着きを取り戻した頃。
私にはやらなければならない事があった。
それは、剣術道場に通う事である。レオから教えてもらったいくつかの剣術道場から探すつもりである。他に心当たりもないし、大っぴらに探すと、お母様から何を言われるか分からないしね。
条件は、あまり人がいない事。これは、万が一でも私の顔を知っている人がいたら、問題だからだ。次に月謝。出来れば、安い所がいい。なにせ、私に自由に出来るお金は無い。また、バイト探さないとね。そして、やはり優秀な師範がいる所。これも外せないよね。
「その条件、かなり無理があるかと……」
私の条件を聞いて、アシリカが顔を引きつらせる。
やっぱり? 私も少しそんな気がしていた。
「おや。いらしていたんですかい?」
扉が開き、入ってきたのはデドルだ。
ここは、デドルの小屋。最近では、すっかり私の第二の部屋状態である。もちろん、差し入れの甘いお菓子は欠かさず、持ってきているよ。
「ねえ、デドルもちょっと、聞いてよ」
私は、庭の手入れから帰ってきたデドルに、剣術道場探しの話をする。
「道場ですかい……」
レオから貰った紙を受け取り、デドルは見ている。
「どう? デドルのお勧めの場所はある?」
「いやあ、あっしは、道場に通った事が無いので、どこがいいのか分かりやせん」
ミズールで見たデドルはかなりの腕だったが、あれ、我流なのかしら。
「でも、あっしでも、聞いた事のある道場がありますなぁ」
紙に記された道場の名前の一つを指差す。道場名は、クレイブ道場。
「クレイブとは、あのクレイブでしょう。剣聖として名高い人物です」
剣聖! 魅力的な響きだ。剣の道の生き、刹那なまでに己の限界を求める者。格好良すぎるな。
「決めたわっ! 私、そこに入門するわ!」
「あの、入門とおっしゃいますが、どこまで本格的に通うおつもりですか?」
呆れ顔になったアシリカが、ため息を吐く。
「それにです。そんな有名な道場なら、多くの門下生で溢れているはずです。その中に貴族のご子息がいてもおかしくありません」
うーん。言われてみれば、そうよね。貴族の子なら、私の顔を知っている人もいるだろうしな。それは、まずい。
「デモ、一度剣聖と呼ばれている人、会ってみたいデス」
そうね。入門するかどうかは別にして、ソージュの言う様に、一度見てみたい。きっと、独特な雰囲気を携えているのだろうなぁ。
「あっしも見た事はありませんが、もう随分年のはずです。七十は超えてるでしょうなぁ」
七十を超えて、いまだ剣聖と呼ばれ続けているのか。すごいね。まさに生ける伝説って存在じゃないか。
「とにかく一度、その道場に行ってみるわ」
私は立ち上がると、意気揚々と手を突きあげた。
クレイブ道場。それは、平民街と工房街の境目あたりにあった。さほど人通りの多くない所にある。
「何と言いますか、その……、趣きがあると言いますか……」
道場を見上げて、アシリカの感想である。
これは、趣きか? 私には傾きがあるようにしか見えないのだけれど。
レオから貰った紙に書かれている住所はここで間違いないはずなのだが、目の前にあるのは、かなりくたびれた建物。壁は苔で覆われ、苔の無い所は、穴でも開いたのか、木の板を打ち付け、補修された箇所である。門は片方の柱が無くなっており、その役目を果たせそうにない。
ここがどんな場所であれ、入るのに躊躇してしまう見た目だ。
「どうしますか?」
前で立ち尽くす私にアシリカが声を掛けてきた。
どうするって言われてもね……。ま、取り合えず、中に入ってみようか。どうせなら、頼もうっ、とでも言いながら入ろうかな。でも、それじゃ、道場破りになっちゃうわね。
「頼むよっ」
いざ入ろうとすると、中から勢いよく飛び出してきたガタイのいい男とそれに纏わりつくひょろっこい男。
あれ、逆に頼まれているよ。
「ええいっ。しつこい。こんな有様だったと知っていたのなら、入門したいなど思わなかった!」
ガタイのいい男は腰にしがみつくひょっろこいのをいともたやすく振り払うと、肩を怒らせたまま、立ち去ってしまった。
残されたひょろっこい男の眼鏡が情けなくずらして、項垂れている。
「あの……」
一体、何なのかしら。ここは、剣聖クレイブの道場だよね? それとも、住所が間違っていたのかな。でも、出ていった人、入門とか言ってだけど。
「は、はい。どちら様でしょうか?」
話しかけた私に気付き、眼鏡をかけ直しながら、気まずそうに尋ねてきた。
「えっと、ここって、クレイブ道場じゃないですよね」
聞いといて何だが、きっと間違いのはずだ。いや、間違いであって欲しい。だって、ここが、剣聖と呼ばれる人の道場な訳ない。
「入門希望ですか! そうです、そうです。ここがクレイブ道場です。うちは、女性だろうが、子供だろうが、大歓迎です! さ、中へどうぞっ」
さっきまで項垂れていたのが嘘なくらいのハイテンションになって、私たちへの大歓迎ぶりである。
「あの、あなたは?」
ぼさぼさの長い髪を揺らしながら、両手を広げるその男に若干引きながら、尋ねる。
「これは申し遅れました。道場主代理のブレストと申します」
誰よ? 代理ってどういう事? 剣聖はどこ?
「立ち話も何ですし。さぁ。どうぞ中へ」
戸惑う私たち三人は半ば強引に中へと連れて行かれる。
連れてこられたのは、稽古場のようだ。床一面木の板が敷き詰められているのだが、使い込まれて黒いというより、汚れているだけにも見える。壁も傷みが激しく、何となく湿気臭い。
だが、それ以上に、気になるのは、閑散としているのだ。広い稽古場の隅に二人いるのが見えるが、それ以外に人の気配は無い。
「あの、ここってクレイブ道場ですか?」
私は、周囲を見渡しながらもう一度尋ねる。本当に? という言葉だけは何とか飲み込む。
「はい、そうですよ、名高き剣聖クレイブの道場です。三名様入門でいいですよね? 今なら、入会金無料、さらに稽古代の二ヶ月無料キャンペーン中です」
何だ、そりゃ。剣術道場で、キャンペーンって何だよ?
「ほら、この入門申請書にサインを……」
いつの間にか、ブレストが紙を取り出している。
「ねえ、クレイブさんはどこ?」
私に質問にブレストの動きが止まる。
「えーと、叔父はですね……」
叔父? このブレストって剣聖の甥って事?
「修行の旅に出ておりまして……」
「いつ戻られるの?」
ほう。今、武者修行の旅に出ているのか。弟子を引き連れて行っているのかしら。だったら、この閑散とした状況も分かるね。
「いえ、それが、二十年ほど音沙汰がありませんで……」
ブレストが目を逸らしながら、答える。
「はあ? 二十年?」
いや、二十年帰ってきてないって、それ、ほとんど家出状態だよね。
「詳しく話してちょうだい」
詰め寄る私にブレストはたじろ気ながら、話し始めた。
叔父である剣聖クレイブがこの道場を出たのは、約二十年前。彼がまだ三歳の頃の事で、経緯は詳しくは知らないらしい。道場主であるクレイブが修行の旅に出る間、この道場を預かったのが、その弟。ブレストの父だ。その人もかなりの腕前であり、かつ、剣聖の興した道場であったから、多くの門下生で溢れていたらしい。
だが、それが一変したのは五年前。道場主代理だったブレストの父が突然に亡くなったのだ。息子という事でブレストが継いだのだが、そこからは、下り坂を転がり落ちる様に道場は寂れてしまったらしい。多くの門下生はここを去り、今は稽古場の隅にいる二人のみ。
「いえね、どうも僕は剣の才能がまったく無いみたいで。こんな体つきですし」
確かにそう言うブレストの体は、とても剣を嗜む人間のそれには見えなかった。
「じゃあ、何で道場主代理なんかになったの?」
素朴な疑問である。
「父の死があまりに突然でして。他に成り手もいましたが、紆余曲折を経て僕が道場主代理になりまして」
「はぁー」
思わず大きなため息が出てしまう。
レオもとんでもない道場をリストに入れてくれたものね。
剣術の才能を持っていないと断言する道場主代理。そして、たった二人だけの弟子。一人は、良く言えば巨漢、素直に言えばデブ。もう一人も同じく良く言えばスタイリッシュ、素直に言えば、痩せたのっぽ。
道場主代理のブレストも含めて、私の方が強い気がする。
うーん。ここで学びたいとは思えないな。
私は、稽古場の隅でチラチラとこちらを伺い見る弟子二人をに目をやる。視線に気付いた二人は、さっと目を反らし、体を縮こませている。
「お願いです。我らを助けると思って、入門してください。このまま、道場を潰す訳にはいかないのです。さっきも、入門希望の人に逃げられちゃって。だから、お願いです。この通りです」
突然悲壮な顔をしていたブレストは、勢いよく土下座を始める。
「い、今なら更に名誉門下生の称号も付いてきますからっ」
何の称号よ? 別にいらないしさ。全然お得感を感じられないよ。
「何か気の毒ですね……」
「必死デス。ちょっと、可哀そうデス」
アシリカとソージュが気の毒そうにブレストを見ている。
気の毒とかじゃなくて、情けなく感じるけどね、私には。
「お願いしますっ」
床に額をこすり付け、ブレストに頼まれる。
このまま断れば、私が悪いみたいじゃないか。
「分かりました。分かったから、頭を上げてちょうだい」
根負けだ。
「その代わり、仮入門って事で。それに、毎日は来れないわよ」
最悪、一人で素振りでもしていよう。
「本当ですか? ありがとうございます。いやあ、嬉しいですよ。なにせ、一気に三人も門下生が増えるなんて、初めてなんです」
ブレストは、土下座から立ち上がってすっかりニコニコ笑っている。変わり身が早い人だな。
「え? 私たちもですか?」
意外そうに言っているアシリカだが、流れから考えて、そりゃそうでしょ。この道場は、質より量で門下生を集めているみたいだしね。
「まずは、他の門下生を紹介しますね」
わざとか本当に聞こえなかったのか、アシリカの呟きをスルーして、ブレストは稽古場の片隅にいる巨漢とのっぽを呼び寄せた。
「ガンズ君にマール君です。皆さん、一緒にがんばりましょうね」
巨漢がガンズ君、のっぽがマール君か。一応、先輩になるのか。
二人は、おどおどした様子で私たちに軽く頭を下げる。
「さあ。門下生も五人になって、賑やかになりました!」
そうか? さっきから、アンタ以外の声は聞こえないけど。それと、そのノリ、とても剣術道場とは思えないよ。
「じゃあ、早速始めましょうか」
おっ。何だかんだ言っても剣術道場。腐っても、剣聖の興した道場だ。稽古はきっちりするんだね。ちょっと、安心したよ。
「はい、これ」
渡されたのは、木刀などではなく、紙の束。ブレストは、皆に紙の束を配っていく。
「あの、これは……?」
手渡された紙を覗きこむ。そこには、大きく、『門下生募集中』の文字が書かれてある。
「ん? 何って、門下生募集のチラシですよ。今からこれを配りに行くのだけど?」
私がおかしな事を言っているのか? ブレストは不思議そうに私を見ている。
呆気に取られている私たちを他所に、ガンズとマールの二人組は、当然の如く束を抱え、稽古場を出ていく。
「さあ、あなたたちも頑張って、配ってきてくださいね」
ブレストの笑顔から、微塵の悪意も感じられない。この人、本気だ。
「あの、一つ聞いていい?」
「はい。何でしょう?」
「剣の稽古はいつするの?」
「稽古?」
それは、聞き返す事か?
「そう。稽古。ここは剣術道場でしょ」
今更だが、もう一度確認だ。
「そうですが、誰が教えるのですか? 僕には無理ですよ。剣に関しては、皆自主練習が基本ですね」
じゃあ、ここは何なんだよっ? 教える人間がいないのに、門下生募集って、無茶苦茶だよっ。
とんでもない所に来てしまった。私は、頭が痛くなってくるのを感じていた。