61 ミステリアスガール
今年の冬は積もる程の雪が最後まで降らず、雪合戦を出来ず終いのまま、春を迎えようとしていた。
日増しに暖かさを感じる事が多くなってきたある日、王宮へと来ていた。
この春にレオはコウド学院へと入学するので、王宮へ遊びに伺い、レオと会うのも恐らくしばらく無いであろう。
コウド学院は全寮制の学校である。生徒は貴族であろうが、平民であろうが併設されている寮で暮らす事になる。王族、しかも王太子であろうが、それを免じられない。もちろん、王族や貴族は、身の回りの世話をしてもらう為に従者や侍女を連れていくのは認められているので、生活に困る事はないだろうが。
「結局、一度も勝てなかったか……」
稽古後のお茶の時間。レオが落ち込んでいる。入学までに私に勝つつもりでいた様だが、結局、最後まで私を打ち負かす事は叶わなかった。
初めて会った頃から随分と大人びて、見た目はすっかりイケメン度が増してきているが、中身は残念に育っている気がしてならないのは、気のせいだろうか。そして、いくら顔が良くなっても私がトキメキを覚える事はまったく無い。
そんな事より、私が気になっているのは、剣術の稽古である。王宮へは、レオに会いに来ている。それを口実にして、実際は剣術の稽古をしているのだが、レオが入学すると、王宮に通う理由が無くなるのだ。それはつまり、剣術の稽古が出来ないという事になる。もちろん、王太后様に会いにくる、というのは可能だし、これからも会いたい人だが、そこに、剣術の師範は呼べないだろう。
レオはどうでもいいが、剣術の師範に会えなくなるのは、辛い。
「おい、これを……」
今後に剣の腕を磨くのに、どうすればいいか悩む私にレオが一枚の紙を差し出す。
「これは?」
何だ、今までの私への感謝の気持ちでも書かれているのか。いや、感謝より再戦の約束を記している方が可能性が高いな。
「道場だ」
道場?
「俺が入学したら、剣術の稽古を受けられんだろう。いつもの師範も王宮付き。お前一人が来ても稽古はつけられん。その代わり、王都で有名どころや古くからの剣術道場をいくつか調べてやった」
何ですって! レオったら、いい所あるじゃない。それは非常にありがたい。
「俺はお前にいつかは勝ちたい。だが、稽古を受けられなくなって弱くなったお前に勝っても俺は嬉しくない」
おお。男らしい所、あるじゃないの。まったく、ときめかないけど。まあ、少し見直したけどね。
「精進を怠るなよ」
「もちろんですわ!」
婚約者同士の会話とは思えないが、別にいいよね。
「何やら、随分と楽しそうですね」
王太后様がにこやかな笑みでやってこられた。今日は、剣術の稽古後からのお茶会に参加されるという事で、遅れてのお越しである。
「母上。よいのですか? 若い二人で楽しんでいる所にお邪魔して」
王太后様の隣には、王弟殿下であるデール様がおられる。
「レオ、ナタリア。私たちもご一緒させてもらって宜しいですか?」
デール様の言葉に嬉しそうに王太后様が尋ねられる。二人仲睦まじく会話をしている様に見えているのだろう。
でも、実際は剣術道場の話をしていたと知ったら、どの様に思われるだろうか。
「もちろんですわ。王太后様がいつ来られるか待ち遠しかったですから。デール様、ご無沙汰しております」
立ち上がり、王太后様とデール様に挨拶をする。
「ナタリア嬢は私の顔を覚えていてくれたか。これは嬉しいな」
デール様は温厚そうな顔を綻ばせる。
「ここに来る途中で、偶然デールに会ったものですから誘ったのです」
「今日は王宮を散歩しているといい事があると、占いの結果が出たのでね。見事に当たったようだね。こうして、お茶会に誘って貰えたのだから」
王太后様にデール様がにこやかに答える。
「占い、ですか?」
私も年頃の女の子だ。占いには興味があるけど、デール様はいい年なのに、占い好きなのか。
「ふふ。可笑しいでしょう。こんな年で占いなんて」
椅子に腰かけながら、デール様が私の反応に苦笑する。
「理由は彼さ」
そう言ってデール様は、少し離れた所に控えている一人の男性を指差す。
「彼はディック。私の従者でね。特技というか、趣味は占い。おかげで、毎朝私を占ってくれるのだよ。勝手にね」
茶目っ気たっぷりにウインクしたデール様はカップに口をつける。
「従者は彼一人なのでしょう? もう少し増やさないのですか?」
王太后様が口を挟む。
デール様って従者一人だけなの? お兄様たちだって、三人は連れているのに。
「必要ないですよ。毎日散歩して、絵を描くだけの男です。一人でも十分過ぎると思いますがね」
「まあ、そうかもしれませんが……」
王太后様にとって、このデール様は手の掛かる息子、といった感じである。
「それにね、私みたいな者には、人など付いてきません。ですが、彼とは気が合うのですよ。変わり者の主に変わり者の従者ってとこですかね」
声を上げて、デール様は笑い声をたてる。
私はちらりと、後ろに控えているアシリカとソージュを見る。
あなたたち、私が奇行癖があるって言ってたけど、あなた達も一緒じゃないの?そんな思いを込めて二人を見るが、彼女たちからは、自分たちはまともなはずだ、と目で訴えている気がする。
「そうだ。どうだい? レオとナタリア嬢も一度占ってもらうかい?」
王太后様からの話を逸らそうとでも思ったのか、デール様が私とレオに聞いてきた。
「いや、俺はいいよ」
興味無さげにレオを首を横に振る。
「そうかい。ナタリア嬢はどうかな。女の子は、占いに興味とかあるだろう?」
興味はあるけど、怖い気もするな。この先の未来に待ち受けている運命は、私自身が一番よく知っているけど、占ったらどんな事を言われるのかな。
「宜しいので?」
やはり、気になる。怖いより好奇心が勝っている。当たるかどうかは知らないけど、物は試しだ。
「もちろんだとも」
嬉しそうにデール様は頷くと、ディックさんを呼び寄せる。
「お呼びにございますか?」
私たちに優雅に一礼した後、ディックさんはデール様の横に跪く。
デール様よりは若い。それでも三十代半ばくらいだろう。整った顔に綺麗に整えられた黒髪と上品にスーツを着こなしているその雰囲気はさすが王族の従者といったところである。
「サンバルト家のナタリア嬢だ。彼女を占ってやってくれ」
「いいのですか? 私の占いはあくまで趣味にございますが」
涼し気な目でデール様を見上げて尋ねている。
「いいじゃないか。お茶会のちょっとした余興だよ」
「かしこまりました。では、少し準備を……」
そう言って、ディックさんは、紙とペン、それにカードの様なものを机に並べ始めた。
王太后様は初めて見られるのか、興味津々といった感じである。
「ナタリア様。お待たせ致しました」
準備が整ったみたいである。
最初に、名前と誕生日を伝えると、ディックさんがそれを紙に記していく。次にカードを選ぶ様に促される。表面が見えない様にして、カードを三枚選んでいく。タロットカードなのかな。トランプじゃないよね。
「少々、お待ちを……」
選んだカードを見つつ、紙に何やら数字を書き込み占っているが、これは何という占いなのだろうか。占星術とタロット占いを混ぜ合わせたみたいな占いだね。
じっと、私はディックさんが占っているのを待つ。少し緊張するな。
「ん?」
ディックさんの顔が険しくなる。
え、何? やっぱりそんなに悪いのかしら?
「どうしたのだ?」
デール様もディックさんの様子に気付いたのか、首を傾げる。
「い、いえ、それが……」
ディックさんは明らかに戸惑いの表情で、私とデール様の顔を交互に見る。
「分からないのす……」
分からない? それってどういう意味なの? まさか、お先真っ暗って事じゃ、ないよね。
「どういう事?」
王太后様も不安げに尋ねる。
「その、まったく分からないのです。この占いは、ナタリア様が選ばれたカードと生まれた日の星の配置から占うのですが、答えが出ないのです」
答えが出ない? 益々、意味が分からない。占い方法は知らないけど、そんな事があるのかしら。
「敢えて言うならば、まったくの白紙と申しましょうか……。誰しもが生まれながらに持っている運命が無いと申しますか……」
ディックさんは困惑に包まれたまま、何度も机の上の紙とカードを確認している。
運命が見えない。まったくの白紙の未来。
何となく、分かる気がするな。私が転生者だからだろう。そして、本来の我儘ナタリアとは、性格も行動も違う。もし、ディックさんの言う持って生まれた運命があるならば、その歯車が狂ってしまったのかもしれない。
だが、これは私にとっては嬉しい結果でもある。断罪を回避できる可能性が高まったと言えるからだ。待ち構えている断罪を避けられるかもしれないのだ。もちろん、断罪コースが待ちかまえているかもしれない。なにせ、白紙なのだから。
おそらく、この場でこの結果を理解しているのは、私一人だろう。
だが、理解出来ない他の人たちは戸惑いや不安な様子を浮かべている。そりゃ、そうか。これだけ聞いたら、良い結果とは言えない。むしろ、不吉に感じてもおかしくない。
「レオ、覚えておくといいさ。女性はミステリアスって事だよ」
重苦しい空気の中、デール様が笑い声を立てながら、レオにウインクする。
そんなデール様の態度に空気が緩んでくるのが、感じられる。
「申し訳ございません。どうも、今日は調子が悪いみたいです。それに、私の占いは、所詮素人の趣味の様なもの。深い意味などございません」
ディックさんが深々と頭を下げて、詫びを口にする。
「いいえ。楽しかったですわ。ミステリアスな女。気に入りましたわ」
私もデール様の言葉に乗っかる。
「ミステリアス、ねぇ……」
レオはニヤニヤと人を小馬鹿にした様な目で私を見ている。ムカつく顔だな。
「それより、どう? レオも入学したら、しばらくは王宮に帰ってこれません。久しぶりに、二人で散策してきては?」
和らいだ場の雰囲気から、不安げな様子が消えた、王太后様の提案である。
私はもう剣術の稽古が終わったから、特にレオに用事は無いので、別に二人で散策などしなくてもいいのだが、王太后様の申し出を断る訳にもいかない。レオと二人で散策に出る事になった。
これで、三度目かな。いつもの見晴らしのいい城壁に来ている。レオの案内だが相変わらすここにしか来ないね。たまには、他の場所とかないのか。
「リア、どう思った?」
城壁からエルカディアの街を見下ろしたままレオが尋ねてきた。
「何をでございますか?」
ちゃんと主語を付けろ、主語を。
「占いだ。未来が白紙。不安にならんのか?」
あら、さっきは馬鹿にしてたっぽかったけど、実は心配してるのか?
「レオ様に同じ様な結果が出たら、不安になられるのですか?」
意外と小心者なのかな。
「いや。心が躍る」
「心が躍る?」
これは答えが意外だった。
「俺は小さい頃から、父上やおばあ様に決められた道しか歩んで来なかった。将来の王となるべく育てられた」
帝王学ってやつか。
「だが、それでいいのか? 知識や教養はある。なにせ、叩き込まれたからな。しかも、何でもすぐに吸収出来た俺は、それらに疑問を持たなかった。ただ、教えられた事だけがすべてだった」
まあ、剣術は私に劣るけど、それ以外はかなり優秀なのは、認めるよ。国王陛下や王国の重臣からの期待も大きいらしいしね。
「だがな、リアに自分から何かしようと思わないのか、と言われてから、色々と考える様になったのだ。自分でな」
ああ。初めてここに来た時に言った事か。
王宮で暮らし、平民の暮らしに思いをはせるレオに言った記憶があるな。王族、しかも、次期国王としての立場から多くの制約ゆえに、自由がない感じだった。
「それで、自分から動こうと思える様になった」
城下を見下ろしているレオがどんな顔をしているかは見えない。でも、その声からは、初めてここに来た時に見せた苦痛に近い感情は感じられなかった。
「学院に入れば、王宮以外の世界が見れる。俺は、学院にいる三年間で、多くを見聞きし、学ぶつもりだ」
レオの背中しか見えないが、今彼は、どんな顔をしているのだろうか。学院でヒロインに出会い、どの様な考えに至るのだろうか。
「はい。ご自分の目で見て、耳で聞いて、ご自分で考えて行動なさってください」
その結果、私を敵と見做すかもしれないけどね。
さっきの占いの結果が私の頭をよぎる。
あっ、占いで思い出した。先に聞かれていたのは、私の方だったな。
「それと、占いですが、私、楽しみですわ。私は決められた運命など信じません。運命とは自らの手で切り開くものですから」
それは、すでに決意している事だ。私は自分自身で進むべき道を作るのだ。そして、もし決められた運命が待ち受けているのならば、打ち砕いてみせる。
「……そうか。リアの白紙の未来がどんな色になるのか、俺は楽しみだ」
レオにしたら、ずいぶんと綺麗な言い回しね。
このレオが敵となるかは、分からない。
でも、今のレオを見ていたら、出来る事なら敵にしたくはないな、と思う私だった。