6 私の武器は?
私が決意を新たにしたものの、今までと特に変わった事はしていない。何故ならいくら公爵家の令嬢でも、いや、公爵家の令嬢だからという面もあるが、まだ十二才。出来る事など限られている。
魔術や礼儀作法、勉学などをそれぞれの家庭教師から学び、時間があれば庭で木刀を振る。王宮で、王太子と剣の稽古を受けて、王太后様とお茶をする。
そんな毎日が続いていた。
ちなみに、家庭教師からの講義には、アシリカとソージュも共に受けており、二人は、得手不得手もあるものの、中々の成長ぶりである。
アシリカは魔術や勉学が得意で、私は遠く及ばない。魔術の腕や知識は、日毎、増していっており、教師も舌を巻く程である。
ソージュは、魔術は私と同じくさっぱりだが、礼儀作法や勉学はスポンジが水を吸収する様に修めていっていた。私より二つ下の年齢なのに、大したものである。最近では、屋敷を警備する者に棒術まで、習っているらしい。
それに引き換え私は、剣以外はいささか伸び悩んでいる気がしてならない。
庭のテラスで、のんびりとお茶をしている私は思わず、ため息を吐く。
「お嬢様、どうしました? 浮かない顔をして……」
麦わら帽に、日に良く焼けた顔。白髪交じりではあるが、まだまだ体は元気だと主張するような、体つきの男が私に声を掛けてきた。彼は、デドル。屋敷に仕える庭師である。彼一人で、屋敷の庭の手入れを請け負っている。
「そんなに、浮かない顔してるかしら?」
「ええ。いつもの溌剌さが、感じられませんや」
にやっと白い歯をデドルは見せた。
デドルは私が庭で剣の稽古をするうちに、いつの間にか気楽に話せる相手となっていた。我儘ナタリアとは、庭師という事もあり、あまり接点が無かったらしく、他の侍女たちより遥かに早く打ち解ける事が出来ていた。
そう、だいぶマシになったものの、私はまだ一部から警戒心を持って接しられていた。
「うーん、何か最近、伸び悩んでいてね……」
思わず、愚痴が口をついて出る。上半身を机の上にだらっと乗せ、両腕の上に顎を乗せる。令嬢らしからぬ恰好ではあるが、今はアシリカもソージュも、私の部屋の片づけに勤しんでいて、ここにいないからいいだろう。
「ほー。そうですかい。そりゃ、難儀ですな」
「何よ。他人事だと思って」
私は恨みがましくデドルを見上げた。
「ははっ。こりゃ、すまんですね。でもね、人間誰しもそういう時期はあるもんです。お嬢様はきっと、今がそうなんですよ」
「そうかしら」
私は上半身を机から起こした。
「ええ、そうですよ。それに、あっしは、草木の事しか分かりませんが、お嬢様の素振り、すごいと思いますよ。でも……」
そこで、デドルは不思議そうな顔をした。
「剣の稽古をして、どうするおつもりで?」
「どうするって……」
もちろん、夢の世直し計画の為である。
「いや、まさかお嬢様、剣をぶら下げるおつもりですかい?」
そうだ。確かにデドルの疑問はもっともだ。貴族の、しかも公爵家の令嬢が、剣を腰からぶら下げて生活出来るわけない。だとしたら、私の武器がないではないか。まさか、この年で杖を持つわけにもいかないし。
「そうよね。どうしよう……」
「お嬢様?」
「いや、何でもないわ。それより部屋に戻るわ」
「そうですかい」
特に気にする様子もなく、デドルは軽く頭を下げて、自分の仕事へと戻っていった。
私は部屋に戻りながら、考える。
「武器、武器、武器……」
私が持っていても不自然でない武器はないだろか。
ぶつぶつと呟きながら、屋敷の中を歩いていく。すれ違う侍女が、脇に逸れ、頭を下げる。その顔は引きつっている。気のせいか、ひっ、と息を飲む声も聞こえた様な気がする。
そりゃそうか。武器、武器と呟きながら歩いているのだ。私じゃなくても不気味だろう。私だってそんな人と出会ったら、絶対避ける。
部屋に着き、扉を開けると、まだ片付けの真っ最中である。
今日は、服や装飾品などの小物類の整理をしていた。何でも、王宮に伺う機会も増えているので、一度入り用な物と不要な物に整理するとアシリカが言い出したのだ。
「あ。お嬢サマ。まだ、終わってマセン」
私が部屋に帰ってきたのを見つけたソージュが言った。いまだ言葉遣いはぎこちないが、最初の頃よりかなりまともにはなっている。
「申し訳ありません。まだ、もう少し掛かりそうです」
クローゼット、と言っても、ゆうに家族三人くらいは住めそうな部屋から、アシリカが顔を出した。
「構わないわよ。私はこっちにいるから」
部屋の窓際にあるソファーに腰掛ける。手伝おうともしたが、そこは流石に断られた。
何か使えそうな武器はないかと、二人の作業を眺めながら考える。
「これ、どうする?」
小箱を抱えたソージュがアシリカに尋ねている。
「中は何? ……ああ、扇子はあそこの棚に置いておいて」
アシリカが中身を確認して、棚を指差している。
「それだっ!」
私は勢いよく、ソファーから立ち上がる。
私の中にアイデアが浮かび上がった。扇子だ。扇子は貴族の令嬢が持っていてもおかしくない。むしろ公式の場では、必需品である。
転生前に確か、鉄扇を武器にして戦う格闘ゲームをした事がある。私も鉄扇を持てばいいのだ。
「どうされました?」
突然の叫び声にきょとんとアシリカは私を見ている。
「いえ、何でもないわ。それよりお母様は、どこかしら?」
「奥様は、居間におられると思いますが」
「そう。ちょっと、お母様の所に行ってくるから」
私はそう言い残すと、部屋を飛び出して居間にいるお母様の所へと向かった。
「お母様!」
お母様はアシリカの言っていたとおり居間でくつろいでいた。
「何ですか、その様に大きな声を出して」
お母様は眉をひそめて、私へ注意する。
「ごめんなさい。でも、ちょっと、お願いがありまして」
私は今からおねだりするつもりなので、素直に頭を下げた。
「お願い?」
「はい。私、扇子が欲しいのです」
私の言葉を聞いた途端、お母様の顔がぱっと輝いた。
「まあ。リアが扇子を欲しがるとは……。何やら、最近は剣の稽古だ、動きやすい恰好だ、とかばかり言っていたから、心配してたのよ。娘の育て方を間違えたのかしらって……」
お母様は嬉しそうに、顔を綻ばせる。
うーむ。確かに、そうだったな。でも、育て方って、我儘ナタリアの時にも思うべき事だったとおもうけど。
「早速、見繕いましょう。ねぇ、どこか、いい店の者をすぐに呼んでちょうだい」
傍にいた侍女にお母様は言いつけた。
お店に行くんじゃなくて、呼ぶんだ。改めて、スケールの違いを感じる。
「リアとお買い物なんて久しぶりね」
楽しそうにお母様は、私を横に座らせて、にこにこしている。うん、たまには、親孝行もしよう。
「リアも、もっとおしゃれして、王太子殿下のお心にしっかりと入り込まないとね」
お母様は王太子との婚約の話を喜んでいる一人だ。
だが、ごめん、お母様。確かに、私は王太子の心の中に印象深く残っているのは間違いないが、それはきっと、ライバルとしてだ。お母様の思っているものとは、少し、いや、かなり違うと思う。
そんな事を話している間に商人がやってきた。五人程を引き連れた恰幅のいい男が主人らしい。
「本日はご用命頂き、ありがとうございます。奥様、お嬢様におかれましてはご機嫌麗しく」
一斉に恭しく、頭を下げる。
主人の指示で、素早く目の前一面に商品が広げられた。
「まぁ、どれも素敵ね。リアは可愛いからどれでも似合いそうだわ」
久々の娘との買い物にお母様は上機嫌のようだ。しばらくは、言われたままにしておこう。
「ナタリアお嬢様なら、何をお召しになっても、何を付けられてもきっとお似合いに違いありません」
主人も揉み手しながら、営業スマイルをビシッと決めた。
うまいなぁ。そこまで出来るとは、逆に感心してしまうね。
小物だけのつもりが、ドレスまで引っ張り出してきて、私は言われるがままに着せ替え人形と化す。このドレスには、このネックレスが合うだとか、新作の指輪だとか、次から次へと勧めてくる。
いや、この男、本当に商売上手だね。お母様は、私に似合うを連呼して、次から次へとお買い上げだ。これなら、呼ばれてすぐに飛んでくるのも納得できる。
だが、目的は鉄扇だ。この品揃えからして、あるとは思えないが、いい加減人形でいるのも疲れてきた。
「お母様、私、扇子が見たいですわ」
「そうだったわね。扇子を欲しがっていたものね」
お母様は、頷いて、主人の方を見る。
「ございますとも。今、ご令嬢方の間で話題のものから、異国から取り寄せたものまで揃えております」
相変わらずのパーフェクトな営業スマイルと共に、扇子が並べられた小箱を主人は差し出した。
「どれがいいかしら?」
お母様は、目を輝かせて、品定めに入っている。
しかし、私は肩を落とす。明らかに鉄扇は無い。どれも、綺麗で繊細な造りではあるが、どれも骨組みは木などで作られており、鉄扇と呼べるものは一つも無い。
「これなどいかがでしょう? 流行りの色を使いつつ、柄は伝統に乗ったものでございます」
「まぁ、素敵ね。どう、リア?」
私の落胆を他所に盛り上がっている。
「確かに、素敵ですわ。ですが、もっと丈夫そうな物。そうね、骨組みが鉄で出来た様な物はないかしら?」
ダメ元で聞いてみる。
「え? て、鉄で、ございますか?」
「そう。鉄。例え剣で打ち付けられても平気なくらいの頑丈なのがいいわね」
「えっと、その……」
初めて主人の営業スマイルに綻びが生じた。急に大量の汗が額に滲み始めている。
「リ、リア……」
お母様も先ほどまでの笑顔が引きつっている。
あ、駄目だ。部屋の空気が完全に凍りついている。
「いやだわ。冗談ですわ。ちょっと、からかっただけなのに……」
ほほほと、笑い声を立てながら、誤魔化す。
「は、はは。申し訳ございません。わたくし、どうも、冗談のセンスが無いようでして」
主人もわざとらしく、笑い声をあげて、何度も頭を下げた。
「本当に冗談かしら? 最近のリアを見てると冗談に聞こえないわ……」
疑いの目で、私を見るお母様。
「いやですわ。お母様まで、本気にして」
とにかく、この場は笑って誤魔化す以外の方法を見つけられない私だった。
やはり、公爵家に出入する商人は鉄扇を扱ってなどいなかった。
よくよく考えてみれば、当然でもあり、私は自分の馬鹿さ加減に呆れかえる。
しかし、それで諦める私ではない。すぐさま、プランBへと移行する。てか、今考えたんだけどさ。
プランB、それは、グスマンさんだ。彼は鍛冶職人であり、顔も広そうだ。彼なら、私が望む鉄扇を作ってくれるかもしれない。
王宮へ行った帰り道、またもや、グスマンさんの家に寄る。今回も王太后様の手紙を預かっている事にする。
「おう、なかなか様になってるじゃねえか」
侍女姿のソージュを初めて見たグスマンさんが、驚いている。
「見た目だけではないですわ。なかなか優秀ですわよ」
「こないだは、ありがとうございマシタ」
ぺこりとソージュは頭を下げた。
「おう、気にする事ねえ。で、今日はどうした?」
グスマンさんは、私に視線を向けた。
「お願い、というか、職人であるグスマンさんに、依頼に来ましたの」
「ほう。何か作って欲しい物があるのか?」
「はい。鉄扇です。扇子の骨組みを鉄で組み、例え、剣と打ち合っても大丈夫な扇子を作って頂きたいのです」
この世界に鉄扇があるか知らないが、これで、グスマンさんは理解してくれただろうか。
「奥様から伺いましたが、やはり冗談では無かったのですね……」
諦めのため息を吐きながら、アシリカが呆れた様子で私を見ている。
「お母様には内緒よ」
なるべく可愛らしく見える様にウインクをアシリカにする。
「こんな事、奥様に報告出来る訳ありませんよ」
首を振り、アシリカは項垂れていた。何か、苦労かけてるみたいで申し訳ないわね。
「どうかしら? 出来そう?」
それより、今は鉄扇だ。
「俺は扇子なんか作った事はねえが……」
あれ、無理そう?
「面白そうではあるな」
グスマンさんは、にやっと笑みを浮かべた。
「じゃあ……」
「おう、その依頼、受けてやる。ただ、ワシ一人では無理だ。他の職人仲間の力も借りなきゃなんねえ。何せ、俺は扇子は作った事がないからな」
もっともな意見ではある。あくまで、グスマンさんは鍛冶職人だ。
「ひと月待ってくれ。それと、代金は金貨三枚だ。それでいいか?」
「構いませんわ。是非、お願いします」
よしっ、やった! 武器ゲットである。ひと月くらい待つし、金貨三枚が高いか安いかは分からないが、幸いにもお金に不自由はしていない家だ。
「あの、お嬢様……」
アシリカが遠慮がちに声を掛けてきた。
「何? どうしたの?」
私はハイテンションで、笑顔のまま、アシリカへと振り向く。
「その、代金ですが、お嬢様は銅貨一枚も持っておられません。私にしても、金貨など、持ち合わせておりませんし……」
言いにくそうに、アシリカ。
「え?」
そう言えば、転生以降、お金など見た事ない。金貨や銅貨という単位すら初めて聞いた。こないだの商人への支払いも、私は見ていない。
衣食住は、屋敷にいれば問題ないし、欲しいものは言えば何でも、現物で手に入る。それゆえ、現金は必要無かったのだ。
すっかり、令嬢生活に染まっている自分を恨めしく思う。
「あ、あの、屋敷に帰れば私、金貨二枚分くらいならありますから」
「私、先月の給金、まだ残ってマス」
呆然とする私に、気の毒そうにアシリカとソージュが慰める様に話しかける。
「あの……、出世払いで返します。貸してください」
私は二人に頭を下げる。
公爵家令嬢であるはずの私は自分の侍女から借金をする事になった。