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戦うお嬢様!  作者: 和音
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59 私の眩しい人 -ソージュー

 まずは、父親だった。その次に母親。お酒の飲み過ぎで体を悪くしていた父親と元々、病弱だった母親はさほど間を開けずに死んでしまった。幼さ、先への不安から記憶は曖昧になってしまったが、流行り病のせいだったと思う。ただ、周りで死んだ人は少なく、もしかしたら、自分が思っている程の流行りではなかったかもしれない。

 一つはっきりしている事。五歳で孤児になった。それだけは確かであった。

 住んでいた家も追い出され、身一つで貧民街を彷徨っていた。

 悲しいとか寂しいという感情は、何故か起きなかった。親子関係が良くなかったのか、不安が大きかったからなのか、理由は分からない。

 家を追い出されてから五日。私は水以外を口にしておらず、体力も限界だった。両親が生きている時から貧しく、痩せ細っていたが、空腹で身動きが出来なくなる経験は、その時が初めてだった。

 虚ろな目で空を眺める。どんよりとした空だ。薄暗く感じる。

 体だけでなく頭もぼうっとしてきた私の目に、パンが見えた。


「食べな」


 目の前には、一人の女の子。髪はボサボサで、服には汚れと穴が目立っていた。パンを私に突出していた。


「……貰っていいの?」


 私は自分でも驚く位の掠れた声だった。しかし、目の前の女の子は、そんな事を気にする素振りもなく、頷いた。

 それが、私とクレアとの出会いだった。

 クレアは私より年上の十一歳だった。彼女も両親がおらず、六歳の年からこの貧民街の路上で暮らしているそうだった。

 何も知らない私にクレアは、生きていく上で必要な事をたくさん教えてくれた。

 子供でも出来るお金の稼ぎ方、安全に眠れる場所、近づいてはいけない場所の見分け方。さらに、いざという時の為に、護身術もみっちりと叩き込まれた。

 今でも、どうして彼女が私にそこまでしてくれたのか、分からない。でも、その時の私は、クレアがいれば、良かった。家は無いが、二人での生活は、悪くはなかった。


「見て見て。今日、集めたゴミの中から見つけたの」


 クレアが教えてくれた稼ぐ手段の一つであるゴミ集め。集めたゴミの中から売れそうな物を回収し、お金に替える。もっとも、微々たる金額にしかならないけど。


「ほら」


 私が見つけたのは、銅貨だった。私にしたら大金だ。自然と笑みが溢れてくる。


「これで、何か美味しいもの、食べようよ」


 浮かれながら、飛び跳ねる私にクレアは溜息を一つ、ついた。


「ソージュ。いつも言っている。口数は少なく、感情を表に出さない。それが私たち孤児が生き抜く為には必要」


 クレアの生き抜く為の教えの一つであった。口数が多ければ、それだけ自分の情報を周りに伝える事になり、感情を表せば、付け入る隙を与える事になるという彼女の経験からの教えだった。


「ごめん」


「何、食べる?」


 しょげる私の頭をクレアが撫でた。無表情に見えるが、とても優しい顔に私には感じた。

 貧民街の路地で寝起きし、小銭を稼ぐ。たまに、攫われそうになり危険な目にも遭う事もあったが、クレアから習った護身術で乗り切る事が出来た。

 不自由もあるが、毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。寂しさを感じる事はなかった。それもすべて、クレアのお陰だった。


「いいかい。生き抜くんだよ。私たちには明日の保証が何も無い。だから常に自分で考えるんだ。例え、一人になってもね」


 よくクレアに言われた事だった。しかし、私にはクレアと離れるという事などあり得ないと思っていた。いつも、いつまでも一緒にいられると信じて疑わなかった。

 そんなクレアとの生活は三年に及んだ。八歳になり、体も少しは大きくなった。そして、当たり前と思っていたクレアとの日常は突然、終わりを告げた。

 その日の朝もいつもと何ら変わらないものであった。人目に付きにくい路地の片隅で目覚めた。二人で昨日のうちに手に入れていた固くなったパンを齧りながら、今日の日銭を手に入れる相談をしていた。


「今日、荷運びの仕事があるよ。昨日、知ったのだけどさ」


 私は昨日孤児仲間から聞いた情報をクレアに伝えた。


「私は止めとく。昨日、足を挫いたからさ。ゴミでも漁っているよ」


 クレアは相変わらずの無表情で、パンを齧っていた。


「じゃあ、私も止めとこうかな」


「いや、ソージュだけでも行っておいで。あれ、けっこういいお金だからさ」


 確かに、荷運びはキツイ仕事であるが、貰える金額はでかい。孤児の間では人気の仕事である。


「でも……」


 足を挫いているクレアを一人にするのも忍びなかった。


「ほら、早く行かないと人数が埋まっちゃうだろ」


 人気がある仕事だけに、早いもの勝ちである。


「うん。分かった」


 私は頷き、残っていたパンを勢いよく口に頬張る。


「喉、詰めるぞ」


「だいひょうぶ。いっへくる」


「ああ。気をつけてな」

 

 頬を膨らませて、口を動かしながら話す私の仕草が面白かったのか、珍しくクレアの口元が緩んでいた。

 それが私が最後に見たクレアの顔だった。

 その日、運よく荷運びの仕事にありつき、もらったお金を持ち、生活の場としている路地の一角に帰ったが、クレアの姿は無かった。

 最初は心配などは無かった。それまでも、二人分かれて行動をして、私の方が先に帰る事もあったし、あのクレアに何かあるなど想像出来なかったからだ。

 ところが、その日は夜遅くなっても、次の日の朝を迎えてもクレアが帰ってくる事は無かった。

 私は待った。何日も何日もただ、ひたすら待った。寝床としていた路地の一角から動く事なく、彼女の帰りを待っていた。何も食べていないのに、不思議と空腹も感じず、今日こそは帰ってくると、待ち続けた。

 そんな日が二週間続いた。すっかりと痩せ細り、思う様に動けなくなった私はついに、確信を得た。

 クレアは帰ってこない――。

 何故、そんな確信を突然抱いたのか、分からない。ただ、いつもの様にぼうっと路地を眺めていた私の心に不意に浮かんだのだ。

 私はよとよろと立ち上がり、貧民街を歩いていた。

 孤児にも売ってくれる商店でパンを買い、口に入れる。

 食べねば、生きていけない。このまま何もせず、野垂れ死にするのは、駄目な気がしていた。

 生きなければ、いけない。例え、私一人になっても――そんな事を考えながら、固いパンを必死で飲み込んでいた。

 元の生活に戻り始めた時、クレアの噂を耳にした。

 人攫いに攫われた、馬車に撥ねられ死んだ、変質者に殺された。どれが本当かは分からない。もしかしたら、もっと別の理由かもしれない。

 何故、私たちはこんな目に遭わねばならないのか。何か悪い事をしたのか。孤児という理由だけで、蔑んだ目で見られ、良くて搾取、最悪奴隷の身に落とされる。その上、命まで軽んじられる存在である。 

 だが、そんな噂を聞いてもいくら考えても、私の側からクレアがいなくなったという事実は変わらない。私はまた一人になってしまったのだ。

 私は一人暗闇の中に取り残されていういるようだった。光の差さない真っ暗な何も見えない無の世界である。

 それでも私の毎日は続いた。その日の食い扶持の為に働き、危険な目から逃れて、路地の一角で眠る。クレアから生き延びる知恵を与えられたお陰で、一人でも何とか生きていけた。

 そして、私は彼女の教えを守ってもいた。顔からは表情を消し、口を開かない。一人になり二年が経つ頃には、感情の表し方も話し方も忘れ去っていた。

 ある日、私はいつもの様に食い扶持となる仕事をしていた。

 だが、その日は失敗だった。食事を保証してくれるという約束だった工房街の職人の仕事を手伝っていたが、最悪だった。食事ところか、荒々しく扱われ、終いには、胸倉を掴まれ、暴力を振るわれた。

 抗議の言葉を口にするが、それが余計にその男の癇癪に触ったようだ。

 面倒な事になった――そう思ったその時だった。


「お待ちなさいっ!」


 凛と響く声だった。

 そこには、見た事の無い様な豪華な服を着た、綺麗な人がいた。私は顔には出さないものの、驚いていた。その人が光って見えたのだ。豪華な服のせいではない。私のいる暗闇に強烈な明かりを照らす強い光を照らしている様に感じたのだ。理由は分からない。ただ、私はその人が眩しかった。


「お見事っ!」


 いい加減、胸倉を掴まれているのイヤになり、約束を破る男にクレアから仕込まれた掌底を食らわせて、自由の身になった私に感嘆の声をその綺麗な人は上げた。拍手までしている。

 それが、ナタリア様。お嬢様と私の出会いだった。

 気づけば、私はお嬢様の侍女となっていた。三食の食事におやつに夜食。さらには、お給金まで貰える。それだけでも、満足なのに、教育まで施してくれる。今までの貧民街での生活からは信じられない毎日となった。周りの人はもちろん、もう一人の侍女であるアシリカやお嬢様も優しく接してくれた。

 私が侍女になったのは、待遇だけで選んだ訳ではない。私が侍女となった最大の理由は知りたかったのだ。お嬢様から感じる強い光が何なのか。私のいる暗闇を照らす光の正体が知りたかった。

 だが、その光の正体を知ろうとする暇は無かった。侍女の仕事がきつかった訳ではない。この公爵家のお嬢様の行動は想像も付かない事ばかりだった。それに付き合うのが、大変だったのだ。

 武器を欲しがる、アシリカを救う為に商家に突撃、お金を稼ぐ為に自ら働く。どれも、かつては雲の上の存在と思っていた貴族の人がするものとは思えない事ばかりであった。

 しかし、私はどんどんお嬢様の魅力に引き付けられてもいた。もっと、お嬢様からの光を感じたい、暗闇を照らして欲しいと願っていた。

 

「私の叶えたい夢。それは、権力や暴力に怯え、理不尽に虐げられている人たちを一人でも多く救いたいの」


 それはお嬢様の十二歳の誕生日の夜だった。

 理不尽に虐げられている人。私だ。貧民街で孤児だった私だ。


「私は、権力を振りかざし、横暴を尽くし、人々を苦しめる輩をこの手で成敗する」

 

 そうか。お嬢様の光はこれだったのかもしれない。

 夢を持っているのだ。しかも、強く折れない心を持ってその夢を叶えようとしているのだ。私には、無いものだ。


「ですから、お嬢様が、何を言われようと、なされようと共におります。そして、全力でお守り致します」


「私も、アシリカと同じ、デス」


 私もアシリカに同意した。

 この人たちと一緒にいたい。強くそう思っていた。

 それからも月日は流れていった。お嬢様は相変わらずで、私もそれに振り回される時もあった。まさか、自分がアルカディアから遠く離れた地まで旅するなど、孤児の時には考えられなかった毎日が続いていた。たまに感情が抑えきれず、顔に出てしまう時も増えてきていた。

 貧民街での暮らしの記憶が薄らいできた時、ふと気付いた。周りが明るくなっているのだ。かつていた暗闇の中ではない。思わず周囲を見回した。誰もいない。

 だが、明るさを感じていたのだ。暗闇にいなかった。

 私は暗闇から抜け出せたのだろうか。自身に尋ねても答えは出なかった。

 そんな時、私自身に騒動が起こった。

 レイボーン侯爵家のマリシス様が屋敷に来られ、私を引き取りたいと言うのだ。しかも、私を孫だと言う。

 過去の思い出が蘇る。母の過去を聞いた記憶もないし、レイボーンという名も耳にしたのは初めてだった。

 信じられない、という思いの方が強かった。でも、どこかで血のつながった身内というものに興味もあった。そんな事を考え始めると、何が何だか分からなくなってきてしまった。何より、お嬢様の側から離れるのが、不安だった。離れたら、また暗闇に戻ってしまう様な恐怖に包まれる。

 戸惑い、不安が押し寄せる私をお嬢様が抱きしめてくれた。

 

「いつもソージュが私を守ってくれるように、私もソージュを守る。誰が敵であっても、守ってみせる」


 押し寄せてくる暗闇が、お嬢様の光に弾き返される気がした。お嬢様の光に包み込まれた私は涙を流していた。記憶の中に残っている限りでは初めての涙だった。


「私を誰だと思ってるの? ナタリア・サンバルトよ。どんな困難も突き破ってみせるわよ」


 お嬢様らしい。そして、やっぱり眩しい。でも、その眩しさを直視する事が出来る様になっていた。

 お嬢様はその言葉通り、事実を暴き、騒動を解決された。結果、やはり私はマリシス様とは無関係。正直、少し寂しくも感じた。でも、それ以上にマリシス様は寂しい人だった。彼女も一緒だ。私と同じ様に暗闇の中に居たに違いない。


「あの……、頭、撫ででくだサイ」


「……いいの?」


 そう尋ね返してきたマリシス様はいつの間にか、私を抱きしめて泣いていた。

 この人は暗闇から抜け出せるのだろうか。

 レイボーン家からの帰り道。馬車の中で揺られている。

 また侍女の生活を続けられるのだ。安堵していた。それと同時に複雑な思いも抱えていた。やはりどこかで、血の繋がった人がいるかもしれないという事を期待していたのだ。 


「ソージュ」


 お嬢様が私を呼ぶ。


「ソージュはソージュだからね。他の誰でもない、私の大切なソージュよ」


 私の胸の内を見透かしているのか、優しい笑顔を向けてくれる。

 そうだ、私にはお嬢様がいる。アシリカやデドルさん。屋敷の皆もいてくれる。一人じゃないのだ。


「それにしても、見事だったわ。きっと、マリシス様も救われたわよ、ソージュにね」


 私がマリシス様を救った? 


「あなたを抱きしめるマリシス様、穏やかな顔になっていたわ。檻の中にいたのを最後に救い出したのは、あなたよ。ソージュ」


 体がムズ痒くなる気分だ。


「ハイ……」


 少し照れくさい。

 私は窓から空を眺める。その空は澄んでいた。

 綺麗な空だ。

 そうか、何となくだが、分かった気がする。人は気持ちによって、見える光景が変わるのかもしれない。幸せなら、その世界は明るく、不幸せなら暗く。

 そして、私が見たお嬢様の光は幸せな世界へと導いてくれる光だったのかもしれない。孤児の一人として、暗闇の中にいる私への神様からのご褒美だったのだろうか。

 私が今、光り輝いているかは、分からない。でも、昔の自分が、今の私を見たら眩しく感じるかもしれない。そんな気がする。

 懐かしい顔と思い出が脳裏に浮かんでいた。

 クレアが今の私を見たら、何と言うだろうか。

 心配しなくて大丈夫だよ、クレア。私は生き抜いていくよ。この眩しい人と一緒にね。


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