58 哀しくて寂しい人
「突然のご訪問、いかなるお考えにございますか?」
眉間に皺を寄せ、私を出迎えるビーゼルは顔を顰めながら、ゆっくりと私のいで立ちを上から下まで見ている。彼の後ろにもレイボーン家の者だろう、ビシッと黒のスーツで統一された使用人が並んでいる。
「それに、そのお姿。サンバルト公爵家令嬢としてだけでなく、王太子殿下のご婚約者のご自覚は有るのですか?」
少し小奇麗な町娘といった私の恰好に、最後は呆れの目となる。
「あら、私はレイボーン家の為さり方に合わせただけですわ。突然、訪れるのが、レイボーン侯爵家の作法ではなくて?」
先に突然屋敷に押しかけてきたのはそっちだ。嫌味たっぷりに言ってやる。
「ぐっ」
悔しそうにビーゼルは顔を歪める。
「それに、王家に嫁ぐ身として、贅をする訳にはなりませんの。今から我が身を律しているのですわ」
さりげなく、贅を尽くした毎夜のパーティーや茶会に勤しんでいたレイボーン家を揶揄する。
私の意を察したのか、ビーゼルの顔は一段と歪む。しかし、すぐに冷静さを取り戻したのか、真顔に戻り、一礼する。
「申し訳ございませんが、我が主は部屋で休息されております。お取次ぎする訳にはいきません。今日の所はお引き取りを願えますでしょうか」
「あら、そちらの作法に合わせたというのに、門前払いですか?」
きっと、今の私は意地悪な顔だろうなぁ。
「恐れながら、ナタリア様。我が主は王国において礼儀作法に関して右に出る者がいない方。また、引退したとはいえ、貴族のご令嬢方、ご婦人方へいまだ強い影響力を持っておられます。ナタリア様の御為に申し上げますが、その様に我が主を愚弄するような真似はいかがかと」
脅しのつもりだろうか。こいつは、小物ね。主の威を借りてしか生きていけないタイプだろうな。それとも、主の影響力や侯爵家の経済力を我が力と勘違いしているのだろうか。どっちにしても、愚か者には違いないどるけどね。
「どきなさい。いつまでこの私をこの様な玄関先に立たせておくつもりですか?」
私は鉄扇を取り出すと、さっと開く。
「礼儀作法に通じた主に仕えるのなら、この白ユリの紋章の意味が分からないはずがありませんでしょう? この紋章を持つ私を通せないと申すおつもり?」
通行手形ではないが、この白ユリの紋章は効果絶大である。ビーゼルの顔は青ざめ、ごくりと喉を鳴らす。これを見なくても私の立場を分かっているはずだが、やはり直接この紋章を見ると見ないでは違うのだろうな。改めて、王家から頂いたこの紋章の価値を実感する。
「お嬢様をいつまでお待たせさせるおつもりか? レイボーン家はこの紋章を認めぬという事でございますか?」
アシリカが畳みかける様にビーゼルに詰め寄る。彼女もフラストレーションが溜まっていたのだろうなぁ。
「い、いえ。その様なつもりはございませんが……」
やはり小物だね。下っ端も大概だったが上司に似たのかしらね。居並ぶ他の使用人からも動揺の色が見て取れる。
「分かってくれればいいのよ。それにね……」
私は横に下がったビーゼルの前を通り玄関を通り抜ける。
「私が用事があるのは、あなたです」
「え? 私に?」
訳が分からないといった様子で私の顔をビーゼルが見る。
「ええ。そうよ。デドル!」
「へい!」
私の声に答えたデドルがやってくる。その隣には、先ほど工作と呼べない程の工作をしていた下っ端の男。
「ビ、ビーゼル殿……」
情けない声のままである。
「なっ……」
下っ端男を見たビーゼルが唖然となる。
「この男、レイボーン家の者よね。貧民街で迷子になっている様でしたので連れてきた差し上げましたわ」
ビーゼルは何も言わず、冬だというのに額に汗が滲み出てきている。
「何やらソージュの事で、盛んに有りもしない話をされていたので、あなたにも聞きたいと思いましたの」
鉄扇を閉じ、くるりと体をビーゼルの方に向ける。
「説明して頂けるかしら?」
「そ、それは……」
口ごもるビーゼル。
「それは、何?」
冷たく言い放つ。
「くっ」
ビーゼルは唇を噛みしめ私を睨む。
「お前みたいな何の苦労も知らない小娘に何が分かる? 我が主が亡くなれば、この家はどうなると思う? 俺たちは皆、職を失うんだ。今までしてきた、美味しい思いもすべて失うんだ」
あー、なるほど。彼らは自分達の職や利権を守る為に、どうしてもレイボーン家の跡取りが必要だったんだ。例え、それがでっち上げでもね。
「こうなったら仕方ない。この屋敷の中で起こった事は何とでもなる。たかが小娘三人におっさん一人。ここで始末してやる」
ビーゼルが周りに控える使用人に目配せすると、私たちを取り囲む。
あらあら、小物のくせに随分と大胆な発言ね。さらに愚行を重ねるだけだと気づかないのかしらね。それにしても、たかが小娘におっさん一人とは、私たちも舐められたものね。デドルが苦笑いしているよ。おっさん呼ばわりされたのに、心が広いね。
「愚かにも程がありますわね。自分達の私利私欲の為に、私の大事なソージュを苦しめた罪は重いですわ。断じて許しません」
鉄扇をビーゼルに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟よろしくて?」
凍てつく視線をビーゼルに送る。
「アシリカ、ソージュ、デドル、お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
「へい」
溜まっていた鬱憤を晴らすかの様にアシリカとソージュがあっという間に周囲を取り囲むレイ―ボーン家の使用人たちを薙ぎ倒していく。魔術の餌食となり、掌底を食らう。どちらにやられた方がマシだろうか、というくらい二人は気合が入っていた。
いやいや、やはり小物は所詮小物だね。過去最速の記録を残したかも、と思う程の速さで立ち向かってきていたビーゼルたちは床に倒れていた。
私はもちろん、デドルの出番も無かったね。
「何の騒ぎですかっ」
よく通る声がに響いてきた。
エントランスホールから二階へと続く大きな階段。その中ほどにある踊り場から、マリシス様が私たちを見下ろしていた。
「レイボーン家のおもてなしを受けていたのですわ」
ちらりと床で、うめき声を上げているビーゼルに視線を移して答える。
「少々、物足りなかったですが」
再び視線をマリシス様に戻し、目線を合わせる。
「お、奥様。こ、国王陛下にすぐにご報告されませ。いきなり、当家に踏み込み、この様な乱暴狼藉。いくら、王太子殿下のご婚約者でも許される事ではございません」
息も絶え絶えになりながらも、ビーゼルが上半身を起こして、マリシス様に訴える。
しかし、彼女はじっとエントランスホールを見下ろしたまま、黙り込んでいる。
「リドルって商人がいると思いますわ。その人とこのレイボーン家の執事。二人の関係や周囲を洗えば、面白い事がわかるかもしれませんわよ」
ビーゼルが何かしらの不正を働いているのは、間違いないだろう。だが、そこはレイボーン家の問題。隠居同然とはいえ、当主であるマリシス様が対処する事だ。
私の進言にマリシス様の眉がピクリと動いたが、黙ったままだ。
「それと、ソージュですが、やはりこのレイボーン家とは縁がないと思いまして。それをお伝えしたく参りましたわ」
こっちの方が重要である。はっきりとさせなければならない。
マリシス様と私は見つめ合う。
「ナタリア嬢。こちらへ……」
沈黙が続いた後、マリシス様が私を二階へと誘う。
私はデドルにこの場を任せ、アシリカとソージュを伴ない、二階へと続く階段を登っていく。
通されたのは、二階の奥の部屋。マリシス様は厳重に幾重にも施錠されたその部屋の扉を開けると、中に入っていく。私たちもそれに続く。
「ここは……?」
然程広くはないその部屋の壁には無数の絵が飾られている。絵はすべて人物画。描かれている人物は同じだろう。幼少から始まって二十歳くらいまでの姿が描かれていた。
「ここに、私以外の者が入るのはあなた方が初めてです」
絵のモデルは、マリシス様の娘だ。この前見たロケットペンダントに描かれていた人に違いない。栗色の髪の毛がソージュと同じだ。その娘さんは多少はソージュと似ているかもしれないが、親子とまでは言い難い。大きな絵画で見るとよく分かる。
「処分などされずに、残しておられたのですね」
部屋は綺麗に掃除されており、塵一つ落ちていない。彼女自身で掃除もしていたのだろう。自分の元を去った娘を思いながら。
「私も遅くに生まれた一人娘でした。幼い頃からこの家を継ぐものとして育てられましたわ。自分でもそれを当然と考えた。そんな私が産んだのも娘だった」
マリシス様は、壁に掛けられた幼少時の娘さんの絵にそっと指を這わす。
「そして、同じ様にレイボーンの家を継がすべく育てました。ですが、あの子は私と違った……。家ではなく、別の事を選びました」
好きになった人と駆け落ちしたのだったな。
「それ以来会っておりません。どこで何をしているのかも知りません。いえ、知ろうともしなかった。普通の家ならそれでもいいのかもしれません。ですが、私はこのレイボーン侯爵家の女当主。家の存続を考えなばなりませんでした」
「それでソージュを?」
「ええ。他家から養子を取る事も考えました。でも、決心出来ませんでした。もしかしたら、娘が帰ってくるかもしれないと考えてしまってね」
寂しげに微笑む。
「そんな時、久々に出たパーティー。王太后様の誕生日パーティーです。あなたとあなたの後ろを歩くその子を見たのです」
ああ、あの時にソージュを見かけたのか。
「この絵を見ても分かるように、娘の子と主張する程似ていないのは承知しています。ただ、あの時はその栗色の髪に思わず見入ってしまったのです。不意に娘を思い出しました」
まあ、髪の色だけなら、そっくりだね。それは認めるよ。
「その時に、ビーゼルが言い出したのです。その子は娘の子に違いないと」
あいつが諸悪の根源か。私も一発、殴っておけば良かった。
「もちろん、その様な話、信じられません。信じませんでしたが……」
そこで、一旦言葉を止め、マリシス様は目を伏せる。
「魔が差したのかしら。家の跡取り問題を解決しようと思いました。せめて、娘と同じ髪の色を持つこの子に継いでもらおうと」
「ソージュの気持ちは考えなかったのですか?」
自分でも驚く程、冷たい声が出てしまっていた。
「考えました。でも、あなたもサンバルト家という名門の出です。ならば、分かるはずです。家名を絶やすわけにはいかない。私は女として生まれたので、政治には加われません。その分、このレイボーンの家を守らなければならなかったのです」
「まったく分かりませんわね」
一言で、マリシス様の言葉を切って捨てる。失礼は百も承知だ。
この人は考えていると言うが、考えてはいない。ソージュを引き取りたいと、屋敷に来た時に感じた事。ソージュの意思など考えていないはずだ。
いや、例え考えていたとしても、すべてにおいて相手の意思よりもレイボーンの家が優先されているのだろう。
それは、娘さんが家を出た事にも関係あるはずだ。おそらく、娘さんは家にばかり捉われる母親への反発があり、だからこそ、駆け落ちという強硬手段を取ったに違いない。自分の意思を決して理解しようとするはずの無い親を捨てて。
「家名の為? 人の心を傷つけ、縛ってまで残す価値のある家などありませんわ」
マリシス様の目が驚きで見開かれる。
「それに、私は家ではなく、その家に関わる人たち。侍女や従者などの使用人。領地で暮らす人々。そんな人たちを守りたいわ」
私は部屋の中を進んでいき、窓を大きく開け放つ。舞い込んできた風が部屋を通り抜けてゆく。
「守るという意味をはき違えているのではなくて? あなたは閉じ込めていたのです。娘さんとあなた自身の心を。レイボーンという檻の中にね」
マリシスさんの方を向き、鉄扇を向ける。
「礼儀や作法に詳しくとも、いくらお金を掛けて着飾っても、それでは人としては、輝けなくてよ」
吹き込んできた風にマリシス様の銀色の髪が靡く。
「……そうですわね。そう、ナタリア嬢。貴女の言う通りですわ。私は、貴方たちが眩しい」
哀しく、そして寂しい人である。気の毒にさえ思えてくる。家の為に生きてきて最後は一人。周りには家族も信頼できる人もいないのだ。
「今回の事、ビーゼルの不届きも含め全ては私の責任。申し訳ありませんでした。特にソージュさん。あなたにはいくら謝っても謝り足りません」
マリシス様が深々と頭を下げる。
「イ、イエ……」
複雑そうな顔だが、ソージュは首を横に振る。
「ビーゼルはどうしますか?」
念のため、尋ねる。
「あの者もレイボーン家がどうなるか分からない状況で不安だったのでしょう。ですが、不正は不正。レイボーン家当主として彼らは厳正に処分を致します」
最後は、元の女当主らしい毅然とした態度に戻る。もしかしたら、薄々、気づいていたのかもしれない。ビーゼルに関してはそれ以上は関与出来ない。あくまで、レイボーン家内部の問題だ。
すべてが片付いた、と思った時、ソージュがマリシス様の側に歩み出た。
「あの……、頭、撫ででくだサイ」
ソージュがじっとマリシス様の瞳を見つめる。
「……いいの?」
マリシス様にソージュは頷く。
そっとソージュの頭にマリシス様の手が触れる。
「ううっ……、イリス、イリスッ」
うめき声と共にしゃがみ込み、ソージュを抱きしめるマリシス様。その目からは大粒の涙が溢れだしている。きっと、今まで、当主として多くの事を我慢し、諦めてきたのだろう。嗚咽に混じりながら娘さんの名前を繰り返して口にするマリシス様の顔は、憑き物が落ちたかの様に、泣き顔であるにも関わらず、穏やかだった。
ソージュの騒動から一月も経たないうちに、マリシス様は、何と爵位と領地の返上を国王陛下に申し出た。爵位だけでも残しては、と言う陛下のお言葉も断られ、貴族の身分を捨て、平民となられたのだ。
使用人たちの再就職先を親交のあった貴族に頼み、お母様の元にも依頼が来ていた。ちなみに、ビーゼルの名はそのリストには入っていなかったが、風の噂では、リドルや取り巻きたちと一緒に所領にあった鉱山で牛馬の如く働かされているらしい。
「ねえ、私たちはいつも一緒よね?」
傍にいるアシリカとソージュに確認する。
「ええ、まあ。ですが、その……」
「時と場合によりマス、かも……」
アシリカとソージュの返事。目は合わせようとしない。
「何でよっ! 冷たいわね! 二人も一緒に来るのよっ!」
貴族の身分を捨てたマリシス様だが、新たな仕事を始めていた。礼儀作法の教師である。その世界では一流。しかも昔は社交界の有名人。貴族からは引っ張りだこの人気ぶりらしい。だが、そこは、やはり元女当主のマリシス様。その教師ぶりはとても厳しいとすでに評判になっていた。
「ナタリアお嬢様! もう講義のお時間ですわよ!」
私を部屋まで呼びに来たのはマリシス様。
元いた礼儀作法の先生が急に田舎に帰る事になり、代わりに新たな教師となったのが、マリシス様。
「この子たちも一緒に受けますわ」
「えっ」
アシリカとソージュの戸惑いの声は無視だ。
「もちろん。私もそのつもりですわよ」
怯えの表情の私たち三人とは反対に、そう言うマリシス様は生き生きとした笑顔だった。