57 手がかり
初めてやって来たエルカディアの貧民街。それは、工房街の外れにあった。家というより小屋と呼ぶ方が合っている様な建物が並んでいる。それもかろうじて雨露をしのぐ位の造りである。そんな家々が所狭しとびっしり立ち並んでいた。それでも、雨風から守られている家に住める者はマシな方で、路上や軒先で生活をしている者も多いらしい。
見かける住人は、薄汚れ所々に穴が空いた服を身に付け、どこか感情の無い目をしていて。歩いている私たちをぼんやりと眺めている。子供も幾人か見たが、警戒の眼差しを向け、すぐにどこかに消えてしまう。
貴族街や富裕層の立派な家がある同じエルカディアとは思えない光景がそこには広がっていた。
「治安はそこまで悪くなさそうね」
独特な雰囲気ではあるが、荒々しい者も見受けられないないし、犯罪が行われている様子もない。
「いいとまでは言えやせんが、無法地帯って訳でもありませんなぁ。ただ、弱い人間では生きていくのには厳しい場所です」
デドルは眉間に皺を寄せる。
弱い人間か。子供などは搾取されたり攫われたりする事もあるのだろうな。だからこそ、あんなにも警戒心を露わにしているのだろう。実際、ソージュと初めて出会った時も、そんな感じだったしな。
幼い頃に両親を失い孤児となり、ここでソージュも数多くの苦労をしたのだろうな。見かけた子供たちと同じ様に常に周りを伺い、自分の身を守っていたのかもしれない。
貧民街に入ってからのソージュは表情を曇らせ、普段にも増して口を開かない。そんな彼女と手を繋ぎ、一緒に歩いていた。たまに、ぎゅっと、強く握り返してくる時があるが、何か辛い事を思い出しているのだろう。
かつてソージュが六歳まで暮らしていた家の前に彼女の記憶を頼りに辿り着くと、ひと際私の手を握る力が強くなる。
「どうやら、別の方がお住まいの様ですね」
アシリカがガラスの入っていない窓から中をちらりと見る。中は薄暗く、見にくいが、確かに動く人影が見える。
「どう? 覚えている人いない?」
付近の家も見渡し、私の問いにソージュは首を振る。この辺りに、彼女や彼女の両親を知っている人はいないようだ。
それからも、周囲を歩き回り、ソージュの見知った顔がいないか探してみたが、一人として出会う事はないまま、時間だけが過ぎていく。数人に声を掛けてみたものの、ソージュの事を知っている人はおらず、面倒くさそうに顔を顰める人ばかりであった。
何か少しでも知っている人がいればと思っていたが、時の流れがそれを邪魔しているみたいである。
「まあ、貧民街は人の動きが多いですからなぁ……」
さすがにデドルも打つ手が無いといった感じである。
「ねえ、ソージュ。どんな事でも覚えている事ってないかしら?」
少しでも何か彼女の両親に繋がる情報が欲しい。
「……覚えているのは子守歌、デス」
しばらく考え込んでから、ソージュが答える。
「子守歌? 母親が歌ってくれたの?」
「ハイ。それと、悪い事すると父に、大きな蟻に食べられるぞって怒られました」
大きな蟻……。それは、確かに怖いわね。トラウマになりそう。
「ソージュ。その子守歌、覚えているか?」
デドルが尋ねる。
「確か……」
古い記憶を呼び起こすように目を閉じて、ソージュは歌い始める。
“目を閉じて、真っ暗くらくら、夢の入り口。目を閉じて、そこは楽しい、夢の中。お山の泉のお月様。今夜もキラリ水の中。そろそろ真っ暗、お山の泉。ゆっくりお休み、夢の中”
何か、優しいね。ま、子守歌だから当然か。それにしても、ソージュって、意外といい声しているな。
「そうかい……」
ソージュが歌い終わると、デドルは何やら考え込む。
「どうしたの? 何か気になる事でも?」
今はどんな小さな事でも分かれば、とてもありがたい。
「いえ、今の子守歌。それに、父親の大きな蟻の話。これは、どちらも、エルフロント王国北部地方のものです」
ふーん。そうなんだ。
「北部地方ですか? でしたら、おかしくありませんか?」
デドルの言葉を聞いたアシリカが首を傾げる。
えっと、どういう事? 何がおかしいの?
「いいですかい、まずはレイボーン家。その所領は西部にあります。また、マリシス様ご自身、エルカディア生まれのエルカディア育ち。亡くなってはおりますが、そのご夫君もエルカディアの出身の貴族だったはすです」
きょとんとしている私にデドルが説明してくれる。
「つまり、北部地方とは、何の繋がりも無いという事ですわい」
あー、そういう事か。うんうん、確かに変ね。ソージュの両親は、子守歌や叱り方から北部地方の出身だろう。でも、レイボーン家には北部に縁が無いわけか。
「だったら、ソージュはレイボーン家とは無関係ってこと?」
「これだけで断言するのはどうかと思いますが、可能性は下がったかと」
アシリカが頷く。
そうだよね、元々の根拠があまりにも弱すぎるもんな。雰囲気と勘だけだもん。よくそれだけの理由で、あそこまで頑なにソージュを引き取ろうとしたもんだな。あの時は気が動転してたけど、今、冷静に考えればおかしいよね。
「私、あの人と関係ないデスカ?」
ほっとしたような、それでいてどこか寂しそうなソージュが私を見上げる。
「ソージュ……」
変に言葉を濁すのはソージュの為にはならないだろう。そもそも、彼女自身も状況がよく分かっているはずだ。頭のいい子だから。
「可能性は低いと思うわ」
答えた私の手をさらに強く握りしめるソージュ。
私も辛くなってくる。私の側に来て約二年。やっと落ち着いて暮らせていたのにどうしてまた、こんな目に遭わなければならないのか。ソージュにしたら、複雑な気持ちなのだろう。おそらくどこかで、血縁の者が居る可能性がある事に嬉しさもあったに違いない。
「レイボーン家に乗り込むわ。はっきりとさせましょう。ソージュにこんな思いをさせるなんて許せないわ」
そんなソージュを見て、私の中にふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「お、お嬢様。さすがにそれはどうかと。お気持ちは分かります。私だって、腹立たしい思いでいっぱいです。ですが、まだこちらとて明確にソージュがレイボーン家の血を引いていないという証拠があるわけではございません」
アシリカが慌てた様子で私を止める。
「何でよ? ソージュの本当の両親は北部の出身に間違いないわ。それで十分じゃない。勘やあんな絵姿よりはよっぽど根拠があるわ」
「まあまあ、お嬢様。落着いてくださいな」
興奮する私をデドルが窘める。
「これが落ち着いていられる? ソージュをこんなにも苦しめているのに」
隣にいるソージュの様子を見てたら、ますます腹が立ってきた。
「へい、それは分かりやす。ですが、よく考えたらおかしいと思いやせんか?」
デドルが普段よりゆっくりと私に話しかける。
「レイボーン家がおかしいのは、初めから分かっているわ。まともな根拠も無しにこんな事に巻き込むのだから」
「そうです。レイボーン家はおかしい。今回の申し出にはかなり無理がありやす。仮に意図して偽りを述べているにしても、あまりに稚拙」
そうよね。もっと調べれば、どんどんボロが出てくると思う。
「なのに、いきなり屋敷にまで当主自ら乗り込んで来て、ソージュを引き取ろうとする。何やら、裏があると思いやせんか?」
「裏……、ね」
言われてみればそうかもしれない。よく似てる、と思うまでは分かるが、孫娘であると確信を抱くまでは、ならないと思う。だったら、何か事情があるのだろろうか。まあ、あったとしても、許し難い行為だけれどもさ。
うーん、と考え込みながら歩くうちに、ソージュがかつて暮らしていた家の前に戻ってきた。見ると、扉の前に一人の男が立っている。その身なりからは貧民街の住人ではなさそうだ。
「タダとは言わん。これで、どうだ?」
気怠そうに家から顔を覗かせていた中年女性の顔が明るくなる。男が差し出しているのは、銀貨のようだ。
「分かったよ。ここにかつて高貴な人が住んでいたって言えばいいんだね?」
男の顔ではなく、受け取った銀貨から目を離さず女性は頷く。
「そうだ。誰に聞かれてもだ。頼んだぞ」
私たちは、思わず家の脇にその身を隠して、二人のやり取りをじっと見つめる。
私たちに気付くことなく、その男は両隣の家にも銀貨を渡すのと引き換えに同じ依頼をしていく。
随分きな臭くなってきたね。あの男は初めて見る顔だが、何者だ?
だが、これではっきりした。あの男の素性は知らないが、やっている事は裏工作だ。それは、明らかにソージュの親の出自の偽装である。
「噂を作るにしても、やり方が素人ですな」
呆れた様にデドルが呟く。
プロのやり方ってどんなものなのかしら。それはそれで気になる。
「しかし、これで完全にソージュがレイボーン侯爵家の孫娘というのはまったくのでたらめという事がはっきりしましたね。何故その様な事を言い出したのかは、謎のままですが」
アシリカも眉をひそめて男を見つめる。
そうね。このタイミングで噂を作ろうとしているあの男はレイボーンの家の関係者と見て間違いないわね。
「簡単よ」
私はアシリカを見る。
「あの男に聞けばいいわ」
そう言うやいなや、また別の家へと向かおうとしている男の前に私は、立ちふさがる。
「ん? 何だ?」
訝し気に私を見る男。
「少し伺いたい事がありまして」
私は鉄扇を取り出し、口元を隠す。
「はあ? いきなり何だよ。見たところ、貧民街のモンじゃないようだけど……。あのよ、俺は今忙しいんだよ。アンタみたいな小娘に――」
男の顎を鉄扇で突き上げる。
「あなたが忙しいかどうかなど知りません。私の問いに答えればいいのです」
強引だが、今はそんな事を構っていられない。
「おいっ。いい加減に――」
男の周りをアシリカ、ソージュ、デドルの三人が取り囲み、またもや男の言葉は遮られる。デドルの手には短刀が、アシリカの手の平の上では小さな火球が踊っている。
「素直に答えてくれるかしら?」
私は行動とは裏腹に笑みを浮かべて確認する。
「な、何なんだよ、一体」
顔を青くして、男は両手を上げる。
「最初に質問よ。あなたはレイボーン家の人間かしら?」
「そ、そうだよっ。だったら、何だっていうんだよっ」
あら。意外にもあっさり認めるのね。
「二つ目。ここで何をしているのかしら?」
「俺は言われた通りにしているだけだ。あそこの家に高貴な方が住んでいたって噂を広めろってな。なあ、もういいだろ? 俺も命令されただけなんだよ」
まだ聞きたい事はある。ペラペラと話してくれそうだし、聞きたい事はすべて聞いておこう。
「次。その命令をしたのは誰?」
「ビーゼル殿だ。うちの執事をしているビーゼル殿だ」
ほう。あいつか。随分と私に喧嘩腰だったヤツだ。
「何故、こんな事をしているのかしら? 理由は?」
「知らねえよ。だから、俺は言われた通りにしただけだっ。俺みたいな下のモンは理由なんて聞かされてねえよ」
うーん。ここまでかな。確かに、ちょっと脅されて何でもすぐに話してしまう所は、いかにも下っ端ぽいもんね。
「この命を受けた時、他に誰かいたか?」
今度はデドルが尋ねる。
「ああ。レイボーン領の鉄鉱石を取り扱っているリドルさんがいた。金もリドルさんから貰った」
益々、きな臭い。何やら良からぬ匂いがプンプンするな。
「なあ、もういいだろう? 頼むよ。知っている事はすべて話した。もう帰らせてくれよ」
男は情けない声で懇願してくる。
「そうねぇ……」
私は考え込む。
「ねえ、さっきも言ったけど、あちらに乗り込むのはまだ反対?」
アシリカに尋ねる。
「止める気はございません。私も腹に据えかねている所もありますし。お嬢様がお望みなら、お供いたします」
手の平に発動している火の玉を収め、その目を鋭くして答える。
「ソージュはどう?」
今度はソージュに尋ねてみる。
「お仕置き、デス」
「あら。私たちって、やっぱり気が合うわね」
私はクスクスと笑い声を立てる。
「ずっと一緒にいると、似てくるものなのね。似た者姉妹みたいにね」
ゆっくりと、アシリカとソージュの顔を見ていく。
二人も大きく頷いてくれる。
「決まりですかい?」
「ええ」
デドルに頷く。
「さあ、行きましょうか」
私の大切な人を苦しめた罪、しっかりと償ってもらうわよ。