56 予期せぬ来客
寒さが日に日に厳しさを増し、朝、ベッドから出るのがイヤになってきた頃である。寒いものの、まとまった雪が降らず、雪合戦が出来ないのが残念であるが、もし、大雪となっても今のサンバルト家では、それどころではないだろう。
なぜなら、エリックお兄様の婚儀がこの春に執り行われる事が正式に決定し、その支度で大忙しなのだ。サンバルト家の長男に相応しい婚儀をと、屋敷総出で準備に勤しんでいた。
そんな慌ただしくも、婚儀を待ち遠しく感じていたサンバルト家に予期せぬ事態が起こったのだ。
それを持ち込んだ張本人が、テーブルを挟んで正面に座っている。
年は七十を超えているらしいが、そのピンと伸びた背筋からは老齢を感じさせられない。目からはその人の強気な性格が伝わってくる。一方で、白髪というより、銀髪と言った方が合っている美しくしい頭髪は、他を圧倒する気品を放っているようだ。
彼女は、レイボーン候爵家、マリシス・レイボーン様。
私の左にはお母様が、そして右側にもう一方の当事者であるソージュが落ち着きなく腰掛けていた。
「当家としましては、速やかにソージュ様にお戻りして頂きたいのです」
レイボーン侯爵家の執事を名乗った、マリシス様の隣に座るビーゼルという男である。
レイボーン侯爵家が持ってきた話とは、ソージュが、マリシス様の孫娘である、という驚愕に満ちたものだった。そして、すぐにでも、ソージュを引き取りたいと、マリシス様自らサンバルト家へと来られたのだ。
「レイボーン侯爵家の唯一のお血筋であるソージュ様をナタリア様の侍女のままという訳にはまいりませんので」
そう言うビーゼルさんは、私を疑いが込められた目で見る。我儘ナタリアの噂を気にしているに違いない。
私が酷い仕打ちをソージュにしているとでも言いたいのかしらね。失礼だわ。
「ご用件は承りました。ですが、俄には、信じがたい事でして」
後ろに控えているガイノスが口を挟む。彼の言い分はもっともだ。
そもそも何故、ソージュをレイボーン家の孫娘であると主張しているかというと、夜会で私が連れているのを見たのが、きっかけだという。マリシス様の娘にそっくりらしい。ロケットペンダントに入れられたその娘さんの描かれた絵を見せてもらったが、古い上に小さくてよく分からない。かろうじて、ソージュと同じ栗色の髪の毛が同じなのと、言われてみれば雰囲気が似てるかな、というくらいである。
はっきり言って、これが証拠ですと出されても、困るなというレベルのものである。
そのマリシス様の娘のイリスさんは十五年以上前に駆け落ち同然に家を飛び出して、それ以来音信不通となっているらしい。
「これだけでは、不確かだと思われるのは仕方ありません。イリス様が屋敷を出られた時に、お姿を描いたものはほとんど処分されてしまってしまったもので……」
ビーゼルさんがガイノスに言いにくそうに話す。
「しかし、祖母であるマリシス様もソージュ様がお孫様であると確信を持たれております。血の繋がりの勘、とでも申しましょうか」
うーん。真実は分からないが、根拠としては、弱いよね……。そりゃ、天涯孤独と思っていたソージュに身内が出てきた事は喜ばしいし、本人が望むなら私は彼女の意思を尊重するつもりだ。だけど、あまりにも話が曖昧過ぎる。
「一刻も早く、ソージュ様をお返しして頂きたく願います」
譲れないとばかりにビーゼルさんは語気を強めた。マリシス様は、最初の挨拶をしてから黙ったままだ。表情に変化も無い。
どうしよう。隣のソージュも不安そうだ。突然の来訪であったこともあり、お父様やお兄様たちは仕事で屋敷にはいない。
「それはなりませんね」
じっと黙っていたお母様が口を開く。
「ソージュは当家の侍女。しかもナタリアの専属です。娘や本人の意思を無視してお渡しするわけにはいきませんわ」
え? お母様、どうしたの? 随分と毅然としてるけど。真っすぐにマリシス様の目を見据えている。
「ソージュ。あなたはどうなの?」
お母様がソージュに尋ねる。一転していつもの、のんびりとした雰囲気に戻る。
無意識にだろう、ソージュは私のスカートをぎゅっと握りしめて俯いてしまう。
無理もない。突然過ぎて頭が追い付かないのだろう。私だって同じだ。
「サンバルト家は当家の世継ぎを渡さないと申されるか? いくら三公爵家の一角とはいえ、非道ではありませんか?」
何だ、こいつ。それじゃあ、まるでこっちが悪いみたいじゃないか。
「ビーゼル、よしなさい」
冷たくの感じるマリシス様の声が部屋に響く。
「突然訪問した私たちも非礼でした。今日の所は失礼させて頂きますわ」
すっと立ち上がり、マリシス様は一礼する。その礼は私でも分かるくらい、貴族の淑女としては申し分のないものであるのが、どこか冷たさも感じる。
「ですが、近日中には必ずその子は引き取らせて頂きます。サンバルト卿にもよしなにお伝えくださいませ」
「お待ちくださいっ!」
思わず叫んでしまう。ソージュは物じゃない。意思のある人間だ。さっきから聞いていれば、向こうはソージュの意思を気にもかけていない様に思える。
「事実がどうかは別にして、マリシス様は孫娘かもしれないソージュに一度も声を掛けておられません。もし、本当に孫娘であるならば、まずは声を掛けるべきではございませんか? それが肉親の情ではないのですか? あなたからはそれが感じられません」
彼女は屋敷に来てから一度もソージュに話しかけていない。それどころか、碌に目も合わせていない。
「いくら王太子殿下のご婚約者とはいえ、レイボーン家の当主である我が主にその様なお言葉、無礼ではございませんか?」
もう呼び捨てでいいや、ビーゼル、あんたに聞いてないわ。出しゃばり過ぎよ。
私の言葉にマリシス様は私をじっと見つめる。
「無礼はどちらですか? 突然の訪問に加え、明確な証も無しに、当家の侍女を引き取りたいなどの言葉。その上、ナタリア様に対してのその発言、レイボーン侯爵家のなさる事とは思えませんな」
「ガイノス。控えなさい」
口調に少し苛立ちが入ったガイノスをお母様が制する。
「……申し訳ございません。出過ぎた真似でございました」
ガイノスが謝るが、その眉間には深い皺が刻まれたままだ。
「……失礼しますわ」
もうお一度礼をして、マリシス様は部屋から出ようとしたが、ふと扉の前で立ち止まる。
「グレース嬢。いえ、サンバルト夫人。ご立派になられましたね」
振り返ったマリシス様がお母様へと顔を向ける。
「……それと、噂というものは当てにはならないものですわね」
今度は私の顔を見る。
そのまま、さっと踵を返して部屋から出て行ってしまった。後をビーゼルが追いかけるが、部屋を出る前に私を睨んだ気がする。
「ソージュ」
静まり返った部屋でお母様が立ち上がり、ソージュの前にしゃがみ込む。
「私もリアもあなたの味方。この屋敷の者は皆あなたの家族だから。時間をかけていいから、よく考えて答えを出してね」
いつでも相談に乗るわよ、と付け加え、最後は朗らかな笑みを浮かべ、ソージュの頭を撫でる。
冷え切っていた部屋の空気が少し暖かくなった気がした。
デドルの小屋である。
あれから部屋に戻ったが、思案しても何も考えられず、ソージュも思い詰めた顔となったまま、いつもの様に侍女として動いていた。アシリカもそんなソージュを心配そうに眺めるだけで、掛ける言葉が無い様だった。
そこで、気分転換とデドルにも相談しようとやってきたのだ。
「なるほど……」
流石にデドルも今回の話には驚きを隠せず一言、そう呟くだけが精一杯といった感じである。
「ねえ、レイボーン家ってどんな家なの? それと、あのマリシス様ってどんな人なのかしら?」
他の貴族に疎い私だ。レイボーン家もマリシス様も初めて聞く名前だ。
「古くからの名門ですが、それよりあのマリシス様ですな。女当主として有名な方でして……」
先代のレイボーン侯爵には男児が生まれなかった。唯一生まれたのが、マリシス様。その彼女が婿を取り、女当主となったそうである。女であるから、政治には関わらなかったが、その代わり、社交界での大物となった。様々な分野のサロンを主催し貴族の子女に影響を与え、夜会などのパーティーを毎夜開き、彼女に嫌われたら社交界では生きてはいけないとまで言われる人物となったそうだ。
同時に、礼儀作法に造詣が深く、多くの貴族令嬢に教えを授けてもいるらしい。お母様も若い頃、彼女から学んだ令嬢の一人だそうだ。
もっとも、五年程前に社交界を引退し、それ以降は自らの屋敷でひっそりと暮らしているみたいであるが。
「毎晩パーティーに、趣味のサロンの開催。レイボーン家ってお金あるのねぇ」
羨ましいな、という思いが顔に出たのか、アシリカに睨まれる。
「レイボーン家の所領は、鉄鉱石の採掘が盛んでして。それによって、莫大な利益を得ておりますから」
鉱山か。そんなに儲かるものなんだ。
でも、逆に考えると、そんな家に迎え入れられるのも決して悪い話ではないとも思える。普通に考えれば、ものすごいシンデレラストーリーである。
「ふーん。でも、本当にソージュはマリシスさんの孫なのかしらね。あんな理由では、信じられないわよね……」
マリシス様から、ソージュへの愛情の様なものは感じられなかった。そこが、一番、引っかかっている。
「ソージュ。あなたはご両親の事で覚えている事はない?」
幼くして孤児になっているソージュには酷な質問であるのは分かっているが、今回ばかりは聞かざるを得ない。
「父親はお酒ばかり飲んでまシタ。母親は体、弱かったと思いマス。私が六歳の時、二人とも流行り病で無くなりまシタ」
表情を変える事なく、淡々と話す。
六歳から私に出会うまでずっと一人だったのか。思わずソージュを抱きしめたくなるのをぐっと我慢する。
しかし、これだけでは、ソージュの母親がレイボーン家の娘であったか分からない。何か残された形見の品でもないか聞いてみたが、ソージュは首を横にふるばかりだ。
「ソージュはどう? マリシス様を祖母だと思いましたか?」
八方塞がりだとばかりに、黙り込む私に代わり、アシリカが尋ねる。
「……分からない」
しばらく考えた後、ソージュは小さく呟いた。
「何も、分からない……」
もう一度呟き、俯いてしまった。
「ソージュ、ごめんなさい。難しい質問でした。そうよね、悩んで当然だものね」
珍しくアシリカが取り乱している。それだけ彼女もこの状況に困惑しているのだろう。無理もないけど。
「どうですかい? 一度、ソージュの暮らしていた貧民街に行ってみては? 何か分かるかもしれやせん」
デドルの提案である。
なるほど。かつてソージュが暮らしていた貧民街に行けば、彼女の両親の事が分かるかもしれない。
「ソージュ、どうだ? 行ってみるか? 辛い思いでもあるだろうし、イヤな話を聞く可能性もある。それでも、行っていいか?」
そうか、そうだよね。もしかしたら、余計にソージュが傷つく可能性もあるのよね。
「もしも……」
ソージュが私を見る。
「……もしも、私があの人の言う通りだったら、お嬢サマから離れスカ?」
普段は無口で、たまに口を開くと毒を吐く事の多いソージュ。滅多に心の内を表に出さないソージュ。そんな彼女の目が光っている。涙だ。
「ソージュ。よく聞きなさい。お母様が言ってたでしょ。私はいつも、何があってもソージュの味方」
私はそっとソージュの体を抱きしめる。
「いつもソージュが私を守ってくれるように、私もソージュを守る。誰が敵であっても、守ってみせる」
ソージュもアシリカも姉妹の様に思っている。私は私の大好きな人たちを守る。
「私もですよ、ソージュ」
アシリカも私に抱きしめられているソージュのおかっぱ頭を優しく撫でる。
「居たいデス。一緒に居たいデス。お嬢サマの側が一番デス」
振り絞る様に泣きながら声をソージュは出す。
「なら、決まりですな。貧民街に行って、ソージュがレイボーンの者でない事を確かめればいいです」
デドルが立ち上がる。
「ええ。行きましょう。いいよね、ソージュ」
「ハイ。デスが、いいのデスカ? サンバルト家に迷惑、かかりまセンカ?」
私の胸から顔を離し、ソージュが見上げてくる。
「馬鹿ね、そんな事気にしないの。私を誰だと思ってるの?」
私も立ち上がり、胸を張る。
「ナタリア・サンバルトよ。どんな困難も突き破ってみせるわよ」
そんな私を見て、やっとソージュの口元が緩む。
「お嬢サマらしいデス」
「そうですね。お嬢様なら何でも出来そうな気がします。無理やりにでもね」
アシリカからも笑みが零れる。
「いいじゃない。無理やりでも何もせずに諦めるより、よっぽどいいと思うわよ」
うん。いつもの雰囲気に戻ってきたね。やっぱりこうでなくちゃね、私たちは。
「安心デス……」
そう言って、ソージュも立ち上がる。
「じゃあ、行きますか」
私は、気合十分で皆を見回した。