54 この紋章に誓って許しません
あー、どうしよう。
扉一枚隔てた先にはエリックお兄様。その扉をメリッサさんは開けようとしている。そして、あそこ以外に外へ出られる扉は無い。
ウサギのぬいぐるみを抱きしめ、周りを見回す。
視線の先に箱が散乱している納戸が見える。取り合えず、あそこに隠れよう。納戸の扉を閉めれば、部屋にお兄様が入ってきても、気づかれないはずだ。
私は一目散に納戸に駆け込む。アシリカとソージュにも納戸に入るように手招きして知らせる。アシリカとソージュも納戸に入り扉を閉めるのと、メリッサさんがエリックお兄様を招き入れるのは同時だった。
危なかった。今までで一番機敏に動いたかもしれない。
「あら、どこ行ったのかしら?」
メリッサさんの声が聞こえる。そりゃそうよね。突然、私たち三人が消えたのだから驚くよね。
「メリッサ。仕事で商店街に行ったついでに店を覗いたら、休んでいると聞いたのでね。やはり体の調子が悪いのかい?」
心配そうなお兄様の声も聞こえる。まあ、あのメリッサさんを見たら、誰でもそう思うよね。
「それに、どうしたんだい? 部屋も随分と散らかっているし」
うん、それも気づいて当然だと思う。
「いえ、何でもないです。それより、お仕事に戻られなくてよろしいのですか?」
「メリッサ。前も言ったと思うが、何かあったら私を頼ってくれないか。それとも私では頼りないかい?」
お兄様の声は心なしか寂しげに感じる。
「そんな事ありません。エリック様にはいつも支えられえております」
「ならば、この前の話、進めてもいいかな? 君を家族に紹介したいって話」
え? そうなの?
「それは、お待ちください。私は罪人の娘。エリック様には不似合いです……」
「気にする事はない。君は君だ。私も決心したんだ。例え、父上が反対しても私は君以外を妻にするつもりは無い」
お兄様、かっこいい! その覚悟、流石ですわ。それでこそ、私のお兄様です。もちろん、私もお二人の味方です。
「お願いです……。もう少し、もう少しお待ちください」
か細いメリッサさんの声。沈黙に包まれる。納戸の中にまで気まずい空気に支配される。
「……明日は休みだ。朝から来るよ。体の調子が良くなったらまた話そう。それまではゆっくりと休んでいるのだよ」
沈黙を破ったのは、お兄様だった。
「はい……」
小さく答えるメリッサさんの声の後、扉が閉じられる音がする。エリックお兄様が出ていったみたいだ。
うーん。どうしたものか。お兄様は結婚の意思が強いみたいだけど、メリッサさんの方が、躊躇しているのか。やはり、父親の事が気がかりなのだろうな。でも、冤罪の証拠を見つければ、一気に解決するよね。彼女もそれを考えているはずだ。
それと、問題はもう一つ。ここから出るタイミングが分からない。これも、どうしたものか。
思わず抱きしめたままのウサギのぬいぐるみを眺める。可愛いな。でも、首からぶら下げているこの笛、いわく付きなのよね。でも、本当に鳴らないのかな。
私は笛を手にして、吹いてみる。やはり、鳴らない。鳴らないというより、吹き込んだ息が入らない感じ。本当に鳴らないな。
ん? 何かおかしい。私はぬいぐるみからその笛を取り外し、天窓から差し込む光に翳す。やっぱり変だ。笛は空気の流れで音を出すもの。でも、この笛には、その空気が通る部分が無い。何かで埋まっている。その証拠に、天窓からの光を通さない。吹き口から覗き込んでも真っ暗だ。
私は納戸を見回す。何か細くて長い物……。
あった! 針だ。どのような物に使うのかはわからないが、普通のものより長い針がある。これなら、笛の穴を突けそうだ。
「お嬢様、一体、何を……?」
アシリカが小声で聞いてくる。
「まあ、見ててよ」
この笛はメリッサさんの父親が亡くなる直前から鳴らなくなった。その頃は、多分すでに、横領に嫌疑を掛けられていただろう。何か秘密や伝えたい事を記して残す。そして、それを隠す場所。伝えたい相手、信頼出来る人の大事にしているものに紛れ込ますのも一つの手だろう。しかも、こっそりと。いつか見つけてくれると信じて。
私はそっと笛の吹き口に針を刺していく。すぐに、何かに当たる感触がする。それをぐっと、力を込めて押し出す。すると、先端から、小さな木片が落ちた。それに続いて、細長く丸められた紙も落ちてくる。
丸められた紙をゆっくりと開けて、目を通す。
「なるほどね……」
やはり、メリッサさんの父親は冤罪ね。しかも罪を被せられた上でね。この隠されたメモには、それらの事実が書かれている。
どうやら、常にベルトに忍ばせた新たな鉄扇を使う時が来たようね。
私は、納戸の扉を勢いよく開く。
「ナタリアちゃん? 納戸にいたの?」
突然出てきた私にメリッサさんが驚いたいる。あ、隠れていたの忘れていた。ま、いいか、今更。
「ええ。早速何かないか、探してました。それより、さっきの方が私と同じ名前の妹のいるお兄さんですか?」
白々しい質問だとは自分でも思う。
「ええ。まあ……」
俯き、メリッサさんは口ごもりながらも頷く。
「結婚するのですか? メリッサさんはしたいと思っているのですか?」
真っすぐにメリッサさんの目を見つめる。メリッサさんの気持ちを聞きたい。
「正直に答えて」
真剣な私に少し驚きの表情を浮かべるメリッサさん。
「私が働き始めてすぐの頃に偶然会ったの。顔と名前は知っていた人だけど、そこまで親しくはなかった。優しい人でね。父を亡くし、全てを失った私に今までと変わらず接してくれた。そればかりか、いろいろと気に掛けてくださったの」
メリッサさんは、ぽつりぽつりと話し始める。
「そんな彼を私は好きになってしまった。彼も私の気持ちに応えてくれた。でもそれは、許される事じゃなかった。私は罪人の娘。彼はさる高貴なご身分。結婚どころか付き合う事さえも許されない。でもね、私はずるかった。身を引くべきなのに、彼に甘えてしまった……」
身を引くべき、ずるい女……。
「結婚したい。彼と一緒にいたい。でもね、それは許されない事……だった。さっきの話だけど、父の冤罪。これね、もちろん、父の無念を晴らしたいって気持ちもあるけど、本当は罪人の娘で無くなったら、彼と結ばれるかもしれないって思いもあった。父の為と言いながら、本当は自分の為。ずるくい上に、悪い女ね」
ああ、必死なんだ。愛する人と一緒になる為に必死なんだ。だから、ずるくも悪くもなるんだ。もしかしたら、王太后様も同じ気持ちだったのかもしれない。
「うん。私は彼と一緒になりたい。共に生きていきたい」
そう言って、私を見つめるメリッサさんの目は力が籠っていた。
「それが聞けたら、十分ですわ」
さあ、一気に、仕上げにかかりましょうかね。エリックお兄様の結婚問題と過去の横領事件の二つを一気に解決してあげるわ。
気合いを入れ直す私の耳にまたしても、扉を叩く音。もういい加減、慣れたね。
「メリッサ様」
やってきたのは、この前の人だ。元ファウド家の人か。七年も掛けてメリッサさんを探していた人ね。片膝を床に着いて、かつての主の娘の名を呼ぶ。
「いかがです? 見つかりましたか?」
鋭い目で、メリッサさんを見上げる。それに対してメリッサさんが力なく項垂れる。その様子に膝を付く彼も落胆の表情となった。
「いいえ。見つけたわよ」
落ち込む二人に笑顔を向ける。
「確か勤め先のお客さんと言っておられましたが……?」
「友人よ。それより、見つけた証拠はどうしますか?」
メリッサさんが返答する前に私が答える。
「それは、当時の上役であったジボット子爵家のバーナード様にお渡しする。詮議の上、メリッサ様のお父君の無念を晴らすのだ」
ふーん。そっかぁ。確かにメリッサさんのお父様は無念だったろうな。
私は机の上から日記を一冊手に取り、メリッサさんへと渡す。
「これのどこに証となる記載が? 何度も見たけど、どれも普通の日記だったわ」
メリッサさんが首を傾げる。
「ええ。一見普通の日記です。ですが、隠されたメッセージがあります。暗号とでも言いましょうかね」
「暗号? どこにそんなものが……」
メリッサさんはもう一度、日記を捲っていく。
「デモンズさんは分かりますか?」
「いいえ。私にもさっぱり……」
困惑顔になる二人。ごめんね。それ、嘘だから。暗号なんてないよ。あったとしても、私に分かるわけないしね。
「さあ、その上役の方の所に参りましょうか。その証拠の品を持ってね」
ベルトの上から鉄扇を撫でながらにやりと笑みを浮かべた。
サンバルト家に比べるとこじんまりとした屋敷である。これは、やはり爵位の違いであろうか。それでも、一般的な平民の家からは考えられない造りと広さではある。ここは、ジボット子爵家の屋敷である。
メリッサさんと共に着いたものの、応接室に通される事なく、庭へと案内されていた。日当たりの良いテラスがあり、テーブルと椅子が並んでいる。そこに白髪をした初老の男性がカップを持ち、座っていた。
「バーナード様。デモンズにございます。メリッサ嬢……とそのご友人をお連れしました」
何か、愉快な仲間たち扱いな紹介ね。
「ご苦労。で、見つかったか?」
こちらに一切視線を向ける事なく、尋ねる。
「は。これらしいのですが、どうも暗号とやららしく……」
机の上に一冊の日記が置かれる。
「暗号? で、何と書かれているのだ?」
「それ、嘘ですから」
私は一歩前へと進み出る。
「ですが、あなたが公金を横領し、そこにいるファウド家の元家令を抱き込んで、メリッサさんのお父上に罪を着せた事。それは事実ですわ」
「ナタリアちゃん? どういう事?」
信じられないといった顔でメリッサさんが驚愕の顔となる。
「何故そう思う?」
ここで初めてバーナードがこちらを向いた。非常に冷たい視線である。
「簡単ですわ。別で真実を記しているものを見つけたからよ」
「騙したのかっ!」
デモンズが怒りの形相となる。
「騙そうとしたのはそっちでなくて? そもそも、おかしいですわ。いくらこの王都が広いといえども、一人の人間を探すのに七年も掛かる?」
別にメリッサさんは隠れていた訳でもないのだ。
「主を裏切った当時に掴まされたお金が無くなり、舞い戻ってきたのでは? 実は証拠の品が残っているかもしれないとか言いながらね」
私の言葉にデモンズは顔を真っ赤にしながら、睨み付けてくる。どうやら、図星だったようだ。
私が笛の中から見つけた紙には、事細かにバーナードが公金を横領した方法や金額が記されていた。家令にのみ、事実を伝え、調査を手伝わせている事も記されていた。
しかし、真実を白日の下に晒そうとした時、その家令に裏切られ、濡れ衣を着せられたのだ。情報が洩れるといたら、その家令であったデモンズしかいない。
きっと、メリッサさんのお父様は万が一を考え、笛の中にあの書置きを残したのだろう。
「そんな……」
一方のメリッサさんはショックを受けて。言葉を失っている。
「デモンズ……」
じっと黙って聞いていたバーナードが立ち上がる。
「やはりお前は使えん奴だな。まあ、いい。元からこうするつもりだったしな。お前もろともな」
バーナードが右手を上げると、さっと五人ばかりの男が庭へと乗り込んできた。それぞれ手には剣を持っている。
「ど、どうして――」
デモンズが我先にと逃げ出そうとするが、背後から一刀の元に切り伏せられる。
これが、自業自得ってヤツかしらね。見てて、いい気はしないけど。
「どういうつもりでここに来たかは知らんが、お前たちも死んでもらおう」
眉一つ動かすことなく、冷酷な目でデモンズが私を見ている。
「私の命を奪うですって? まあ。怖いこと」
私は鉄扇を取り出し、口元に添える。
「大切な公金を横領したばかりか、それを暴こうとした正しき者に罪を被せる。それだけでも許される事ではありませんのに、さらに悪事を重ねるとは、見過ごせません」
鉄扇をバーナードに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をバーナードに送る。
「……やれ」
バーナードが男たちに告げる。
「アシリカ、ソージュ、お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
駆けだす二人を見送り、私はメリッサさんの前に立つ。彼女は私がお兄様に代わって守らなければならない。
アシリカは得意の氷の礫を次々に向かってくる男たちに繰り出す。ソージュは飛び上がると、アシリカの出す氷の礫に気を取られている男の顔に飛び蹴りを食らわす。蹴られた男はそのまま、仰向けに倒れ込む。続けざまにすぐ隣の男に掌底を放つソージュの背後から、剣が振り下ろされる。
「ソ、ソージュ!」
私が叫び終わる前に、剣を振り下ろしていた男がバタリと倒れる。デドルだ。手に持つ短剣をさっと払っている。
良かった。ソージュは無事ね。デドル、助かったわ。ありがとう。
ソージュに気を取られていた私の前に一人の男が飛び出してきた。
「死ねっ!」
振り下ろされた剣を鉄扇で受け止める。だが、鉄扇は傷一つ付いている様子はない。さすが、天空石を使った鉄扇ね。
「あなたみたいな者にやられる私ではありませんわ」
腰を落として、男の腹に鉄扇を打ち付ける。うめき声と共に男はうずくまる。
見ると、すでに立っているバーナードの部下はいない。氷の礫に埋まった男たちが見えるばかりである。
「き、貴族に向かってこの所業が許されると思っているのか!」
バーナードはさっきまでの落着きをすっかり失い、貴族らしからぬ怒鳴り声をあげている。悪人って、追い詰められると怒鳴るものなのね。
「許されないのは、あなたの方よ。私は、この紋章に誓ってあなたを断じて許すことは出来ませんわ」
手にしていた鉄扇をすっと開く。現れたのは、扇面に描かれた白ユリの紋章。
「白……ユリだと」
バーナードは大きく目を見開く。
「白ユリの紋章を前にして控えぬとは無礼ではありませんか。この方は、サンバルト公爵家令嬢、ナタリア・サンバルト様にございます! あなたのその振舞い、許されるとお思いかっ!」
隣に立つアシリカが、鋭く言い放つ。
「ナタリアちゃん? え? エリック様の妹? え?」
白ユリの紋章を見たメリッサさんも動揺に近い驚きを見せている。
ごめんなさいね。黙ってて。メリッサさんにウインクを送る。
「ジボット卿。いえ、バーナード。あなたは無実の人に罪を着せるだけでなく、その家族にも辛い思いをさせたのよ。それがどれだけ罪深い事がよく考えなさい」
膝から崩れ落ちたバーナードを見下ろし、打って変わって冷たい目を向ける。
「終わりだ……。すべて終わりだ」
真っ青な顔となり、この短時間ですっかり老け込んだように見えるバーナードは全身をガタガタと震わせながら呟いていた。
「メリッサさん」
あまりにも立て続けに驚いたせいか、呆然となっているメリッサさんに再び微笑みかける。
「お父様のご無念、晴らしました。これで、心置きなくエリックお兄様の元へ嫁いで頂けますか?」
「ナタリア様、ありがとうございます。本当にありがとう」
涙を浮かべ、私に抱き着くメリッサさん。
「お礼など必要ありませんわ。だって、私のお義姉様になってくれるのでしょう?」
口止め工作と事後処理をデドルがしている中、私は泣きながら抱き着いているメリッサさんの背中をそっと撫でていた。