53 まずい状況です
メリッサさんの家にお邪魔してから二日。
あれから、メリッサさんなの事ばかり考えている。彼女には、どんな事情があるのだろうか? あの時、訪ねてきたデモンズさんの話の内容も気になる。
エリックお兄様には特に変わった様子が見られないので、普段通りの生活を送っていると思うのだけど。
「どうかしましたか? 今日は物思いに耽っていることが多いようですが、何かありましたか?」
正面に座っておられる王太后様が心配そうに私を見つめているのに気づく。
「も、申し訳ございません」
今日は、王宮に伺う日。いつもの様に、レオと剣術の稽古をした後のお茶の時間である。
「謝る必要はありませんが、何か悩みでもあるのかと心配になりましたから」
これは悪い事したな。この環境に慣れたせいもあり、気を抜いてしまっているみたいね。反省だわ。
「今日は俺をなかなか倒せず、ショックでも受けたか?」
最近、稽古後のお茶にも参加するようになったレオがニヤリと笑う。 初めて会った時と比べて表情も豊かになったわね。
でもさ、それ自慢気に言っているけど、結局は打ちのめしたじゃない。しかも、メリッサさんの事が頭から離れずにいまいち集中出来なかっただけですけど。
「いえ、悩みという程ではないのですが……」
少し王太后様に聞いてみようかな。でも、聞こうとしている事は王太后様に対して失礼なような気もするけど、いいのかしら。ちなみに、レオの方はスルーだ。
「どうしましたか? 私で良かったら、何でも聞きますよ」
柔和で優しい王太后様の笑顔。お言葉に甘えてみよう。
「あの、一つお伺いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「ええ。構いませんよ」
「王太后様はどうやって、先代様と結婚なさったのですか?」
「まあ、私の結婚ですか」
意外な質問だったようで、王太后様は目を丸くされる。
「そういえば、俺も聞いたことがないな……」
レオも興味ありげに身を乗り出す。
「こんな年寄りの昔話を聞いてどうするつもりですか? 面白いものではありませんよ」
期待の籠った目の二人に王太后様は苦笑されながらも、仕方ないとばかりに首を横に振り、話し始めてくれた。
「陛下と、先代様と初めてお会いしたのは、コウド学院でした。二人も知っているとは思いますが、学院には平民もおります。特別優秀な者、有力な商家の出の者などです。私もそんな一人でした」
王太后様は懐かしい過去を思い出すかのように、遠い目をされている。
「そんな二人が出会い、いつしか恋に落ちたのです。ですが、身分に差があり過ぎました。私も先代様もそれはよく分かっていました。私も何度も先代様の事を諦めよう、忘れようと思いました」
そこで、王太后様は空を見上げる。
「ですが、無理でした。いえ、私が悪いのです。本来なら、身を引くべきなのに、先代様のお言葉に甘え、それが出来なかった。悪い女でした。ずるい女でした」
儚げな笑みを浮かべて交互に私とレオの顔をご覧になる。
「でも、それだけ先代様の事を愛していたのです。身分など忘れるくらい。きっと若かったのですね」
少し照れた顔の王太后様は、とても可愛らしく感じた。
「素敵です……」
思わずうっとりと王太后様を見つめ、言葉が漏れる。まさに、純愛ではないか。身分を超えた二人の愛。まさに女性の憧れだよね。
ま、私はそれを妨害するポジションの人間だけどさ。
「うーむ。おじい様は情熱的な方だったのだなぁ」
「もう。年寄りにこんな話をさせないでくださいな」
顔を赤らめた王太后様。照れ隠しか、口をとがらせる。
こんな王太后様を見るのは、新鮮だね。
しかし、やっぱり王太后様はすごい人だな。きっと、周囲からの反対もあっただろうに、負けずに結婚したのだから。愛の力ってすごいのね。
でも、エリックお兄様とメリッサさんはどこで出会ったのだろうか。彼女が貴族もしくは、それに準ずる人だったのなら、コウド学院かもしれないわね。確か、メリッサさんは二十三歳。イグナスお兄様の一つ上か。当時学院に通っていた人なら何か知っているかもしれないけど。まさか、イグナスお兄様に聞くわけにもいかないよね。と、なると……。一人いたわね。
帰り道に寄る場所が出来たな。
「で、何のご用ですか?」
騎士団本部の前である。勝手にカレンさんの名前を使ってリックスさんを呼び出していた。ごめんなさい、カレンさん。今回だけだからさ。
「いえね、ちょっと聞きたい事がありまして……」
「あのですね、ナタリア様。また、騒動に首を突っ込まれているのですか? この前も驚きました。賭場なんて場所に呼び出されたかと思うと、あの有様です」
私が本題に入る前に、リックスさんは顔を顰める。
「私がこんな事を申し上げるのも、いかがとは思うのですが、ご自分のお立場を分かっておられますか? 万が一があったらどうされるおつもりか」
説教が始まったよ。どうして、私の周りには説教好きが多いのかしらね。
「まあまあ。まずは私の話を聞いてください。リックスさんはコウド学院に通ってましたよね?」
強引にリックスさんの説教を断ち切って、私は尋ねる。不本意そうにしながらもリックスさんは頷く。
「一学年先輩になると思うのですが、メリッサさんという方をご存じありませんか?」
「メリッサだと?」
リックスさんの眉間に皺が寄る。
「ええ。家名はおそらく、ファウド」
リックスさんは腕を組み、難しい顔となる。
「やはり、また何かに首を突っ込んでいるのですか。しかも、随分昔の出来事ではありませんか」
昔の出来事? 一体、どういう意味だろうか。この様子からは、メリッサさんの事を知っているみたいだ。過去に何があったのかしら。
「詳しく教えてちょうだい」
リックスさんは肩を落とし、諦めの表情で首を振り、話し始めてくれた。
メリッサさんはやはり貴族だった。男爵家の娘。爵位は低いものの、その美貌と温厚な性格で学院でも人気だったようだ。そんな彼女の人生が一変する出来事が起こる。官吏として王宮に努めていた父親の男爵が公金の横領をしたのだ。そして、詮議中に病死。家は取り潰され、メリッサさんも罪人の娘として、学院を去った。
「学院を出てからは何をしているかは知りません。私自身、直接面識があったわけでもありませんし……」
なるほど。やはり元貴族だったのか。そして、エリックお兄様との結婚が進められないのも理解出来たね。平民というだけならまだしも、罪人の娘だ。さすがに、これはかなりハードルが高い。
「メリッサさんだけど、学院にいた時にお付き合いをしていた人は?」
「いえ。私の知る限りではいなかったと思います。かなり有名な方でしたから、そんな人がいたらすぐに噂になっていたはずです」
うーん。じゃあ、いつからお兄様とお付き合いをしていたのかしら。それとも、秘密にしていたのかな。
「あの、ここまで話しておいてなんですが、何をされるおつもりか? 場合によってはイグナスに相談しなければなりません」
ああ、そうだったな。イグナスお兄様と仲が良かったもんな。ここは、しっかりと口止めが必要ね。
「まあ。騎士ともあろう方が、受けた恩をお忘れかしら? ジョアンナさんを助けに行ったどこかの騎士さんがあっさり捕まって、それを助けたのはどこの誰だったかしら?」
あの時の恩をここで使わせてもらおう。ちょっと、卑怯な気もしるけど、この際仕方ない。
「あ、あれは、やむを得ずに……、あー、もう! 今回だけですよ」
悩まし気に頭を掻いて、私から目を逸らす。
「ありがとうございます」
「そう言えば……」
満面の笑みで頭を下げる私に、リックスさんが何かを思い出したようだ。
「カレンと義弟のエネル君は最近どうなっていますか? カレンに聞いても、何も言わないもので……」
いや、義弟って気が早いわね。エネル先生が聞いたら喜びそうだけど。気の合う義兄弟になりそうな二人だな。
「うーん。相変わらずって感じじゃないですか」
最近も会っているようだが、これといった進展はないみたいだしね。
それに今、恋のキューピッドは別件で大忙しですから。そう。どんな過去があろうと、私は諦めない。絶対に二人を幸せに導いてあげるわ。
翌日、午前中の魔術の授業を終えた私午後からは商店街へと赴き、手芸店に来ていた。
「それがね、しばらく休みたいって」
父親の看病から帰ってきて、今日から店を再開している店主のおばさんが心配顔でメリッサさんの休みを教えてくれる。朝、店に来て、おばさんに伝えたそうだ。
「そうですか……」
「体調も悪そうだしね……。何かあったか聞いても答えないし……」
困った事があるなら力になるのに、と付け加えるおばさんの目は寂しそうにも見える。メリッサさんはここでも、大切に思われているのね。
突然の休み。体調も悪そうって、何があったのだろうか。やはり、こないだ訪れたデモンズさんが関係しているのかな。
よし。ここは、直接会うべきね。また、家にお邪魔してもいいって言ってたし。
「私、メリッサさんの所に行ってきます! アシリカ、道案内よろしく!」
おばさんに軽く頭を下げて店を飛び出した。
商店街を抜け、住宅街へと向かう。自然と早足になっている。メリッサさんに何かあったのかしら。エリックお兄様の様子は普通だったのに。気付いてないのかしらね。
さほど遠くないメリッサさんの自宅に着く。扉をノックすると、中からメリッサさんの返事が聞こえる。だが、その声には張りが無いように聞こえる。
「メリッサさん? 私です。ナタリアです」
「ナタリアちゃん?」
扉を開けて、出てきたメリッサさんの顔色は青白い。店のおばさんの言う通り、体調がすぐれなさそうだ。だが、それは病気という感じではない。
「お休みって聞いて……。あの、どこかお悪いのですか?」
むしろ、精神的に疲れてやつれているように見える。
「大丈夫。やる事があって寝る時間があまりなくてね。こんな所で立ち話も何だから、どうぞ入って」
優しい笑顔が痛々しく見えてしまうくらい目の下に隈が出来ている。
「お邪魔します……」
中に入って、私はもう一度驚いた。
前回お邪魔させてもらった三日前と比べて、部屋がずいぶんと散らかっていたのだ。綺麗に拭き上げられた机の上には冊子が散乱しており、床には、手紙の様なものも落ちている。
「この前はごめんなさいね。せっかく来てもらったのに」
「そんな事よりどうしたのですか? 一体、何が……」
言葉が詰まる程のメリッサさんと部屋の変貌である。
メリッサさんはゆっくりと、手芸品が飾られた棚の前に立つ。その中から、一番目立つウサギのぬいぐるみを抱きかかえる。初めて来た時にひと際目が引かれた首から笛をぶら下げているウサギのぬいぐるみだ。
「これね、私の母が作ってくれたものなの。亡くなる前、最後に作ってくれたものでね。母は手芸が好きな人だった。私の手芸好きは母譲りなの」
言われてみれば、そのウサギのぬいぐるみは随分年季が入ったものだ。
「この子が首から下げている笛は父が付けてくれたの。でもね、この笛、壊れているの」
そう言って苦笑するメリッサさん。
「付けてくれた父が亡くなってから急に鳴らなくなってしまったの……」
えーと、それはオカルト系の話なのかな。
「その父は罪を犯した人だった。私には未だにそれが信じられない。母が亡くなってから、再婚もせずに私と弟を育て、あんなにも優しかった父が罪を犯すなんて……」
メリッサさんは椅子に腰かけて、机の上にウサギのぬいぐるみを置いた。
「この前、ナタリアちゃんがいた時に来た人いるでしょ。あの人がね、もしかしたら、父が冤罪かもしれないって教えてくれて……」
冤罪? もし本当に冤罪なら、一大事よね?
「父が書いていた日記かメモに証拠があるかもしれないって聞いて。父は何でも書き記して残す人だったから」
なるほど。この冊子の山はメリッサさんの父親の日記帳か。見ると部屋の奥の納戸の扉が開けっ放しで、あちこち探し回ったのか箱の蓋が開けられ散乱したままである。
父親の冤罪を証明する為に必死に探していたのだろう。だけど、この様子では、まだ見つかっていないみたいね。
「じゃあ、頑張らないと。メリッサさんはお父様を信じているのですよね? ならば、絶対にあるはずですよ。冤罪を示す証拠がね。私も手伝います!」
これは、エリックお兄様の為でもあるが、何よりメリッサさんを助けてあげたい思いの方が強い。きっと、家の取り潰し以降、辛い目にあってきたはずだ。学院を追われ、住み慣れた屋敷も出て、弟を育てながら苦労してきたはずだ。もし、冤罪で、彼女の父親の無罪が証明出来たなら、少しはその苦労も報われるかもしれない。
「でも、こんな事にナタリアちゃんたちを巻き込む訳には……」
「何言ってるのですか。困った時はお互い様です。ね、アシリカ」
私は振り返り、アシリカを見る。
「その通りです。みんなで探しましょう」
アシリカの横でソージュも力強く頷いている。
「ありがとう。本当にありがとう」
メリッサさんは立ち上がり、目に涙を浮かべながら頭を下げる。
「さあ、頑張ろう! ボクも応援するよ!」
私は机の上に置いてあるウサギのぬいぐるみを顔の前に持ってきて、裏声を出しながら、ピンク色をしたその手を高く持ち上げる。
「ふふ、ありがとう。ウサギさん」
メリッサさんが笑ってくれた時、扉を叩く音が聞こえた。
「メリッサ! 私だ!」
おい、何で私が来るたびに別の来客が来るんだ、と思った私だったが、扉の向こうから聞こえてくる声に愕然とする。
この声はエリックお兄様だ。まずい。非常にまずい。こんな所で鉢合わせする訳にはいかない。
アシリカとソージュもさすがに焦っているらしく、私を見る。
「エリック様? こんな時間に? ちょっと待ってて。ナタリアちゃん」
私は扉を開けるのを待って欲しい。
扉に向かうメリッサさんの背中を見ながら、どうしようという言葉がぐるぐると私の頭の中を回っていた。