51 恋のキューピッド、再び参上です
貴族の娘は時に家と家の結びつきを強める為、または新たな縁を繋ぐ為、自分の意思とは関係なく、嫁ぐ事がある。これは、貴族の家に生まれたからには致し方ない事であり、義務でもある。それと同じ様に、貴族の息子に生まれた者にも責務がある。長男ならば、後を継ぎ、次男以下なら分家したとしても本家を助ける。そして家名を伝える為にも結婚をする。
女性なら、卒業後すぐから遅くとも二十歳までに結婚する。早ければ、十代のうちから婚約をしている。一方、男性の場合、二十歳から二十五歳くらいまでには結婚する。こちらも、遅くともそれまでに婚約をしているのが普通である。
ところが、である。うちの上のエリックお兄様は今年で二十五歳になったというのに、結婚どころか、婚約すらしていない。もちろん、縁談の話は数多くお父様の元に来ているらしい。しかし、どれもこれもお兄様は断っていた。
以前は、のんびりと構えてい両親であったが、さすがに今年に入ってからエリックお兄様に口を酸っぱくして縁談を勧めているようになっていた。
公爵家の跡取りで、あの美男子ぶり。しかも頭脳明晰の上、とても優しいあのお兄さまが、未だ結婚どころか、婚約すらしていないのは、あまりに不自然であった。
舞踏会などのパーティーでも女性からの人気があるという噂は耳にしているが、それに対してもうまく躱しているらしいのだ。
私とて、心配になってくる。
お兄様は、女性の好みがうるさいのだろうか? それとも、女性に興味が無いとか? どうして、あそこまで、縁談を避けるのかな。
妹としては、お兄様には幸せになって欲しいと願っている。
「エリック。侯爵家のご令嬢で良い方がいるのだが、一度会ってはみないか?」
夕食後の席で、お父様がエリックお兄様に見合いを勧めている。最近では毎週のように目にする光景である。
「父上。以前から何度も申し上げているはずです。今は仕事に集中したいのです」
エリックお兄様は、柔らかい笑みを浮かべながらも、きっぱりと見合いを断わる。
「でも、エリック。あなたも、もう二十五になるのですよ。仕事も大事ですが、家族を持つ事も同じく大切な事なのですよ」
二十五の子供がいる様には見えない、まだまだ若々しいお母様である。
「それは、分かっております。ですが、今はまだ家族を作るつもりはありません。それに、家族なら、父上や母上、イグナスに、こんなに可愛いリアもいます」
さりげなく、私だけに可愛いを付けるお兄様。
「だがな、エリック……」
「分かっていますよ。これでもサンバルトの跡取りの自覚はあります。いずれ、後を継ぐ子を設けなければならない事は承知しております」
困り顔のお父様に、お兄様は爽やかな笑顔のままだ。
「ですが、今はまだその時ではありません。父上、母上にはご心配をおかけしている様ですが、大丈夫ですよ」
そう言うと、お兄様は立ち上がり、お父様とお母様に一礼をして、ダイニングを出て行ってしまった。
エリックお兄様の対応は今週も変わる事は無かったね。
「はぁー」
珍しくお父様が大きなため息を吐く。
「何故、あそこまで結婚したがらないのかしら……」
お母様は心配な目でエリックお兄様が出て行った扉を見つめている。
まさか、お兄様、本当に男性が……。
「でも、仕事に集中したいってのは、分かりますけどね」
自身は軍勤務のイグナスお兄様が、デザートを口に頬張りながらエリックお兄様の意見に同意した。
「イグナス。あなたも、もう二十二です。そろそろ婚約してもおかしくない年ですよ」
お母様の言葉に、余計な口出しをしてしまった、という表情を浮かべるが遅いと思う。
「兄上より先に嫁を取るわけにはいきませんから」
イグナスお兄様は口の中を飲み込むと、言い訳を残し、逃げるようにダイニングから出てしまった。
「まったく、うちの息子たちは……。婚約して欲しい子が婚約せずに、婚約して欲しくない子がしているとは」
お父様が弱り切った顔で首を振る。どうも、本音がダダ漏れみたい。お父様にしては珍しいわね。
お母様にキッとひと睨みされたお父様は慌てて、下を向く。そんなお母様が私の方を振り向く。
「そうだわ。リア、あなた、社交の場で良さそうなご令嬢を知らない? リアの知り合いなら、会ってくれるかもしれないわ」
お母様が名案とばかりに私の顔を見ている。お父様も期待の籠った目を向けてくる。
知り合いの令嬢って言われてもなぁ。私、驚くほど、知り合い少ないよ。気楽に話せるのは、シルビアだけだし、辛うじて話せるのはミネルバさんだけだもんな。どちらにしてもあの二人をお義姉様と呼びたくないけどね。
「えーと……」
強張る私の顔を見て、お父様だけでなく、お母様も大きなため息を吐いていた。
翌日の昼過ぎ。私は商店街にいた。今日は休日という事もあり多くの人で賑わっている。
ルディックさんの工房からの帰り道だ。モーランさんの娘を見に行っていたのだ。可愛かったなぁ。小さくて、何の罪も持っていないあの純真な顔。どれだけ見ていても飽きる事はなかったね。
「可愛かったわねー」
余韻にいまだ浸っている。
「そうでしたね。心が洗われる気分でした」
「また会いたいデス」
アシリカもソージュもすっかりモーランさんの娘に心が奪われたみたいだ。
あのルディックさんでさえ、孫娘の前では、顔が微妙に、にやけていたもんな。
やっぱり孫ってのは可愛いものなのね。お父様やお母様も早く孫を抱きたいのかしらね。でも、お兄様の年を考えたら、子供がすでにいてもおかしくないのよね。早く結婚してくれないかなぁ。だったら、屋敷で毎日でも会えるのにさ。
「あれは……」
寄り道がてら、立ち寄った商店街。一軒の店の前に立っている男性。エリックお兄さまだ。しかも、周囲にいつも連れている従者の姿が見当たらない。。
一人でこんな所で何をしているのかしら。いや、あまり人の事言えないけどさ。
声を掛けようかしら。でも、私とこんな所で出会うのも変よね。勝手に屋敷を抜け出しているのが、バレてしまう。
そっと気づかれないうちにこの場を離れようと思った私の目を釘付けにする事態が起こる。
店内を向いていたお兄様の元に一人の女性が中から出てくる。その女性に優しい笑みを返すエリックお兄様。言葉を交わし、女性も頷き返している。二人の醸し出す雰囲気はどう見ても、恋人同士のものである。
「隠れてっ!」
思わず店の軒先に身を潜める。
「あそこにおられるのは、エリック様ですよね……」
一緒に身を屈めているアシリカも驚きの表情となっている。屋敷でもエリックお兄さまが結婚したがらないどころか、女性の影が見えないのは、有名だからね。
会話が終わったらしい二人は、歩き始める。
「後を付けるわよ」
このまま、見送るなんて選択肢は私の中に無い。
「え? しかし……」
「何よ、アシリカはあのお兄様がどんな方とお付き合いされているか興味がないとても?」
「……無いと言えば嘘になりますね」
気まずそうにアシリカが目を逸らす。
だよねー。あのエリックお兄様が女性を連れて歩いているのだ。女性と付き合う様子も見せず、結婚も見合いも拒否しているお兄様が。興味が湧かないはずがない。
「決まりね。追うわよ」
「いいのかしら……」
アシリカの疑問の囁きは無視して、お兄様の追跡が始まる。
二人の様子を観察していると、やはりどう見ても恋人同士にしか見えない。それも、昨日今日の付き合いたてといったものではなく、長年連れ添ってきたあうんの呼吸の様なものも感じられる。女性はさりげなくお兄様を気遣い、お兄様は自然に女性を人の流れから守っている。
いやあ、理想のカップル、と言ってもいいよね。お似合いだ。女性もお兄様に釣り合うような美人だし、優しく素直そうだ。
二人の甘い空気にお腹いっぱいになりかけた頃、とある店の前で立ち止まった。
立ち止まった店は、手芸用品やそれに使う布地などを扱うお店。どちらかと言えば、平民向けの店である。
「買い物かしらね」
一緒に店へと入ると思いきや、二人は手を振り合い、女性一人で中に入って行ってしまった。しばらく店の前で立っていたお兄さまも、一人歩き始めてしまう。そのまま、商店街を行き交う人たちの中に紛れ込んでしまった。
「どういう事?」
私の問いにアシリカもソージュも首を捻る。
うーん。どうしよう。でも、さっきの女性があの店の中にいるのは確かよね。
店先を物色するように見せかけて、中をちらちらと覗き込む。さっきの女性の姿が見える。
「今日も送ってきてもらったのかい?」
人の良さそうな年配の女性である。
「ええ」
少し照れた様子で頷くお兄様と一緒にいた女性。
「仲がいいわねぇ。少しくらいなら遅れてきてもいいのに」
「いえ。お仕事に遅れるわけにはいきませんよ」
お仕事? あの人、ここで働いているのか。てことは、貴族じゃないんだ。
「それにしても、もうメリッサちゃんも二十三だろ。そろそろ結婚とか考えないとね」
「ええ……」
結婚! 話から見て、彼女はお兄様の恋人と見て、間違いないよね。そうか。お兄様は、あの人がいるから見合いの話を断り続けていたのか。でも、相手の身分を気にして、お父様やお母様に打ち明けられないのかしら。
「あっ。いらっしゃいませ」
私に向かってメリッサさんが声を掛けてくる。
しまった。つい聞き耳を立ててたら、いつの間にか、店の中まで入っていたよ。
「何かお探しですか?」
にこやかな笑みを私に向けてくれる。
「えっ? いや、そのですね……」
「あら。お友達も一緒なのですね。入ってこられたら?」
外で呆れ顔で私を見ているアシリカとソージュにも声を掛けてくれる。戸惑いの表情を浮かべるものの、店の中へと入ってくる。
「もしかして、手芸を始めようとしてるのでは?」
「はい。実はそうなんです。でも、初めてだからどうしていいか分からなくて」
ここは話に乗っておこう。まさか、あなたを付けていました、なんて言えないもんね。
「なるほど。でもね、初めての方は皆そうですよ。でも、大丈夫。分からない事は、私に何でも聞いてください。そうね、初心者向けなら……」
そう言って真剣に商品を選び始める。そして、丁寧に手芸について説明してくれる。
「もし良かったら、店の奥で少し教えましょうか? 実は、ここ、手芸好きの溜まり場みたいにもなっていますから」
見ると、店の奥には小さなスペースに机が二つ並んでいる。
へー。手芸か。楽しそうね。ちょっと興味あるわ。そうだ。アシリカとソージュの誕生日プレゼントに何か作るのもいいわね。
「私、まったくの初心者ですけど、教えてもらってもいいですか?」
「もちろん。大歓迎ですよ」
彼女が選んでくれたのは、ブローチ作り。布に刺繍を施し、それを付属の枠に付けてブローチにするものだ。それを二つ購入する。しめて、銅貨二枚。ちゃんと、自分で払うよ。アシリカたちも同じものをそれぞれ一つづつ購入する。
「じゃあ、始めましょうか。私はメリッサといいます。頑張りましょうね」
目の前に座るメリッサさんが、手芸道具を広げる。
「私はナタリアです。お願いします」
名乗った私にメリッサさんが、息を飲む。
「あの、メリッサさん?」
ナタリアと名乗っても問題ないはずだ。滅多にない名前でもないし、家名を名乗らない限り、私が誰か分からないはずだしね。
「ご、ごめんなさい。ちょっと、その……知り合いの妹さんと同じ名前だったから、つい……」
ふーん。“知り合い”ね。
「えー。本当はメリッサさんの恋人とかじゃないですかあ?」
少しカマをかけてみる。
「え、え、いえ、そんな……」
顔を真っ赤にするメリッサさんは可愛かった。こりゃ、お兄様が惚れるのも無理ないな。私も気に入ったもん。この人なら、お義姉様と呼びたいわね。
「じゃ、じゃあ、始めますか」
ごほん、と咳払いをして、気を取り直したらしいメリッサさんの手芸講座が始まる。
一通り簡単な説明をしてもらい、小さな布に刺繍を始める。私の選んだ柄は、可愛い猫の顔。黙り込んで、手元に集中する。
突然だが、私は魔術が使えない。正確に言うと、魔力はあるらしいが、魔術を発動するのに不器用とのことだ。どうやら、それは手先の器用さと関係があるみたいである。
アシリカもソージュも上手に仕上げていくが、私は同じ様にいかない。思った所に針を刺せず、糸も絡めてしまう。まったくうまくいかないのだ。あれ、猫の顔が虎に見える。同じネコ科だからかな。
「大丈夫ですよ。ほら、さっきよりは上手になってます」
そんな私に愛想を尽かす事なく、メリッサさんは根気よく教えてくれる。
うう。出来の悪い生徒でごめんなさい。もうね、これは何が何でも、お義姉様と呼ばせて欲しい。
こうなったら、メリッサさんとお兄様に幸せになってもらわなきゃ。久々に、この私が恋のキューピッドになりますかね。不可能に思えたエネル先生とカレンさんをくっつけたこの奇跡を呼ぶキューピッドに任せてちょうだい。