48 父と息子
翌朝、早速デドルからの報告を受ける。ちなみに、昨日屋敷に帰ってからもアシリカのお説教が続いた為、少々お疲れモードである。二度と賭け事をしない事を約束させられた。ちょっとだけ、残念かもしれない。口が裂けても言えないけどさ。
しかし、私の疲れは、デドルの報告で吹っ飛ばされた。
モーランさんの友人は別の彫金師の弟子で、その彫金師は品評会への出品を予定していた。しかし、何度も金賞を取り、最大のライバルであるルディックさんを蹴落とす為に今回の計画を思いついたらしい。
幾らかの金を昵懇であった賭場に掴ませ、味方に引き入れる。少し負けがこんだ所を見計らい、札を借金させて融通する。すぐに、取り返せると甘言を囁きながら。調子良く勝っていた記憶が鮮明なモーランさんはまんまとそれに乗せられたのだろう。
それを繰り返した結果、モーランさんを借金地獄に落とさせる。気付いた時にはどうしようもない金額となる。そして思い通りに彼を操りルディックさんの作品を盗ませる。
モーランさんに落ち度が無いとは言えないが、卑怯なやり口である。
「どうも、毎年二番手に甘んじているゲバルトという彫金師でしてな。何としても金賞を取りたいとこんな暴挙に出たのでしょうな」
愚かな事だ。そんな事をして手にした金賞に意味などない。いや、そんな職人には、いい物など作れるはずがない。ルディックさんが作っていたものを見て、尚更それは思う。彼の作っていた櫛からは優しさが感じられた。作品に思いを込めているからこそだと思う。技術だけでは、あんな作品は出来ないはずだ。
「すぐにルディックさんの所に行きます。モーランさんが過ちを犯すのを止めないと」
追い詰められたモーランさんが、ルディックさんの作品を盗み出す前に止めないと。
丁度今日は工房に仕事に行く日だ。
「デドル。門を開けてちょうだい」
デドルに門を開けてもらい、出ようとした所を止められる。
「お嬢様。お急ぎになるのでしょう? ならば、あちらへ……」
林の奥の方をデドルは指差す。
「あっちは、道とは逆の方よ」
「お忘れですかい? あっしはお嬢様の御者でもあるのでしょう?」
まあ、確かに言ったけどさ。
「まあ、ご覧ください」
そう言うデドルに連れて行かれたのは、林の奥まった所。いつの間にか小さな小屋が建てられている。その中には、馬が繋がれた馬車が一台。
「デドル、これ……」
「へい。用意致しました。お忍びで出るのに、正門から屋敷の馬車を使う訳にもいきますまい」
何と! お忍び専用の馬車ですって!? これは凄い。凄過ぎる。よくここまで用意出来たわね。アシリカとソージュもポカンと馬車を眺めている。確かに驚いて当然よね。
普段使っているものより若干小ぶりではあるが、きれいな紺色で統一されている。この色は、私が初めて世直しをした時に着ていた服と同じ色だ。
「ありがとう、デドル」
「礼には及びません。さ、早く乗ってくさいまし」
デドルに促され、馬車へと乗り込む。内装は至ってシンプルではあるが、乗り心地は良さそうだ。
「いいわよ。出発よ」
「へい」
林の中をすり抜ける様にして馬車が進んでいく。
これはいい。今までは、歩きばかりだったもんね。走って孤児院まで行った時は大変だったわ。
新しいこの馬車の余韻に浸りたいところではあるが、今はそんな場合でもない。ルディックさんの元へ一刻も早く駆けつけ、モーランさんが間違った事をするのを止めなければならない。
工房街へと辿り着き、ルディックさんの工房へと駆けこむ。
「えらく早いな」
息を切らして入ってきた私にルディックさんが眉を顰めている。
「ええ、まあ……」
曖昧な返事を返す私に何も言わず、ルディックさんは作業台の上を片付けている。
「あの……、何かお探しですか?」
「ああ。アンタも見たあの櫛が見当たらねえんだ」
間に合わなかったのか。夜のうちにモーランさんがあの櫛を持ち出したに違いない。
「あれ、今度の品評会に出品する予定なのですよね?」
いくら借金を抱え、奥さんや生まれた子供をダシにされたとはいえ、何でこんな愚かな真似をしたのだろうか。
「いいや。あれは出品するモンじゃない」
え? あれは出品するものじゃなかったんだ。かなり熱を入れて作ってたみたいだけど。
「あれは……、んだ」
「え? ごめんなさい。よく聞こえなかったです」
ルディックさんは珍しく、何やら言い淀んでいる。
「だから、孫への贈りモンだ」
ルディックさんは一言そう言うと、照れくさそうに、そっぽを向いてしまう。
「生まれたモーランさんの子供へのお贈り物ですか」
アシリカがポンと手を鳴らす。
なるほど。ルディックさんにしたら、初孫だ。その孫への想いを込めて作ったから、あんなにも優しさが感じられたのか。素直じゃないなぁ。いつもは難しい顔してるのに、こんなに照れてるなんてかわいいところもあるのだな。見かけによらず、いいおじいちゃんになりそうね。
「じゃあ、品評会へ出品するのは?」
別に何か作っていたのだろうか。
「いや、今回はモーランの作った物をと思ってたんだがよ。まあ、まだ言ってないけどな」
だから、あんなにも厳しい言葉を掛けていたのか。何だかんだ言って、息子の腕も認めていたのだろうな。一方のモーランさんは、あの櫛が出品する作品だと勘違いしてたんだ。
「あいつも、品評会に出す事で今の自分に何が足りないか分かって欲しくてな」
ルディックさんはモーランさんの作業台を見つめながら、呟くように言った。
「モーランさんにも、ちゃんとそう言ってあげればいいのに……」
「それは思っているんだがよ。つい、な……」
気まずそうにまたそっぽを向いてしまう。頑固な職人さんというイメージが今日のルディックさんからは感じられない。
「モーランの奴、一昨日から来やがらねえ。子供も生まれたばっかりだというのに、何考えてやがるんだ」
悪態をつくが、いつもより弱々しい。やはり、来なくなったモーランさんが気がかりなのだろう。
「あの、私、モーランさんを探してきます」
「探す?」
ルディックさんは首を捻る。
「はい。ちょっと、行ってきますので」
私はルディックさんの返事も聞かずに工房を飛び出す。慌ててアシリカたちも私に続く。
今、モーランさんはどこにいるかしら。勘違いしているから、きっとあの櫛を渡しに行く途中かしらね。
馬車に戻ろうと、工房街の狭い路地を駆け抜けていく。
「あれ?」
もう少しで工房街を出る路地の片隅で、どんよりとした暗い雰囲気を醸し出しながらモーランさんが立っている。何をするでもなく、虚ろな表情である。
「モーランさん」
そっと近づき、声を掛ける。
「き、君は……」
私が近づいたのも気づかなかった様子のモーランさんが怯えの混じった驚きを見せる。手には、しっかりと布に巻かれた櫛が握りしめられていた。
「そ、その、こ、これはだね……」
私の視線に気づいたモーランさんは、挙動不審となる。
「分かっていますわ。ルディックさんの作った櫛ですよね?」
さっと、私から目を逸らせ、気まずそうに黙り込む。
「それをどうするつもりかも、知っています」
「え……」
もう一度私を見るモーランさんの目は驚きで見開いている。
「借金のせいでしょ? 賭け事のね」
「……借金だけじゃないよ。嫁と子供にも危害を加えるとまで言われてね」
観念したかのか、俯きながらもぽつりぽつりと話し出す。
「もちろん、賭け事なんかに手を出した僕が悪いのは分かっているけどさ。憂さ晴らしというか、つい心地のいい言葉に誘われてね」
「だからと言って賭け事は……」
「分かってるよ。今は愚かな事をしたと思ってる」
力ない笑みをモーランさんは浮かべる。
「親父の事は尊敬している。何度も金賞を取るような人だ。少しでも追いつける様に必死で腕を磨いたつもりだ。でもね、毎日のように否定される。僕の考え方など聞きもしない。確かにまだまだかもしれないけど、少しは認めて欲しかったよ」
お互い意思疎通の苦手な親子だ。似た者親子なのかもしれない。お互いに素直になればいいのに。私にこんなにも話せるのだからさ。
「で、こんな所で何をしているのですか?」
まさか、ここで待ち合わせというわけでもないだろう。
「いや、その……」
ルディックさんの作品を持ち出したまではいいが、やはり迷いが出たのだろうな。
「心が苦しいですか?」
私の問いかけにモーランさんは頷く。
「この親父の作った櫛を手にしたら、落ち着くっていうか、妙に冷静になれてね。それまでは、どうしたもんかと、取り乱してたのにさ。冷静になって自分がとんでもないことをしているのに気づいて」
ルディックさんが込めた思いに気づいたのだろうか。
「いやあ、ここで君に会えて良かったよ。悪いけど、これを親父に返しておいてくれないか?」
どこか吹っ切れた顔となったモーランさんが、布に包まれてた櫛を差し出す。
「それに親父に認めて欲しいと言っておきながら、こんな事をするなんて最低だよな。自分の仕出かした事には自分で責任を取らないとね」
「その櫛はご自分で返してください」
「え?」
きょとんとなるモーランさん。
「さあ、それより行きましょうか」
「行くって、どこにだい?」
益々分からないという様子でモーランさんは首を傾げている。
「決まってます。今回の件を仕組んだゲバルトの所ですよ」
職人の誇りを持たない、卑怯なヤツはお仕置きだ。隣でアシリカがやっぱりそうなるか、という表情になっているが、これは譲れない。
「い、いや。危ないよ。君みたいな女の子があんな賭場なんかに行くもんじゃない」
あの賭場が待ち合わせ場所か。丁度いい。賭場も一緒にお仕置きである。
「心配ありませんよ。モーランさんの決めた責任の取り方を見せてもらうだけです」
「……君は一体?」
不思議そうにモーランさんが私を見つめる。
「私は家事を任されているお手伝いです。その家の親子の諍いを宥めるのも仕事ですわ」
モーランさんは、にっこりと笑う私に返す言葉が見つからないようだった。
「本当に一緒に来るのかい?」
賭場の入り口。ここまで来て、今更であると思う。
「大丈夫ですから。さあ、入りましょう」
不安げなモーランさんの背中を押して、賭場の中へと入る。
相変わらず薄暗い室内だが、今日は客は入れていないみたいで、静まり返っていた。
「よう、モーラン。遅かったな」
奥から声が聞こえてきた。この前見たモーランさんの友人を騙る男。その隣には初老の男性。こいつが、ゲバルトかな。その周囲には、賭場の人間と思しき男たちがいる。
「ん? 何だ? 連れがいるのか。しかも女三人とは、いいご身分だな。それとも、そいつらも俺らにくれるのか?」
私たちに気付いたゲバルトの弟子でもある友人を名乗っていた男が、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべている。
「ち、違う。この子らは関係ない」
モーランさんが叫ぶ。
「まあ、いい。それより、さっさとお前の親父の出品するものを寄越せ」
ゲバルトが前を進み出て、手を差し出す。
モーランさんが唇を噛みしめる。両手をぎゅっと握りしめているが、小刻みに震えているのが、分かる。
「こ、断る!」
上ずった声ではあるが、モーランさんは、はっきりと言い切った。
「断わるだとお?」
弟子の方が眉間に皺を寄せ、ドスの効いた声を出す。
「お前、借金はどうすんだっ!? 家族がどうなってもいいってのかよ!」
そう言いながら、詰め寄ってくる弟子は、まるでチンピラね。
「借金は、どれだけ時間が掛かっても必ず返す。だから……」
モーランさんが言い終わる前に、弟子に殴り飛ばされた。
「馬鹿な事言うんじゃねえよ! すぐに返せって話だろ。その金をうちの師匠は払ってくれるってのに、何寝ぼけた事言ってんだよ」
怒りに染まった顔で、弟子はモーランさんに怒鳴りつける。
「こ、これだけは渡せない。この櫛を見て思ったんだ。本当に優れた作品は、人に心に訴えかけるものがあるって。だから、これは渡せないっ!」
殴り飛ばされ倒れ込みながらも、しっかりと弟子の男をモーランさんは見据えている。
おおー。ルディックさんの想いが伝わったかな。
「何訳に分からない事行ってやがる」
さらにモーランさんが蹴られる。
「お止めなさいっ!」
「はあ?」
私の言葉に弟子が振り返り、私を睨みつける。
「情けないと思わないのかしらね。職人なら腕で競うべきなのに、卑怯な手を使おうなんて、最低ですわ」
「卑怯? 何を言っている? 彼の借金を払ってやるのだ。感謝すべきだと思うがな」
うずくまるモーランさんを見ていたゲバルトは厭らしい笑みを浮かべてながら、私の方を向く。
「白々しい。よくそんな事が言えますわね。ここで行われた賭け自体が仕組まれていたのでしょ? すべてあなたが仕組んでね」
「ふん。何とでも言え。威勢がいい小娘だが、この状況でどうするつもりだ?」
控える賭場の連中をの方をちらりと見やり、ゲバルトは見下した視線を私に戻す。
「弱い犬程よく吠えると言うけれど、腕に自信のない職人はそれ以下ですのね」
鉄扇の無い私は手で口元を隠して、笑い声を立てる。
「大人しく聞いてやれば、調子に乗りよって。この愚かな馬鹿娘は状況をよく分かってないようだな」
苛立ちが口調に加わったゲバルトは、眉間に皺を寄せている。
「状況が分かっていないのは、あなたの方ですわ。愚かなのもね」
凍てつく視線で居並ぶゲバルトたちを見渡す。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
鉄扇が無くてしっくりこないが、仕方ない。
「何だ、こいつ」
ポカンとされるが、気にしない。
「アシリカ、ソージュ。お仕置きしてあげなさい」
「はいっ!」
「ハイ!」
ゲバルトが状況を把握する前にアシリカの氷の礫が、彼を直撃した。そのまま、意識を断ち切られたようで、倒れ込む。それを見て、賭場の者たちが、驚愕するが、反撃の機会を与えられる間もなく、次々とアシリカの放つ氷の礫に倒されていく。
「な、な……」
言葉を失っている弟子の男の前にすっと、ソージュが立つ。目を見開いて見下ろす男の腹にソージュの掌底が入る。その一発で男はうめき声すら上げることなく、ばたりと倒れた。
「今日は早かったわね」
相手が、職人と所詮はごろつきの様な賭場の者たちだ。当然と言えば当然かな。
「き、君たち……」
あら、モーランさんも言葉が出てこないみたいね。
「終わりましたかい?」
デドルが扉から顔を覗かせている。その後ろには、騎士姿のリックスさん。
「事後処理が必要でしょう。彼に任せましょう」
「これは、また……」
賭場に倒れ込んだ人たちを見て、リックスさんが息を飲む。
「ナタリア様。またでございますか……」
ああ、ウエイン商会の時も彼に後の処理を任せたな。
「いいじゃない。手柄になるんだからさ」
「私が申し上げる事ではありませんが、王太子妃となられるサンバルト家のご令嬢がなさる事では……」
完全に意識を失って倒れている弟子の姿を見て、困惑している。
「王太子妃? サンバルト家? ご令嬢? え? ナタリアちゃん?」
モーランさんは混乱しているみたい。いろいろな事が目の前で起きすぎたかもしれないわね。
でもね、モーランさん。あなたは混乱している場合じゃないわよ。もう一つやるべき事があるのだから。
「あの親父、その……」
ルディックさんの工房。険しい顔つきに戻っているルディックさんの前にモーランさんが体を小さくして立っている。
「まずは、これを返すよ……」
ルディックさんは、差し出したモーランさんの手の上にある櫛をちらりと見る。
「あの、実は、賭場に行って――」
「それは、生まれた子にやったモンだ」
モーランさんの言葉を遮る。
「え? でも……」
「でももクソもねえ。そんな事よりさっさと仕事しろ」
作業台に向き直し、ルディックさんは手元に視線を移す。
「すまない。親父。ありがとう、ありがとう」
むせび泣くモーランさん。
「おい。ナタリア」
ルディックさんが振り返り、私を見る。
「お茶、入れてくれ」
そう言うルディックさんは私に笑顔を向けてくれていた。その笑顔はとても優しく感じられた。




