44 我が主 -デドルー
木々に囲まれた広いサンバルト家の庭。ここの庭師となってどれくらいの月日が経ったのだろうか。
ミズールでユーリアを失い、自責の念とやり場のない怒りに支配されたあっしは、サンバルト家の当主であり、幼馴染でもあったグラハムに、隠密から足を洗う事を願い出た。本来ならばその職務の性質上、許される事がない 事だが、奴はただ一言、分かった、とだけ言ってくれた。申し訳なさそうな顔をして。
その後、何故か屋敷の庭師となっていた。グラハムに言われたのか、ガイノスのじいさんに言われたのか、よく覚えていない。とにかく、庭師となっていた。
庭師となり、ゆっくりとした時間を過ごしていた。命を掛けて、何かをする事も人を傷付ける事も無く、穏やかな毎日だった。
しかし、あっしの心は死んでいたみたいだ。どんなに綺麗な花が育っても、どんなに立派な木に育っても、何も感じなくなっていた。
それでも、時は過ぎていく。
グラハムには、子供が生まれ、成長していく。世間では、いい事や悪い事、様々な出来事が起きていた。あっしは、それらをただ眺めているだけの日々を過ごしていた。まるで、感情を失った傍観者の様であった。いや、正直に言おう。すべてから逃げ出しただけだ。仕事からも、責任からも、自分の心からも逃げ出していた。
そんなあっしが、ある日、目にしたのは、庭で侍女を従えて木刀を振る一人の少女だった。グラハムの一人娘だ。
何故、剣術の稽古などしているのだ? 甘やかされて育ち、随分と我儘で傲慢だった彼女には、なるべく関わらない様にしていたが、想像もしない光景に足が止まってしまった。
「剣の稽古……、ですかい?」
思わず声を掛けていた。何故、その時声を掛けたのか、未だに自分でも分からない。
「ええ。そうよ。どう? なかなかのものでしょ?」
笑顔を見せて、あっしを見る親友の娘からは今までと違う雰囲気を感じた。一番はその目だ。今までの人を見下す様な目ではなかった。
「いえ、あっしは剣の事は……」
曖昧な返事を返したが、その剣筋はかなりのものだった。それも、あっしを驚かせていた。とても、貴族の令嬢の振る剣筋には見えなかったのだ。
「そっか。ね、あなたは……?」
今まで関わりを持たなかった分、あっしの事も知らないらしく、人懐っこい笑顔で尋ねてきた。
「へい。庭師をさせて頂いているデドルと申しやす」
「じゃあ、あなたがこの庭の花を育ててるのね。とても綺麗よ。お陰で、稽古も気持ちよく出来るわ。ありがとう」
これが、嬢ちゃんとの初めての会話だった。
それからも、庭での稽古の度に話す機会が増えていった。我儘で傲慢だと抱いていたイメージは、日を追うごとに無くなっていった。代わりに、変わった子だと思うようになっていた。
だが、その嬢ちゃんの評価は間違っていた。変わり者どころの話では無かったのだ。
「私は、弱い人を助ける。権力や暴力で人を苦しめる様な悪党をこの手で成敗する」
あっしに、宣言するかの如く、嬢ちゃんは言った。この嬢ちゃんの目、やはり親子だ。熱い思いを語っていた父親そっくりの目をしている。
侍女の窮地を自ら救う、孤児院の不正を暴く、婚姻のトラブルを解決する。さらには、悪事を働く商人を懲らしめる。それも、自らの手でだ。
この子は次元が違う――そう思った。考えている事、目指しているもの、すべてがあっしの想像の及ばないものであった。
あっしのずっと動かなかった心に刺激を与えられた気分だった。
さすがに、親友の娘に万が一があってはならないので、常に危険がないか影から見守っていたが、杞憂であった。貴族の令嬢とその侍女が悪党相手に大立ち回りをするのだ。いつしか、嬢ちゃんたちを守ると言うより、見ていたいという思いの方が強くなっていた。
もっとも、嬢ちゃんのこの行動に気付いたらしい、グラハムは気が気では無かったみたいだが……。
そして今日も、庭の片隅で木刀を振っている嬢ちゃんがいる。
「精が出ますな」
いつもの様に話しかけると、その手を止め、あっしには眩し過ぎるくらいの笑顔を見せる。あっしも、笑みを返す。
「ほら、旅に出ている間少しサボってたしさ」
サボっていた分を取り戻すのは分かるが、これが公爵家の令嬢の台詞とは思えないのは普通だろう。
「そうだ。今後は、馬車の御者はデドルがしてよ。出掛ける時は頼むわよ。いろいろ寄りたい所もあるしさ」
寄りたい所? また、何かしでかすおつもりだろうか。先日も、孤児院で、騒ぎを起こしたみたいだが、懲りてはいないらしい。まあ、嬢ちゃんらしいと言えば、それまでなのだが。
「あっしがですかい?」
「ミズールで言ったでしょ。私専属の庭師兼御者兼門番でしょ。お願いよ」
ミズールでの事を想い出す。サンバルト家を辞したあっしを改めて嬢ちゃんに仕えるように言われていた。その仕事に御者も含まれていたな。
あっしにとって、ミズールはあらゆる意味で忘れられない場所である。あそこには、思い出や後悔、悲しみが詰まっている。そして、あっしの時間はあの街で止まったままだった。
それにけりを付けてくれたのも、この嬢ちゃんだった。
本当に不思議だ。あれだけ凍りきった心が溶かされたようだった。解けた心は再び時間を刻み始めた気分であった。
変わり者から、次元の違う予測が出来ない子と変わった嬢ちゃんの印象だが、それすらも変えられてしまった。嬢ちゃんは、とてつもない何かを持っている。その何かはあっしのような凡人には分からない。
嬢ちゃんなら、この国に漂い始めている静かな悪しき変化を変えられると期待していたが、それすらも凌駕してしまうような気がする。この国の歴史に名を残しても、おかしくはないとまで思えてしまう。
「へい。あっしはお嬢様に仕えたのでしたな。ならば、お言葉に従いましょう」
恭しく、そして心から気持ちを込めて頭を下げる。
今までは、親友の為、親友の情熱に応える為に働いてきた。だが、今は違う。心底、この嬢ちゃんに仕えたいと思っている。そして、彼女が何を為すかこの目で見てみたい。
「どうしたの? 何か大袈裟ね」
嬢ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
「変ですかい?」
「いや、変じゃないけど。何かいつもと違う感じがするわ」
「いや、いつもと変わりませんよ」
白い歯を見せて、笑う。
「御者をやるなら、その準備をしなけりゃなりませんな。馬を少し見てきますので」
あっしは、もう一度軽く頭を下げて歩き出す。
忙しくなりそうだ。そう思いながらも心が躍っている自分に少々戸惑いも感じる。
「デドル」
今度は、ガイノスのじいさんだ。
「へい」
「旦那様がお呼びだ。すぐに書斎に来てくれとの事だ」
グラハムが? ガイノスのじいさんを使いにして呼び出すとは、また愚痴でも聞かされるのか。
「分かりやした」
仕方ない。馬は後回しにするか。
「デドル」
書斎に向かおうとしたあっしをガイノスのじいさんが呼び止める。
「へい」
「……自然に、笑えるようになったみたいだな」
この人は昔からこうだ。よく人を見ている。まだあっしが子供だった時からそうだ。変わってない。
そうか。あっしは自然に笑えるようになったのか。意識して、歯を見せて笑うように心がけていたが、今の笑顔は自然に出ているものなのか。
「安心した」
「……へい」
あっしは頭を下げる。考えてみれば、この人にも多くの迷惑を掛けたもんだ。それでも、この人とグラハムはあっしを見捨てようとはしなかったな。
そんな事もやっと今になって気づかせてもらえた。
「旦那様がお待ちだぞ」
ガイノスのじいさんはそう言い残して、去っていく。その背中を見送ってから、グラハムの書斎へと向かう。
書斎の扉を軽くノックして、中へと入る。
相変わらず書類の山に囲まれたグラハムの姿が見える。そう言えば、ミズールから帰ってきて会うのは初めてだったな。
「お呼びで?」
「ああ」
あっしが、ソファーに腰を下ろすと、グラハムも向かいに座る。あまり機嫌はよくないようだ。
「これだ」
机の上に無造作に書類の束を放り出す。ちらりと見ると、どうやらミズールからの報告書のようだ。アシリカがチェックしていたのを横で見ていたから間違いない。
「これがどうした?」
とりあえずは、すっとぼける。
「どうしたもこうしたも、こんなもの信じられると思うか?」
まあ、そうだろうな。あまりにも出来過ぎた話だからな。
「リアか?」
グラハムは身を乗り出し、小声となる。
「まあな」
やはりという顔をして、グラハムは勢いよく背もたれにもたれ掛かる。
「でも今回、暴れたのは、あっしだ」
「デドルが!?」
驚きの表情で聞き返してくる。
「ああ」
「……よく殺さなかったな」
じっとあっしの顔を見てグラハムが呟いた。
「嬢ちゃんに止められた」
あの時止められていなかったら、確実にあの三人はあそこで殺していたはずだ。
「そうか……」
グラハムはほっとした様な、それでいてどこか辛そうな顔になる。
「それより、だ!」
また、身を乗り出す。だが、今度は声を張り上げている。
「これだ。こちらの方が問題だ!」
グラハムが次に取り出したものも見覚えがある。あっしが書いた手紙だから当然だが。
「突然お前から手紙が届いたと思ったら、辞めるだと? 俺がどれだけ心配したか。しかも、場所がミズールだったから尚更だ。すぐにでも、ミズールに向かおうとしたぞ。まあ、ガイノスに必死に止められたがな」
積もり積もったものがあったのか、一気に話す。
そうか、これが不機嫌の原因か。
「その直後に、ミズールの騒動の一報だ。久々に気が動転したんだぞ」
この男が焦るとは珍しい。是非、この目で見たかったものだ。
「そりゃ、すまんかったな」
だが、心配を掛けたのは事実だ。素直に謝る。
「いや、いい。こうして帰ってきてくれたんだ。これ以上は何も言わん」
やっと、普段と変わらない穏やかなグラハムの顔に戻る。
「ん? その手紙は無効ではないぞ」
ついつい昔からの癖で、グラハムをからかいたくなる。
「な、何? どういう事だ?」
再び、顔を強張らせて、グラハムが聞き返す。
「あっしは、サンバルト家に仕えてないぞ。今のあっしの主は、嬢ちゃん、お前の娘だ」
さっきも嬢ちゃんに言われたしな。グラハムにも伝えとかないとな。
にやりとしたあっしに、グラハムは強張らせた顔を引きつらせる。
「我が娘は、この国屈指の隠密を直属の配下にしたか……」
「元隠密だ。それに、嬢ちゃんが言うには、専属の庭師兼御者兼門番として仕えるそうだ」
「庭師? 御者に門番だと? それは、また……。くっくっくっ」
堪えきれないとばかりにグラハムは笑い声を立てる。
「なら、友の就職祝いをせねばならんな」
机に置かれた小箱の蓋を開ける。中には好物の甘いお菓子が詰まっている。一つ摘まんで、口に放り込む。
「うまい」
あっしを満足そうに眺めるグラハム。
「……あの三人は厳刑に処すつもりだ。もっともすでに、何があったかは知らんが三人とも廃人みたいになっているがな」
こちらを伺う様な目付きのグラハムである。
厳刑か。特に感情が動かない所から考えるに、すでにあっしの中では終わった事となっているのだろうな。それにしても、廃人同然か。あの後も嬢ちゃんは熱心に指示を与えていたが、何をさせたのだろうな。
「お前には申し訳ないと思っている。友と言いながらも、辛い仕事を任せてしまったのだ。苦しんでいるのに、何一つしてやれなかったのだ。許してくれ」
グラハムが額を机に付ける勢いで頭を下げる。
「やめてくれ」
「いや、これくらいでは謝り足りないくらいだ。唯一の親友の何の役にも立たなかったのだから」
頭を上げようとしない。
「気にするな。お前の娘に救われた。十分だ」
そうだ。凍り付いた心を溶かして、止まっていた時を動かしてくれたのは、他でもない嬢ちゃんだ。この男の娘なのだ。
「だったら、俺もリアには感謝せねばならんな」
グラハムは、ようやく頭を上げてくれる。
「そうだぞ。坊ちゃんたちも含めて優秀な子ばかりだ。良かったな。奥方の方に似た優秀な子ばかりで」
場の空気が重い。少し軽口をたたく。
「ふふっ。そうだな……」
グラハムも笑顔を見せる。
これから忙しくなりそうだ。だが、悪い気はしない。むしろ、久々にこの先が楽しみに感じている。
嬢ちゃん、いや、お嬢様はどんな事をしでかしてくれるのか。きっと、あっしでは思いもつかない事をやるのだろう。それを考えると、自然と笑みが出てくるのを自分でも、しっかりと自覚出来ていた。




