42 主人公属性は持ち合わせていません
早朝から山登りである。
「あれ程、申し上げたのに……」
アシリカはご機嫌斜めである。理由は簡単。馬車に荷物を取りに行っている間に勝手に私が取った行動が原因である。
「いつもの事デス」
ソージュは普段と変わらない無表情だが、声から棘が感じる。
「ごめんなさい……」
昨日の夜から謝り続けている私である。好奇心に勝てませんでした。
ちなみにシルビアは、デドルが帰ってきた時の為にお留守番である。
「それにしても……」
アシリカは立ち止まり、後ろを振り返ると、大きくため息を吐く。
「ちょ、ちょっと待って……」
ニセリアのお供その一。年長の方である。山道に息を切らせている。お陰で、何度も休憩を挟むハメになっている。うん、これは、ダメリカね。
「実は、足の骨折れてたんだ……」
そう言って、座り込むお供その二。どう見ても折れてないわよ。そもそも、いつ折れたのよ? こっちはウソージュね。
「ま、まだなの? わ、私は貴族なのよ。こんな山道歩き慣れてないんだから」
もっとも、ニセリアも、息も絶え絶えになっているけどね。それに、そこまで険しい道じゃないと思うけど。
それぞれの本物がそれぞれの偽物を複雑そうに見ていた。
「だらしねえなぁ……」
へたり込む三人を見て、エディーも呆れ顔である。
すっかり息の上がった三人の為にまたしても休憩となる。これで、何回目だろうか? お陰で、朝早くに出たというのに、すでにお昼を過ぎている。
「いつ熊が出てきてもおかしくない所まで来ていますよ。大きな熊だそうですね。あっ、でも、ナタリア様たちなら大丈夫ですよね。お強いそうですから」
今、顔に浮かべている私の笑顔は、多分意地悪なものだろう。
「く、熊……」
自然と三人は身を寄せ合い、周囲をきょろきょろと不安そうに見回す。
本当に熊が出てきたらこの三人、どうするつもりかしら?
「しかし、おかしいと思いませんか?」
アシリカが、周囲を見渡しながら尋ねてきた。
「え? 何が?」
「熊が何故、出るか、です。山での餌が減る冬場ならともかく、この時期に、人里近い所に現れないものです。見たところ、熊の好みそうな木の実なども豊富です。これより山深い所では、他の餌となるモノももっとあるでしょうし」
そうよね。熊の生態には詳しくないけど、こんな街に近い所で何をしているのかしらね。町長さんも、こんな場所に熊が出るのは初めてだって、言っていたし。シルビアに来てもらえば良かったな。この辺の木から何か分かったかもしれなかったのにな。
「何か、この辺りをうろつく理由があるって事?」
「どんな理由かまでは分かりませんが……」
「美味しいモノ、あるデスカ?」
グルメな熊もいたものね。ソージュなら仲良くなれそうね。
「まあ、どんあ理由であれ、あの三人に任せとけばいいんじゃない?」
まったく期待出来なさそなニセリア達を指差す。
「任せられればいいのですけどね……」
またもや、大きなため息を吐いたアシリカが肩を落として、首を振る。
「さあ、そろそろ行きましょうか」
私の声に、露骨に嫌そうな顔を見せるニセリアたち。それでも、熊が出るという場所に置いていかれるのは避けたいのか、渋々立ち上がり、歩き始める。
そんなニセリアの隣に行き、話しかける。
「熊、出てきませんねぇ」
「そ、そうね」
熊、という言葉に口元を引きつらせながら、ニセリアが頷く。
「今日出てこなかったら、もちろん明日も来ますよね」
嫌がらせの質問である。私の名を騙っている罰よ。
「え?」
明らかに嫌そうな顔となる。
「で、でも、そろそろ王都に帰らないと。ほら、婚約者の王太子殿下が寂しがるしさ」
いや、奴はそんなタイプじゃないな。それにしても、久々にレオの事、思い出したな。そうだ。熊を倒せたら、毛皮をお土産にしてやろうかな。でも、熊の毛ってどんなだっけ? 長かったけ、短かったけ? 気になる。
「ねえ、熊の毛って、どれくらいの長さかしら?」
ニセリアの方を向いて尋ねる。
「毛?」
何言ってんの、という顔でこちらを見る彼女の向こう側、道から少し入った草むらに大きな黒い物体が見える。何だ、あれは?
あれは、熊か。丁度いい所にいたわね。毛の長さはどうかしら。うーん、どうやら毛は短いみたいね。すっきりした……じゃ、なーい!
「熊よっ!」
私から三メートルくらい離れた場所から、じっとこちらを見ている。
「お嬢様っ!」
アシリカとソージュが私を庇う様に前に立つ。エディーは、手にしていた木の棒を構え、横に立つ。一方、ニセリア、ダメリカ、ウソージュの三人は、その場にへなへなと座り込み、ガタガタと恐怖に震えている。
大きな熊だ。警戒の籠った目をして、威嚇する様に、グルルルッと低い唸り声を出している。しかし、こちらに向かってくる気配は無い。
その大きな熊の後ろで何やら動くものが見えた。子熊だ。だが、その動きがぎこちない。よく見てみると、足を引きづっている。怪我をしているみたいだ。
「お嬢様。接近戦は不利にございます。私が魔術で攻撃を加えますので、お下がりください。ソージュはお嬢様のお側に」
アシリカは、魔術で一気に肩を付けるつもりみたいだ。
「いえ。攻撃は駄目よ。あれは母熊よ。怪我している子供を守ろうとしているのよ」
私のその言葉で、アシリカとソージュも子熊の存在に気付いたみたいである。
「きっと、怪我をした我が子を山の奥にまで連れていけず、こんな場所でうろうろしているに違いないわ」
そして、我が子を守ろうと必死なのだろう。必然的にそれは、攻撃という形となり、人に危害を加える結果となってしまった。
「では、どうしますか? このまま放っておくわけにも……」
このまま、退治するのも心苦しい。かと言って、放置するのも問題である。
「仕方ないわね。あの子熊の傷を手当てするわ」
あの子熊の傷が癒えれば、自然と山奥に帰っていくに違いない。
「手当てとおっしゃっても、どうやって……」
「まあ、じっとしてて。私に任せてちょうだい」
私は一人、前に出る。
「お、お嬢様……」
アシリカとソージュは不安そうに見ている。
「姉ちゃん、何する気だ?」
「心配ないわ。そこで見てなさい」
そう言い残し、また一歩熊へと近づく。そして、じっとその目を見つめる。
「大丈夫よ。私は、あなたにも、その子にも危害を与えるつもりは無いわ。その子の怪我を直してあげたいのよ」
そうだ。心から語りかければ、きっと動物相手でも通じるはずだ。私は、その子熊を助けてあげたいのだ。
また一歩、また一歩、ゆっくりと母熊に近づいていく。
「心配ないわよ。何も不安がる事はないわ」
残り一メートル。私は、にっこりと母熊に微笑みかける。
その時である。大きな雄たけびを上げたかと思うと、牙をむき、両手を大きく上げる。
「お、お嬢様っ!」
後ろでアシリカたちが、駆けだすのが分かる。でも、間に合うとは思えない。
何故だっ!? 心から語りかけたのに! 私が、悪役令嬢だからか? 熊相手に心が通じ合うには、やっぱり主人公属性がないとだめなのかっ!?
ダメだ。こんな時に見える世界はスローモーションに見えるのね。熊の動きがゆっくりに見えるわ。
「え?」
いや、本当にゆっくりの動きだね。動きというか、ふらついているような気もするな。
「肝が冷えましたわい。何とか、間に合いましたな」
そう言いながら、木の陰から出てきたのはデドル。手には吹き矢を持っている。
「大丈夫ですかい? シルビア様からお嬢様たちの事を伺い、慌てて追ってまいりましたが、追いついたと思ったら、こんな状況だったもんで……」
デドルは、ふらつきながら、どすんと倒れこんだ熊を覗き込む。
「殺しちゃった?」
「いえ。即効性の麻酔です。万が一を考え準備してて良かったですな。体が大きい分、動きを奪うくらいまででしょうがね」
良かった。子熊から母親を奪うのは忍びないもの。
「今のうちよ。さあ、子熊の手当てを」
子熊は、何かの罠にかかったらしく、鋭く削られた木が刺さっている。子熊を抱えて慎重にそれを抜いてやる。どこからか、傷に効くという薬草をエディーが見つけてきてくれたので、丁寧に塗ってやる。
「これで大丈夫からしね」
刺さっていた木が抜けたせいか、若干ではあるが、子熊の動きが良くなったようなきがする。
「そうですね。傷ももう少し癒えれば、山奥へと帰っていくでしょう」
アシリカもほっとしたようで、優しい目となり子熊を見ている。
それにしても……。
私は、すっかりと顔色を青くして、未だに怯えているニセリア達を見る。役に立たなかったわね。元々、期待してないけど。あっ。そうだ。デドルに情報の出所を教えなくちゃ。
「デドル。話の出所が分かったわよ」
「へい。アトルスでございましょう。もっとも噂としてはあやふやなはっきりしないものですがね」
流石だね。もう掴んでいたか。あたふやな噂か。ま、噂ってそんなものか。
「それと、この三人ですが、裏は無いようですな」
ちらりと、ニセリアの方にデドルは目をやる。
デドルの説明によると、この三人はトンクスから少し離れた所に住む三姉妹。ただ、最近両親が相次いで亡くなり、生活に困っていたとの事である。そこで、耳にした噂に乗っかり、ナタリア一行としてトンクスで宿にありついたようだ。
「両親を亡くしたのは不憫だけど、呆れたわね……」
そんな嘘、いづれバレるでしょうに。場合のよっては、罪になる可能性もある。まあ、朝から一緒に行動していて、この三人から裏がある様な悪意は感じなかったな。きっと、深く考えずに私になり切ったのだろうな。そのせいで、熊退治に駆り出されたのだけどもね。もう懲りただろうなぁ。
「で、どうしやす?」
うーん、どうしようかしら……。私のお忍びでの旅が噂になりつつある事と、この三人の扱い。
「そうだ!」
私の頭に名案が浮かぶ。
腰が抜けてしまっているのか、立ち上がれ無さそうなニセリア達の前に行く。
「ほら、立てる? ニセリアさん」
「ニセリア? ナタリアよ」
よく腰が抜けた状況でも、まだその設定を続けられるな。
「いーえ。偽物のナタリアだから、ニセリアでしょ」
「え?」
三人は動揺して、口をパクパクとさせている。
「もういい加減にしなさい。あのね、本物を目の前にして、いつまでそんな嘘を吐き続けるつもりなの?」
「ほ、本物? え、嘘……」
熊を見た時とは違う驚きを見せる三人。
「嘘ではありません。この方がサンバルト公爵家のナタリア様ですよ」
隣でアシリカが呆れ顔となっている。
「ご、ごめんなさいっ!」
三人は体を寄せ合って、土下座を始めた。流石三姉妹、息がぴったりね。
「あの、悪気はなかったんです。最初は、半分冗談で、信じてもらえるなんて思ってなくて。途中からは本当の事が言えなくなっちゃって……」
「悪気がなかった、では許されない事もあるのですよ」
アシリカのお説教が始まっちゃう。
「まあまあ、アシリカ。彼女たちも事情があってだからさ、多分……」
「お嬢様。例えどんな事情があろうと、これはお嬢様への侮辱でもあります」
「分かっているわよ。だから、彼女たちには、相応の罰を与えるわ」
罰、という言葉に三人は、体をびくりと震わす。
「あなたたち。私からの罰を申し付けるわ」
見下ろす私を、熊を見た時以上の恐怖を宿した三人の目には、涙が浮かんでいた。
「いやあ、まさか偽物だったとはねえ」
エディーのお母さんが驚きの顔になっている。
「でも、彼女たちが、熊の問題を解決したのは事実です。ですから、許してやってくれませんかね」
トンクスの街まで帰ってきて、町長をはじめ、エディーの両親に熊の顛末を報告したのだ。そこで、同時に、私の名を騙った事を不問する代わりに、正直に偽物である事を三人に自白させていた。
「まあ、それはそうだが」
町長さんも困り顔となっている。
「きっと、サンバルト家のナタリア様もこんな話を聞いたら不快に思われるでしょう。ですから、これはここだけの話にしておきませんか?」
「事情を聞いたら、確かに気の毒にも思うしねぇ……」
エディーのお母さんが頷く。
「では、アトルスの街の出来事もこの子たちが?」
町長さんが信じられないといった目で三人を見ている。
「詳しくは話したがりませんので、良く分かりませんが……。ほら、アンタたちも謝って」
私はニセリアたちを促す。おまけに、噂の元も彼女たちであると匂わしておく。元々が、あやふやな噂だ。さらに噂を乗せて、真実を誤魔化す。
「ごめんなさい」
「まあ、今回だけだよ。人に迷惑を掛けたわけでないし、宿の料金も働いて返すという事だから、熊の件に免じて、目をつぶろう」
町長さんも納得してくれたようだ。
「ありがとうございます。一生懸命、働いてお返ししますので」
三人は綺麗に揃って頭を下げる。
「頑張っておくれよ。うちも夫婦二人で丁度、人手が欲しかったから助かるよ」
エディーのお父さん、しっかり鍛えてやってくださいね。
「あーあ。でも、がっかりだね。一度、貴族のご令嬢ってのを、見てみたかったもんだねえ」
「いや、母ちゃん。本物見ても、がっかりすると思うぞ」
エディー、がっかりってどういう事かしらね。最後まで減らず口ばかりだったわね。でも、不思議と悪い気はしない。
「では、そろそろ……」
あまりのんびりする時間のない私たちは、山から下りてきて、すぐに出発である。
「姉ちゃん、オレ、立派な冒険家になるからな!」
「ええ。キュービックさんに負けないくらいの立派な冒険家になりなさいよ」
何だかんだ言っても、弟分が出来たみたいで、楽しかったな。
「だから、姉ちゃんも……」
あら、言葉を詰まれせて……。やっぱり寂しいのね。止めてよ。私まで、涙が出そうになるじゃないの。
「姉ちゃんも、無茶ばかりすんなよ」
ご忠告、どうも。やっぱり、エディーはエディーね。まあ、下手にしんみりするよりは、いいよね。
「じゃあ、皆さん。ありがとうございました!」
馬車が走り出す。
見えなくなるまで、手を振り続ける。エディーはぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っている。
その姿が見えなくなって、少し寂しかったのは秘密である。




