38 ある男の過去
デドルに自慢話男を任せ、私たちは一足先にキュービックさんの家へと戻る。
家の中へ入ると、どうやら来客のようだ。一人は、さっき話に出てきた商人のディーゴ。思わず、鉄扇で張り倒したい衝動に駆られるが、ぐっと我慢する。もう一人は初めて見るが、なかなかいい身なりをした人物である。しかし、その態度は尊大という言葉がぴったりと当てはまる態度である。
「何故、ディーゴの依頼を受けんのだ?」
腕を組み、キュービックを不機嫌そうに睨み付けている。
「ですから、私は引退した身。例え、執政官様のお言葉でも、お受けいたしかねますな」
執政官? じゃあ、うちの家が派遣している役人って事よね。何でこんなに偉そうにしているのかしら。
「まあまあ、そう言わずに」
へらへらとディーゴが、揉み手をしている。
「キュービックよ。これは内密だが、サンバルト公爵家のご令嬢であられるナタリア様の為でもあるのだ。ナタリア様が宝石をご所望なさっている。それに応えるのは、領民として、当たり前の事であろう」
え? 私? いや、宝石なんか興味ないけど。興味あるのは、天空石の方よ。いや、そんな場合じゃないわね。勝手に人の名前を使うなんて、どういう事よ。
「いいか。これは命令だ。サンバルト公爵家からのな。断る事は許さんぞ」
執政官は、それだけ言うと、キュービックさんの返事も聞かずに、さっさと家から出ていってしまった。私のまえを通り過ぎる時に、一瞬目をこちらに向けるが、興味無さげにすぐに視線を前へと戻す。
「キュービックさん、頼みましたよ」
一言言い残し、ディーゴも執政官の後を慌てて追って走っていく。まるで金魚の糞ね。
「ふんっ」
キュービックさんは、忌々し気に鼻を鳴らす。
「じいちゃん……」
不安げな様子でエディーが、キュービックさんの側に寄る。
「はは。心配はいらん。俺は受けん。万が一の時はサンバルト領から出れば済む話だ」
孫を心配させないようにか、笑顔を見せている。
「おっ。帰ってきてたのか」
壁際に立つ私たちに気付く。
「すまんな。イヤなモン見せちまったな」
「あれは……」
「サンバルト家から派遣されたミズールの執政官だ。モーリスだっけな。最近赴任してきたばかりだ。昔、この街の官吏もしていたらしいが、覚えてねえな」
そう言えば、ガイノスのお説教中にそんな話を聞いたな。
「そういや、アンタもナタリアだったな。同じ名前でも、大違いだな。どこぞのお貴族様のご令嬢とはよ。俺があの我儘で有名な娘の為に探索するわけねえだろ」
こんな遠い所まで、我儘ナタリアの話は伝わっているのね。ここまでくると逆に感心してしまうわ。隣のアシリカは、何か言いたげに複雑そうな顔をしているけどね。
「こっちのナタリアちゃんの為なら、宝石を探しに行ってやってもいいぞ。いや、こっちは、天空石をご所望だったな」
キュービックさんは楽しそうに笑い声を上げる。
「で、どうだい? 成果はあったか?」
マインズさんの事だろう。
「はい。もう少しはっきりとした事が分かればお話しします」
まだ、はっきりとしていない黒幕の事が気になる。黒幕が誰か分かるまでは黙っていよう。
「それより、そっちはどうですか? エディーは冒険家の素質がありそうですか?」
キュービックさんは、冒険家になりたいというエディーに何やらいろいろと教えている。久々に孫に会えて、嬉しくもあるのだろう。
「いやいや。冒険家に素質なんてものはいらない。必要なのは、がむしゃらになれる事だ」
「がむしゃら?」
素質はいらないの?
「ああ。生きる為、欲しい物を手に入れる為、大切なモンを守る為、がむしゃらに生きている奴が、立派な冒険家になれる」
奥が深いのね。なんだか、人生訓を言われているみたい。よし、私もがむしゃらに世直しを頑張ろう。
「じいちゃん、オレもがむしゃらに冒険家を目指すよ!」
どこまで分かっているのかしらね。
その場の皆が苦笑いでエディーを見ていた。
深夜、不意に目が覚めた。別に怪しい気配を感じたから、とかではない。そもそも、そんな才覚は持ち合わせてはいない。
私のお腹から、空腹を告げるグーという音が聞こえた。
なるほど。目が覚めた理由が分かった。成長盛りだもんね。こんな夜更けにアシリカやソージュを起こすのも、悪い。かといって、ここはキュービックさんの家。勝手に台所を漁るわけにもいかない。
我慢して寝るか、と思ったものの、空腹のせいか寝付けない。
ベッドの中で、寝ようと瞼を閉じていると、廊下を人が歩く音が聞こえてきた。
誰だろうか? でも、もしかしたら、他の誰かも、お腹が減ったのかもしれない。ソージュあたりかな。これは、チャンスだね。私も、おこぼれに預かろう。
ベッドを抜け出し、上着を羽織ると廊下へと出て、寝室にあてがわれた二階の部屋から一階へと降りていく。
ところが、一階に人はいない。あれ、おかしいな。さっき、確かに廊下を誰かが歩いていたはずなのにな。
「お嬢様でしたかい」
「ひゃっ!?」
うわっ! 突然現れてないでよ! びっくりするじゃないの。
「驚かせちまったですかい?」
「いつの間に帰ってきてたの? 遅くまで何をしていたの?」
デドルは、昼間に丘の上の公園で分かれて以降、帰ってきていなかった。
「申し訳ございやせん。ちと、調べたい事が出来まして……」
「そう。何か分かったの?」
「はい。ただ、その前にお嬢様に申し上げたい事がありまして」
暗がりの中で、デドルの表情はよく見えない。ただ、白い歯が見えないので、笑ってはいないと思う。
「何?」
「はい。お嬢様は明日の朝、出立なされませ。エルカディアにお帰りになられますよう」
帰るですって? デドルは何を言っているのだろう。時間も時間だから寝ぼけているんじゃないの。それとも、寝ぼけているのは、私の方かしら。
「御者はソージュに仕込んであります。問題ないでしょう。念の為、警護として、キュービック殿に信頼できる冒険家を紹介してもらいましょう」
どうやら、デドルも私も寝ぼけているわけでは無いようね。
「待ちなさい」
私の声は、思っている以上に低く、冷めたものだった。
「デドル。どういう事かしら? 御者をソージュにという事は、あなたはここに残るっていう事?」
「はい。おっしゃる通りで」
抑揚のないデドルの返答である。
「あのね、そんな事許されると思ってるの? マインズさんの件もあるし……」
「お嬢様。今日、夕方に、エルカディアの旦那様に宛てて、手紙を差し出しました」
私が話すのを遮り、デドルは、よく分からない話を始める。
「誠に勝手ながら、サンバルト家を辞する手紙でございます。ですので、ご一緒に帰る必要は無くなりました」
辞する? 辞めるって? すぐには、私の頭は理解が追い付かない。
「今回の件、お嬢様は手をお引きください。後は、あっしが引き受けますので」
暗がりに目が慣れてきて、頭を下げているのが分かる。
「説明してくれるかしら? はい、そうですかって私が言うとでも?」
若干の苛立ちを覚える。デドルの言っている事が、滅茶苦茶に思える。
「……少々長い話になりますが、よろしいでしょうか?」
やや沈黙の後、口を開いたデドルは、椅子に腰掛けた。私もテーブルを挟んで、デドルの正面に座る。
「随分昔の話です。ある貴族に仕える隠密がおりました。その男は、幼少の頃より、同じく隠密であった父親から厳しく育てられたお陰か、成長してからは国でも五指に入るくらいの優秀な隠密となっていました。主である当主からの信頼も厚く、日陰者でありながらも彼は充実した日々を送っておりました」
淡々と、デドルが話しているのを、真っ直ぐに見つめながら耳を傾ける。
「その男が、二十も半ばを過ぎた頃です。ある命令がありました。ミズールでの人身売買を調べるようにとの命令でした。これが、なかなか難しい仕事でして。どうやら、街のごろつきどもが、中心になった組織がやっていた様なのでしたが、その組織を仕切っている者が分からない。男は、何とか見つけ出そうとミズールに腰を据えましたが、そこで、男は痛恨のミスを犯したのです……」
デドルはそこまで話すと、一瞬言葉に詰まる。私はじっとデドルの言葉を待つ。
「男はね、恋をしてしまいまして。柄にもなく、己の立場をもわきまえずにね」
窓からすっと差し込んだ月の明かりに照らされたデドルの顔は、辛そうな苦笑を浮かべていた。
「二人の仲は深まるにつれ、その娘は、その男の任務をそれとなく察した様でしてな。そして、こともあろうに、自らが囮となって組織に攫われたのです。男は焦りました。慌てて、組織のアジトに忍び込みましたが、運悪く見つかりましてな。乱闘となったわけですが、そのさなかに娘は命を奪われました……」
後悔と悲しみが混じったデドルの声である。
「結果的に、組織を壊滅させる事には成功しましたが、最後までその組織を操っていた人物を特定する事が出来ませんでした。さらには、役所内にも情報を漏らしていた内通者がいたようで、これもまったく分からずじまい。密命を帯びた隠密としては、失格と言われてもおかしくない結果ですな。ちなみに……」
デドルは言葉を止め、私を見る。
「その時の組織のトップと当たりを付けていた人物の一人が、ディーゴです。もっとも、何一つ確証はありませんでしたがね。それともう一つ。当時と今現在、役所にいる人物がいます。当時はまだ若い官吏の一人だった、モーリスです」
ディーゴとモーリスが結託しているのは、間違いない。キュービックさんに鉱脈探しを依頼するのに、わざわざ自分で訪れてまで強要しようとしているのだ。そして密輸をしているトルネージ商会とディーゴも繋がっている。そうなると、モーリスとトルネージ商会も繋がっていると考えるのはおかしい話ではない。
モーリスとディーゴが一緒にいるのを見て、その可能性を考えていたが、デドルの話を聞いて、さらに疑いが増してきたな。
だが、腑に落ちない事もある。デドルは、何故私をこの件から遠ざけようとするのか、何故サンバルト家を去る必要があるのかだ。
「お嬢様には、正直に申し上げます。悪しき者といえども、法によって裁かれなければなりません。実際、お嬢様もそうされてきたはずです」
デドルは屋敷の外で、私が何をしていたか見ていたみたいな言い方ね。いや、不思議ではないか。彼の素性を知った今ではそう思う。それに、今までデドルに疑問に感じていた事も納得できる。
「ですが……」
月が雲の中に隠れたのか、デドルの顔が再び暗闇に包まれていく。
「あっしは、それに納得出来る自信がありやせん。ユーリアだけではなく、娘を失ったのに、あっしの事を気遣ってくれるようなマインズ殿まで手に掛ける輩をこの手で裁いてやりたい」
感情を押し殺した声だが、気迫が漲っているのがひしひしと伝わってくる。
そうだったのか。かつて愛した人の父親がマインズさんだったのか。だから、デドルはあそこまで、ショックを受けていたのか。
大切な人だけでなく、世話いなったその父親まで殺されたのだ。デドルの気持ちは痛いほど分かる。私がデドルの立場であっても同じ様に考えるだろう。
だが、どんな悪人といえども、法を無視して殺せば、殺した人物は罪人となる。それを分かっているからこそ、サンバルト家や私に迷惑を掛けまいとしているのだろう。
「ですから、お嬢様。今回はお引きくだされ」
再び月明りが出てきて、頭を下げているデドルが私の瞳に映るった。
「それで、デドルは満足なの?」
もし、モーリスらを独断で始末したとなれば、デドルもただでは済まないはずだ。真実はどうであれ、サンバルト家の執政官や街一番の商人や海運業の主を殺めた悪人となる可能性もある。
「満足、ですか……」
顔を上げたデドルは力なく笑う。
「その男はね、ユーリアを失って以来、満足というものが分かりやせん。隠密もその件以降は、無理を言って足を洗いました。それからというもの、ただ、世の中の傍観者ですな。楽しい事があっても心から笑えず、心底嬉しいと思う事もありやしません」
辛い。聞いていて、そう思う。きっと、デドルは大切な人、ユーリアさんを失って心の一部が死んでしまったのだろうな。
「ならば、私のやる事は一つね。デドルにも言ったでしょ。私は、権力や暴力に虐げられている弱き者を助けるって。だったら、その男も助けないわけにはいかないわね」
一年以上経ってもこの決意は変わらない。何と言われようが信念を曲げようとは思わない。
「お嬢様、今回ばかりは……」
「私は私の生き方を貫く。この手で自分の運命を切り開く為にもね。だからこそ、ここで、デドルを見捨てる事は出来ないわ。見捨てるよりも……」
私はデドルの目をじっと見る。
「共に重荷を背負うわ」
デドルだけではない。アシリカやソージュなど私の周りの人を見捨てる事など、私には考えられない。
デドルは口をあんぐりと開け、目を見開いている。
「だから、決着をつけるまで、私は帰らないわよ。いいわね」
「お嬢様は……」
ぽつりとデドルが呟く様に再び口を開いた。
「あっしが思っていた以上のお方でしたな。あっしの考えなど軽く飛び越してしまわれる」
「それは褒めてくれてるいのかしら?」
「もちろんですとも」
デドルはやっと白い歯を見せて、笑う。
「さあ、夜も遅いわよ。明日に備えて寝なくっちゃ」
「あっしも弱き者、ですかい?」
立ち上がった私にデドルが問いかけてきた。
「私に比べたらね」
暗がりの中、にやっと笑みを浮かべた。デドルは、肩を揺らしながら楽しそうに笑っていた。




