34 川の流れ
ミズールへと向かう出だし早々に、アトルスで道草をしてしまった私たちは、馬車を走らせていた。余裕を持った日程を組んでいるらしいが、初っ端からの寄り道はデドルにとっても、想定外であったらしく、馬車が走るスピードも当初より早く感じる。
アトルスを出て五日。変わらない風景とやる事のない馬車の中にすっかり暇を持て余してしまった今日の私は御者台のデドルの隣だ。さすがに五日間も馬車に揺られ続けると、会話も減ってきたしね。
暖かな日差しの中、向かい風が気持ちいい。御者台から見える風景は、車中から見るものと違って目に映っているような気がする。
広がる田園では、種まきの季節が終わり、雑草を抜いたり、発芽の状況を確認しているのか、農夫の姿がちらほら見える。その周りには、小さな子を連れた女性や談笑している老人の姿も目につく。
「のどかね」
車輪の音にかき消されないように、大きな声で手綱を握るデドルに話しかける。
「そうですなぁ」
デドルは穏やかな顔で答える。
前からやってきた馬車とすれ違う。荷物を積んだ馬車だ。どこかの街に商品を運んでいくのだろう。すれ違いざまに、御者台のおじさんから手を振られた。私も手を振り返す。
「ふふ。平和ね」
思わず笑みがこぼれてくる。
「お嬢様、この光景を決して忘れないでくださいな」
デドルは真っすぐに前を向いたまま言った。その表情は穏やかなままである。
「畑を耕し、作物を作る者。商いに精を出す者。皆、一生懸命に生きております。門の外でご覧になった者たちの暮らしも同じです。例え、どんなお立場となられても、決して忘れないでやってください」
急に、どうしたんだろう。今まで、こんな事、一度も言わなかったのに。
「もちろんよ。今更言われるまでもないわよ」
だって、私はそんな人たちを権力や暴力で理不尽に虐げられる事から守りたいのだもの。
「そりゃ、お見それしましたな。やはり、お嬢様は、あっしでは想像出来ない所におられますなぁ」
白い歯を見せ、デドルは笑う。
でも、私から見て、デドルも不思議な人だ。信頼出来る人である事は、間違いないが、ただの庭師とは思えない時がある。屋敷の秘密の門番で情報通、馬車を操り、怪我の具合をも見れる。
「それはお互い様よ。デドルだって、私から見たら不思議な人よ」
よくよく考えてみれば、普通じゃないよね。一度、聞いてみようかしら。
「はっはっはっは。そうですかい。ですが、不思議な男ってのも、魅力的じゃないですかい?」
いや、白髪交じりで、中年を越えようとしているデドルにそんな事言われてもね……。少なくとも私は遠慮します。これこそお互い様だろうけど。
「ねえ、ミズールまでどれくらい?」
すっかり、デドルの素性を尋ねるタイミングを無くした代わりに尋ねる。
「そうですな。あと六日程でしょうか」
寄り道をしなければ、と付け加える。
まだ、六日もかかるのか。遠いな。
「あっ、お嬢様。一つ言い忘れていました。実は、ミズールで古い友人に会いたいと思ってまして。あちらに着いたら少し時間を頂いても構いませんかね?」
へー。デドルはミズールに友人がいるのか。
「ええ、構わないわよ。ひょっとして、デドルの不思議な魅力に落ちた昔の恋人とか?」
私はデドルをからかう。
「いやいや。男ですから。しかもごつい体をした船乗りですな」
苦笑いで、デドルは首を横に振る。
「昔、あっしがいろいろあった時に助けてくれた友人です。もう十年以上会ってはいやせんがね」
ふーん。デドルの過去か。そこもちょっと興味があるな。うちの屋敷には長い事勤めているみたいだけど。
「お嬢様、あそこ、ご覧ください」
街道に沿って流れる川沿いの土手一面が紫色になっている。花畑だ。
「どうです、少し休憩にしますかい?」
「そうね。景色もいいし、少し休みましょう」
辺り一面に紫色の花が広がる土手の脇にデドルは馬車を止めた。
川に沿って、見渡す限りの花が咲いている。一つひとつの花は小さく、可愛らしい。アシリカたちも感嘆の声を上げている。
「はい。これプレゼント」
「ありがとう」
どうやら先客がいるみたいね。花畑の中で、男の子と女の子が座っている。まだ、五歳が六歳くらいだろうか。
男の子が花で輪っかを作り、女の子の首にかけてあげている。
見ていて微笑ましい。
「ふふ。素敵なプレゼントね」
馬車から降りて、声を掛けた私に女の子は、少し照れた様子で頷く。その反応も可愛らしい。
「今はまだ花で作ったものだけど、いつか本物をプレゼントするんだ」
男の子の方は照れる様子もなく、得意げに女の子の手を握る。
「まあ、それは楽しみですわね」
シルビアが女の子に微笑む。女の子は顔を赤らめているが、男の子の手を振りほどく素振りはない。仲いいね。
「僕たち、大きくなったら結婚するんだ」
男の子が胸を張り、堂々と宣言する。
「こちらが照れてしまうわね」
私の言葉にシルビアも頷く。
「僕たち、運命で結ばれているんだもん」
ねっ、と目線を合わせる男の子に、女の子もしっかりと頷き返す。
いやいや、すごい子たちだね。目の前で、見せつけられたよ。当分、甘いお菓子いらずだね。
二人は、これから何か用事があるらしく、すぐに花畑を去っていく。微笑ましく思いながら、手を繋ぎ帰る二人を見送る。
「お姉さま、殿下にお会いしたくなったのでは?」
珍しく、私をからかう様なシルビアの言葉である。
「まさか」
思う訳無いでしょ。私はシルビアの言葉を鼻で笑う。そう言えば、王太后様には、手紙で旅する事を伝えたけど、レオには知らせてなかったな。ま、いいか。
「ですが、運命で結ばれているなど、ロマンチックですね」
甘い雰囲気の二人に見せつけられて、少しお腹いっぱいといった様子のアシリカが呟いた。
「運命ね……」
私は小さく呟く。その言葉を聞くと、嫌でもいつも思い出してしまう。
穏やかな空の下で、綺麗な花と心許せる人たちと一緒にいる。幸せな時間を過ごせていると思う。だがこれから先はどうなるのか。運命に翻弄されるのだろうか。その時、今私の側にいる人たちはどうなるのだろうか。そして、私は運命に打ち勝つ事が出来るのだろうか。今に満足するほど、幸せを感じるほど、私はその事を考えてしまう。
私は川の水面を見る。風に吹かれて飛ばされてしまったのだろうか。一枚の花弁が流されていた。川の流れに翻弄され、右へ左へと彷徨い、最後は水流の中へと飲み込まれてしまった。
私もあの花弁の様な運命を辿るのだろうか?
いや、決めたはずだ。自らの運命をこの手で切り開くと。そう、すぐそこで流されながらも、必死で手を伸ばしあがいている、あの人の様に――え?
「溺れてる!」
一人物思いに耽っている場合ではない。川の中ほどで、子供が流されている。助けを求める様に、両手を水面から突き出し、あがいている。
私の叫びに気付いたデドルが、川へと入っていく。胸の辺りまで浸かりながらも流さていた子供を川の流れから救い出す。
「ゲホッ! ゲホッ!」
救い出された子は咳き込んでいるものの、意識ははっきりとしている様だ。アシリカたちは、用意したタオルで顔を拭いてやっている。
「大丈夫?」
咳が落ち着いたのを見計らって、尋ねる。
「お、溺れてたんじゃないぞ」
何、いきなり? どう見ても溺れてたじゃないの。
「訓練だ。川での訓練だったんだ」
意味が分からないね。川で訓練? そんな意味不明な言い訳をしなくてもいいのに。
「では、もう一回、放り込みマスカ?」
ソージュ、鬼ね。ほら、この子、固まっちゃったじゃない。
「きょ、今日の訓練はもう終わりだよっ」
この子も負けてないわね。とにかく、訓練だったのね。何の訓練かは知らないけどさ。
「そんな事より、着替えたら? そのままじゃ、いくら暖かくなってきたからって言っても、風邪ひくわよ」
今日がいくら日差しがあるとはいえ、まだ季節的に泳ぐのは早いだろう。
「ああ。それもそうだな……、あっ!」
慌てた様子で、腰の周りを手で探っている。
「どうしたの?」
「無いっ。荷物が無くなってる!」
ああ、川を流されている時に無くなったのでしょうね。あれだけ、ジタバタあがいていたから無理もないか。川の方を探してしてみたが、それらしき物も見当たらない。川底に沈んでしまったか、もっと先に流されてしまったのだろう。
「どうしよう。ミズールまで行かなきゃなんねえのに」
男の子は、川を眺め呆然としている。
ミズールまで行くのか。行先は一緒ね。まさかこのまま放っておく訳にもいかないしなぁ。
「私たちもミズールに行くのだけど、乗っていく?」
「いいのか? いや、でもなぁ。馬車か。うーん。ま、冒険にはいろんな事が付き物だよな。いっかな」
冒険? まさかこの子、家出じゃないでしょうね。家出だったら、親御さんが心配しているはずだし、連れていく訳にはいかないもんね。
「あの、ひょっとして家出とかじゃないでしょうね?」
念のため、確認しておこう。
「違うよ。ミズールにいるじいちゃんの所に行く途中だよ」
そっか。ならいいかな。でも、一人でミズールまでって、すごいわね。私より二つか三つ年下みたいだけど。
そんな事を考えていた私が馬鹿だった。
「それって、家出と一緒じゃないの!」
馬車で再び走り始めてから、車内でその子から聞いた話への私の言葉である。
男の子の名は、エディー。彼のミズールまで祖父に会いに行くという話は確かに本当のようだ。だが、問題はそれを、両親の反対を押し切って無理矢理家を飛び出してきた、という事だ。
「ご両親が心配しているのでは?」
アシリカも、不安げにエディーに告げるが、彼自身は、まったく気にしていないらしい。
「だって、オレは立派な冒険家になるんだ。その為にも、修行の旅に出たかっただけだ」
彼は冒険家になりたいらしく、家を飛び出して、一人ミズールにいる祖父の元へ向かおうとしていたらしい。
そうだよね。いくらなんでもこの年で一人で、何日も旅するなんてないよね。
「オレのじいちゃんも冒険家だったんだ。だから、オレはじいちゃんの元で修行させてもらうんだ。その為に訓練もしてきたしさ」
今回も訓練として、川を無理に渡ろうとして、滑って転んだ挙句、溺れたみたいだ。彼は流される事も訓練の一環だと言ってはいるが。
「今までも、飲まず食わずで何日耐えられるかとか、何日寝ずにいられるかとか、いろいろ訓練もしてたんだ」
彼の中での冒険が分からない。いくら、冒険家の孫でも、彼には素質が無い様な気がするのは私だけだろうか。
「とにかく、ご両親が心配しているはずよ。家はどこ? 送ってあげるから」
このまま連れていくのもちょっとね。
エディーはプイとそっぽを向く。無視を決め込むのね。
「まあいいではありませんか、お姉さま。次の街にでも着いてから、エディー君のご両親に手紙で無事を知らせましょう」
シルビアが仲裁案とばかりに、私に言ってきた。
このままじゃ埒が明かなさそうだし、それでいいかな。今の段階でいくら聞いても、家がどこにあるか教えてくれないだろうしさ。
「ありがとう。おっぱいのでかい姉ちゃん!」
このマセガキ。じゃあ、私はどんなお姉ちゃんだ? 返答によっては、馬車から叩き落とすぞ。私の成長は、これからなのよっ。シルビアもにこにこして、頭を撫でてやるんじゃないわよ。
「何怖い顔してるんだ? こっちの綺麗な姉ちゃんは?」
あら。意外といい子なのかしら。冒険家の才能は疑問だけど、素直そうな子じゃないの。
「怖い顔なんかしてないわ。安心しなさい。ミズールのおじい様のお家まで、ちゃんと届けてあげるから」
私も、エディーの頭を撫でてやる。
「本当か?」
ぱっと明るい顔にエディーはなる。
「ええ」
「ありがとう、単純な姉ちゃん!」
このガキ、本当に突き落とすか?
アシリカだけじゃなく、ソージュにまで笑われているじゃない。
「私は単純なんかじゃないわよ。エディー。私はナタリアよ。ナタリアお姉さまと呼びなさい」
「お嬢様、年下相手に何もそこまでムキにならなくとも……」
アシリカが苦笑している。
「ムキになんかなっていないわよ」
私の返事に、皆が笑う。
まぁ、いっか。少し退屈になってきていた馬車の中が何だか明るくなった気がする。まあ、それだけで、良しとするかな。




