32 役作り要らず、ですか
無事にアトルスの街に到着した翌日、私たちは芝居の一座にお邪魔させてもらっていた。
今回の公演は、このアトルスにある芝居小屋で行うそうだ。小屋の主とスバイツさんが旧知の仲らしい。
見学だけのはずが、いつの間にか私たちも準備を手伝っていた。もっとも、出来る事は少なく、雑用ばかりである。それでも、初めての経験に、私は筋肉痛も忘れるくらい楽しめていた。
「マルバさんから、差し入れを頂きました。少し休憩にしましょうか」
スバイツさんが、手にした袋を掲げている。その隣には、ちょっと見た目が怖そうなお爺さんが立っている。
「おう。皆、ご苦労さんだな」
お爺さんは、そう言うと、私に視線を向けた。
「ん? 初めて見る顔だな。新人入れたのか?」
「いえ、違いますよ。彼女はナタリアさん。ほら、昨日は着いた時、話していた人たちですよ」
「ああ。荷崩れした時に手伝ってくれた人か」
お爺さんは、スバイツさんに頷くと、私の前に来る。
「お嬢さん方。ありがとうよ。ワシはこの芝居小屋の主でマルバってモンだ。昨日の事は聞いていたが、準備まで手伝ってもらってるとは、すまんな」
見た目は怖そうだけど、話している感じは、普通だね。
「はじめまして。ナタリアです。お手伝いは、無理言ってさせてもらっている事ですから」
一座の人たちには、商家の娘と言ってあるので、軽く頭を下げるだけの挨拶をする。お父様の意向もあるけど、貴族の娘と変に気を使われるのも嫌だしね。
「さあ、せっかくの差し入れです。休憩にしましょう」
マルバさんの差し入れを皆で頂く。
一座の女性は三人だけ。なので、私たち四人の女性が加わったせいで、賑やかな休憩となっていた。すっかりと一座の人たちとも、打ち解けて会話が弾む。
「ところで、稽古とかはいいの?」
隣に座るフィルルさんに尋ねた。私は気になっていたのだが、舞台や小道具の準備はどんどん進んでいるが、一向に稽古をする気配がないのだ。
「もちろん、しますよ。でもね……」
苦笑いをフィルルさんが浮かべて、スバイツさんを見る。
「いや、実はですね。今やっている芝居、二年近く同じものでして……」
スバイツさんはバツが悪そうに、頭を掻く。
「いえ、もう三年以上の間違いよ」
一座の三人いる女性のうちの一人であるバレッタさんが、スバイツさんの言葉を訂正する。バレッタさんは見た目も中身も勝気な女性だ。
「何だ、スバイツ。まだ、スランプなのか」
マルバさんが眉間に皺を寄せる。見た目もあり、ちょっと怖い。
「ええ。なかなか、新作のアイデアが浮かばないものでして……」
いや、スランプにしては長すぎる気がするけど。
「そういう訳で、毎回同じ芝居をするもんだから、台詞なんかは完璧に覚えているし、どう動くかも体で覚えちゃってる感じなんです。だから、直前に、一回通し稽古をするだけで十分でして」
フィルルさんの説明に納得だね。三年以上、ほとんど毎日の様に同じ芝居を続けてたら、体に染みついてしまうよね。
その場にいる者が苦笑する、束の間の休息を打ち破るかの様に、扉を乱暴に開ける音が響いた。
一体、何事かと開け放たれた扉の方を見ると、身なりのいい中年男が立っていた。
誰だろうか? 芝居小屋の関係者かと思い、マルバさんの顔を見ると、怖い顔が一段と、険しさを増している。どうも、この感じだと、歓迎されない訪問者みたいね。
「ケインズさんか。何か用かね?」
明らかに先ほどまでとは違い、マルバさんの声のトーンが下がっている。
一座の人たちも、このケインズという男を知っているのか、雰囲気が重いものに一変する。バレッタさんら一部に至っては、露骨に嫌悪感を顔に浮かべていた。
「用があるから来たに決まっているだろう」
人を小馬鹿にした様な返事だ。
なんだか皆の反応が分からないでもないな。このケインズという男、小綺麗にはしているが、その顔からは陰湿な性格が滲み出ているみたいだ。
「芝居一座が確かに来ているな。おい、お前たち。明日の昼は俺の屋敷で芝居だ」
さも当然といった態度で、それだけ告げると、用は済んだとばかりにくるりと扉へと向かう。
「待ってください。我々は、明日からこの芝居小屋での公演の予定です。そちらには伺えません」
スバイツさんが慌てて、立ち上がる。
「はあん?」
顔だけを振り向けて、ケインズがスバイツさんを睨み付けた。
横暴そうな奴ね。貴族には見えないけど、金持ちの商人かしら?
「いや、ですから、ケインズさん。すでに明日は……」
しっかりしてよ、座長さん。ちょっと睨まれただけで、急に弱気になっちゃったよ。
「ケインズさん、もう明日のチケットも完売しててな。こちらが先約済みだ」
ケインズの睨みがマルバさんに移る。
「そんな事、俺には関係無い。つまらん口答えをするな」
ほんと、何なの、こいつ。私まで腹がたってきたわね。
「いい加減にしなよ。前もあんな事があったのに、よくそんな事言えるもんね」
気弱な座長の代わりにか、バレッタさんがケインズに声を上げた。
やっぱり以前に、何かあったのね。
「ふん。知らんな」
ケインズは、不快な笑みを口元に作る。
「相変わらず、クソみたいな奴だな」
我慢の限界とばかりに、バレッタさんは、眉を吊り上げて、ケインズに飛びかかる勢いで立ち上がった。
「バレッタさん、暴力は、いけませんよ」
ケインズに詰め寄ろうとするバレッタさんの腕をスバイツさんが掴む。
けれど、そのタイミングが悪かった。前方に進もうとするバレッタさんの体と引き止められた彼女の腕。当然体のバランスが崩れる。さらに運の悪い事に、バランスを崩した彼女の足元には、小道具のボール。バレッタさんは、見事に転んでしまった。
「くっ」
足首を手で押さえ、苦痛の表情を浮かべる。
「バレッタさんっ!」
フィルルや一座の人がバレッタさんに駆け寄る。口々に声を掛けているが、相当痛みが激しいようで、返事はない。
「すみません、バレッタさん。起き上がれますか?」
転ぶ切っ掛けうを作ってしまったスバイツさんは慌てふためきながら、心配そうに声を掛ける。
「ちょっと、見せてくれますかい?」
デドルが、バレッタさんの周りに集まる一座の人をかき分け、バレッタさんの元に行くと、足首をに触れる。
ちょっと、デドル、何してるの? 治療でもするつもり? でも、デドルは庭師よ。ただ触るだけだったら、セクハラでしかないよ。
「骨には異常ない。ただの捻挫ですな。よく冷やして二、三日すれば、治りますわい」
えっと、本当に? デドルって、そんな事まで分かるの? でも、軽い怪我みたいで良かった。
「二、三日ですか……」
スバイツは、肩を落とす。
「公演、どうしますか……?」
フィルルも、不安そうにバレッタさんを見ている。
そうか。芝居の公演は明日からか。それなのに、バレッタさんは二日間は芝居に出られないじゃないか。
「ふん、俺に口答えした天罰だ。この分じゃ、明日は無理か。せっかく、この俺が見てやろうって言ってやったのにな」
大きな笑い声を立てながら、男は出て行ってしまった。
「ちょっとっ!」
私も我慢の限界だ。こいつ、鉄扇の餌食にしてやろうか。
「お嬢様っ」
立ち上がろうとする私をアシリカに抑えつけられる。
「騒ぎはなりません。それに、余計に皆さんにご迷惑をお掛けしてしまいます」
うーん。腹立たしいけど、アシリカの言う通りだ。ここで、ケインズをぶっ飛ばしても、バレッタさんの足がすぐに直るわけでもない。
「大丈夫か?」
マルバさんが冷やした布を持ってきて、バレッタさんの足に当てる。
「お嬢さん方も、嫌な気分にさせちまったな。すまんな」
マルバさんが謝る事じゃないのに。
「あの男は一体……」
私の問いかけに、マルバさんは、眉間の皺を一段と深くして、話してくれた。
以前に、一座が来た時も、無理やり公演が終わった後の夜に、屋敷で上演させたらしい。しかも、金も払わず、芝居をこき下ろしたそうである。
ケインズという男、この街での昔からの有力者で、手広く商売をしている家の当主であるとの事だった。しかも、国からこのアトルスの統治を委託されてもいるとの話である。先代までは良かったらしいが、今のケインズはご覧の通りの様子らしい。
そう言えば、中規模以下の街や村は、その地の有力者に統治を任すという話をエネル先生から習った記憶があるな。
「でも、これじゃあ、明日からの公演は無理だな」
悔しそうにマルバさんが呟いた。
「大丈夫よ。これくらい問題ない」
そう言いながら立ち上がろうとしたバレッタさんは、再び苦痛に歪んだ顔になりその場に座り込んだ。
「ほら、駄目ですよ。無理し過ぎると悪化してしまいます」
スバイツさんが、首を振る。
「でも……、そうだ」
バレッタさんは、シルビアから始まって、アシリカ、ソージュとその顔を見ていく。そして、最後、私の所で、止まった。
「ナタリアさん、私の代役になってちょうだい」
え? 私? そりゃ、ちょい役でとは、思ったけど、半分冗談だよ。
「ね、お願い。私の役の代わりはナタリアさんがぴったりよ。ね、お願い」
ほー。私がぴったりですか。バレッタさんもフィルルさんに劣らず美人である。そんな彼女の代役が、四人の中で私が一番合うという事ですか。いや、見る目があるね、バレッタさん。
「あなた以外に、私の代役は務まらないわ。ね、今から私がみっちり稽古をしてあげるからさ」
ふむ。そこまで言われたら仕方ないわね。プロから見て、私、女優の素質があるのね。そして、美貌も。
「分かりましたわ。精一杯、頑張ります!」
ナタリア・サンバルト、女優への第一歩である。
一座の皆さん総出で、夜を徹して私への稽古が続いている。
「本当に、物覚えの悪い子ね。何回言われれば分かるのかしら」
これは、私の台詞である。
「申し負けございません。すぐにやり直しますので」
これはフィルルさんの台詞。
芝居のストーリーはこうだ。
孤児の美少女が、とある商家で雇われる。そこで、同じ年のその商家の娘に苛め抜かれる。たまたま店に来た貴族の青年と恋に落ちるが、それを、苛め役の娘に、邪魔される。何だかんだあって、結局は、実はその少女は実は隣国のお姫様で、貴族の青年とはハッピーエンド。意地悪娘は、没落しました、って感じ。
私は、その意地悪娘の役である。
……どこか、腑に落ちない。
「ううっ。何で私がこんな目に……」
それが、私の最後の台詞である。実家の不正や実はお姫様であった少女を苛めていた罰で、着の身着のまま追放された時のシーンである。
この役柄、私の心を削るわね。私って、そんなに悪役顔かしら。
「いやっ、お見事! ナタリアさん、初めてとは思えない迫真の演技ですよ」
スバイツさんが両手を叩き、満足そうに頷いている。
「すごいわ。ナタリアさん、才能あるんじゃないですか?」
フィルルさんも、絶賛である。他に一座の人たちも私の演技を褒めてくれる。
そんなに、悪役が似合ってるの?
「でも、いいのかしら? 私まで、出てしまって……」
シルビアが小首を傾げる。彼女も、急きょ、主役の少女の友人役を作ってもらい出演ととなっていた。スバイツさんがシルビアを見て、閃いたらしい。ふん、どうせ、シルビアの色気にでも、やられたのでしょうね。それとも、自分から色目でも使ったのかしらね。……駄目だ。思考回路が、すっかり悪役になってしまっている。私は役に成り切るタイプの女優だったのか。
「お姉さま、どうでした? 私の演技は?」
うん、まあ、良かったよ。でも、演技以上に、胸を強調したその衣装の方が気になるわね。
「お嬢様、お疲れ様でした。怖いくらいの演技でした」
「お嬢サマ、悪役、似合ってマシタ」
アシリカ、ソージュ、ありがとう。でも、褒められる程、複雑になるわ。
「さあ、皆さん。明日の本番もよろしくお願いしますよ」
スバイツさんが、声を張り上げる。
いよいよ明日か。ちょっと、緊張するわね。うまくいくかしら。
そんな心配もいらないくらい、翌日の公演はうまくいった。どうやら、私の演技は、概ね好評だったようである。
だが、私以上に注目を浴びたのは、シルビアだ。出るシーンは少ないものの、やはり彼女の色気は客席を虜にしたみたい。主に男性客にだけども。
バレッタさんが復帰出来るまで、後一日。この調子なら、何とかなりそうね。
無事、初日の公演が終わり、二日目を迎える朝。
公演前の準備を進めている所に、一枚の紙を持ったケインズの使いの者がやってきた。紙には、公演の中止と、芝居小屋の閉鎖を命じる言葉が書かれていた。




