22 予想外
「たまたま外から、カレンが見えてね。何やら絡まれていたみたいだったから、飛んできたんだ。おっ。これはシルビア様。カレンとご一緒でしたか?」
カレンさんのお兄さんが、シルビアさんに軽く会釈する。
「ええ。今日はここで友人と会いまして」
シルビアさん、この人と面識が在ったんだ。そう言えば、カレンさんと男性が会っている話はしていなかったな。
「あっ。どうも初めまして。ナタリアと言います。シルビア様とは親しくさせて頂いています。今日はありがとうございます。危ない所を助けて頂いて」
私も礼を述べる。あえて、貴族の礼は取らず、頭を軽く下げるだけである。
「ナタリア様はシルビア様のご友人ですか。どうも初めまして。カレンの兄です」
さわやかな笑みを見せる。その笑顔に改めて、敗北感を味わう。
「いえ、様付されるような身分ではありません。ナタリアで結構です」
あくまで、今はお忍びの外出中である。素性は出来るだけ隠したい。
「それは失礼したね。シルビア様のご友人だからてっきり貴族の方と思ってしまって。かえって気を使わせてしまったね。それより、そちらの人は大丈夫なのかい?」
カレンさんの兄はエネル先生を心配そうに見つめる。
あっ。忘れてた。アシリカとソージュが、慌てて先生に駆け寄る。少し意識が朦朧としている様だが、問題は無さそうだ。しばらくすると、アシリカとソージュに支えられ、なんとか立ち上がった。
「うん。大丈夫そうだね。でも、彼は勇敢だね。三人を相手に君たちを守ろうとしたんだから」
いや、結果はこれだよ。いい所どころか、情けない姿を見せちゃったよ。いい所全部、カレンさんのお兄さんに持っていかれたね。でも、この人、体を鍛えているし、強いし、何者かしらね。
「今日は、一旦帰りますか?」
シルビアさんが尋ねてきた。
そうね。もうぐだぐだだし、仕方無いわね。ま、今回は先生と運が悪かったという事で、諦めよう。この後は反省会と慰め会だな。
「あれ、この人は……」
頭もはっきりしてきたらしいエネル先生が、カレンさんのお兄さんに気付いた。
「私の兄です」
「え? あー、お兄さん、ですか……」
一瞬、嬉しそうな顔を見せた後、バツが悪そうにエネル先生は俯く。自分のさらした醜態を流石に恥ずかしく思っているのだろう。
「では、今日のところは失礼します」
これ以上、ここにいるのはエネル先生に気の毒だ。私は別れを告げる。
「あの、エネルさん」
帰ろうとする私たちをカレンさんが呼び止める。
「はい?」
エネル先生は力なく、ゆっくりと振り返る。
「あの、今度、私の作った料理、食べてください」
「え?」
エネル先生の動きが止まった。
私の動も止まったよ。どういう事? カレンさん、どうしたの?
「あの……、教え子を身を挺して守る姿、素敵でしたよ」
なんか、カレンさんの顔が赤い。
嘘でしょ。何で? いや、私が疑うのも変だけどさ。急転直下でよく分からないけど、これって、ハッピーエンドでいいの?
「は、はい……。是非……」
どうした? 先生よ。もっと喜んでよ。何、呆けた顔して頷いているのよ。
「はっはっはっは。これは、妹の初恋に立ち会ったのか、俺は?」
豪快に笑うカレンさんのお兄さん。
「兄さん、止めてよ」
顔を赤くしたまま、お兄さんをカレンさんが睨んでいる。
「いいじゃないか。妹の事、頼むよ。大事にしてやってくれ。そうだ。何か困った事があったらいつでも頼ってくれ。こう見えて、俺は騎士団の者だからさ。騎士のリックスだ。よろしくな」
騎士団のリックス? って、まさかこの人って、ジョアンナさんの……。
「もうっ、兄さんったら、いい加減にしてよ」
「未来の弟だろ。仲良くしてて、何が悪い」
シルビアさんはカレンさんとリックスさんのやり取りを微笑まし気に眺めている。
けれど私は、引きつった笑いしか出てこなかった。だって、まさか、こんな所で、ジョアンナさんの恋人と出会うなんて思ってもいなかったものね。
シルビアさんたちと別れ、帰路に着く。
初めはどこか呆けていたエネル先生だが、次第に顔に明るさが出てきていた。
「いやあ。まさか、カレンさんの手料理を食べれる事になるとは」
さっきまでの口下手が嘘の様な饒舌さを見せていた。
「あのね、先生。まだ正式にお付き合いを始めた訳ではないのですよ。ここからは先生の努力が一番大事ですからね」
浮かれている先生に釘を差す。
「そ、そうですよね。お嬢様、具体的にはどのようにしたらいいでしょうかね?」
おい、まだ私を頼るのか?
「ですから、後は先生の努力次第です」
「学問の師は僕ですが、恋愛に関してはお嬢様が僕の先生です。何かいい助言をお願いしますよ」
私が恋愛のエキスパートみたいになっているな。実態は先生とあまり変わらない初心者レベルだよ。
とはいえ、さっき身を挺して私たちを守ろうろしてくれたお礼だ。ちょっとだけアドバイスを贈ろう。
「先生。今、カレンさんは先生に多少なりとも好意を抱いてくれています。それは先生が、私たちを守ろうと必死になってくれた姿を見たからです」
あれは、確かにポイント高かったと思う。結果はともかくとしてだけどね。
「なら、常にお嬢様方と一緒にいろと?」
何故、そんな考えに至る?
「違います! 人の為に必死になる先生を見て、カレンさんは心を動かされたのだと思います。まぁ、狙って出来る事ではないですけど……」
「うーん」
難しい顔になったエネル先生は顎に手を当てて考え込む。
「難しいですか? なら、簡単に言います。先生は先生らしくすればいいんです。変に気取らず、下手に飾らず、そのままの先生でいればいいと思いますよ」
エネル先生は決して悪い人ではない。むしろ、性格的には、善良そのものだ。店での出来事からも分かるが、責任感といざという時の行動力もある。それに、この人には器用に小細工など出来るタイプでもない。
「そのままの僕、ですか?」
「はい」
アシリカとソージュも私と一緒に頷く。
「はい、頑張ります」
納得出来たのか、すっきりとした顔となり、エネル先生は笑顔を見せた。
「ここらで構いませんわ。先生は、あっちでしょ」
もうすぐ貴族街に差し掛かる。
「大丈夫ですか? 屋敷まで送りますよ」
いや、何かあっても先生は戦力にならないよ。気持ちだけで十分だ。
「いえ、大丈夫ですわ。アシリカとソージュもいますし」
「そうですか。では、真っすぐ屋敷に帰ってください。寄り道は駄目ですよ」
そっちの心配ですか。先生も、私の事だいぶ理解してきたわね。
「わかってますよ」
エネル先生を見送り、人気の無い静かな貴族街へと続く道を進んで行く。
それにしても、疲れたね。しかも最後には、リックスさんと出会うというオマケ付き。確かに、爽やかで、頼りがいのありそうな人だった。ジョアンナさんが惚れるのも理解出来る。それだけに、ジョアンナさんの身に起きている事を考えると辛いものがあるな。
「お嬢様、馬車が来ます。危ないですから、道の端をお歩きください」
おっと。考えに集中するあまりぼうっとしてたか。
私が道の端へと行き、馬車が後ろから追い越していく。そのまま走り去ると思われた馬車は急停車した。
何だ? まさか、知り合いかしら。お忍びの外出中だから、あまり見られたくないな。その為にも、なるべく人通りの少ない道を選んだのに。
「何だ、お前ら。どっかの屋敷の侍女だったのか」
馬車の窓から一人の男が顔を出した。
「アンタは……」
店で絡んできた三人組の一人だ。アシリカとソージュがさっと私の前に出る。
また、面倒くさいのに会ちゃったな。
「へへっ。丁度いいや。探す手間が省けたな」
男は厭らしい顔で私たちを眺めている。
「今日は、旦那様が屋敷でお待ちです。ご長男が遅れる訳にはまいりません。早く帰りませんと……」
御者の声が聞こえる。
「ちっ。じゃあ、しょうがねえか。おい、お前ら。その顔覚えたからな」
またもや、定番の捨て台詞を残して、馬車は去っていった。
「何なの、アイツ。どっかの貴族だったのね」
気分悪いわ。
「お嬢様……」
アシリカが、鋭い目で遠ざかる馬車を見ている。
「馬車に付いていた紋章をご覧になりましたか?」
紋章? ああ、それぞれの家の紋ね。それが、どうしたのかしら?
「いえ、、見てないけど」
「あの紋章、ダブルド家の紋章でした」
え? つまり、それって、あの男がジョアンナさんの結婚相手って事? 御者が長男って言ってたし。
「嘘でしょ……」
今日は、ジョアンナさんに関係する二人に会ってしまったのか。しかも、結婚相手の方はゴミの様な男だ。
私は、馬車が通り去った道を複雑な思いで見つめていた。
翌日になっても、私の中ではもやもやとした気持ちが消えなかった。
原因はジョアンナさんの事である。私がいくら思い悩んでも仕方が無い事は分かっているが、それでも考えずには、いられなかったのだ。
なにせ、結婚相手は、あの男である。とてもじゃないが、オススメとは思えない。むしろ、心配になる相手だ。
お父様は、彼の父親は立派な人物だと言っていたけど、肝心の息子の方は、そうではないみたいね。
アシリカとソージュも朝から口数が少ない。やはり、彼女たちも思うところがあるのだろう。
しかも、あの馬鹿息子に比べて、同じ日に会ったリックスさんの良さは際立っていたしね。どちらか選べと言われたら、間違いなくリックスさんだよね。そもそもジョアンナさんも最初に結婚の話が出た時はっきりと言えば良かったのに。リックスさんという相手がいますってさ。もっとも、それをはっきりと言える性格じゃないのも分かるけどさ。
あーあ。考えてたら、余計気分が滅入ってきたな。
「お嬢様、気分転換に庭にでも行かれますか?」
私の鬱々とした雰囲気に、アシリカが尋ねてきた。
「そうね。そうしましょうか」
よし、こういう時は、やっぱりデドルの小屋ね。今日の手土産はパイにでもしようかしら。
私たちは、デドルの小屋へと向かう。ここの所、入り浸っているにも関わらず、デドルは笑顔で迎えてくれた。
手土産のパイを皆で頂く。
「ねえ、デドル、こないだ来たジョアンナさんいるでしょう」
「お嬢様の従姉妹のジョアンナ様ですかい?」
「そう。あの人の結婚相手って、どんな人かしらね。ダブルド伯爵家の長男らしいけどさ」
机に突っ伏したまま、目線だけをデドルに向ける。
「ダブルド伯爵は、立派な方と聞き及んでますなぁ」
パイを愛おしそうに眺めながら、デドルが応える。
「うん。それは聞いた。でも、結婚相手はその息子よ。その息子はどうかなって」
ジョアンナさんの結婚相手は、あくまで、息子の方だ。父親の評判より息子の方である。
「いやあ、あっしがこんな事を言っていいのか分かりませんが、どうも御父上と違って、よくない噂もちらほら……」
へー。デドルって、意外と情報通なのね。
「よくない噂って?」
私の中で、益々あのダンヒルとかいう馬鹿息子の評価が下がる予感がする。
「いや、大した事ではありません。ただ、取り巻きのごろつき共と一緒になって、小さな悪さをしているくらいですよ。貴族の子弟でたまに見かける悪党になり切れない小悪党って感じでしょうかね。ですが、不思議なのが、そうなったのは、この半年くらい前からでして……」
この半年で? 何があったのかしら? そこは、デドルもよく分からないのか、首を捻っている。
でも、小悪党か。器が小さそうだな。ま、あの捨て台詞からしても、納得だね。でも、そんな人と結婚なんて、ジョアンナさんが不幸過ぎるな。例え家の為とはいえ、納得出来るものじゃないわよね。
「結婚相手としては……、考えられませんね」
アシリカも、顔が険しくなっている。そうよね。アシリカ自身も同じ目に遭いかけたもんね。
「まあ、そう思われても無理はありませんなぁ。今までも、そんなモンが継いだ家は、もれなく悲惨な末路を辿りましたからなぁ」
遠い目をするデドルである。
だったら、ジョアンナさんはどうなるの? 不幸一直線じゃない。
「私に出来る事はあるかしら……」
エネル先生の件は奇跡的にもうまくいった。だが、ジョアンナさんの方は一筋縄ではいかないと思う。そもそも、私ではジョアンナさんの結婚を破談にするなど無理な話だ。
「お嬢様は、一人の女性が不幸になるのを見過ごせるので?」
デドルは私を試す様な口ぶりだ。
「デドル、私を誰と思ってるの? 目の前に不幸になる女性を放っておくとでも?」
そうだ。私は決めたはずよ。一人でも多くの人を助けるって。例え、それが無理だと感じてもね。
「いや、こりゃ、失礼しましたな。流石は、お嬢様でございますな」
デドルは満面の笑みで頭を下げる。
「よし。では早速考えるとしますか。ジョアンナさんの幸せになる方法をね」
私は勢いよく、椅子から立ち上がる。
部屋で策を練ろうと屋敷に戻った私が耳にしたのは、ジョアンナさんが結婚の延期を求めた、と困り果てた伯母様とお母様の会話だった。