2 え? 異世界じゃ、ない……
ナタリアとなって十日が過ぎた。
この世界の生活にも慣れつつあった。この世界の生活というか、身の周りの世話をまさに、痒い所に手が届くまでしてもらう事に、と言った方が正しいだろうか。
「お嬢様、お召し替えをさせて頂きます」
朝、アシリカが部屋へとやってきて、恭しく私に頭を下げる。
「ええ、お願いするわ」
なるべく優しく見える様に微笑んで、頷く。
彼女には、私の専属侍女になってもらっている。私が、ナタリアとなる前からも専属侍女はいた様だったが、どうやら階段転落の責で外された様であった。いや、責任って言っても、ナタリアが勝手に落ちただけなのにね。
そんな訳で、専属侍女が一人もいないのは、マズイという事で、私がアシリカを指名したのだった。
アシリカを指名したのには、ちゃんと理由がある。一つは、初めて会話した時に感じた彼女の肝の据わり方。もう一つは、彼女自身が魔術の使い手だったからである。しかも、かなり優秀な様である。私の野望を叶える為にも、是が非でも側に居て欲しい人材である。
そして、この数日で、彼女の優秀さもよく分かった。生真面目で、何より努力家だった。侍女自体の経験も浅いのに、すでに、立派に職務をこなしていた。
今日も、すっかり慣れた手つきで私の着替えを済ませる。
「ありがとう」
もう一度、笑みを浮かべて、礼を言う。
「お、恐れ入ります」
アシリカは、身を縮こませて頭を下げた。
下げた頭の黒髪ポニーテールも微かに震えている様な気がする。そんなに、怯えないで欲しい。
そう、彼女は優秀で、私の野望に手を貸して欲しい人物だが、未だに私との距離感が遠い。恐らく、以前のナタリアの評判が大きく影響しているのだろう。
「そう言えば、あなた、全然休んでないわよね」
彼女は、私の専属となってから、一日と欠かす事なく侍女として働いていた。もちろん、屋敷には、他にも使用人はいるのだが、どうやら、専属侍女には、主人の護衛の意味合いもあるらしく、通常は複数いるらしい。しかし、今の私には彼女しかいなかった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は平気ですので、ご心配には及びません」
アシリカは相変わらず、ぎこちない笑みを浮かべて頭を下げる。
うーむ。この勤務状況はあまりにも、ブラックすぎる。これでは、一向に私への態度は変わらない。
専属侍女を増やせばいいのだが、他に適任もいないしなぁ。彼女のように魔術適正が高いなどの、護衛としての能力も必要なので、急には専属侍女に出来る人物もいないらしい。今、お父様が必死で探しているらしいが、いかんせん、以前のナタリアの評判が足を引っ張ている様だ。
くそっ、どこまで、私の邪魔をするつもりだ、以前のナタリアは。私の野望を達成する為にも、お供役が必要なのに。
「申し訳ありませんっ。お嬢様の折角の思し召しを、無碍にしてしまってっ」
体を震わせながら、アシリカが、必死に謝っていた。
どうやら、以前のナタリアの事を考えて、いつの間にか眉間に皺を寄せ、怖い顔をしていたようである。
「い、いや、違うの。別に怒ってなんかないわよ。ほら、その、あなたが心配だっただけだから。ねっ。だから、お願い。頭を上げて」
「は、はい。申し訳ございません……」
消え入る様な声をだしながら、アシリカが頭を上げた。どこか、不思議そうな顔つきでもある。
「でも、無理はしないでね」
「はい。ありがとうございます」
「でも、すごいわね。休みなく、働こうなんて」
素直な感想である。生前の私なら、考えられない事である。
「いえ、そんな大した事ではありません。私はただ……」
そこまで、言ってアシリカは口を閉ざす。
「ただ、何?」
「……はい。お金を貯めたいですから」
俯き、アシリカは小さく呟いた。
「なるほど。そうよね。働くにはちゃんと理由が必要だわね」
生活の為、趣味の為、貯金の為。人はそれぞれの理由で働く。アシリカは確かまだ、十四歳だったよね。若いのに、偉いね。
「はい。笑われるかもしれませんが、私、魔術学園に行きたいのです」
ぽつりぽつりといった感じでアシリカが話し始めた。
「平民のしかも女が、魔術学園で学びたいなど、可笑しいと言われても仕方ありませんが……」
俯いたまま話す彼女の言葉に私はじっと聞き入る。
「でも、どうしても学びたいのです。魔術を修め、一角の魔術師となる事が小さい頃からの夢でした。その為にも、学費を貯めて……」
はっと顔をあげて、慌てて腰を曲げ、私に頭を下げた。
「も、申し訳ありません。こんな話をお嬢様にお聞かせしてしまうなんて」
「いいえ、謝る事はないわ。アシリカ、あなたのその考えはとても立派な事よ」
私はそっと、頭を下げる彼女の肩に手を掛け、微笑んだ。
「お嬢様?」
顔を上げたアシリカは、目を丸くし、私の顔を見る。
「自分の夢を叶えるのに平民とか、女だとか関係ないわ。そんなくだらない事を言う様な奴は鼻で笑ってやったらいいわ」
この世界の事はまだよく分からない部分も多いが、彼女の話からは、身分の差、男女の差がある事が分かる。それでも、アシリカは自らの力で道を切り開こうとしているのだ。
生前の私から見たら、まだ彼女は年下の中学生の年齢である。ついつい、年上のお姉さん目線で見てしまう。彼女の夢を応援したいという気持ちになる。
「夢を実現するのは、とても難しい事よ。でも、決して諦めないで。アシリカならきっと大丈夫よ。私も応援するから」
進路指導の教師ばりに、私はアシリカを励ます。
「お嬢様……」
アシリカの表情が柔らかくなるのが分かる。
「私もね、叶えたい夢があるの。その為にも頑張るつもりよ」
勧善懲悪の世直し計画。折角、手にした第二の人生で叶えてみせる。
「お嬢様にも、夢がおありで?」
驚きをアシリカは見せた。
「もちろん。そんなに変かしら?」
「いえ、お嬢様はすでに、大抵の事は叶えられるお立場かと思いましたので」
なるほど。それはもっともな意見だ。だが、私の望みはそんなちっぽけなものではない。
「私はね、自分の手で、自分の望みを叶えるの。もちろん、協力してくれる人は必要だけどね」
私は、悪戯っぽくウインクを彼女にした。
アシリカはしばらく、目を見開いて呆然と私を眺めていた。我に返った彼女は真剣な面差しとなり、私に尋ねた。
「私にも、お嬢様の夢のお手伝いをさせて頂けますか?」
「ええ。その時が来たら、お願いするわ」
にっこりとして私は頷いた。
「はい。喜んでお手伝いさせて頂きます」
アシリカは、私に初めて満面の笑みを見せてくれた。
更に十日が過ぎる頃には、すっかりアシリカとは打ち解ける事が出来ていた。
当初、私に対しておどおどとしていた彼女もすっかり普通に接してくれるようになり、笑顔も見せる様になっていた。
やはり、彼女は優秀で、私も信頼を寄せていた。まずは、私の野望の為の第一歩と言った所だろうか。
とは言うものの、他の侍女たちの反応は相変わらずで、まるで腫物を扱う様に私に接していた。まぁ、仕方ない。今までが今までだったからね。
そして、今日、私は王宮へと向かう支度の真っ最中である。
以前から決まっていた事らしいが、私の階段からの転落騒動で、延期となっていたらしい。そう言えば、夢の中でそんな話をしていたのを見ていた様な気もする。
アシリカだけではなく、多くの侍女に囲まれて、豪奢な服を着せられ、髪も綺麗にセットされていく。
今日はお茶会に招かれる、という体らしいが、実際は王子との顔合わせである。もっと言うと、お見合いらしい。王国の有力な公爵家の娘と時期国王である王子との婚約の前段階と言ったところか。
「お嬢様、お似合いですわ」
準備に勤しむ侍女たちも、随分と気合が入る訳だ。私はされるがままにじっとしている。
しかし、十二歳で、結婚の話など、私からしたら信じられない話である。転生前の私は恋愛というものにとんと縁が無かった。
もちろん、恋をした事もある。一番の思い出は二十二くらいだったろうか。見た目も性格も最高の男性と知り合った。しかも、いい感じになっていたのだ。だが、彼の心は女性だった。そして恋愛対象は男性。私は親友だった様である。事実を知った私は、一時ショックから、二次元の世界に逃げ込んだなぁ。ちなみに、三年後に偶然会ったその人はエリートサラリーマンからОLへとジョブチェンジしていた。
……懐かしい思い出である。決して、悲しい思い出ではないっ。
「まあ、リア。可愛らしいこと。よく似あってるわ」
準備が整った事を知らされたお母様が部屋へとやってきた。
子供を三人も生んだとは思えないプロポーションを維持し、まだまだ若々しい。容姿も、ナタリアの母だけあって、美しい。
私を頭のてっぺんから足の先までゆっくりと眺めて、満足そうに笑顔を見せている。
そのすぐ隣には、やや不機嫌そうなお父様の姿もあった。可愛い一人娘の婚約には、あまり乗り気ではないらしい。例え、相手が王族とはいえ、複雑な思いを抱いている様だった。
「確かに、リアは何を着てもよく似合う」
それでも、娘の姿には満足した様子で、頷いていた。
「お父様、お母様。ありがとうございます」
私は椅子から立ち上がると、綺麗にお辞儀した。
どうやら、貴族としての礼儀作法や言葉遣いは、体に染み込んでいるのと、夢で見ていたお陰で苦労は無い。もっとも、慣れはしないのだが。
「そろそろ、出立の時間でございます」
よそ行きの支度には、参加していなかったアシリカが、私たちに声を掛けた。
「そうね。そろそろ行きましょうか」
お母様は頷いてもう一度、チェックする様に私を隅々まで眺める。
「気をつけて行っておいで」
お父様は留守番である。あくまで、今日は、非公式なお茶会へのお誘いである。
「はい。行ってまいります」
私は、お父様にもう一度頭を下げると、お母様の後に続いて部屋を出た。私の後ろには、アシリカが続く。
王宮へ行くのは、私とお母様、そして専属の侍女であるアシリカのみである。もちろん、王宮までは、警護の者が付く。
屋敷から馬車で出て、王宮へと向かう。
私は初めて、屋敷の外へ出る。屋敷は貴族街にあり、周囲には、大きな屋敷がいくつもあった。出来れば、一般の人達が住む場所を見たかったのだが、残念ながら王宮までの道のりで通る事は無かった。
それでも、初めて見るこの世界の風景に興味津々である。綺麗に整備された石畳の道、樹木の奥に見える庭園に囲まれたレンガ造りのお屋敷。すべてが、まるで映画のワンシーンを見ている様な気分だった。
だが、王宮に着いた私は、それらを忘れるくらいに驚かされる。
私の住んでいる屋敷も含め、道すがら見た屋敷とは比べようのない、規模と豪華さだったからである。転生前の私は方向音痴だったが、そうでなくても、この広さは、案内がいなければ、迷子になってしまうだろう。
平民出身のアシリカと同じくらい、私も場の雰囲気に落着きを失っていた。
「リア? どうかした?」
思わずお母様が私に、心配そうに尋ねるくらい、私は王宮の雰囲気に飲み込まれていた。
何とか気を落ち着かせながら、お茶会が開かれる王宮の中庭へと案内される。立派な木が何本も立っていて、綺麗な芝生が広がる庭園が目の前に現れた。
庭園の中ほどにテーブルと椅子が並べられていた。そこで、しばらく待つ様に、案内をしてくれた王宮の侍女に告げられる。
アシリカは未だにそわそわしており、遠慮がちにも、周囲を見回していた。私も多少は落ち着いたものの、どこか気もそぞろであった。流石にお母様は慣れているらしく、椅子に腰かけ、普段と様子は変わらない。
しばらく待った後、向こうの方から、数人の侍女と衛兵がやってきた。先頭には初老の婦人と男の子がいる。あれが、王子らしい。
座っていたお母様がさっと、立ち上がるとこちらに歩いてくる一行に深々と頭を下げた。私もそれに倣い、立ち上がると同じく頭を下げる。
「ようこそ、いらしゃっいました」
声からして、初老の婦人であろう。近くまで来て、私たちに声を掛けられた。
「王太后様におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
お母様が顔を挨拶を述べる。
なるほど。あの初老の女性は王太后様なのか。そう言えば、王子を生んだ王妃様は、亡くなられたと聞いたな。
おっと、私も挨拶しなくちゃな。
「お初にお目にかかります。サンバルト公爵家長女、ナタリア・サンバルトにございます」
頭を下げたまま、私も挨拶した。いや、しかし頭下げっぱなしはキツイな。
「まあ、可愛らしいお嬢さんだこと。顔を見せてくださいな」
言われた通りに頭を上げる。
目の前には、穏やかな笑みを浮かべる王太后様がいた。流石、気品に溢れている。その横には、十二、三歳くらいの男の子がいた。王子は私より一つ年上と聞いていたので、この少年が王子だろう。立ち位置的にも間違いないだろう。退屈そうに、そっぽを向いていた。
ん? この王子、何か見た事がある様な気がするな。異世界に知り合いがいるはずないのは分かっているが、記憶のどこかに残っている気がする。
「ほら、あなたもご挨拶を」
王太后様が私がじっと王子を見ているのに気づいて、挨拶を促す。
王子は面倒臭そうに頷くと私の方へ顔を向けた。
「レオナルド。レオナルド・エルフランだ」
レオナルド・エルフラン!
私は、その名前を聞いて、思い出す。
その名は転生前に、二次元の住人になっていた時にやっていた乙女ゲームの攻略対象者と同じだ。そして、その顔も覚えている。まだ幼さが残っているものの、この目の前にいる男の子に間違いない。
おいっ、ここは異世界じゃなくて、乙女ゲームの世界なのか? いや、乙女ゲームも異世界か? そんな事、今はどうでもでいい。何故なら、もっと重要な事を思い出したのだ。
そのゲームでの、ライバル役となる悪役令嬢。その名前は、ナタリアだった。
わ・た・し・だ!
その真実とゲームの内容を思い出す私は、気が遠くなるのを感じていた。