19 恋心
冬の厳しさも影を潜め、日に日に暖かくなってきた頃。
屋敷に来客があった。お母様の姉の娘、つまり私からしたら従姉妹にあたる人が来たのだ。何でも、この春にコウド学院を卒業すると共に、結婚するらしい。その挨拶に、伯母様と一緒に屋敷へとやってきたのだ。
お父様やお兄様たちと一緒に、応接室で歓談中である。
「まあ、ジョアンナ。すっかりと綺麗になって。花嫁姿が楽しみね」
お母様がそう言うのに素直に頷ける。ジョアンナさんは見事なブロンドの髪を持ち、透明感のある美人さんだ。
「叔母様、からかわないでくださいな」
受け答えも何だか優雅に感じる。
ただ、問題が一つ。屋敷に来てからというもの、一度も私とは目を合わせてくれない。お母様、お父様にはもちろん、お兄様たちにも、挨拶ではきっちりと目を合わせていたと思うのだが、私には、どこかぎこちない挨拶だった。
うん。原因は分かってる。夢の中で見たもの。まだ幼い頃に我儘ナタリアに随分と苛められたもんね。だから、会うのも久々だしさ。ほんと、ごめん。
「お相手は……」
「ええ。ダブルド伯爵家のご長男、ダンヒル様よ」
伯母様がお母様に答える。きっと、この二人、美人姉妹で有名だったろうなぁ。
「それは、いい所に嫁ぎますね。義姉上も一安心ですな。ダブルド伯爵とは何度かお会いしましたが、一角の人物でしたな」
お父様が何度も頷く。
伯母様の家は確か、子爵家。つまり格上の家に嫁ぐわけか。どうりで、伯母様が嬉しそうなはずだ。
「グラハム様のお墨付きを頂けるとは光栄ですわ。ね、ジョアンナ」
浮かれた様子で、ジョアンナさんに伯母様が微笑みかけた。
「え、ええ。本当に……」
何だろ。なんかジョアンナさんの返事がすっきりしないな。母親のテンションの高さに付いていけないのかしら? うちもそんな感じだよね。やっぱり姉妹なんだね。よく似てる。
「そうだわ。ジョアンナのブーケの花は私が育てましょう」
名案を思い付いたとばかりにお母様の顔が輝く。
「グレース、あなたがお花を?」
伯母様が首を傾げた。
「ええ。だってほら、最近流行ってるでしょう?」
やばい。雪合戦は世間で流行ってはいるが、園芸ブームはうちの屋敷だけだ。
「そ、そうだわ。お母様。最近暖かくなりましたし、庭でお茶としませんこと?」
話を逸らそう。この会話はまずい。
「あら、いい考えね。ちょっと、季節はまだ早いけど、今日は特に暖かいし、気持ちいいかもしれないわね」
よしっ。うまくお母様が乗ってくれた。
「ほら、アシリカも準備を手伝って」
何か言いたげなジト目で私を見るアシリカは黙って頭を下げると、他の侍女たちと準備に取り掛かった。
「庭でお茶会か。では、男性陣はお邪魔かな。一旦、失礼させて頂こう。義姉上、どうぞごゆっくり」
お父様はそう言い残し、お兄様たちと共に部屋を出て行った。それを合図にして、女性陣も花畑の前へと移動した。
花畑には、冬の花が綺麗に植えられていた。お母様会心の出来らしい。私は久々にこの花畑に来たけど、飽きずに続いているのね。
「まあ、素敵ね。これをグレースが?」
伯母様が感嘆の声をあげる程、綺麗に花は咲き並んでいた。
「ええ。けっこう苦労したのよ」
どうか、流行りの事は口に出さないでよ。ほら、アシリカ、さっさとお茶を入れてよ。花畑から遠ざけないと。
「お茶のご用意が整いました」
私の心の叫びが通じたのか、アシリカが知らせにきた。
「お母様、伯母様、ジョアンナ様。お茶が入ったそうですわ。温かいうちに頂きましょう」
必死に見えてないかな。何か、ソージュまでジト目で私を見てるよ。
「そうね」
お母様たちは、用意された椅子に腰を下ろし、お茶の時間となる。
お茶のお供は、ジョアンナさんの結婚話だ。
「そう言えば、あの噂は本当なの? ナタリアが、王太子殿下と婚約って……」
伯母様が、私とお母様の顔を交互に見ながら聞いてきた。
「ええ、まあ。正式な発表はまだですけどね」
お母様が満面の笑みとなり、内緒よ、と言わんばかりに口の前に指を一本立てる。
「まあ、ナタリア。良かったわね。本当にめでたい事続きだわ」
いや、めでたくないよ。永遠に正式発表がこないで欲しい。
似た者姉妹のお母様たちは、二人で大盛り上がりだ。当事者である娘たちは、蚊帳の外だね。あーあ、退屈になってきたな。
「ちょっと、庭を見させて頂いてもよろしいですか?」
ジョアンナさんも退屈だったのか、席を立った。
「ええ。構わないわよ。私の育てたお花も見てね」
だから、その話題は止めてったら。
「ありがとうございます」
一度頭を下げてから、ジョアンナさんは庭へと向かって歩いて行った。
すぐに、お母様たちは、結婚の話に戻り、またもやテンション高めである。
あーあ。私もジョアンナさんと一緒に行けば良かったな。この姉妹の話、退屈すぎるもん。
「お母様、私も庭を散策してきますわ」
「ええ、行ってらっしゃいな」
話に夢中のお母様が頷くのを確認して、私は席を立つ。
庭をぶらぶらしながら歩く。私の後ろをアシリカとソージュが続く。
さて、どうしようかしらね。ジョアンナさんの所にでも行こうかな。出来れば、過去の誤解も解きたいしね。
少し歩いていると、庭の大きな木の下でに、ジョアンナさんが立っているのが見えた。
何してるのかな。ひょっとして、彼女も木マニアなのかしら?
「ジョアンナさん?」
私が近づき、声を掛けると、体をビクッと震わせ、ゆっくりとこちらに振り向く。その手には、ペンダントが握りしめられている。
「こ、これは、ナタリア様……」
目が泳いでいるよ。そんなに怯えないで。過去のトラウマがあるのかもしれないのは、分かるけどさ。
「それは、ひょっとして、婚約者の方から頂きましたの?」
手に握り締められているペンダントに視線を移す。なるべく、優し気な顔と声を意識して話す。
「いえ、これは、その……」
口ごもりながら、ジョアンナさんは、さらに動揺を見せている。
え? 違うの? ペンダントを見ると、質素な造りである。宝石の類も付いておらず、とても、伯爵家の御曹司が送った物には見えない。それとも、倹約家なのかな。
「あの、ナタリア様。一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
目線を落としながらも、ジョアンナさんから初めて話しかけられた。
「ええ、構いませんわ」
「あの、王太子殿下とご婚約なさるそうですが、ご自身では、どう思われているのでしょうか?」
どう思っているか? そんなの決まってる。出来る事なら、一刻も早く話が流れて欲しいに決まってる。でないと、フラグが立つのだから。破滅のフラグがね。でもここで、そんな話をしても、誰も信じないだろう。
「正式には、決まってませんし、まだ実感が……。でも、お父様がお決めになる事ですしね」
実際のところ、そうだろう。私の婚約は政治的な意味もある。個人の意見より、優先される事の方が多いだろう。
「ずいぶんと大人になられたのですね」
ジョアンナさんは私の顔を驚いた顔で見る。初めて目を合わせてくれた気がする。
「あっ、これは失礼しました」
我に返ったジョアンナさんが慌てて、頭を下げる。
「いえ、確かに、昔は子供過ぎました。ジョアンナ様にも謝りたいと思っていました。昔はごめんなさい」
顔を上げたジョアンナさんはさっきより数倍大きい驚きに満ちた表情だ。
「い、いえ。ナタリア様が謝れる事はありません。私も幼かったのです」
またも頭をジョアンナさんは下げる。
お互いに謝りあった後、二人で庭を散策する。少しは私へのトラウマ減ったかしら? ぎこちないながらも、何とか会話は成立している。主に、私が話題を振ってそれにジョアンナさんが答えるという形だけど。
それにしても、ジョアンナさんは随分と内気だな。私へのトラウマ分を差し引いても、返答からは気弱な感じがする。まさに、儚げな美女だね。
「あっ」
ジョアンナさんを見かけた時から手にしていたペンダントが、彼女の手の中から滑り落ちた。彼女は慌てて拾うと、丁寧に土を払い、愛おしそうに押し抱いた。
「とても、大切なものなのですね」
「……ええ。学院の先輩に頂いたものですから」
そう言うジョアンナさんの横顔は、先ほどよりも綺麗に見える。
「先輩から?」
ほう。憧れの先輩ってとこかな。なんか、いいね。これでも、私も女の子。そういった類の話は嫌いじゃない。
「はい。今は騎士団におられます」
へー。騎士団にね。でも、プレゼントまで貰うって事は、いい感じだったんだろうな。もしかしたら、学生時代には、付き合っていたりして。
「ひょっとして、お付き合いとかされていたのですか?」
「お、お嬢様、失礼にございます」
アシリカが止めに入る。
えー。いいじゃない。ちょっとしたガールズトークじゃない。アシリカもまだ若いんだから、分かるでしょ。
「え、いえ、私、リックス様とは、その……」
顔を真っ赤にして、挙動不審なジョアンナ様は、口をパクパクとさせている。
へー。リックスさんてのが、その先輩なんだ。それにしても、この反応。絶対、何かあったよね。
ところが、顔を赤くしていたジョアンナさんの瞳に見る見るうちに涙が溜まってくる。やがて、その重さに耐えきれなくなった涙が一筋、頬を伝って落ちた。
え? ちょっと、待ってよ。何か、私がまた苛めているみたいじゃない。何、何、一体どうしたの?
「あ、あの、ジョアンナ様? 一体、どうされましたの?」
「お嬢様、人には、触れられたくない事もございます」
少し怒った様子のアシリカがジョアンナさんの涙をハンカチでそっと拭いている。
え、何よ? 学生時代の恋バナが地雷なの?
「いえ、よいのです。ナタリア様が悪い訳ではございません。悪いのは、私。家の為にも親の決めた結婚を受け入れるべきなのに、いまだ、それをリックス様に打ち明けられない私が悪いのです」
えっと、どういう事? 何か、重い話になりそうね。リックスさんに打ち明けなければ、って、もしかして……。
「あの、まさか、まだ、お付き合いしてるとか……」
よせばいいのに、思わず聞いてしまう、馬鹿な私だ。
憂いに満ちた顔で、ジョアンナさんは、そっと頷く。
うん、地雷だったね。だって、学生時代の思い出じゃなくて、結婚が決まっている中、現在進行形の恋バナだったら、そりゃ、マズイよね。これは、あまり立ち入っていい話じゃない。
「私とリックス様の出会いは学院でした。私が入学した時の三年生の先輩でした。優しく、正義感の強いリックス様を見て、一目で恋に落ちました」
えっと、そんな事、私に話していいの?
「リックス様はこんな、頼りなく、決断も出来ない私の様な者を選んでくださいました。騎士団に入り、立派な騎士となれば、結婚しようとまでおっしゃってくださいました。なのに、私は何もせず、結婚の事実をお伝えする事すらも出来ず……」
また、ジョアンナさんの目から涙が零れ落ちる。
気まずい。切っ掛けを作ったのは私だが、これは気まずい。しかも、私が何とか出来る話ではない。これを何とか出来るなら、まずは自分の方を何とかしている。
「あの……」
何と言っていいのか分からない。アシリカの言う通り、やめておけば良かった。
「申し訳ございません。この様な話を聞かされても困りますわよね。分かっているのです。しょせん、私は何の役にも立たない女です。せめて、家の為に役立つ為に結婚するのは貴族に生まれた女の定めです」
何、それ? 女に生まれたという理由だけで、好きな人と引き離されるの? 役に立たないってどこまで自分を下げずむの?
「ジョアンナ様は幸せになれますの?」
貴族の娘の結婚が政治や家の都合で決まってしまう現実は私も理解しているつもりだ。でも、ここまで自分の想いを押し殺し、何も行動を起こそうとせずに殻に閉じこもる様な真似をしていて、いいのだろうか? 本人にも、結婚相手にも、そして何よりリックスさんに対しても。
「幸せ、ですか……?」
アシリカのハンカチを借りて、目元を拭うジョアンナさんが、小首を傾げる。
「ええ。本当にそれでいいの? 女だから、貴族の家に生まれたから、親が決めたから。そう言って、自分では何もせず、ただ、流されるだけ。リックス様にも相談どころか、事実も伝えず、全てを自分で抱えたまま流される」
私はどんな未来が待ちかまえていようと、自分の手で運命を切り開く。
「そんな生き方で幸せになれる? 後悔しない?」
ジョアンナさんが、目を見開いて、私をじっと見る。
「……ナタリア様は、やっぱりお強い人ですね。幸せになれるかは、分かりませんが、せめてリックス様には、お伝えすべきですわね」
ジョアンナさんは、儚げな笑みを浮かべる。
「あの、ごめんさない。別に責めている訳では……」
このジョアンナさんの物憂げな顔を見ていると、苛めている様な気になってしまう。そんなつもりは無いのだけど。
「いえ、ナタリア様のおっしゃる事はもっともにございます。どう考えても、私が悪いのですから……」
そう消え入りそうな声を出すジョアンナさんの顔は美しかった。私は、彼女を薄幸の美女、そう思ってしまった。




