182 新メンバー?
陽の光にかざしてみたり、こすってみたり。果ては、軽く火にあぶり、水滴を垂らしてみても、文字も絵も浮かび上がってくることは無かった。
贈呈の本に紛れていた謎の本である。
式典中も本が気になってしかたなかった私は、一通りの予定を終えて寮へと帰った後から夜遅くまでいろいろ試したものの、一ページ目以降は白紙のままだった。
唯一書かれている一ページ目の文字も読めない。デドルに聞いてみても見た事のない文字だった。どこか遠い異国の字でない可能性が高いそうだ。だったら、古代の文字か何かだろうか?
フィンゼント王宮の蔵書には何百年も前のものもあるそうだから、有り得ない話ではないと思う。
片時もその謎の本を手放さず白紙のページと睨めっこである。
「お嬢様、いい加減諦められませ」
街に向かう馬車の中でも本を取り出し、あらゆる角度から眺める私に呆れ顔でアシリカの苦言である。
「ここまでしても、何も出ないとなると単なる不良品かもしれませんよ。それが面白くて収蔵されていただけかもしれませんし……」
ミーナも苦笑しながら、うーんと唸りながら考える私を見ている。
「いえ、そんなことないはずよ」
逆に考えようよ。これだけ、難解な仕掛けをされているからには、それはものすごいお宝の在りかが記されている可能性が高まっていると。
「お嬢サマ……」
昨日からあれやこれやと試している私を黙ってじっと見ていたソージュが静かに口を開く。
「なぜ、そこまで必死なのデスカ?」
ジト目で私を見るソージュだ。
何、その何か言いたげな目は? もしかして、考えていること、バレてる? ソージュって鋭いところがあるからな。
「が、学術的探究心、かな?」
口元が引きつらせながらも、答える。
「学術的探究心? お嬢様が?」
アシリカも疑いの目を向けてくる。
その言い方、ちょっと失礼じゃない? ……無理もないけど。
「さすが、ナタリア様! そのお志、ご立派です! そうですよね、簡単に諦めちゃダメですよね!」
ミーナは素直に感嘆の声を上げているけど逆に申し訳なさを感じるのは、何故だろうか?
「そ、それより、もうそろそろよね!」
強引にでも話を変えるとばかりに御者台のデドルに声を掛ける。
「へい。もう少しですな」
何故か前を向いたまま、肩を小刻みに震わせているデドルが答える。
私たちが向かっているのはトルスの孤児院。
式典翌日の今日は休日。ミーナの学院視察は明日から。ということで、彼女の行きたい所を尋ねたら、孤児院がいいと言ったのだ。前に来た時に子供たちと触れ合ったのが楽しかったそうだ。しかも、今日は合法的な外出である。フィンゼントからの使者を案内するという理由で正式に学院からの外出許可を貰っていた。
「でも、良かったのですか? 本当は、じっくりとその本を調べたかったのでは?」
ミーナが申し訳なさそうに、私を見てくる。
だから、その話題はもういいってば。
「いえ、大丈夫よ。ほら、気分転換したら何かいい案が浮かぶかもしれないしさ。それに、何よりせっかくミーナが来てくれてるんだから。気にしないでいいのよ」
さらにミーナが目を潤ませ感動の眼差しで私を見る。こっちはさらに申し訳なさが募るのだった。
孤児院でミーナと共に子供たちと思いっきり遊ぶ。
いつも思うのだが、どちらかといえば私が子供らに遊んでもらっているような気もするが、皆笑顔だから気にしないでおく。
ちなみに、トルスにも本に書かれた謎の文字を見せてみた。
知らんねえな、の一言に続いて、またおかしなことに首を突っ込んでいるのかだの少しは大人しくしろだのお小言である。
まったく、いつの間にそんな常識人ぶっているのかしらね。恋人が出来てからの最近のトルスはすっかり牙が抜けたよね。昔のギラギラしていた目なんかすっかり見ない様になったしさ。
夕方になり日が落ちてきたので、そんな今では大人しくなったトルスの孤児院を後にする。
さすがに遊び疲れたせいか、帰りの馬車は静かである。
そろそろ学院が見えてくるだろうかという所まで帰ってきた時である。丁度去年の冬に襲撃を受けた一本道だ。
突然馬車が止まる。
「何?」
前方を見ると、六人の人影が見える。その出で立ちから碌でもない連中だというのが、一目瞭然だ。何せ、抜き身の剣を手にしているのだからね。
「お出迎えですかねぇ?」
デドルがため息混じりに首を振る。
「だとしたら、あまり嬉しくない出迎えね」
そう呟けるほど、その待ち構えている者たちからは強さを感じない。どう見てもその辺のゴロツキを集めてきた感じだ。全体的な纏まりも感じられない。
「お嬢様とミーナさんのお二人は馬車でお待ちを。私とソージュで……」
アシリカが鉄扇を取り出し立ち上がろうした私を手で制した時だった。
どこからともなく、三人の黒い影が馬車の前に現れた。
「え?」
新手か? しかも、この三人の漂わせている雰囲気は待ち構えていた奴らとまったく違う。黒い装束に身を包む三人はまるで忍者のようだ。
「あなたたちだけに任せていられなさそうね」
アシリカとソージュも新たに表れた三人の黒装束にさっきまでと違い顔を険しくする。
「いんや、お嬢様。ご心配には及びやせん。あの者たちは……」
上げかけていた腰を再び下ろしたデドルがそう言うと同時に、その黒装束三人は私たちの馬車に軽く頭を下げると待ち構えていた六人に向き合う。
「ど、どういうこと?」
味方ってこと? でも、いったい誰だろうか。こんな知り合いはいなかったはずだけれども。
「へい。フィンゼントの者ですよ。ミーナさんが来られた日からずっとつかず離れずで陰から見守っていやしたからね」
そ、そうだったんだ。全然気づかなかったよ。いやさ、ミーナ一人で不用心だと思っていたけど、こっそりと守っていたのか。
しかしミーナ本人は、聞かされていなかったようで目を丸くしている。
「な、何だ、こいつら?」
いきなり現れた黒装束三人に唖然とする待ち構えていた襲撃者たち。
「こ、こんなの聞いてないぜ」
「い、いや、見掛け倒しじゃねえのか?」
口は動くようだが、どう見ても腰が引けている。
そのうちの一人が勝ち目がないと思ったのか、得体の知れない三人に恐れをなしたのかくるりと後ろを向いてこの場から逃げ出そうとする。それに釣られるようにして残りの五人も一目散に逃げだす。
だが、黒装束の三人はその逃走を許さない。
あっという間に彼らの前に回り込むと、これまたあっという間に素手で六人をなぎ倒していく。
襲撃者が動けなくなると同時に黒装束の一人が馬車の前に進み出てきた。
「突然御前に出たご無礼、お許しくださいませ」
片膝を付き、頭を下げるその声は女性のものである。
「陛下。あの不届き者たちをいかがいたしますか?」
困惑の表情でミーナが私を見る。
そうね。あのゴロツキは明らかに誰かに雇われたのだろう。そして、詳しく何も聞かされてはいないはずだ。
「少し彼らに質問したいのですが」
ミーナに代わり、私が答える。
「はっ。ナタリア様の仰せのままに」
馬車から降りて、苦痛に顔を歪めて呻きながら転がっている襲撃者たちの元に行く。動けないものの意識はあるようだ。
「少し聞きたいのだけれども……」
黒装束の一人に首を掴まれ私の前に引っ立てられた男に話しかける。その表情は怯えきっている。
「お、俺らは何も知らねえ。あんたらが誰かも聞かされていねえ。ただ、あんたらの持つ本を――」
男の言葉はそこで止まる。
「くっ……」
次の瞬間、その顔を歪ませる。
「ぐ、ぐうわあっ!」
突然首を掻きむしり、のたうち回り始める。突然のその動きに思わずといった感じで黒装束の手が男の首から離れてしまう。
アシリカとソージュがその異変に素早く私の前に立ちはだかる。
だが、その男が私の方に向かってくることは無かった。
うめき声が弱くなると共に体を痙攣させ、そのまま動きが止まった。すると、残りの男たちも同じように苦痛に顔を歪め苦し気な声を出した後、動かなくなる。
彼らのその顔には、何度も見た呪術の紋章が浮かび上がっていた。
「こ、これは、いったい……」
黒装束に身を包んだフィンゼントの忍びはそう言ったきり言葉が出てこない。
もちろんミーナも体を震わせ目の前の光景に戦慄していた。
当然の反応だ。これを初めて見たら誰だってこうなる。
「相変わらず人の命を何とも思ってない奴らね……」
こんなゴロツキ連中でも、簡単に命を奪って許されるわけない。
「お嬢様、先に学院に帰られてください。後の始末はあっしが……」
顔を顰めて立ち尽くす私にデドルが告げる。
確かにこれを私が発見したとなれば、それはそれでまた問題となる。しかもここにはミーナも一緒にいるのだ。女王だとは知られてはいないとはいえ、フィンゼントの使者の立場である。問題に巻き込むわけにもいかない。
「……分かったわ。悪いけど、お願いね」
もう一度倒れている男たちを見やり、唇を噛みしめながら頷いた。
デドルに後始末を任せて、寮に帰ってきた。
留守番をしていたムサシが甘えた鳴き声を出しながら足に纏わりついてくるのを抱き上げる。
「ただいま、ムサシ」
頬を擦りつけるが、心の中はざわついたままだ。
「大丈夫ですか? まだ顔色が……」
「は、はい。ご心配させてしまいすみません」
初めて見た呪術による死に動揺の色を隠せないミーナにアシリカがお茶を出す。頷き笑顔を返すが、弱々しい。
帰りの馬車でもずっと俯き黙っていたままだった。苦しみながら絶望と恨みの籠った目で死んでいくあの姿を見たのだ。無理もない。
ムサシが私の腕の中から飛び降りて、沈むミーナの足元に歩み寄っていく。
「みゃあ」
鳴き声を上げながてその体をミーナの足に擦りつける。
「ありがとう。元気づけてくれているのですね」
頬を緩め、ムサシの頭を撫でる。それに応えるようにムサシはぴょんとミーナの膝の上に飛び乗り丸くなる。
「大丈夫? ごめんね。嫌なもの見せちゃったわね」
ムサシの背を撫でているミーナの隣に腰掛ける。
「いえ……。それよりナタリア様。先ほどの者たちの狙いは……」
ミーナも気づいているようだ。彼女の視線の先には私のスカートのポケットに入った贈呈品に紛れ込んいたあの謎の本がある。
奴らの一人が最後に残した言葉。私たちの持つ本と言っていた。流れから考えてあの本を盗ってくるように言われたのだろう。彼らは、その恰好や纏まりの無さから考えて、どこかでかき集められたならず者たちに違いない。そして、集めた人物であり今回の襲撃を仕組んだのは呪術を扱う者。
「ねえ、ミーナ。この本って本当にフィンゼントの王宮にあったもの?」
ポケットから本を盗り出し、ミーナに尋ねる。
「それは間違いないと思います。何故贈呈の本に紛れ込んだのかは分かりませんけど」
そこからして怪しいわよね。本来ここにあるはずの無い本。そして、内容は見たことのない文字が書かれた一ページ目と何も書かれていない白紙のページ。さらにその本を呪術の連中が狙っている。
そういえば、コウド学院の森の中でもレイアは何かを探していた。あの時は確か拳ほどの大きさの石を手に入れていた。世の理を操る為に必要なものらしいが、この本もそれに必要なものなのかもしれない。
だったら、今回もレイアが絡んでいると見て間違いなさそうね。
「ナタリア様?」
レイアの事を頭に思い浮かべていたからだろう。怖い顔になっていたに違いない。ミーナがおそるおそるといった感じで私の名を呼ぶ。
「何でもないわ。それより、ミーナ。この本の詳しいことって何か分かるのかしら?」
まずは、この本がどういったものか知りたい。なにせ呪術の連中が狙うものだ。きっと何か秘密があるに違いない。
「はい。王宮の書庫係に問い合わせれば、何か分かるかもしれません」
フィンゼントまでの距離を考えると時間が掛かりそうだが、仕方ないか。それまで、レイアたちが大人しくしているとは思えないけど。
「それで、ナタリア様。私にも詳しく教えて頂けますか?」
「詳しく?」
「はい。さっきの者たちの死は尋常ではありません。何やら見たこともない文様が顔に浮かび上がってもいましたし」
さっきの光景を思い返したのか、ミーナの表情が曇る。だが、それも一瞬ですぐに力強い目を向けてくる。
「それに我が国から持ってきたあの本が一因ならば、私にも責があります」
「ミーナが責任を感じる必要はないわ」
「そんなわけにはまいりません。あの本のせいで何か大きな悪事が蠢いているのではありませんか?」
さっきまでの落ち込んだ様子はすっかり消えて、女王の雰囲気を醸し出してくるミーナである。
「……ミーナは呪術って知ってる?」
黙ったままでは無理そうだね。
「呪術? 確か過去にあった不思議な力ですよね?」
「世間一般的にはそうね。でも、過去のものではないわ」
今までの呪術との戦いをミーナに話す。
最初は信じられないといった顔だったミーナだが、最後は唇を噛みしめ呪術のやりように怒りを露わにしていた。
「だから、ミーナ。あなたには、その本のことを調べて欲しいの。すぐにフィンゼントに帰って――」
「もちろんです、ナタリア様。すぐに侍女に調べさせます」
「侍女に? でも、今回連れてきてないでしょ?」
今回ミーナは、あくまで女王から出された使者として来ているのだからさ。
「はい。私も驚きました。まさか付いてきているなんて知りませんでした。ほら、さっきナタリア様も会われたではありませんか?」
きょとんと首を傾げるミーナ。
「さっき会った?」
私が会ったのは、黒装束の忍びみたいな護衛役だけど。いや、もしかして……。
「まさか、あの黒装束の三人って普段は侍女なの?」
「はい。そうです。前の時もいましたよ。きっと侍女頭の指示でしょうね」
フィンゼントの侍女ってどんだけだよ? 影武者になる、忍びになるって、まさに万能じゃないか。
「私たちも、黒い服来てデドルさんみたいなコト、させられるデスカ?」
「お嬢様、影響受けやすいですからね……」
私の侍女二人の心配はそこか。いや、さすがにそこまで考えてないよ。
ん? でも、侍女をフィンゼントに行かすということはミーナはどうするのだろうか?
その疑問はすぐに解消される。
「ナタリア様。以前お話で伺った世直し。今回私も参加しますね!」
「え?」
いや、さすがにそれはマズイのでは……。
「鉄扇の舞姫様と悪事を暴くなんて……。身が引き締まる思いです!」
決意を込めたミーナの顔。
新メンバーの加入ですか? しかもその正体は女王って……。
あの白髪の侍女頭さんに怒られないかしらね?
そんな心配をする私だった。