181 こんな所で何してるの?
政治の世界は難しい。それぞれの理想の違いや立場からの考え。さらにそこに利害が加わり状況を複雑化させる。
そして、それは外交となればより一層顕著になる。国の威信に加え個人とは比べようもない国益の話となるからだ。下手すれば、その国自体の存亡にも関わってくるとなれば、その難しさは理解できるけれども。
イグナスお兄様の騒動で名前が挙がったフィンゼント王国。お兄様の無実と一緒にフィンゼントの潔白も証明されてはいたが、そこは国家間のこと。単純に、一件落着とはいかなかったようだ。
エルフロントとフィンゼントは周辺の国と両国の国民に友好が保たれていることを示す必要があったようだ。
フィンゼントからの外交使節団が訪れていた。名目は、女王をもてなしてもらった上、その帰国にエルフロント軍の警護まで付けてもらった返礼という形である。女王の名代として、フィンゼントの外交責任者が大使となりやってきていた。
友好を堅持したいエルフロント側もそれを盛大にもてなしていた。国王陛下自らが主催し、歓迎のパーティーを開いたくらいである。
そして、女王の宿舎となったコウド学院へもお礼をしてくれた。女王たっての希望だったそうだ。
さすがに学院へは大使が来ることはなかったが、別に女王からの使者を立てられていた。
接待役だった私がその使者の相手をすることになり、学院内の貴賓室で出迎えているのだが……。
「女王陛下はこのコウド学院でのもてなしにいたく感激をされておられました」
「み、身に余るお言葉ですわ……」
「案内役を務められたナタリア様にも大変感謝されております」
「は、はい……」
てかさ、ミーナ、あなた何やっているの?
「帰国されてからも女王陛下はナタリア様の話題をよくされておられます」
満面の笑みのミーナである。
「そ、そうですか……」
いや、その女王がここで何やってるのよ? いいの、こんな所に来ていて?
「女王陛下はナタリア嬢と友情で結ばれておられますからね」
上機嫌のシスラス様である。外交を取り仕切るブロイド家の長男として、学院への使者に同行していた。
ま、彼もまさかこの使者こそが女王だとは思ってもいないだろうけどね。なにせフィンゼント国内でも、ミーナの事を知っているのは彼女の侍女たち側にいる者だけ。エルフロントでは、私たちだけだからなぁ。
極秘中の極秘事項だから私も下手なことが言えないよ。ミーナもとんだいたずらを仕込んでくれたもんだよ。
ひとしきり挨拶を終えて、次に続く式典の会場へと移動することとなる。
そして、本人たっての希望で使者のミーナは私の馬車に同乗することとなった。
「まったく、驚いたわよ」
馬車に乗って開口一番出て来た言葉である。
「ふふふ。驚いてくれましたか?」
茶目っ気たっぷりにミーナが笑い声を立てる。これは確信犯的に驚かせようとしていたみたいね。何度も手紙のやり取りをしていたが、まったくこんな事に触れていなかったからね。
「改めて挨拶しますね。お久しぶりです、ナタリア様。アシリカさんとソージュさんも」
「お久しぶりです、ミーナさん。私も驚きましたよ」
「びっくりしまシタ」
馬車で待機していたアシリカとソージュは私と一緒に貴賓室から出てきたミーナに目を丸くしていたが、苦笑しながらも再会を喜んでいた。
「デドルさんもお久しぶりです」
御者台の方に身を乗り出して、ミーナはデドルにも挨拶をする。
「へい。お元気でしたかい?」
「はい。毎日が忙しいですが、以前よりはずっとやりがいがあります」
そのミーナの表情は、以前の思い悩むものとは違い明るい。
「で、忙しい女王なのに、のんびりと他国に遊びに来てていいの?」
「遊びではありませんよ。使者ですよ」
ミーナが頬を膨らませる。
「じゃ、何であなただけ宿泊が私の部屋なのよ?」
フィンゼントにこのコウド学院と同じような国を担う者を教育する学校を作る為に視察を兼ねて使者は数日滞在する予定となっていた。無理やり作ったっぽい理由だけれどもね。
「永遠の友情を誓ったじゃありませんか」
「女王陛下とね」
ニヤリと笑う。
驚かされた仕返しだ。
「ううっ」
言葉に詰まるミーナ。
「ふふ、冗談よ。私もまた会えて嬉しいわよ、ミーナ」
これくらいにしておくか。
私の言葉にぱっとミーナの顔が輝く。
「はい!」
「でも、よろしいのですか? フィンゼント本国の方は?」
心配そうにアシリカが尋ねる。
「ええ、心配ありません。影がいますから」
ミーナが問題ないとばかりに頷く。
影か。便利ね。私も欲しいわ。頭が良くて、礼儀作法も完璧でさ。授業も試験も社交の場にも出てもらってさ。私は気ままに旅にでも出たいわね。
「……お嬢サマ、碌でもないこと考えてマセンカ?」
鋭いソージュの指摘にたじろく。
「このお顔、間違えなく考えておられますね」
アシリカからも冷たい視線を向けられる。
「い、いやあねえ、二人共。何にも考えてないわよ。ほほほほほ」
引きつった笑いだけど誤魔化せているかしらね。
「それより、ミーナ。あなた一人で大丈夫なの?」
話題をすぐに変えた方が賢明そうだ。
いくら誰もミーナを女王本人だと知らないとはいえ、不測の事態も考えられる。私たちが側にいる限り対処できるが、あの厳しそうな白髪の侍女頭さんが許してくれたわよね。
「ナタリア様のお側にいれば心配ないですよ」
随分と信用されてるのね。それとも、もうそこまで彼女を狙う者もいないということかしらね。どちらにしても、少々不用心に感じるな。
「お嬢様、着きやしたぜ」
デドルが振り返り到着を告げる。
着いたのは、図書館。
「図書館?」
女王からの返礼の品を贈られる場所が図書館? どういうことだろうか?
「はい。返礼の品はフィンゼント王家所有の本です」
本? これは意外だね。もっと絢爛豪華な絵や彫刻の類だと思ってたよ。
何で、という私の顔に気付いたミーナが説明してくれる。過去に遡り大きな戦禍に巻き込まれたことのないフィンゼントには、古く珍しい書物が多く残されているそうだ。中には八百年近く前のものもあるらしい。歴代の王もその保存に力を入れていて、良好なまま残っているそうである。
「すぐに他国の庇護下に入るのも小国なりの戦乱から身を守る方法なのです」
昔から変わりませんね、と付け加えて苦笑するミーナ。
でも、そのお陰で国民を争いから守るのはとても勇気のいる判断だと思う。古く貴重な本が後世に伝わったのも、そのお陰だしね。胸を張って誇れることだと思うよ。
「殿下やシスラス様たちが来られるまでまだ時間が掛かるかと」
どうしますか、という顔のアシリカである。
返礼品贈呈の式典には使者の出迎えに来なかったレオも出席するそうで、シスラス様たちと合流してから会場に来る。その為、私たちの方がかなり早く到着したみたいだ。
「ここでぼおっと待っていても仕方ないわね。先に中に入ってましょうか」
式典の時間まではまだ時間があるし中でのんびりと待っていようと、先に図書館の中へと入ることにする。
だが、図書館の中でじっと待っているのも暇ではある。予定より大幅に早く到着した私たちを慌てて出迎える職員に笑顔を見せながら図書館へと入っていく。
「そうだ、ナタリア様。時間もまだありますし、先に贈呈する本をご覧になられませんか?」
彼女自身も本好きなのか、瞳を輝かせながらミーナが尋ねてくる。
正直、本はあまり読まない方だが、断りにくいミーナの雰囲気でもあるな。ま、やることもないし、ちょっと見させてもらおうかな。もしかしたら、興味の惹かれるものもあるかもしれないしね。
図書館にある小さな会議室が贈呈式までの一時的な置き場所になっているのを出迎えの職員に教えてもらう。レオたちが来たら会議室まで呼びに来るようにアシリカとソージュに頼み、私とミーナの二人で向かう。
「あら?」
置き場所になっている会議室の扉を開けると同時にミーナが疑問の声を上げる。
「こ、これは侍女殿……」
中にいたのは、二人の男。一人はミーナの顔を知っているようで軽く会釈してきた。
「贈呈品のこちらのエルフロント王国の担当外交官のナイデル殿と最終チェックを……」
ああ、式典の直前のチェックね。お仕事ご苦労様。
「そのような話は聞いてませんが?」
ミーナが首を傾げる。
「それは、私のせいです。殿下も臨席される式典ですから念のため、一度この目で見ておきたいと思いまして、ガゼル殿にお願いした次第なのです」
シスラス様の部下にあたるのだろうか。外交官僚らしく、パリッとしたスーツに身を包んだ男性だ。
ミーナに軽く一礼した後、その後ろにいる私に気付く。
「こ、これはナタリア様!」
驚きの表情を見せた後、跪き頭を下げる。
その言葉に隣にいたフィンゼントの外交官である丸い眼鏡を掛けた中年男性も慌てて礼を取る。
「このような場所にどうしてナタリア様が?」
跪いたまま頭を上げたナイデルさんが不思議そうに私を見上げる。
「はい。少し予定より早く着きましたので、先にナタリア様に我が国の自慢の書物を見て頂こうと思いましてね」
「しかし、まだ梱包を解いたばかりですが……」
ナイデルさんが部屋の中央に置かれた木箱に視線をやる。
がっしりとした男性が二人掛かりでようやく持ち上げられるくらいの大きな木箱だ。蓋はすでに開けられており、中に本が入っているのが見える。
おそらく最終的には、部屋の隅にある赤い敷物が引かれた豪華な台車にでも本を乗せるのだろう。
「式典にはあの台車に乗せるのよね?」
「は、はい。そうですが……」
私の問いに不安そうにナイデルさんが頷く。
「せっかくだから、この私とミーナで載せてあげますわ」
どんな本があるか見ながら私が乗せてあげよう。ちょうどいい暇潰しだ。
「え? いや、そのようなことをナタリア様にして頂くわけには……」
思わずといった感じで立ち上がった両国の外交官二人が止める。
「気にする必要はありませんわ。お疲れでしょう? 少し休んでいたらいいわ」
きっと実務を取り仕切る外交官として忙しくしているのだろう。少しくらいのんびりしててもいいよ。
「いや、しかし……」
そんなに汗をかく程遠慮する必要ないのに。真面目な人たちだな。
「大丈夫ですわよ」
さっそく木箱の中を覗き込む。びっしりと本が詰められている。
「へー。そんな古い本には見えないわね」
背表紙のタイトルの文字も掠れておらずしっかりと読める。本自体も色褪せてもいない。もっと古めかしいイメージをしていたけど随分と綺麗だ。
「はい。管理には気を使っていましたから」
どこか自慢げなミーナである。
しかし、タイトルがはっきりと読める分、その本の難しさも想像出来た。
なんちゃら学のほにゃらら論とか、聞いた事もない言葉の考察だとか、私が読んだら五分後には夢の世界に行けそうなものばかりである。
「コウド学院は高度な教育をしています。それに相応しい学術書を用意しました」
目録を手にしながら一冊ずつ丁寧に台車に載せていくミーナだが、これ、読んだことあるのかな?
「そ、そうなんだ……」
漫画がないのは当然として、恋愛小説や冒険小説の類の本は無さそうね。私が読めそうな本が無さそうだよ。
「私も何が書いてあるのか、読んでもさっぱりですけどね」
舌を出して笑うミーナに少しほっとする。でも、読もうと思うのがすごいよね。
二人でこんな本を読む人はどんな人だろうと話ながら台車に本を乗せていく。途中何度か、ナイデルさんたちが、残りは我々で、と気遣ってくれるがそんな重いものじゃないし、大丈夫だよ。
然程時間も掛からず本を台車の上に載せることができた。
「おかしいですね……」
木箱の底に残る一冊の本を見て、ミーナが首を傾げている。
「どうしたの?」
「それがこの本、目録に載っていないのです」
その最後の一冊を手に取り、ミーナが見せてくれる。茶色の本である。不思議なことに、タイトルの類がどこにも書かれていない。
「中身は?」
ミーナからその本を受け取り、ページを捲る。
「何て書いてあるのかしら?」
表紙を捲って一ページ目。見た事のない文字である。どこか異国の文字なのかしら?
「見た事ない字ですね」
隣からミーナも興味深げに覗き込む。
「ん?」
さらに不思議なのは、その後のページだった。何やら見た事のない文字で書かれた一ページ目以降には、何も書かれていないのだ。白紙のままである。
「ガゼル殿。目録にこの本は載っていません。何かご存じですか?」
ミーナがフィンゼントの外交官である丸眼鏡の中年男性に尋ねる。
「い、いえ……」
問題が発生したでも思ったのか、青い顔になり首を横に振る。
「そうですか」
ミーナは本を見つめながら考え込む。
「でも、不思議な本ね。何か興味湧いちゃったわ」
他の小難しい本より、この何も書いてない本の方が断然興味惹かれるよ。もしかしたら、宝の在りかでも記されているのかしら。それで、特殊なインクで書かれていて、何かすればそれが浮き出てくるようなトリックが……。王家の秘蔵の本だ。しかもこの怪しさ。無い話ではないよね。
「ふふ。気に入られたようですね」
興味津々でその不思議な本を見つめている私を見てミーナが笑う。
「きっと、これは女王陛下の悪戯ですね。ナタリア様が興味を惹かれると思われてこっそり入れたにちがいありません」
「い、いえ、そのような話は……」
責任を問われるとでも思っているのか、ガゼルさんの顔が青ざめている。
「ナタリア様に差し上げます。この本は女王陛下からのナタリア様へ個人的な贈り物です」
「いいの?」
もし、宝の在りかを記していても返さないよ。
「じ、侍女殿。いくら女王陛下直属のあなたでもそのような真似が許されるとは思えませんが」
控えめながらも、ガゼルさんがミーナに反対する。
さっきから思ってたけど、フィンゼント女王の侍女って立場がすごい上なのね。
「構いません。女王陛下へは私から報告しておきます。ガゼル殿はご心配に及びませんよ。全責任はこの私が……」
「いや、しかし……」
渋るガゼルさんが、困惑顔のナイデルさんと顔を見合わせた時、扉をノックする音が聞こえた。
「お嬢様。ミーナさん。殿下が来られました」
開けられた扉からアシリカが顔を覗かせる。
「そう。今行くわ。では、失礼しますね」
軽く外交官二人に頭を下げて、式典へと向かう私だった。手にした本にお宝の在りかが記されている事を祈りながら……。