180 大きな子供
休日の昼下がり。場所は寮の私の部屋である。
のんびりと午後のひと時を過ごしていた私の元にやってきたのは、フォルクとマルラス。レオの従者二人である。
「殿下は今、クレイブ殿の料理の手ほどきを受けておられます」
ああ、今日はクレイブの料理教室の日か。最近では稽古が終わってからも何かと話したがるレオなのに、どうりで今日は終わって早々に切り上げたわけだ。
「それで、是非ともナタリア様に作った料理を召し上がって頂きたいと……」
なるほど。試食役に従者二人に私を呼んでくるように命じたのね。
「分かったわ。夕方くらいに行けばいいかしら?」
特に予定があるわけでもないし、断る理由もない。何だかんだ言っても、レオの作る料理は嫌いじゃないしね。
「はい。それで構いません」
ほっとした表情になる二人。
ああ、そうか。私が断れば、彼らが試食役だもんね。最近でもレオの試食に付き合わせてれて一日六食なのだろうか? 確かによく見れば、初めて出会った時より明らかに頬がふっくらとしている二人だもんね。
「じゃあ、また後でね」
今日は安心していいよ、と笑顔で二人を送り出す。
「はっ。では失礼致します」
そう一礼して、部屋から出て行きかけたフォルクとマルラスが、足を止めた。
ん? どうしたのかしら?
二人で顔を見合わせて、何か言いたげにこちらを振り返る。
「どうしたの?」
何か私に言いたいことでもあるのだろうか? どこか躊躇しているようにも見えるけど。
頷き合って、意を決した顔となったマルラスが口を開く。
「少々よろしいでしょうか?」
「ええ。いいわよ」
何なの、いったい?
側で控えていたアシリカとソージュも何事かと真剣な顔になっている。
「最近の殿下のご様子についてです」
最近のレオの様子? まさか、ヒロインとレオが急接近したとか? いつもと変わりないレオだが、私の知らない所で何かあったのかしらね。フィオラのレオへの食いつきようは尋常じゃないからね。
「レオ様に何か?」
ちょっとドキドキしながら、聞き返す。
「はい。最近の殿下は何と申しましょうか……」
言いにくそうに再び目を見合わせ合うフォルクとマルラス。
「何なの?」
早く言いなさいよ。
「は、はい」
私にせっつかれて、マルラスが覚悟を決めた顔になる。
「殿下は幼少の頃より優れた方でした。学問も剣術や魔術もすべて大人顔負けでありました」
そうよね。剣の腕はともかく、成績は私と比べようもないくらい優秀よね。
「その纏われている雰囲気も将来の王としての器に相応しく、畏怖堂々としたものにございました」
内心は別にして、レオは基本俺様だからね。
「しかし、最近の殿下は、どうもおかしいと言いますか……」
マルラスが顔に苦悩の表情を浮かべる。
「学問はトップを譲らず優秀な成績です。剣術もナタリア様は別にしまして、負け知らずです。もちろん、魔術の腕も申し分ありません」
言葉が止まったマルラスに代わり、フォルクが続ける。
「ですが最近、その優秀さを忘れさせられる言動が増えた気がしてならないのです」
ああ、何気にポンコツ具合が目立つもんなぁ。今まで彼の持つ天性のうっかりに誰も気付かなかったのが不思議だけれどもさ。
「どうしたものかと、二人で悩んでいるのです」
私からしたらどうでもいいと思うけど、レオの従者からしたら大問題なのだろうな。
「私たち、ずっと同じ悩みを抱えていマス……」
同情の籠った目でフォルクとマルラスを見つめるソージュ。
えーと、それ、どういう意味かな?
「もう少し、公爵家のご令嬢としてまともな言動をして頂けたら……」
アシリカも大きなため息を吐く。
同志を見つけた目でアシリカとソージュを見るレオの従者二人。
「ちょ、ちょっと。今はレオ様のことでしょ!」
何故に私に火の粉が飛んでくる? とんだとばっちりだよ。
「二人はレオ様のポンコ……、いえ、優秀さを忘れさせられる言動を気にしているのね」
無理やり話題をレオに戻す。
「はい。何度か諫言申し上げているのですが、一向に改まるご様子もなく」
途方にくれた様子のマルラスである。
「それで、世直しで経験の豊富なナタリア様に是非いいお知恵をお借りしたく」
フォルクが頭を下げる。
「なるほどね……」
アシリカとソージュからの大元の原因を見るような私への視線は無視しておく。
あれは、天性の素質だからね。決して私のせいじゃないよ。
「そうねぇ……」
うーんと考え込む。
でもさ、生まれ持ったうっかり体質だったらどうしようもないんじゃないの? 何を言っても無駄だと思うけど。
「ご立派な、威厳溢れる王となられる殿下を見る為にもお願い申し上げます」
涙を目の端に浮かべながら懇願する私に、天然さんだから無理だよ、と出かかっていた言葉が喉元で止まる。
「わ、分かったわ。機会を見て私からもレオ様にそれとなく申し上げてみましょう」
そう答えた私に何度も礼を口にするフォルクとマルラスだった。
夕食は美味しかった。
一流の料理人が作ったものと遜色ないほどレオの料理の腕があるのは素直に認めざるを得ない出来栄えだった。
「今回のポイントはだな、スープを取る為に日干しした魚を一晩煮込んだのだ」
食後のお茶を飲みながらの、レオのうんちく。
「それとな、今回使ったソースはだな、実は柑橘類から作ったものなのだ。どうだ、リア。気づいたか?」
料理をしない私には、半分以上何を言っているか分からないが、最近ぼっち気味のレオの為に相槌を打ちながら聞いてあげる。私からしたら、美味しかったらそれでいいんだけれどもさ。
「しかし、ここまで早く腕が上達するとはのぉ」
ちゃっかり一緒に食事まで取っていたクレイブだ。しっかりおかわりまでして満足そうに、お茶に口を付けている。
「それは我が師匠の教えのお陰だ。感謝している」
師弟の絆は益々深まっているみたいね。でも、レオ、クレイブが剣聖って知っているのかしら? ま、いっか。レオも現状満足しているみたいだし。
「さて、今後はデザートにも、もっと力を入れていくかの」
今後の計画を語るクレイブにレオが身を乗り出す。
「デザートか。是非、頼むぞ」
「うむ。食を追い求めるのに終わりはない。それを心して励むのじゃぞ」
「終生その言葉を忘れぬ」
何か、師弟二人で盛り上がっているな。
フォルクとマルラスは遠い目になっているけどさ。
レオがグルメ漫画の主人公ならいいけど、彼、この国の王太子だからね。今のレオからは優秀な王太子といった雰囲気が欠片も感じられないものね。
それでなくとも、主のポンコツ具合の加速ぶりに悩んでいる二人だからなぁ。
こんなレオに何を言えばいいんだ? 思わず従者二人の頼みを聞き届けてしまったけど、どうしていいか私でも分からないよ。
結局レオに何も言えないまま、悲壮な顔のフォルクとマルラスに申し訳なさを覚えつつ、夕食を終えて自分の部屋への帰り道。せっかくなので、途中までクレイブも馬車に同乗していた。
「随分と腕が上がったもんじゃろ」
教え子を自慢するような口ぶりのクレイブである。
そんなクレイブに思わずため息を吐いてしまう。
「レオ様の従者が心配しているわよ。何か最近王太子の威厳を失ってるってさ」
料理に夢中になっているのが悪いわけじゃないけどさ。
「威厳のう」
それを言うなら、クレイブだって剣聖の威厳もないけどね。
「なら、尋ねるがの。嬢ちゃんは公爵家の令嬢の品位が溢れ出ておるかの?」
「ぷっ」
我慢できなかったのか、ソージュが吹き出したのが聞こえる。アシリカも俯いて肩を震わせている。
「王太子の婚約者の品位は持っておるかの?」
くそう。痛い所を突いてくる。
はっきりと断言出来る。まったく無い、と。
社交の場が苦手なのはともかくとして、落着きは無いしガサツな所が多々あるのは言われるまでもなく自覚している。直そうと思ってはいるけどね。
「でもの、それでいいんじゃ。なぜなら、嬢ちゃんには嬢ちゃんの魅力がある。その魅力に惹かれておる者も大勢おる」
そう言いながら、何とか笑いを押さえてすまし顔に戻っているアシリカとソージュをちらりと見る。
「それと同じじゃ。王太子だからと言って威厳に満ち溢れる必要はない。レオナルドはレオナルドじゃ。奴は奴なりの魅力を十分持っておる」
言わんとしていることは理解できるし、一理あるとも思うけどさ。何だかうまく言い含められたような気もしないではない。
それにしても、いくら剣聖でも王太子のレオを呼び捨てにしてもいいもんなのかしらね。本人の前でも、普段通りに話しているしさ。
「それにの、いつの間にか付いてくるもんじゃよ、威厳や品位なんてものはの。その心次第での」
ああ、そういう訳か。無理して取り繕っても仕方ないということか。そんなメッキはすぐに剥がれてしまいそうだものね。それよりも、体に染みついているものの方が人の心に響きそうだしね。
「でも、最近のレオ様は、何だか子供っぽくなった気がするわ」
何だか普段いい加減の極致にいるようなクレイブに諭されるのも悔しい気がして、思わず口をついて出た小言だ。
我を通す事が多くなった気がするし、頭で考えるより先に体が動いている時も増えたような気もする。王宮で初めて会った時の方が大人びていた。それが今は大きな子供だ。
「さすがじゃの。ようレオナルドを見ておる」
感心したように、私の顔を見つめる。
意外なクレイブの反応にこっちが驚かされる。
「奴はの、今もう一度子供からやり直しているところなのじゃよ」
「子供からやり直す?」
クレイブの言っている事が分からない。
「王宮とは特殊な所じゃ。特に幼くして母親を亡くしたレオナルドにとっては、特にのう」
哀し気な目となるクレイブ。
「きっと、必死であったろうなぁ。子供でありながらも子供でおられん。でなければ、その存在を否定されてしまう」
王宮の事情に詳しいとは思えないクレイブだけど……。それにレオの事も昔から知っているような口ぶりに思える。
「ねえ、随分と――」
よく知っているのね、と聞こうとしたがやめておく。きっと、何も答えてはくれないだろう。いつものようにふざけておどけるだけだ。食えない剣聖だよ。我が師でもあるけどさ。
私が言葉を飲み込んだの見て、再びクレイブは話し出す。
「子供ながらに、嫌でも自分の置かれている立場を考えざるを得ない状況に追い込まれてしまうのも不思議ではない」
ああ、母親とその実家の支援もなく立場が不安定だったみたいだからね。だからこそ、後ろ盾としてサンバルト家の娘である私と婚約したからなぁ。そう考えると初めて出会った時のまだ十四歳だったレオが妙に大人びていたのも納得できる。
「じゃが、王宮を出て、ある程度は自由で厳しい監視の目も無い学院に来て、そして何より嬢ちゃんとの出会いが奴を子供にしたんじゃよ」
私との出会いで子供に?
「レオナルドはの、経験出来なかった子供だった時代をやり直しておるのじゃ。感じた事を表現し、感情を他人に見せるというな」
そう語るクレイブの目はとても優しいものだった。
「心が解放されたとでも言うのかのう。それも、嬢ちゃんのお陰じゃよ。奴にとって嬢ちゃんは、幼くして失った母親と同じくらい大きな存在なんじゃよ」
失った母親と同じくらいの存在って……。それってまさか、レオ……。
「それってさあ、私が母親代わりってこと?」
いくら何でもそれは酷くないか? そんなに私がおばちゃんっぽいってことなのか? それにあんな息子欲しくない。
「は?」
珍しくクレイブが素っ頓狂な声を出して目を丸くしている。
「……さすが嬢ちゃんじゃの」
ようやく口を開いたと思うと、これまた珍しくクレイブが頬を引きつらせて私を見ている。
言葉では、褒められているのにそう感じないのは、気のせいじゃないだろう。
「お嬢様の苦手な分野ですからなぁ……」
おまけに御者台のデドルからも小さな呟きが聞こえてくる。
「お嬢様……」
何故かアシリカとソージュもため息交じりに私を眺めていた。
後日、フォルクとマルラスに告げる。
レオ様はレオ様だ、と。今のままのレオ様でもご立派だと思わないか、と。
私だって、今のレオは悪くないと思う。もちろん、男性としては見れないが、いい奴だとは思う。出来ればヒロインに陥落して対立したくないし、もしそうなれば心苦しく寂しくも思うだろう。
確かに以前のように、どこか人を寄せ付けない雰囲気のレオは上に立つ王太子然としていたかもしれない。でも、今の人間臭いところのあるレオの方が立派な王になれるような気がする。
そんな思いを言葉足らずながら必死で伝えると、何やら考え込んだ後、すっきりとした顔になり感謝の言葉を述べる二人に安堵する私だった。