18 負けられない戦いがここにある
窓から眺める屋敷の庭には、うっすらと雪が積もっている。月明りに照らされて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
新年を迎えて、二日目。
エルフロント王国において、宗教的な色彩は薄く、自然崇拝が主であった。立ち昇る太陽に一日の無事と希望を祈り、一日の終わりには夜空に輝く月にその日の平穏を感謝する。
一年の締めくくりも月夜に、年の初まりに朝日に、一年の息災と感謝の祈りを捧げる。家族、屋敷の者で集まり、揃って祈りを捧げた。
年末年始のイベントは、それ以外には、特に何も無い。おせちや雑煮は仕方ないとして、お年玉的なモノも無いのだ。
普段通りの食事、家族との会話。普段と何ら変わらない年越しだった。どうやらこのエルフロント王国では、誕生日や結婚記念日などの方が盛大なイベントとなるらしかった。
前世の年越しのイベントだ、カウントダウンだ、バーゲンだ、というお祭り騒ぎに慣れ親しんだ私からしたら、ちょっと物足りない感じがする。
窓に顔を近づけると、私の息で、ガラスが曇る。先ほどから、また雪が降り始めていた。
「お嬢サマ。窓の近くは冷えマス」
ソージュが、窓際に椅子を置き座っている私にひざ掛けを持ってきてくれた。彼女も、今では立派な侍女となっている。相変わらず口数は少ないけど。
「ありがとう、ソージュ」
私がソージュの頭を撫でると、照れくさそうな表情をわずかに浮かべる。
「雪、また降ってきまシタカ?」
「ええ。明日には、庭一面銀世界かもね」
ん? そうか。イベントが無いなら、作ればいい。盛大なイベントでは無くてもいいのだ。いつもとちょっと違う事なら、それは立派なイベントだ。
そして、外は雪。この分だと、明日の朝には、庭には結構な量の雪が積もると思う。ならば、やる事は決まっている。雪合戦だ。
「ねえ、ソージュ。雪合戦って知ってる?」
私の質問にソージュは首を横に振る。
雪合戦は無いのか。でも、まあいい。そんな複雑なルールじゃないし、屋敷の庭で出来る。
そうと決まれば、早速準備だ。
「お嬢様、そろそろ寝衣に着替えられるお時間です」
アシリカが私の寝衣を抱え、部屋へと入ってきた。
「いえ、ちょっと用事が出来たわ。寝るのは、もうちょっと後よ」
まずは、庭を使うからデドルに相談ね。それと、人集め。大人数の方が絶対楽しいしね。まだ私を怖がっている屋敷の者もいるけど、大丈夫かな? あっ、お母様にも、うまく説明しないと。とても、貴族の令嬢がする遊びには見えないからな。
「お嬢様? また、何かお考えですか?」
内容によっては止める気満々という感じで、アシリカが部屋を飛び出そうとする私の前に立ちはだかる。
「後で、説明するからさ。とにかく、コートを持って付いてきて」
うん、強引にでも進めるわよ。いつも、苦労かけてごめんね、アシリカ。でも、きっと楽しいよ。
私はアシリカの横を通り抜けて、部屋から勢いよく飛び出した。
「お嬢様、お待ちくださいっ。まずは、説明を」
アシリカが追いかけてくるが、私は彼女に捕まる前に、飛び出した廊下で衝撃を受ける。誰かにぶつかったみたい。
「うわっ。リアか。大丈夫か?」
そう言いながら、倒れそうな私を支えてくれていたのは、下のお兄様のイグナスお兄様だった。
「ごめんなさい」
「ははっ。構わないさ。それより、リア、一体何の騒ぎだ? あまり侍女を困らせてはいけないよ」
イグナスお兄様は、私を追いかけようとしていたアシリカに視線を向けた。
「あの、ちょっと、面白そうな事を考えたので、やってみたくなって……」
「面白い事? リアが面白いと思う事には興味があるな。何だい? 僕で良かったら手伝うよ」
背の高いイグナスお兄様は少し屈んで、目線を私に合わせてくれる。もちろん、このイグナスお兄様も私には甘い。
「はい、実は……」
私は雪合戦の説明をする。ただ、投げ合うだけでは、つまらないと思うので、二チームに別れ、それぞれ陣地を構えて、旗を取られたら負けというルールを説明する。
隣でその説明を聞いていたアシリカは、手を顔に当て、悩まし気に項垂れてしまっている。やっぱり、令嬢らしからぬ遊びだよね。でも、何かイベントめいた事がしたいんだよ。雪合戦が新年らしいかは疑問だけどさ。
「ほう。それは楽しそうだな」
ところが、イグナスお兄様は、整った顔に、にやりと笑みを浮かべていた。
そうか。イグナスお兄様は軍勤務。本人たっての希望で、サンバルト家では、珍しく軍へと入ったのだ。
遊びとはいえ、陣取り合戦の様な雪合戦に興味を持ったみたい。ひょっとして、軍オタなのかしら?
「よし。リアの望みでもあるし、全面的に協力しよう」
「本当!?」
これは、予想外の展開だ。強力なイベントへの協力者の出現だね。
「ああ、もちろんだよ」
イグナスお兄様は私の両肩に手を置き、力強く頷いた。
翌日の朝、サンバルト家の庭は普段の静けさと違い、多くの人が集まっていた。
突然の催しにお父様は楽しそうに様子を眺めているものの、お母様には戸惑いが見受けられる。
「リア、あなたまで参加するの? それに、本当に、こんな雪を投げ合うなんて事が流行っているの?」
毛糸の帽子、手袋に、コート、分厚いズボンを履いて防寒ばっちりの私に訝し気にお母様が話しかけてくる。
「ええ。聞いた所では、天からの恵みである雪を相手に送る、そして、謙遜の意味を込めて、相手からの雪は避ける。貴族としての、奥ゆかしさを表す遊びですわ」
我ながら、かなり無理のある説明であると思う。こじつけどころか、自分でもよく意味が分からない。
「聞いた事ないけど……」
さすがに、お母様も首を捻ったままだ。
「はっはっはっ。まあ、いいじゃないか。リアだけじゃなく、屋敷の者も楽しそうだしな」
お父様がお母様に笑いかける。
確かに、庭に集まる屋敷の者も皆、どこか楽しそうに準備を眺めている。やっぱり、何もイベントが無いのはつまらなかったのかもね。考えた甲斐があったわ。
参加するチームは四つ。トーナメント方式で優勝を決める。
まずは、やる気満々で準備をしてくれたイグナスお兄様のチーム。ご自分の従者を従えている。軍で培った戦術を駆使してくるに違いない。
二つ目はエリックお兄様のチーム。同じくご自分の従者を連れての参戦である。きっと、頭脳プレーをしてくるだろう。
そして、意外な三チーム目はガイノスが率いる使用人チーム。雪合戦中は、もちろん身分など関係ないので、思い存分、その結束力を見せてくれるだろう。
そして、最後は、私が率いるチームだ。一チームあたり四人としたので、アシリカとソージュ以外にデドルに参加してもらっている。女性中心という事で自陣の旗を二本とするハンデを貰っている。
一回戦の組み合わせは、私のチーム対エリックお兄様のチーム、イグナスお兄様のチーム対ガイノス率いる使用人チーム。
まずは、エリックお兄様との対戦だ。それぞれの陣地に旗を立て、雪で小高い山を築き、防御拠点としている。
「エリックお兄様、お手柔らかにお願いしますわ」
「リア、怪我だけは気をつけるのだよ」
あら、エリックお兄様ったら。今は敵なのに、私を気遣うとは、甘いわね。でしたら、そこを突かせていただくわ。
自陣の旗の守備をアシリカとデドルに任せ、俊敏なソージュと共に、敵陣へと攻め込む。やはり、予想通り、エリックお兄様は私に雪玉を遠慮がちに投げてくる。
緩い攻撃を避けながら、ソージュの前に立ち、私は進んでいく。
その時、エリックお兄様の従者が投げた雪玉が、私の顔面を直撃する。
「きゃああっ!」
大げさな声を上げ、倒れ込む。顔は雪まみれになっているものの、緩く投げてきているので、まったく痛くはない。
「リア!」
エリックお兄様が叫び、私に駆け寄ってくる。その行動にお兄様の従者たちの手が止まった。
よし、作戦通りだ。私は倒れながら、ソージュに目線で合図を送る。
それまで、ゆっくりと進んでいたソージュが一気に加速する。私に気を取られているエリックお兄様たちの間をすり抜け、あっという間に敵の旗を引っこ抜いた。
「勝負あり!」
審判をするお父様が声を上げた。
「大丈夫かい?」
私が立つのに手を貸しながら、服や顔に付いた雪を払ってくれる。本当に優しいけど、その優しさが勝負を決めましたわ。ちょっと罪悪感を感じるくらいの優しさだけどさ。
「ええ、大丈夫ですわ」
そう答えて、私は両親の方へ手を振った。お父様は、笑みを浮かべて手を叩いているが、お母様は、顔が青ざめている。寒さにやられたのかしらね。
続けて行われたイグナスお兄様とガイノスの対決は熱戦だった。私とエリックお兄様の対戦は兄妹のお遊びという感じだったが、こちらはガチだった。イグナスお兄様とガイノスは的確な指示を出し、これが雪合戦か、という程の白熱した戦いとなった。最後は寸での差でイグナスお兄様が勝利を収めた。
勝負後、両チームが熱い握手を交わしている。どこのスポ根だよ。
次の相手はイグナスお兄様か。こりゃ、手ごわいな。よし、エリックお兄様の時と同じ妹パワーで押し切るか。
そして、いよいよ迎える決勝である。
「リア。いざ、勝負だ」
イグナスお兄様が不敵な笑みを浮かべて、纏っていたマントを捨て去る。その下は軍服である。
うわぁ。マジだ。ちょっと引くくらい気合いが入ってるよ。
「兄上は優しいから騙せても、これは勝負だからね。僕は本気でいくよ」
怖いっ。だって、顔がいつものイグナスお兄様じゃない。これ、遊びだよ? 何かの大会とかじゃ、無いんだよ? こんなにも、熱くなりやすかったんだ。
まあ、いい。そっちがその気なら、こっちも本気だ。絶対勝ってやる。
「もちろんですわ。正々堂々と戦いましょう」
私も胸を張り、少しでも小さな体を大きく見せる努力をしてみせる。
いつの間にか、会場となっている屋敷の庭は、使用人で溢れ、熱気に満ちていた。大盛り上がりの様相である。
「では、始めっ!」
お父様の掛け声と共に決戦の火蓋が切って落とされる。
先程と同じ配置で、私とソージュで先行していく。イグナスお兄様らは、様子見しているのか、左右に一名ずつ、旗の前方に一名。イグナスお兄様は旗の下で、悠然と構えていた。
ゆっくりと進み、相手の射程圏内に入った途端、矢の様に雪玉が私に降り注いできた。エリックお兄様の時と違い、本気の投擲である。
「痛っ!」
今度は本当に痛い。でも、雪玉は止まる気配は無い。
そうか。お兄様、兄妹の情は捨てたのね。
「ソージュ!」
私が囮になり、左右に動きまる。もちろん被弾し続けている。その合間を縫ってソージュに突撃させる。
「その策は通じんっ!」
イグナスお兄様がそう叫ぶと、一斉に雪玉の集中砲火をソージュが浴びる。
「ソージュッ!」
瞬く間にソージュの小さな体が真っ白になる。
これは、酷い。すっかり、ソージュは雪に埋まっている。早く助けないと。
「次の標的が来たぞっ!」
助けに向かう私に次々と雪玉が襲い掛かってきた。瞬く間に雪まみれになる私。
何とかソージュの元に辿りつこうとするが、前に進めない。
「お嬢様っ。一旦、お引きくださいっ」
いつの間にか、アシリカが私を救出に来ていた。
「でも、ソージュがっ」
「大丈夫です。ご覧ください」
雪に埋もれていたソージュがのそのそと動き、敵陣から少し離れた場所に倒れ込んだ。
「ソージュ、大丈夫っ? 少しそこで休んでいなさい。すぐに助けに来るからね!」
私の声に反応したのか、ソージュが片手を弱々しく上げた。
「まだ終わってないぞ!」
人が変わったとしか思えないイグナスお兄様からさらに追加の雪玉が降ってきた。
「ここは、一度引きます」
私は一旦、自陣へと引き上げる。ソージュを残してきたのが心残りだが、無事である様だ。でも早く、助けに行かないと。
「お嬢様、どうしますかい?」
デドルが敵方を眺めながら尋ねてきた。
「旗を一本、囮にします」
そう、こちらの強みはハンデの二本の旗。そのうちの一本を狙う相手を集中攻撃するのだ。
「すぐに、配置に着いて。ほら、のんびりしてない。ここは戦場よ」
「お嬢様、戦場って……。あの、これは遊びですよね?」
「ほら、早く。敵が来るわよ」
困惑気味のアシリカに雪玉を渡す。
相手は本気の軍人だ。ここが戦場と言わずして、何と言う?
そうこうしているうちに、向こうから、二人がこちらに向かってきている。
「守りを固めなさい!」
囮の旗に向かう二人に私も加え、三人で雪玉を投げつける。さすがに、思う様に前に進めない様だ。
よし、この隙にソージュを助けに行こう。
「え?」
ソージュの所に向かおうとしていた私の顔に雪玉が直撃した。見ると、アシリカとデドルにも雪玉が次から次へと降り注いでいる。
「はっはっはっは。油断したな。リアの策などお見通しだよっ!」
気づけば、旗を守っていたはずのイグナスお兄様ともう一人従者がすぐそこまで迫ってきていた。囮に向かっていたはずの二人も私たちへと雪玉を浴びせつつ向かってきている。
くそっ。完全に裏をかかれたわね。三対四で数的にも不利だわ。
「まだ、地形的有利はあるわ。追い返しなさいっ!」
私たちも、築かれた雪山を頼りに必死で防戦する。
「勝負ありっ!」
その時、お父様の声が、戦場に、いや、庭に響いた。
え? まだ旗取られてないよ。 何が起こったのか、きょろきょろする私の目に敵陣の旗を高々と持ち上げるソージュの姿が映る。
「ソージュ。大手柄よっ!」
私は飛び上がって喜ぶ。イグナスお兄様は呆然とソージュを見ている。ふふ、油断したのは、イグナスお兄様の方ね。ソージュがもう動く力が残ってないと判断したのね。
私はソージュの元へ駆け寄り、抱きしめる。
こうして、私のチームが雪合戦の栄えある王者となった。
そして、屋敷でソージュは雪原の勇者の二つ名を貰う事になった。何か、かっこいい。ちょっと羨ましいな。
ちなみに、この雪合戦。使用人から話が伝わっていき、噂が噂を呼び、エルカディアで大流行となる。雪の降る事が少ないエルカディアだが、雪が積もった日には、あちらこちらで雪合戦をしているそうだ。
しばらくすると、この流行は王宮にも伝わり、早速、レオが自分のチームを作り、特訓しているらしい。掛け声は「打倒、リア!」と言っているそうだが、残念だ。勝負できないと思う。なぜなら、そろそろ雪が降る季節が終わろうとしているのだから。