179 そっちはダメッ
イグナスお兄様の騒動から一ヶ月ほど。
新たな学年が始まってからすでに二ヶ月以上が経っていた。本格的な暑さが始まる前のジメジメとした雨の多い季節を迎えていた。
私の生活はというと、大きな変化はない。
評価を上げて軍に復帰したイグナスお兄様は毎日を忙しくされているようだ。ただ、珍しく貰ったガイノスからの手紙によりと、バルムの屋敷に踏み込んだ時に、以前エリックお兄様がメリッサ義姉様の父君の無念を晴らした時と同じ目の前の状況に随分と驚いていたそうだ。今でもその事に考えを巡らしているそうだ。
ちなみに、ザドックにはもちろんキツク口止めをしてある。どうやら、約束はきっちりと守っているようだ。
そして、あれ以来、私へはもちろん三公爵家への攻撃らしいものはない。もちろんサンバルト家以外はよく知らないが、ミネルバさんやザリウルス様の様子を見ていても、そのような気配はない。
もう一つ。私にとって最大の懸案とも言えるヒロインだが、こちらも大人しい。いや、大人しいというのは語弊があるかもしれない。ケイスやライドン、それに加えてオーランド、セロンとこの学院でもトップクラスのイケメンかつ実力者を従えて闊歩する彼女はすっかり注目の的となっていた。
今のところ私へ特段何かしてくる様子も無いので、どうでもいいのだが。レオへ何度か接触を試みているようだが、彼女の意図はいまいち分からない。ただのイケメン好き、権力者好きか……。
彼女を一時、私と同類、つまり転生者かとも疑ったが、どうもそうではないようだ。というのも、もし攻略方法を知る転生者なら、一つづつイベントをこなしていくはずだ。だがその形跡もない。それにケイスたち攻略対象者たちが彼女にのめり込むのが早すぎる。これは逆にイベントやその選択肢など攻略方法を知っている者からしたら理解に苦しむ状態だ。
しかし、レオだけは、そのハイスピードの攻略の蚊帳の外だ。最初の出会いが失敗したのが原因だろうか? 何度か目の前でレオに接触を試みている場面に遭遇したが、すべて不発であった。
胸元にぎゅっと手を当てて上目遣いのフィオラに、レオがあからさまな嫌悪感を示していたのだ。
仲の良かった友人を取られたとでも思っているのかな? だったら、ケイスらライドンを奪ったヒロインのライバルはレオじゃない?
まあどちらにしろ、今のとこと私へのこれといった関わりがないから、どうでもいいけど。油断はするつもりもないけどさ。
「で、そういうパーティーがあってもいいのではないだろうかと思ってな」
すっかり友人を取られた最近のレオは昼間も私と行動を一緒にすることが増えていた。お陰で絡んでくるフィオラとの遭遇率も上がっているのだけれども。
今日のレオは何やら新たなパーティーの企画を私に披露していた。
彼の考えるパーティーとは、ペット同伴のパーティー。確かに、それは珍しい。貴族のパーティーでも聞いたことがない。
ムサシがきっかけでペット可になった学院では、現在ペットブームである。多くの生徒が犬やら猫に始まり、中にはトカゲなどの爬虫類もペットとして学院に連れてきている。ま、鶏をペットにしているのは、目の前のレオ一人だけどもね。
「でも、学院側がそんなパーティーを許してくれますの?」
私の疑問にレオが不敵な笑みを浮かべる。
「すでに院長、副院長には許可を取ってある」
暇なのかな? 最近、ぼっち気味だから。
「それでだな、リアにも周囲に声を掛けてほしいのだ。こんなパーティーがあるとな」
「私がですの?」
いや、自分でも声を掛けようよ。私だって、友達少ないよ。
「お前、知り合い多いではないか」
私の知り合いって……。貴族の集まる学院のパーティーに呼んだら大変なことになる気しかしないな。特に道場に集まる人たちとかはさ。
「まあ、シルビアとミネルバ様に声を掛けておきますわ」
「おお、頼んだぞ」
嬉しそうなレオを見て不安になる。
本当にぼっちなのかしらね。
人が集まるか心配していた私だったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
学院のホールに大勢の人が集まっているのを見て、ほっと胸を撫でおろす。
ペット同伴という珍しさもあり、多くの参加者が集まったようだ。ペットを飼っている者は一緒に、飼っていない者も物珍しさから参加しているみたいである。もっとも、ノリノリで準備に勤しんでいた副院長の力が大きのだろうけど。
それにしても、普段のパーティーとはまったく雰囲気が違うね。
飾り付けられた会場や綺麗に盛り付けられた料理は他のパーティーと何ら変わらない。
しかし、会場には犬や猫の鳴き声で溢れているし、大きな亀がノロノロと歩いている。天井近くを大きい鳥が飛んでいるけど、あれ、最後どうやって捕まえるのかしらね。
並んでいる料理の中に鳥肉料理が並んでいるのがシュールにも見える。
そんなパーティーの雰囲気に後ろを歩くアシリカとソージュも興味深そうに珍しいペットに目を奪われている。
私はムサシを抱いて、今回の陰の立役者である副院長と挨拶を交わしていた。
「おお、ムサシ。元気かい? 相変わらず可愛いですなぁ」
私への挨拶中もずっとムサシに釘付けだった副院長の猫なで声。満面の笑みでムサシの頭を撫でている。
私の横でレオが俺のジョセフィーヌも見てくれと言わんばかりに、期待の籠った目を副院長に向けている。
「お、おお。殿下の鶏も立派なトサカをしておりますなぁ」
レオの視線に気づいた副院長の誉め言葉。ちょっと、顔を引きつらせているけれどもね。
「ふふふ。そうであろう」
目を細めてジョセフィーヌを撫でている。
「と、ところで、殿下」
これ以上鶏を褒めれないと判断したのか、副院長が話題を変える。
「このパーティーの企画は殿下にございます。参加されている者たちに何か一言お願いしたいのですが……」
今回の主催者はレオのようなもの。そのレオに皆の前で挨拶してもらおうというわけか。
副院長サイドからしたら、王太子の挨拶でさらに盛り上げたいのだろうな。
「それもそうだな」
レオも慣れたもので、軽く頷く。
私には、無理だな。大勢の前で何を話せばいいか分からない。余計なことを言ってしまう気がする。
「殿下。挨拶の間はジョセフィーヌをナタリア様に預けておられませ」
それまでは無言で控えていたマルラスが挨拶の為に会場に設けられたステージに向かおうとしているレオを止める。
まあ、それが正しいかな。一国の王太子が鶏抱えて挨拶ってのもね。マルラスらレオの従者からしたら、避けたいのかもしれない。
「そうか? ならば、頼むぞ、リア」
素直に従者の意見に従い、私の足元にジョセフィーヌを置く。
「ジョセフィーヌ。寂しいかもしれんが、少し待っていてくれ」
首元に優しく手を触れる。
「え?」
何で私が鶏の相手なのよ?
挨拶に向かうレオの背後に付き従うマルラスとフォルクが振り返り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「アシリカ、ちょっとだけムサシをお願いね」
仕方ない。アシリカにムサシを預け、私がジョセフィーヌを抱っこしようとした時である。
「お姉さまぁ!」
声と共に抱きしめられる。
「シルビア……」
まったく、いつも急に抱き着いてくるのは勘弁して欲しい。
「お姉さま、見てください。私もペットを飼いましたの」
そう言って、彼女に付いてきたカレンさんから受け取ったのは小さな鉢植え。
「ペット?」
「はい。サボテンですわ」
サボテン……。丸く毛のような小さな白い棘が無数にある。
それ、ペットって呼べるのかしら?
「そ、そう……」
ま、ペットの定義なんて人それぞれだろうしね。彼女がサボテンをペットと呼ぶならペットなのだろう。
「それより、ジョセフィーヌよ。あれ? ジョセフィーヌ?」
さっきまで私の足元にいたはずのジョセフィーヌの姿が見当たらない。
「ジョセフィーヌ?」
世話が焼けるな。どこにいったんだ?
周囲を見渡すと、人垣の間からジョセフィーヌの姿が見える。いつの間にか随分と遠くまで行っていたようだ。壁際をひょこひょこと歩いているのだが……。
「ダメッ! そこだけはダメッ!」
思わず叫んで、ジョセフィーヌの元に走り出す。
「お、お嬢様!?」
パーティーで走るなどもってのほか。そんなことは分かっている。それを諫めるアシリカも間違っていない。
だが、それどころではない。なぜなら、ジョセフィーヌの向かっている先にあるのは、厨房へと続く入り口。
あなた、そこに行ってしまったら間違われてしまう。食材に……。
慌ててジョセフィーヌを追いかけたものの、私が厨房の入り口へと辿り着いた時には、すでにその姿が見当たらない。
しかも入り口を入ってすぐに二又に別れていて、どっちに進んだのかも分からない。それぞれの廊下を見渡してみるが、どこに厨房があるか、もう一方がどこへ続くのかも分からない。
「これは……」
マズイ。非常にマズイ。彼女に何かあればレオは生きていけないような気がする。この場合の“何か”は一つしかないけど。
早い所、ジョセフィーヌを見つけ出さないと。
自分の勘を信じて、右の廊下を進んでいく。
「ジョセフィーヌ!」
その名を呼んでみるが、返事はない。
もう自分がどこにいるのかも分からないが、妙に入り組んだ廊下を進んでいく。
「ケコッ! ケコッ! コケッ!」
「ジョセフィーヌ!」
廊下の先からジョセフィーヌの声が聞こえる。その鳴き声からは、切羽詰まったものを感じる。
嫌な予感を抱えながら、必死でその声の元へと走っていく。
「おいおい。一羽余っているじゃないか」
鳴き声のした部屋へと辿り着くと、そんな台詞と共にジョセフィーヌの首を掴まんでいる男と目が合う。
「え?」
きょとんとした顔で、白いコック服の男が声を失っている。
「そ、その手を離しなさい!」
一喝に思わずと言った感じで男がジョセフィーヌを放す。落ちて来るジョセフィーヌをダイビングしてキャッチする。
「コ、コケッー」
良かった……。無事のようだ。
「あ、あの……」
周囲にコック姿の人たちが唖然とした様子で私を遠巻きに眺めているのに気づく。
「おほん」
咳払いを一つして、おもむろに立ち上がる。
ダイビングキャッチしたせいで、ドレスの前に野菜の破片がへばり付いていた。そして、それを啄むジョセフィーヌ。
「見た所、生徒の方のようですが……」
一番年配の男性が意を決した顔で尋ねてきた。ドレス姿の私を見ての判断だろう。
「いえ、ペットが逃げ出したもので……」
「え? ペット? この鶏が?」
私の顔とジョセフィーヌを交互に何度も見る。
ま、そうなるよね。食用の鶏をペットになんてレオくらいだもの。
「そうだったのですか。いや、私どもはてっきり、その……、何と言いましょうかね……」
食材とは言いづらいのだろうな。気遣い、ありがとう。
「ご迷惑おかけしました」
私の胸元で野菜を啄んでいるジョセフィーヌを抱えたまま頭を下げる。
「い、いえいえ。とんでもございません」
引きつった顔で頭を下げ返してくる。
「では、失礼します」
こんな状況から一刻も早く解放されたいとくるりと廊下の方を向くが、大事なことに気付いて、再び振り返る。
「あの……、パーティー会場、どっちでしょうか?」
どうやってここまで来たのかも覚えていない。
「え?」
本日二回目のきょとん顔を向けられる私だった。
親切にも会場まで送り届けてくれたコックの方々にお礼を言って、再びパーティー会場へと戻ってきていた。
アシリカたちの姿を探すが、見当たらない。レオの挨拶もすでに終わっているようで、会場は歓談の時間となっていた。
「あらぁ?」
さて、どうしたものかと考えている私の耳に入る声。このほんわかとした間延びした声は……。
振り返ると、そこにいたのは、やはりフィオラだ。その背後には攻略対象者たちを侍らしている。もれなく冷たい目を私に向けながら。
「それ、ナタリア様のペットですか?」
明らかに馬鹿にした目でジョセフィーヌを見ている。フィオラのその口元は、今にも笑いが溢れだしそうだ。
「鶏をペットに? やれやれ。このような動物を飼うなど、サンバルト家は何を考えているのか」
ケイスが呆れた顔で、首を振っている。
この前のイグナスお兄様を悪し様に言っていたことは謝らないのかしらね。その横っ面を鉄扇で張り倒したい気分だわ。
「太らせて食べる気じゃ……」
小鹿のように震えて小声で呟いているのは、セロン。
あながち外れてはいないね。それをしようとしたのは、レオだけどもね。
「ナタリア嬢にペットの世話が出来るのか。ああ、そうか。お貴族様なら、侍女にやらせればいいのか」
皮肉めいた口ぶりのオーランドだが、私、ムサシの世話は自分でやっているからね。
「でも、こんなペットを欲しがるなんて、変わった人ですね。これのどこがいいのかしら?」
そう言うフィオラの顔は、穢れた物を見る目をジョセフィーヌに向けている。
レオのペットなんだけれどもさ。それを知った時の顔が見たいわね。
「ちょっと、よろしいかしら?」
今度は、凛とした張り詰めた声。ミネルバさんだ。その後ろには風紀向上委員会の三人……と、ザリウルス様。
「あなた、ナタリア様に少々お言葉が過ぎるのでは?」
怖い顔をしたミネルバさん。
「な、何ですか、突然……」
フィオラは怯えた顔で、隣にいたケイスの腕に纏わりつく。
「ミネルバ嬢、フィオラは素直に自分の気持ちを口にしただけ。何故、それを咎められるのだ?」
ケイスがミネルバさんへの敵意をむき出しにする。
「ケイス様。思ったことを何でも口にすることがいつも正しいとはかぎりませんわ」
ミネルバさんは、ケイスの睨みを気にする素振りもない。
「それに、ナタリア様への敬意が足りない気がしますわね」
そう言って、フィオラに視線を戻す。
「敬意? でも、学院で生徒同士は平等じゃないですか」
さっきの怯えはどこに行ったのか、ミネルバさんを睨み返すフィオラ。
「確かに、学院において生徒同士は公平に扱われます」
そう答えたミネルバさんに、フィオラがしてやったりの笑みを浮かべる。
「ですが、その前にここは貴族の子弟が集まるコウド学院です。貴族のしきたりや伝統は守るべきなのは当然です。例え、貴族の身分でない特待生であろうと」
ミネルバさん、フィオラのこと知っているんだ。まあ、攻略対象者たちを侍らせて目立っているからね。もしかしたら、後ろにいる風紀向上委員会に目を付けられているかもしれない。
「それに、いくら公平と言っても、あなたから見たら、ナタリア様は年長者です。敬意は払うべき方ですわ」
「な、何ですか、偉そうに……」
悔しそうにミネルバさんにそう言えるフィオラもすごいな。いや、空気を読めていないだけか。
そんなフィオラの態度に大きくため息を吐いて、呆れたようにミネルバさんが首を振る。
それにしてもいつのまにか私、蚊帳の外だな。
そう思いながら何気に天井を見上げると、飛んでいた鳥が目に入る。その鳥から何かが降ってきたと思った次の瞬間、べちゃっと音が響く。
「きゃ! 何、これ?」
悲鳴のような声を上げたのは、フィオラである。
その頭には鳥から降ってきた白いもの。鳥のフンだ。前髪にべったりと付いてしまっている。
「珍しい髪飾りですわね」
ミネルバさんの棘のある一言。汚い物を見るような目をしている。
実際汚物を頭に載せているけどね。
思わず私もくすりと笑ってしまう。
そんな私にフィオラが苦々しい顔を向けてくる。
「あっ! 殿下!」
そんな顔を一変させるフィオラ。
「リア、探したぞ。どこに行っていたのだ?」
レオを先頭にして、アシリカとソージュ。シルビアもいる。アシリカの顔は怖くて直視出来ないけど。
「殿下! お探ししてましたわっ!」
フィオラの明るく甘い声。
でもさ、その頭に乗っているモノ、忘れてない?
「な、何だ、こいつは?」
頭に出来立てのフンを乗せているフィオラにレオが思わず後ずさる。
「え? あっ!」
隠そうとでも思ったのか、思わず頭に手をやるがまだべっとりとした白いフンを手で掴んだだけだった。フィオラは手までフンでまみれてしまっている。
「で、でも、ナタリア様だって、胸元にっ!」
フィオラが指差す先には、野菜の破片が付いた私のドレス。周囲の状況などお構いなし相変わらずジョセフィーヌが啄んでいる。
「おお、リア。ジョセフィーヌに食べさせてやってくれていたのか。良かったな、ジョセフィーヌ」
嬉しそうにレオがジョセフィーヌの背中を撫でる。
「ジョセフィーヌ?」
フィオラが小首を傾げる。
「レオ様のペットですわ。ジョセフィーヌ、レオ様の所へ」
意味ありげな笑顔をフィオラやケイスたちにも向けながら、抱えていたジョセフィーヌをレオへと渡す。
「おお、ジョセフィーヌ。寂しくなかったか?」
愛おしそうにジョセフィーヌに話しかけるレオにフィオラもケイスたちも、顔を引きつらせている。
「さっきジョセフィーヌを見て、何かおっしゃってましたかしら?」
ケイスに尋ねてやる。これくらいの仕返しはいいよね。
「い、いや、その……」
「ケイス様?」
視線を向けるが、さっと逸らされる。
「フィ、フィオラ。綺麗な髪が汚れてしまっている。今日は退席させてもらおう」
おい、ケイス。私の質問はどこに行った?
「そ、そうね。殿下。ゆっくり話したかったのですが、こんな姿ではダメですから失礼させてもらいます」
フィオラも一礼すると、その場をそそくさと立ち去っていく。
足早に去っていく彼女たちを見て、どうしてここまで私に絡んでくるのか、疑問に感じる私だった。