177 邪魔しに行きましょう
駐屯地近くからエルカディアの中心地へと向かう乗り合い馬車から降りたザドックは、平民街の路地を歩いていた。
乗り合い馬車からザドックが降りてからは、私たちも徒歩である。ちなみに馬車は、フォルクとマルラスの二人に任せてある。
辺りはすでにすっかり暗くなり、空には三日月が浮かんでいた。ちょっと油断すると、その暗さにザドックを見失ってしまいそうだ。ただ、先頭を行くデドルには少し離れているザドックをしっかりとその目に捉えているようだ。
今日はまっすぐ家に帰りそうな雰囲気である。彼の家がどこかは知らないが、この平民街のど真ん中でどこか寄り道するような場所もないからね。
その推測は正しかったようで、一軒の家の前で立ち止まると鍵を開けて、扉を開ける。少し離れた民家の物陰から見ていると、暗かった家の中に明かりが灯る。
「特にどこにも寄りませんでしたね……」
アシリカが私の耳元で囁く。
「そのようね……」
例の女の所にでも寄ってくれたらよかったのにさ。これでは、こっそり彼の帰宅を見守っていただけだ。
「どうされますか?」
「うーん。日を改めるしかないわね……」
アシリカの問いかけに首を横に振って、がっくりと肩を落とす。少しでも早くイグナスお兄様の無実を証明したいけど何も動きがないのなら仕方ない。
「お嬢様……」
その時、デドルが小声で私を呼ぶ。
「何?」
「どうやら、あっしら以外にも奴にお客さんがいるようですな」
「客?」
見ると、私たちが来た方向とは反対側から三人ばかりの男を引き連れた女がザドックの家の前に立つ。
「ちょうどいい日に来たみたいね」
しかも、女が引き連れている男たちの雰囲気から荒っぽい匂いがプンプンと感じる。物騒なことに腰からぶら下げていた剣を抜いたわ。あれ、どう見てもプレゼントを届けに来たって雰囲気じゃないよね。例え、ザドックが剣マニアだとしてもさ。
「ザドックの入れ込んでいる女ってあの人かしらね」
黒髪ロングの清楚系の美女だ。
とても人を騙すような感じには見えないが、人は見かけによらないってことかしら。
こりゃ、やっぱり女に利用されていたみたいね。それで、そろそろ口封じってとこかな。ここでザドックに死なれては、元も子もない。ならば、選択肢は一つ。
「アシリカ。男たちがザドックを斬る前に魔術を打ち込みなさい。ただし、動けるくらいに手加減してね」
それに頷き、アシリカが魔術を素早く発動させる。ソージュ、デドルもいつでも飛び出せる動けるように態勢を整えている。
「し、しまった。剣を持ってきていない」
レオの動揺は放っておく。
ノックした女が何やら扉の向こうに声を掛けると同時に扉が開き、ザドックが顔を見せる。
それと同時に女の背後にいた男の一人が大きく剣を振りかぶる。
しかし、ザドックにそれを避ける素振りはない。何故か覚悟を決めた顔になり、目を閉じる。
「アシリカ!」
「はっ!」
私の掛け声と共にアシリカの放った氷の塊が真っすぐに男が今にも振り下ろそうとしている剣目がけて飛んでいく。
突然の魔術の轟音にこちらに気付くが、もう遅い。何が起こったか、そして私たちを認識する前に男が手にしている剣ごと吹き飛ばされる。
「アシリカ、ソージュ。残りの男二人をお願いね。デドルは行かなくていいわ。それよりさ……」
ソージュには突撃を、そしてデドルには別に指示を出す。
私の指示に頷きすぐにそれぞれ行動に移していく。ソージュは素早く駆け出し、デドルはすっと暗闇の中にその姿を消す。
さらにもう一発アシリカの氷の塊が残りの男に襲い掛かる。もう一人の男には、瞬時に間合いを詰めていたソージュの掌底が綺麗に決まっていた。
私の指示通り、苦痛に顔を歪めながらも男たちは何とか立っている。
「なっ!」
女の方はその整った顔を驚きで染めて声も出てこないようである。
しかし、自分の連れてきた男三人があっという間に使い物にならなくされたのは理解できたようで、すぐにその場から逃げ出す。
なかなかに決断が早いね。とても、素人には感じられない。こういった場に慣れているようだ。
「待ちなさいっ!」
女を呼び止めるが追いかけるつもりはない。
すぐに暗闇の中に女はその姿を消して、逃げていった。その後をふらつきながらも男たちも追いかけ逃げていく。
「お、おい。追いかけなくていいのか?」
慌てて女の逃げた先を指差すレオ。
「ええ。構いませんわ。それより……」
呆然となっているザドックの前にゆっくりと姿を見せる。
「お、お前は、清掃係の小娘? な、何故ここに?」
私の顔を見て、ザドックが掠れた声を出す。
「あら。嬉しいわね。ちゃんとこの顔を覚えていてくれたんだ」
そう言いながら、ザドックを押しのけ家へと入っていく。
「お、おい。何を勝手に……」
「あまり外で騒げば近所の人が何事かと思いますよ」
実際、さっきのアシリカの魔術の音に何事かと付近の家の人が窓から顔を出して様子を伺っている。
「近所のみなさーん、ごめんなさい。つい演劇の練習に力が入っちゃって。今のは全部お芝居の練習ですから」
下手に騎士団に通報でもされたら面倒だからね。何せ、通報された経験者だからさ。
そんな私の張り上げた声に近所の人たちもそれぞれ呆れた顔や苦笑を浮かべて家の中に再び顔を戻していった。
「で、さっきの人に心当たりは?」
私たちが無理やり家の中に入り、最後に入ったレオが扉を閉めてからザドックに尋ねる。
「だから、お前たちは何者なんだ?」
ザドックが声を張り上げる。
「じゃあ、質問を変えるわ」
「じゃあではない。だからお前は――」
「お嬢様のご質問に答えなさいっ!」
アシリカの一喝にザドックが体をビクリと震わせ言葉を止める。
「お、お嬢様ぁ?」
頬を引きつらせ、訳が分からないと言った顔になるザドックである。
「じゃあ、聞くわね。これについて説明してくれるかしら?」
取り出したのは、底の開いた封筒。ゴミの中から回収したものだ。
それを見たザドックの顔がはっとなる。
「これを使って、あなたの上司に封蝋の印を押させたのでは?」
目線を鋭くさせる私から、さっとザドックは目を逸らす。
「さっきの女に頼まれたんでしょ? でも、残念ね。彼女のあなたの想いへの答えはさっき分かったんじゃないのかしらね」
「くっ……」
ザドックは悔しそうに唇を噛みしめる。その強く握りしめられた拳が小刻みに震えている。
利用され、今その命まで狙われて、ようやく後悔し始めたのかしらね。時すでに遅しだけれども。
「……二十年だ。こつこつ働いてきた。軍に採用されてすぐに兵としての才能が無いと分かった。だが、それでも諦めずに事務官としての道を選んだ」
大きく息を吐いた後、ザドックがぼそぼそと語り始める。
「必死だった。脇目も振らずに働いた。ようやく今の地位に来られたが、私生活を犠牲にして働き続けたせいか、一人寂しい生活となっていた」
仕事ばかりで、結婚どころか恋人もいなかったのかもしれないわね。
「一月ほど前だ、あの女に出会ったのは。すぐに夢中になってしまった」
自嘲気味に小さく笑い大きく項垂れる。
「俺もどうかしてたかもしれん。女の望むものを買い与え、頼みなら何でも聞いてやっていた」
うーん。分からないでもないかな。ずっと一人でいて、やっと出会えた女性。しかも内面はともかくとして、見た目は良いからね。このチャンスを逃したくないとでも考えちゃったのだろうな。
「最後にねだられたのが……」
「あの細工された封筒への封蝋の刻印、ってわけね」
顔を上げたザドックが力なく私に頷く。
「俺はとんでもないことをしてしまった。気づいた時には、イグナス様が出勤停止だ。しかも、事の顛末を聞いて……」
体をガタガタと震わせるザドックの頬を涙が伝う。
「こんな事になるなんて思ってもいなかった。ただ、あの女が趣味で刻印を集めているという言葉を疑いもせずに、鵜呑みにしてしまったばかりに」
両手を地面に付いて、嗚咽を漏らす。
「俺を事務官として引き立ててくださったのはイグナス様、その大恩ある上司を窮地に追い込んでしまった。本当ならすぐにでも出頭するべきなのに、臆病な俺はそれも出来ずに……。どうしていいか分からずに……」
イグナスお兄様への恩と処罰されることへの恐怖で葛藤していたのか。普通の人間ならそうなっても仕方ないかもしれないな。
もしかしたら、さっき男に剣を振り上げられた時も、どこかで覚悟を決めていたのかもしれないな。
「確かにあなたは大きな罪を犯したわ。でも、本当にイグナスお兄様に恩を感じているのなら、私に協力しなさい」
「な? イグナスお兄様、だと!? ま、まさか、お前、いや、あなた様は……」
涙で濡れた顔を上げて、驚愕の表情で私を見上げるザドック。
「控えられよ。サンバルト公爵家ご令嬢、ナタリア・サンバルト様の御前です」
横に立つアシリカが鋭く言い放つ。
「ナ、ナタリア様っ!」
目を大きく見開き、慌ててひれ伏す。
「申し訳ございませんでした」
「謝罪するなら、私に協力なさい。あなたの罪を無かったことには出来ないけれども、少しだけ軽くするくらいは頼んでみるわ」
許し難い部分はあるが、どこか同情してしまう部分もある。
人は皆、どこか心に弱いところを持っている。彼も寂しさに付け入れられ、その感情を弄ばれたとしたら、可哀そうな面もある。
「い、いえ。犯した罪はきっちりと償います。ですが、どうかイグナス様への疑惑だけは晴らしたいのです。その為なら、何でもしますから」
懇願するように額を床に押し当てるザドックである。
「お嬢様、ただいま戻って参りやした」
その時、扉からデドルが入ってきた。
「ごくろうさま。で、どう?」
デドルに振り返り、笑顔で出迎える。
「へい、首尾は上々。女の逃げ込んだ先は突き止めやした」
デドルには、あの女をわざと逃がして、逃げ込む先を突き止めるように指示していたのだ。
荒事に慣れていそうなあの女を捕えても、口を割るか分からないしね。
「で、どこ?」
「パルム子爵家の屋敷でした」
パルム子爵? 誰、それ? 相変わらずその辺は疎いからなぁ。
「パルム子爵家!? まさか、グルガ・パルム様の!?」
私の代わりに反応を示したのはザドックだった。
「知ってるの?」
「は、はい。知っているも何も、第三騎兵部隊の部隊長です。そして、イグナス様と……」
眉間に深く皺を寄せ、ザドックが答える。
「……次期騎兵隊部隊司令官の座を争っている方でもあります」
ほう、なるほど。動機も見えてきた。ライバルのイグナスお兄様を蹴落とそうとしたに違いないわね。
何だ、私、関係ないじゃないか。いろいろ考えて損しちゃったよ。それでも、イグナスお兄様を卑劣な手段で追い落とそうとしたのは許せないわね。軍人なら正々堂々と実力で勝負しなさいよ。
「今、そいつの屋敷にその女もいるのよね?」
デドルに確認する。
「へい」
「じゃあ、このまま、お邪魔しましょうか」
ニヤリとして鉄扇に触れる。
「あ、あの……。、お邪魔とは?」
困惑しながらもザドックが聞いてくる。
「お邪魔はお邪魔よ。バルムとやらの陰謀の邪魔をしに行くのよ」
尚も分からないといった顔のままのザドックに答える。
「あなたも付いてきなさい。イグナスお兄様を助けたいのならね」
あのパドルスだって改心したのだ。今では真っ当になり、私の商売仲間だし。このザドックは、元々は悪い奴ではなさそうだし、罪を償ってやり直して欲しい。その為にも自分の手でイグナスお兄様への疑惑を暴くのに力添えしたと少しでも思って欲しい。
「は、はい! 是非、お願い致します!」
力強くザドックが返事する。その目にはやる気が漲っていた。
それに頷き返して、踵を返す。さあ、成敗に行くわよ。
「なあ、お前、剣を持っていないか?」
やる気満々で扉に向かう私の後ろからレオの声が聞こえる。
「い、いえ。自分は事務官ですから……」
「早くしなさい、ハチ!」
うっかり担当は剣なんか必要ないでしょ。
「い、いや、でもだな」
「あの、あなたもナタリア様のご家来で?」
私の呼びかけに口ごもるレオにザドックが尋ねる。
「私の下僕よ。それより早く行くわよ」
二人を振り返り、急かす。
「……ああ。下僕だ」
「自分も下っ端の頃は苦労しましたよ。あなたも頑張ってください」
ザドックに同情の眼差しで励まされるレオ。本当のことを知ったらザドックは腰を抜かしそうだね。
「……頑張るよ」
力なく答えるレオだった。