176 ゴミと噂話にご用心
その週の休日である。
今、私は王都の郊外にある軍の駐屯地にいる。
ここに詰めている軍は主に王都を守る為の部隊であり、エルフロント王国の軍の中でも最精鋭部隊と呼ばれていた。
そして、その最精鋭部隊の一つを任されていたのがイグナスお兄様。つまり、ここがお兄様の勤務地であるのだ。
駐屯地と聞いていたから、荒野の中にいくつもテントが立ち並んだようなもっと殺風景な場所を想像していたのだが、高い塀に囲まれたその中にはちょっとした庭園やテラスまである綺麗な場所だった。建物も二階建ての立派で豪壮な雰囲気だった。
とても軍事施設とは思えない場所にどうやって来たかというと、もちろんデドルの手筈である。
今回はこっそりと忍び込んだのではない。どんな手段を講じたかまでは知らないが、新人清掃係として来ていた。そのおかげで、頭からはほっかむりを被り動きやすいズボンといういで立ちだった。
そして、私の隣にはレオがいる。もちろん彼も私と同じような恰好をしている。
何故レオが一緒にここにいるかというと、早朝稽古でのことだった。
この駐屯地に潜入する日に昼食に誘われたことを断ったことがきっかけだった。勘がいいのか、すぐに世直しをしていると察したレオが自分も参加すると言い張って聞かなかったのだ。最近、すっかりケイスやライドンがヒロインに夢中になってしまって暇を持て余していたようである。
しかし、そこで問題が発生した。急なこともあり、清掃係として中に入れるのは二人だけ。私は当然として二人目をどうするか、で揉めたのだ。アシリカやソージュは私がいくならどちらか一人が付いてくると言い張るし、レオも付いていくと言い張ったのだ。
結果くじ引き。当たりを引いたのはレオだった。
そうして、不安を隠そうともしないそれぞれの侍女と従者に見送られての潜入である。
箒と塵取りを手にして腰にはハタキを指して駐屯地を歩く二人は、どこからどう見ても王太子とその婚約者には見えないね。
すれ違う軍服姿の軍人さんも誰一人として、私たちを気に掛けない。
駐屯地内に入るまでは何度も厳重な門を通り、その都度チェックを受けたが、いざ中に入ってからは、自由に動いていても何ら咎められない。
すっかり清掃係が様になっているということで喜んでいいのかな?
「こっちだ」
先導するのはレオ。
方向音痴の私には、無理なのでデドルから駐屯地内の配置をレオが教えてもらっていた。まず目指す先はイグナスお兄様の執務室。
すでに、事前にレオと一緒に見ていた駐屯地内の配置図のどこにいるかも分からない私には、付いていくしかない。
辿り着いたのは、二階建てのレンガの建物。四角く白い窓が並んでいる。
「入るぞ」
レオに促され、建物の中へと入る。
何の変哲も無いロビーを抜けて、二階へと上がっていく。二階は廊下を挟んで両側に部屋が並んでいた。誰もおらず、静まり返っている。
その廊下の所々には絵が飾られており、その絵のテーマはどれも戦争をイメージしているものばかりだった。それが唯一ここが軍の施設だと教えてくれているくらい駐屯地内の施設にいる感じがしなかった。もっと厳めしい雰囲気を想像していたのだけどもな。
廊下を進み、三つ目の扉の前でレオが立ち止まる。
ここ? と目でレオに尋ねると、それに頷き返してくる。
この部屋がイグナスお兄様の執務室か。
確かに扉に掛かっているプレートに『イグナス・サンバルト第二騎兵部隊長室』と刻まれている。
もう一度周囲に人がいないことを確認して、そっとその部屋の扉を開ける。もし誰かいても、掃除中に間違えたとでも言えばいい。
覗き込み中に誰もいないことを確認して、中へ入る。
執務室と言ってもなかなかの広さがある。入ってすぐの所に打ち合わせ用の大きなテーブルがあり、その奥にこれまた大きな執務机がある。その前には少し小ぶりな机もあり、その周囲に棚が並んでいる。
「で、どうするのだ?」
レオが尋ねてきた。
「レオ様は扉の近くで誰か来ないか見張っていてください」
まずは印璽の置き場所の確認だ。場所はデドルから聞いている。執務机の一番上の鍵の掛かった引出し。
引出しを引っ張て見るが鍵が掛かっている。壊された形跡もない。やはり無理やり盗み出されたのではないようだ。
ならば、どうやってイグナスお兄様の封蝋の刻印を刻んだのかな?
偽造するにしても本物の印璽が必要だし、鍵もイグナスお兄様本人しか持っていないので勝手に持ち出して刻印するのも不可能だ。
出来れば、イグナスお兄様の元で働いていた人にも話しを聞いてみたいが、無理だろうしなぁ。
大きなイグナスお兄様の執務机の斜め前にある小さな事務机も見てみるが、これといった手が掛かりになるようなものは見当たらない。
ここに来れば何か小さな手掛かりでもいいから手に入ると考えていたのは、甘かったかもしれない。
「リ、リア、誰か来るぞ」
扉の前で聞き耳を立て、外の様子を伺っていたレオがこちらを振り向いて小声で呼びかけてきた。
それと同時に扉が開く。勢いよく開け放たれた扉を背にしていたレオ。当然の結果として、その扉に後頭部を直撃される。
「うわっ」
頭を押さえてレオが転がる。
「な、何だ、お前たちは!?」
痛そうな顔で床を転がるレオとそれを見て思わず笑いそうになる私に、部屋に入ってきた人物が叫ぶ。
「あ、あの、私たち清掃係でして……」
咄嗟に側にあったゴミ箱に溜まっていたゴミを持っていたゴミ袋の中に放り込む。
「清掃係? そんなもの頼んだ覚えはないぞ」
部屋に入ってきたのは眼鏡を掛けた中年の男性。軍服を着こんでいるが、軍人さんのようには見えないな。色白であまり外に出ていなさそうだし。
「いえ、定期清掃ですが……」
口から出まかせである。
「定期清掃? しばらくこの部屋はいいと伝えたはずだぞ」
ますます顔の険しさを増していく。
「え? そうだったんですか? でも、何も聞いてませんが……」
困ったという風に弱り顔で首を傾げる。
「ちっ。……まあ、いい。もうここはいい。さっさと出て行け」
私から視線を外して面倒くさそうに、出て行けとばかりに手をひらひらとさせる。
そんな中年男の態度にレオがムッとした顔になるが、私の鋭い一睨みに肩を竦めて黙り込む。
これくらいで腹を立ててたら、身分を隠しての世直しなんか出来ないよ、まったく。
「それと、そこは俺の席だ。邪魔だぞ、どけ。それにいつまで突っ立ってる? ほら、さっさと出ていけ」
私がいた机の側に来たその男が忌々し気な顔のまま椅子に腰かける。
「いえ、しかし……」
このまま手ぶらで帰るののも癪だが仕方ない。それにしてもこいつは誰だ? 随分と横柄で偉そうだけどさ。
「さっさと出て行け。この第二騎兵部隊事務官のザドックがいいと言ったと上の奴に言っておけ」
私が上司に怒られることを危惧しているとでも思ったのか、ザドックが机の上の書類に目を通しながら出ていくように急かしてくる。
「……分かりました。では、失礼します」
頭を押さえるレオを引っ張って部屋から出る。
「とんでもない目にあったぞ」
建物から出た途端、大きなため息と共にレオが口を開く。
「大丈夫ですの?」
後頭部を手でさすりながら顔を顰めるレオに尋ねる。
「ああ、大丈夫だ。しかし、こんな痛い目に遭いながら収穫はそのゴミだけとはな」
少し馬鹿にした目で手に持つゴミ袋を眺める。
「う……。そ、そんなことありませんわ。こんなゴミの中から意外にも大きな手掛かりがあるかもしれないじゃありませんか」
持っていた袋の口を開き、中を漁る。
紙屑を中心として、碌なものがない。いついつに何をするとかの覚書のようなものや、書き損じた書類などばかりで、何かイグナスお兄様の無実を証明するものが出てきそうにない。
「ゴミ、だな」
「……ゴミ、ですわね」
悔しいが横から覗き込んでいたレオの言う通りだ。
ほら、この封筒だって、底が抜けているじゃないか。しかも、同じような封筒が三つも四つもあるじゃ……、ん?
「これ……」
そんな底の抜けた封筒を手にする。
「封筒? 底が破れているじゃないか?」
いや、破れているんじゃない。初めから糊付けされていない。きっちり折り目が付けられていて、一見底が抜けているようには見えない。今だって、たまたま底の方から掴んだから抜けているのが分かったくらいだからさ。
もしかして、この封筒を使えば……。
「おい、お前たち!」
背後からさっき聞いた声。
私は手にしていた底の抜けた封筒をさっと胸元に忍ばさせる。
「はい、何ですか?」
振り返るとやはりザドックがそこに立っていた。走ってきたのか、息が上がっている。
「ゴミを回収したのか?」
大きく肩で呼吸を整えながら、ザドックの視線の先は私の持つゴミ袋を凝視している。
「しましたけど、何か問題が?」
持っていたゴミ袋をザドックに見えるように掲げ持つ。
「返せっ!」
ひったくるようにして、私からゴミ袋をかっさらう。
「どうしてですか? これはゴミでは?」
「い、いや。その……、捨ててはいけないものを捨ててしまったのを思い出したのだ。大事な書類でな。さ、、もう行ってもいいぞ」
取って付けたような理由を口にした後、踵を返し立ち去ってしまった。
「大事な書類ね……」
「あんなに慌てるほど大事な書類を捨てるとは、事務官として大丈夫なのか?」
レオが鼻で笑う。どうも横柄なザドックにいい感情を抱かなかったようだ。
「レオ様、少し黙っててください」
アンタは王太子として大丈夫なの? 何も思わないのかしらね。。
あえて底を糊付けしていない封筒、そしてそれが混じったゴミを慌てて回収しにきたザドック。
これは怪しいと言わずして何と言う?
しかも、彼は自らを事務官と言っていた。その仕事の詳細は分からないが、その名の通り部隊長の事務仕事を補佐する職なのだろう。
だったら、あの細工された封筒に正規の書類を入れて、イグナスお兄様に封蝋に刻印させる。その後に本来の書類と密書を入れ替え底の封を糊付けする。それで、密書の出来上がり、と考えられないだろうか。お兄様の側で働いていたら、いくらでもその筆跡を見る機会もあるだろうしさ。
しかし、動機は? 彼は軍の一部隊の事務官。上司のイグナスお兄様と接点はあるが、私を攻撃する理由は無いと思う。誰かに頼まれたか、指示されたと考える方が自然だね。
「じゃ、イグナス様は勤務停止らしいぞ」
歩きながらも思案に暮れる私の耳に入ってきたイグナスお兄様の名前。
「勤務停止? あのイグナス様が? 何したんだ?」
「あくまで噂だ。理由までは分からんが、にわかには信じられないけどな」
軍服を着こんだ男二人が少し前を歩きながら話し込んでいる。
駐屯地内を巡回しているようだが、どうやら噂話に興じながらのようだ。
「第二騎兵部隊はどうなるんだろうな」
「さあな。それと第二騎兵隊といえば、事務官のザドックが最近女に入れ込んでいるらしいぞ」
けっこういい年みたいだったけど、独身なのかしらね。
「それ、本当か? ずっと堅物で独身のあいつについに春が来たのか」
「ははっ、どうだろう? 案外騙されてるのかもな。ほら、金だけ取られたりとかさ」
「ああ。あいつなら有り得るな」
男二人で噂話に笑い声を立てている。
「女に騙されているのか。偉そうな割に女にはからっきしなんだな」
レオも隣で小さく笑う。
「だからレオ様、黙ってて」
「え? 俺、何かおかしなこと言ったか?」
きょとんと首を傾げるレオは放っておいて、思考を巡らせる。
最近女に入れ込んでいるザドック。もしかして、女に誑かされて密書を偽装したんじゃ……。そして、その女の背後には、私を追い落としたい人物。
私は立ち止まり、遠ざかったさっきまでいた執務室のある建物を振り返る。
「どうした、リア?」
不思議そうに私を見るレオには答えずに、じっとその建物を見ていた。
駐屯地を出て、再びデドルたちと合流していた。
あの兵士二人の噂話以降は、これといった収穫もなかった。
太陽が傾き辺りが暗くなりつつある中、無事に帰ってきた私たちにアシリカやソージュはもちろん、レオの従者も安堵のため息を吐いていた。
「確かにお嬢様の言う通り怪しいですね」
馬車の中で、持ち帰ってきた底の抜けた封筒を見てアシリカも頷く。
「そ、そういうことだったのか……」
レオの小さな呟きは聞こえないフリをしといてあげる。ゴミと噂話には、今後注意を払うのよ。
彼の従者二人は何とも言えない顔になっているけど。
「で、どうしやす?」
デドルが尋ねてくる。
これだけでは憶測の域を出ない、デドルの顔がそう告げている。
確かにそうだ。限りなく怪しいが、確証は無い。
「あのザドックとやらを徹底的に調べ上げるわ」
小さく朧気だが、手に入れた手がかりだ。これを無駄にするわけにはいかない。
駐屯地のゲート近くに馬車を止め、人の出入りを眺めながら答える。帰宅を急ぐ者、夜勤なのかいそいそと駐屯地に駆け込んでいく者もいる。
「ザドックが出てくるのを待つわ」
少し帰るのが遅くなるかもしれないが、どうせこっそりと学院を抜け出してきているのだ。遅くなっても問題はない。ムサシには寂しい思いをさせるかもしれないが、ブラッシングで許してもらおう。
「あっ、奴だ。出てきたぞ」
レオが駐屯地のゲートをくぐるザドックの姿に気付く。
「後を付けるわよ」
「はい!」
今度は絶対に付いてくるとばかりにアシリカとソージュが勢いよく返事を返した。
少々仕事が忙しく、しばらくの間更新頻度が落ちる可能性があります。また、更新時間も遅くなるかもしれません。
ストック(書きため)もまだあるので最低でも一週間以上は空けずに更新出来るとは思います。申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いします。