175 真の標的
その日の午後の授業が終わると同時に、学院を抜け出す。
目的地は騎士団本部。まずは、フィンゼント宛ての密書が見つかったという状況を詳しく知りたかったのだ。
騎士団本部近くに、いつものようにリックスさんを呼び出す。
「学院はどうされ……、聞くまでもありませんね……」
馬車に乗り込んできて早々、口を突いた説教染みた言葉をすぐに諦め顔となって引っ込めた後、ため息交じりで首を振るリックスさんである。
「毎度のことですが申し訳ありません」
アシリカが申し訳なさそうに謝る。
「いや、それに、そろそろ来る頃だろうなと思っていましたから……」
ちらりと私の様子を伺うリックスさんの口ぶりからおそらくイグナスお兄様のことを知っているのだろうな。
「じゃ、単刀直入に聞くわね」
時間もあまり取れないし、助かる。
「イグナス様のことでございますよね?」
先に口を開いたリックスさんの私を見る目が真剣な眼差しとなる。
「ええ。機密情報を記した文書を持っていた者が捕えられた時の状況を聞きたいの」
真っすぐにリックスさんの視線を受け止め尋ねる私に、やっぱりかといった表情となり小さくため息を吐いてから話し始める。
「きっかけは、とある行商人が禁制品を扱っているとの騎士団への密告でした。しかし、実際に見つかったのはフィンゼントへ宛てた書状でした」
密告? そこからして怪しい匂いがプンプンとするわね。
「一つに纏められた封筒の中に軍の機密事項が記されたもの、それに封蝋をされたイグナス様の書状も見つかりました」
眉をひそめる私に感情を押し殺すようにリックスさんが淡々と続ける。
「封蝋の印を紙に写したものを軍の方とナタリア様のお父上様であられるサンバルト公爵にも確認して頂いております。イグナス様の印で間違いありません」
「イグナスお兄様の書いたという手紙の内容は?」
私の問いにリックスさんが顔を顰める。
「軍部への間者の手引きを了承するといったものでした……」
間者の手引きって……。機密の漏洩だけではないのか。
「署名もあったの?」
その書状がイグナスお兄様のものだという証が封蝋に刻まれた印だけでは偽造や勝手に押されたとも考えられるじゃないか。
「ありましたが……」
少々弱り顔になるリックスさん。
「ありましたが、これが怪しいものでして。本人が微妙に筆跡を変えたようにも見えますし、誰かが真似たとも言えるようなものでしてね」
だから、イグナスお兄様の処分が現時点では謹慎に留まっているのか。
「ですが、そういった類のものへの署名は、万が一を考え筆跡を変えるのは常のことですからな」
御者台から振り向いたデドルが顔を覗かせる。
「そうです。ですからイグナス様への嫌疑は今も晴れてはおりません」
リックスさんがデドルに頷く。
「しかし、今回の件、どうもきな臭いと言いますか不自然な点が多いのも確かなのです」
再び視線を私に戻してリックスさんが首を傾げる。
「まずは捕えられた行商人。その態度や身のこなしからどう見ても間者に見えません。もちろん切っ掛けとなった禁制品も持っておりませんでした。おまけに密告者もいつの間にか連絡が取れなくなりましてね。おそらく名乗っていた名も偽名でしょうね」
得体の知れない密告者。どう考えても怪しい。
「本人はその密書はどこで手に入れたと言っているの?」
渡した人間を当たれば真相に近づけるのじゃないのかしら。
「それが本人に記憶が無いと。いつの間にか荷に紛れ込んだと主張してまして」
確かに不自然極まりない。だが、同時にイグナスお兄様への疑いを晴らす決め手も見当たらない。
「やはりイグナス様を陥れようとしているのでしょうね」
アシリカがやはりといった顔となる。
「デモ、何故イグナス様を?」
じっと黙って聞いていたソージュが聞いてくる。
「どうしてイグナスお兄様なのか……?」
確かにそうだよね。何でイグナスお兄様へ疑いを向けようとしているのか?
何だかの理由でイグナスお兄様の失脚を狙っているヤツの仕業と考える方は自然だろうけど、まだ若いイグナスお兄様は一部隊の隊長クラスだったはず。出世は早い方らしいが、高位の将官とまで呼べる立場ではない。
そもそもイグナスお兄様が軍の機密を売り渡そうとするなんてあり得ないし、不自然なことが多すぎる。フィンゼントにしてもリスクの方が大きいし、行商人も巻き込まれただけの気がする。
ならば、どうしてイグナスお兄様が標的になっているのだろうか?
「いえ、イグナス様というより……」
デドルが眉間に皺を寄せ、険しい顔になる。
「サンバルト家。それもお嬢様をメインと捉えた攻撃でしょうな」
「私? サンバルト家へだけならまだ理解出来るけど……」
私がターゲット? どうして? いくらサンバルトの娘でも学生の身の私を攻撃するのに、イグナスお兄様まで巻き込んで、こんな大掛かりな事をする? 王太子の婚約者と言っても実権なんて何一つ無いしさ。
「お嬢様と友情を誓われたフィンゼント女王です。そのフィンゼントが友誼を裏切るような真似をしていたら……」
「確かに、そこは私への攻撃にも使えそうだけど……」
イグナスお兄様が国を裏切るような不祥事だけでなく、個人的に友情を宣言したフィンゼント女王であるミーナの国がその陰謀に関わっているとなると矛先は私にも来る。サンバルト家にとっても、二重のダメージとなるはずだ。
サンバルト家はエルフロント王国で一番大きな力を持つ家。それを追い落とそうとする勢力が存在するのはまだ理解出来る。
随分と政治染みた話になってきたな。
でも、それでも分からない。何でそこに私が?
「お嬢様はご自分で思っておられる以上に、この国に影響を持ち始めておられやすよ。サンバルト公爵家の令嬢や王太子殿下のご婚約者の立場だけでなく、王太后様からの信頼、三公爵家のご子息ご令嬢方やシルビア様、マリシス様との繋がり、それにフィンゼントとの同盟の立役者……」
疑問を抱えた顔の私にデドルが教えてくれる。
それって、全部世直しが切っ掛けじゃないか。悪を懲らしめる為に頑張っているのに、誰かに狙われるって……。
「さらに言えば、知られていないとはいえ、裏社会のボスに剣聖、大商人のパドルスや職人街の顔役グスマン殿。ありとあらゆる人脈をお持ちです。王都の外に目を向ければ、ジェームズ様に、キュービック殿……」
あまり意識してなかったけど、改めて考えれば豪華メンバーだな。
「やはり、いろいろとご自覚が無いのは相変わずですね……」
やめて、リックスさん。そんな憐れんだ目でこちらを見るのは。
「その気になれば、お嬢サマ、この国の王になれそうデス」
それもやめて、ソージュ。真剣にその発想怖いから。
「表に知られているものだけでも、お嬢様は十分政治的に利用価値もあり、それと同時に疎ましい存在と思う者もおることでしょう」
デドルのその言葉に再びその場が緊張する。
「疎ましい? でも、誰が? 表だったものだけでは、そこまで私を警戒する必要が無いと思うけど……」
フィオラの顔が頭に浮かぶが、彼女は政治とは無縁のはずだ。それにあの脳内がお花畑の面子では大したこと出来無さそうだし。
「それはまだ分かりません。ですが、そのうち尻尾を出すことでしょう」
デドルが首を横に振る。
「そうね。それより今はイグナスお兄様だわ」
それが、きっと私を狙う存在にも繋がってくるでしょうしね。
「売られた喧嘩、買い取らなきゃね。代金はこの鉄扇できっちり支払わうわ」
腰のベルトに差した鉄扇をポンと叩く。
「今回ばかりは止めません。私も騎士という立場上、出来ることは少ない。ですが、私もあのイグナス様が機密を他国に売るなんて信じられません。どうか、ナタリア様の手で真相を暴いてください」
イグナスお兄様とは同級生で今でも仲が良いからリックスさんも心配しているのだろうな。その立場から歯がゆい思いもしているに違いない。
「任せてちょうだい」
もう一度ポンと鉄扇を叩いて頷き返す私だった。
その夜、窓から月を眺めながら今回の件を整理する。
イグナスお兄様が疑われた理由の一つが封蝋に刻まれた印。デドルに聞いたところ、偽造が可能だそうだ。ただし、見本となる印璽が必要だそうだ。
ならば、イグナスお兄様の印をどうやって手に入れたか?
印はプライベートで使う物と仕事で使う物とで分けている人が多いそうだ。イグナスお兄様も分けていて、今回見つかった機密書類に封をされていた印は仕事用のものだったそうである。
そして、その仕事用に印璽は普段は執務で使う為に軍の執務室に保管されていたそうだ。もちろん紛失もしていない。
「ねえ、アシリカ。私にも印璽ってあったわよね?」
一応、滅多に手紙を書かない私も貴族の儀礼として印璽は持っている。ただ、不器用なせいかうまく印を押せないのでいつもアシリカにお任せである。
「ございますよ」
そう言って、アシリカが厳重に鍵の掛かった戸棚から印璽を取り出す。
「やっぱり鍵が付いている所にしまうわよね」
この印があれば、中身の筆跡が多少違っても私の差し出した手紙だと認識されてしまうからね。そりゃ厳重に管理されていて当然だ。
ならば、軍の関係者が絡んでいるのか? 例えば、同僚だとか部下? でも、印璽をそんなに簡単に持ち出せるとは思えない。
うーん。これはこの目で調べて確認したいな。
「ねえ、イグナスお兄様の働いている軍の施設に入れるかしら?」
「軍にですか……」
うーんとアシリカが考え込む。普段なら血相を変えてすぐに反対しそうな私の発言だが、今回が事態が事態だけに咎める様子はない。
「デドルさんに相談するのが一番かと」
それもそうか。明日の朝一番に相談しよう。
「それよりお嬢様。明日も朝稽古に行かれるのでしょう? そろそろお休みになられては?」
もうそんな時間か。
「私とソージュは再度、戸締りを確認してましりますから」
そう言って、ソージュと二人で窓の鍵を念入りに調べていく。
「戸締り?」
今までそんなことしてなかったよね?
「お嬢様を狙う輩がいるのです。用心に越したことはないですから」
窓が明かないか確かめながらアシリカが答える。
「いや、そんな直接的に襲ってくるとは思えないけど……」
そもそもその相手が誰かもまだ分からないのだから。
「イイエ。万が一ということもありマス」
ソージュもアシリカが確認した後の窓をさらにもう一度鍵が掛かっているか調べている。
心配症だな。それに、この三人なら大抵の事には対処出来ると思うけどな。まさか、この調子じゃ、寝ずの番もしそうだ。戸締りのチェックもすでに二人で手順を決めていそうな手筈の良さだし。
「ねえ、まさか一晩寝ずに警戒するつもりじゃないでしょうね?」
どうやら図星だったようだ。
戸締りの確認に勤しんでいた二人の動きがピタリと止まる。
「あなたたちもちゃんと寝なさいよ。それで体を壊したら元も子もないでしょ」
この二人、たまに極端な行動を取る。
「しかし、万が一の事態も想定して……」
「大丈夫よ。もし、何か怪しい気配があれば、ムサシが気付いて教えてくれるわ。ねえ、ムサシ?」
「にゃあ」
私に膝の上で目を閉じていたムサシが顔を上げ、任せろとばかりに声を出す。
「ほら、ムサシに任せてちゃんと寝なさい。分かったわね」
頼んでも聞きそうにないだろうから、あえて命令口調を取る。
「……はい」
少し不本意そうだが、納得してくれたようだ。
それにしても、私の存在を邪魔だと思っているのは誰だろうか?
政治の世界では心当たりがない。元々政治に関わっていないのだから。
じゃあ、私が王太子妃になったらマズイ人? でも、そんな話を聞いたことが無いし、サンバルト家と王家に歯向かうような真似だ。よっぽど愚かな者か相当己に自信がある者でなければ、考えもしないだろう。
それならば、他の人物? リックスさんと話していて少し頭によぎったが、フィオラはまずありえない。彼女は除外しても問題ないだろう。
もしかしたら、私の世直しのことを知っている人物? そこで思い浮かんだのがレイアだ。彼女たちとは因縁めいたものを感じるし、何度もやり合っている。
しかし、あのレイアたちがこんなバレなレでまどろっこしい手段を取るとも思えない。もっと誰にも気づかれないようなやり方で攻めてくるはずだ。それにいざとなれば、彼女らなら、直接的にこの命を取りに来そうだし。
うん、いくら考えても分からない。
「ま、いっか」
必ず、その尻尾を捕まえてやる。
イグナスお兄様まで巻き込んで、さらにはフィンゼントとの友好を踏みにじる奴は許せない。
もう一度窓から月を見上げて、強く決意していた。