174 張り付けた笑顔
普段ならレオの近くにあったケイスとライドンの姿を新学期初日以降見かけなくなり、次に彼ら顔を見たのは初めてヒロインのフィオラと出会ってからさらに一週間が過ぎた頃だった。
場所は食堂に面した中庭。昼食後に二年の教室のある校舎へ帰る途中だった。
今まで彼らの真ん中にいたのはレオだったが、今その位置にいるのはフィオラ。
まったく見かけない二人に、もしかしてと頭の片隅に浮かんでいた予感が的中したことを知った瞬間でもあった。
そして、フィオラの周囲にいたのはケイスとライドンだけではなかったのだ。
フィオラの座るベンチの周囲には、オーランドとセロンもいた。すでに、レオ以外の攻略対象者がヒロインの元に集結している。
その光景を遠目からそれを確認した私は一瞬足を止める。
「お嬢様? どうされました?」
「食べすぎマシタカ?」
突然立ち止まった私にアシリカとソージュが後ろから尋ねてきた。
「……いいえ。何でもないわ」
平静を装い答えるが、本当は心臓が飛び跳ねている。
彼らは敵に回ったのか? いや、断言は出来ない。なぜならレオは一向にヒロインに靡いた様子がないからだ。この前の出会いだって、不発気味だったし、今日も一緒に昼食を摂ったが変わった様子も無かった。
レオがヒロインに靡かない限り、向こうから突っかかってこないと思う。ゲームの中の我儘ナタリアと違い、レオが関係せずとも私から彼女を苛めたりちょっかいをかけたりするつもりもないしね。
私はゆっくりと再び歩き出す。
フィオラらの前を通り過ぎる少し手前で楽し気に会話していたケイスが私に気付く。その目はかつて私を見ていた彼の目と違うものだった。深く眉間に皺を寄せ、そこには友好と程遠い感情が籠っていた。
「ケイス様、ライドン様。ごきげんよう」
一人の女性を囲む攻略対象者たちの前まで来て、軽く頭を下げる。その顔にはよそ行きの笑顔を張り付けてある。
「あっ!」
ケイスの視線の先にいる私に気付いたフィオラが声を上げる。どうやら、池の畔で会った私を覚えていたようだ。
しかし、そんな彼女には目をくれず真っすぐに前を向いて通り過ぎていく。
「……ナタリア嬢」
立ち止まることなく通り過ぎようとした私を引き留めたのはケイスだった。
「はい。何か?」
無視するわけにもいかず、振り返る。その先には、ケイスと同じくさっきまでのヒロインに向けていた笑顔とは正反対の険しい顔となった攻略対象者たちが私をじっと見つめていた。
「少々お尋ねしたいことがあります」
そう言ったケイスの声は今までおどけた明るいものとはまったく違った。
「何でしょうか?」
社交用の笑みを浮かべたままで聞き返す。
今までと違う私たちの雰囲気にアシリカとソージュが戸惑っている。
「つい一週間ほど前のことです。このフィオラが迷子になっていたところたまたま殿下にお会いしたそうでしてね。そこにナタリア嬢もおられましたよね?」
「はい。あの池の畔でにございますよね」
仮面を張り付けたままケイスの問いに頷く。
だが、あの時のことでこんなにも険しい視線を向けられるような記憶はない。
「そうです。その時、迷子になっていたフィオラを案内されようとした殿下をお止めしたのでは?」
はぁ? 何だそりゃ? どこで事実がそんなにひん曲がったんだ?
「ケイス様、もうその事はいいの」
しおらしくケイスの腕を取るフィオラが弱々しい声を出して首を横に振っている。
お前かっ! いや、考えるまでもなく、あの場にいた中で考えたらフィオラしかしないよね。
「ケイス様。どなたにそのようなお話を伺ったか存じませんが、レオ様に確認してみては?」
笑みを浮かべたまま答える私にケイスが無言でさらに眉間の皺を深くさせる。
「それより、あなた様がナタリア様でしたの? 私、フィオラです。あっ、この前も言いましたっけ?」
険悪な空気を醸し出す攻略対象者たちの中心にいたフィオラが立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
そのあまりにも軽い挨拶に眉を吊り上げたアシリカが口を出そうとしていたのを手で止める。
「ええ。ナタリア・サンバルトにございます」
こいつは、やっぱり敵だ。今はまだ牙を向いてきているとまでは言えないが、決して私とは相いれない存在だ。
そう心に刻みながら、貴族としての礼に則り名乗る。
「もう間もなく昼休みも終わります。私は失礼させて頂きますわ」
「待ってください、ナタリア様!」
相変わらず厳しい視線を向けてきたいるケイスたちに一礼して立ち去ろうとした私をまたしても止めたのはフィオラだった。
「何でしょうか?」
内心はうんざりしながらも、作った笑顔は崩さない。
「あの、セロン様に謝ってください!」
拳を握りしめ、少し体を震わせながらフィオラが唇を噛みしめている。
「謝る?」
何をセロンに謝るのだ? 心底分からない。新入生の入学を祝うパーティーでのことだったら、謝られるのはこっちだと思うけど。
「確かにセロン様にも不注意な所があったかもしれません。でも、セロン様は心から謝ったのです。それを受け入れず、さっさとその場を立ち去ったのは、人としてどうかと思います」
勇気を振り絞っています、という雰囲気を全開にしてフィオラが私に向かう。
この、フィオラたいしたタマだね。レオに腕を取られて逃げるのに利用された私を睨みつけていたヤツが私に怯えるわけないでしょ。
「フィオラさん……」
感動の面持ちでフィオラに暑い眼差しを向けるセロン。彼だけではない。ケイスら他の攻略対象者たちも、何て心根の美しいだの、優しさで溢れているだの、フィオラを讃える言葉と感動の面持ちになっている。彼らは目では見えないお花畑にいるようだ。
「何たる言いがかり! お嬢様を、我が主を貶めるような真似は断じて許せません!」
ついにアシリカの堪忍袋が切れたようだ。怒りの形相となって、フィオラに向かって叫ぶ。その横でソージュもフィオラに飛びかからんばかりの殺気を放っている。
「アシリカ、ソージュ、止めなさい!」
「しかし、お嬢様!」
フィオラの言動に納得のいかない様子のアシリカが止める私に悔しそうな目となり唇を噛みしめる。
「そのような事実はございません。そうですわよね、セロン様? それとも、汚れたドレスのままパーティーに参加しろと?」
あの時気にしないように言ったはずだし、ドレスがあんな状況になったんだから退出して当然よね?
淡々と事実を述べ、セロンに視線を向ける。
だが、彼は何も答えずに俯いてしまう。
「フィオラ様、でしたかしら?」
セロンからフィオラの方へと顔を向る。
「もう一度セロン様にあの時の状況をお聞きになっては? どこかで勘違いされていますかもよ」
もう一度笑みを浮かべて軽く頭を下げる。
「フィオラの優しさを踏みにじるおつもりか?」
今度はライドン。
もういい加減にしてくれ。こっちはこれ以上関わりたくないんだよ。
「優しさを踏みにじるとはどういうことにございますか? 私は事実を確認して頂くようお願いしただけですわ」
内心うんざりしつつも笑顔を保つ。でも、それも限界が近い。ちょっとでも気を抜けばイライラが顔に出てきそうだ。
「アンタたち貴族はいつもそうだな。己の非を認めず相手を貶めることしかしない」
そう吐き捨てるようにオーランドが言って、私を睨みつける。
いや、こっちに完全に非はないよね? それに、アンタたちも貴族だよ。
それにしても、この様子じゃケイスたちも敵になったようだ。それに、どこか寂しさも感じる。
でも、少しおかしくないか?
今の彼らは完全に私を敵視している。いくら何でも時期的に早すぎる。ヒロインであるフィオラに出会ってまだ一ヶ月も経っていないはずなのに、ここまで盲目的に彼女に夢中になっているなんてさ。今までのケイスやライドン、それにオーランドから考えると信じられないほど己の思考を放棄してしまっているようさえに思える。
そもそも、レオがまだヒロインに惹かれていない段階でどうしてここまで私に絡んでくるのだろうか?
「兄が兄なら、妹も妹ということですか……」
刺々しい口調でケイスが首を横に振る。
「兄?」
聞き返す私の顔からすっと笑みが消えたのが自分でもはっきっりと認識出来た。
私のことは何を言われても我慢できる。けれど、家族のことを悪く言われるのは我慢できない。しかも、エリックお兄様もイグナスお兄様もお優しくてご立派にそれぞれのお仕事に励まれている。
「おや? ナタリア嬢はご存じないのか? 兄君であるイグナス様のことを」
口元を歪めて馬鹿にした様な目でケイスが私を見る。
「イグナスお兄様?」
何も聞いていない。イグナスお兄様に何かあったのか?
隣に控えるアシリカを見るが、彼女も何も知らないようで不安そうな顔となり、首を横に振る。
「イグナスお兄様に何がありましたの?」
ここでケイスに尋ねるのは癪に障るが、イグナスお兄様に何があったか知る方が重要である。
「本当にご存じないのか。まあ、無理もないかな。私も父の側近から少し聞いただけで、まだ秘密らしいからな。イグナス様が謹慎処分となったのですよ」
イグナスお兄様が謹慎処分ですって!?
「そ、そんな、まさか……」
思わず声が上ずる。
「国を売るような真似をし私腹を肥やすなど三公爵家の出身とは思えないような疑惑でね」
「まあ……。貧しい平民も多くいるのに……」
殊勝なフィオラの言葉だが、どこかその声は弾んでいる。
「嘘……」
信じられない。国を裏切るって……。
笑顔に戻すことも忘れ、目を見開く。
「嘘ではありません。まだ事実を調査中らしいですが、時間の問題でしょうね。……いろいろと」
絶句する私に棘のある言い方のケイスである。
「そんな方を兄に持つ方が殿下の婚約者でいいのかしら」
意味ありげに小首を傾げるフィオラを無視し、軽くケイスらに頭を下げて歩き出す。
「お、お嬢様……」
慌てて付いてくるアシリカは悲壮な声である。
「絶対何かありマス。イグナス様、そんなことする方ではありマセン」
ソージュにしては珍しく早口だ。
それは私も思っている。あのイグナスお兄様に限って不正に手を染めるなど考えられない。
でも、貴族の世界では噂も事実となる時がある。真実が別だとしてもね。
私は侍女二人に何も答えず歩き続ける。
「デドル!」
人影のない校舎の隅まで来るといつものようにどこかに姿を忍ばせているはずのデドルを呼ぶ。
「……へい」
すぐにどこからとなくデドルがその姿を現わす。
「イグナスお兄様のこと、知っていた?」
「……へい。二日前に耳にしておりやした」
やや躊躇した後、デドルが答える。
「どうして、すぐに教えてくれなかったの!」
思わず叫ぶ。
「申し訳ありやせん。事が事だけにしっかり調べてからと思いやして」
「何でよっ!? 分かった時点でどうしてすぐに教えてくれなかったのよ!」
頭を下げるデドルに詰め寄る。
「お嬢様、デドルさんも考えがあってのことかと」
怒りに震える私の肩をアシリカが掴んでデドルから引き離す。
「詳しく調べた上で、お嬢様が冷静に聞いてくださる状況で説明しようかと思っておりやした。しかし、あの宰相の倅が知っているのは予想外でしたが」
静かにデドルが答える。
「それに、あのイグナス様が不正をなさるとは思えやせん。それはお嬢様も一緒だと思いやす。ならば、確かな事を調べる方が先かと思いやした」
確かに、私は完全に冷静さを失っていた。デドルの言い分ももっともだ。
大きく深呼吸をしてから、デドルを見る。
「……ごめん。そうよね。デドルの言う通りだわ」
「いえ、あっしも申し訳ありやせんでした」
再び詫びを口にして、デドルが頭を下げる。
「それで、イグナスお兄様に何が?」
もう一度、気持ちを落ち着かせる為に大きく深呼吸をしてから尋ねる。
「へい。授業前ですので、簡単に……」
イグナスお兄様への嫌疑は一言で言えば、機密漏洩の疑い。国境沿いにある砦の位置やその砦の構造や配置人員を記したものを他国に売ろうとしたと疑われているそうだ。
たまたま怪しい行商人を取り調べた騎士団が、その荷の中から他国宛ての封書を見つけたらしい。その中にイグナスお兄様の印で封蝋された手紙も入っていたらしく、謹慎へと繋がったようだ。
ただ謹慎と言っても、どこかに幽閉されているわけではないそうだ。屋敷で過ごしていて、基本的に出歩くのも自由らしい。謹慎というより、出勤停止と言った方が正しそうだ。
それを聞いて、ひとまず私は胸を撫でおろす。
「やっぱり信じられないわ。それで、その他国ってどこなの?」
酷い扱いをされていないと知り、安心したがイグナスお兄様が不正を働くなんてやはり信じられない。
「へい。フィンゼント王国です」
「フィンゼント? ミーナのところ?」
ますます有り得ない。フィンゼントとは盟を結んだばかりだ。
「じゃあ、国境というのもフィンゼントとの?」
「へい。そうですな。それだけでもおかしい話と思いやせんか?」
頷くデドルもどうやら私と同じ考えのようだ。
フィンゼントの状況を考えてもエルフロントと波風立つような真似はしないはずだし、そもそもあのミーナがそんな指示を出すなんて考えられない。
「まさか、イグナス様は誰かに陥れられたので?」
アシリカが険しい顔となっている。
「有り得るわね」
相手が誰かは分からないが、イグナスお兄様がそんな不正をするわけないし、フィンゼントにもそんなことをする必要性が感じられない。
「お父様は?」
私でもすぐに分かるくらいだ。お父様ならすぐにそこまで考えが至るはずだ。
「旦那様も表立っては動きにくいようでしてな。何しろ、旦那様は貴族の不正に関しては普段から厳しい方です。それが今回ご自身のご子息への疑惑となり、身動きが取りずらいようで……」
なるほど。お父様はきっとイグナスお兄様が不正などしないと信じているはずだが、下手にかばえば身内へは甘いと言われかねない。
「ならば、私がやるしかないわよね」
絶対にイグナスお兄様への疑いを晴らし、真犯人を暴いてやる。
「私の家族に喧嘩を売ったこと、死ぬほど後悔させてやるわ」
ヒロインに出会ったせいだろうか、久々に悪役令嬢顔になる私だった。