173 出会い
お待たせしました。
今日の夕方、やっとネット回線が繋がりました。
段ボールに囲まれての更新です。早く片付けないと……。
学年が上がり二週間が経った。
ヒロインもすでに入学しているはずだが、いまだにその姿を見ていない。学年ごとに校舎は違うし、現時点において接点があるわけではないので会わないのは不思議ではないのだが。
しかし、微妙な変化が一つある。それは早朝の剣術の稽古だ。
今までは、毎日とは言わないが週の内二回か三回は参加していたケイスとライドンがまったく姿を見せなくなくなったのだ。始業式の日の朝に一緒に稽古して以来彼らの姿も見ていない。
変わらず早朝稽古で汗を流しているレオに尋ねてみたら、彼も最近あの二人に会っていないそうだ。
何か他に用事があるのだろうとあまり気にしていないレオだが、私はどうも引っ掛かる。新入生の歓迎パーティーで、やはりケイスはヒロインと出会ったのだろうか? ライドンもこの二週間のうちにヒロインと出会ったのかもしれない。
しかし、この短期間でレオとの朝稽古もほっぽり出すほどヒロインに夢中となるのもおかしい。最終的にはともかく、徐々にヒロインに惹かれていくのであって、こうも他の事も見えなくなり急激にヒロインにべったりとなるとは考えにくいのだ。
そんなことを考える休日の午後。特に予定もなく部屋でのまったりタイムだ。無意識のうちにあれこれと思考を巡らし、あまりまったりとは出来ていないけどね。
「みゅああ」
そんな私の足の鳴き声を上げながらムサシがじゃれついてくる。擦りつける様に頭を私の足に撫でつけているその姿がとても愛くるしい。
「ムサシー」
思わず抱き上げて、私の方から頬を擦りつける。されるがままのムサシがぐるぐると喉を鳴らしている。
なんて可愛い存在なんだ。余計な考えが頭から抜け出ていくよ。
「そうだわ」
今日は天気もいい。ちょっとムサシと散歩がてらぶらぶらと歩くのも悪くない。さっきから、アシリカの何をダラダラとしているのだ、という視線を感じてもいたからね。
案の定、散策に出ると告げた私に笑顔で準備を始めてくれたアシリカとソージュを伴ない寮から出る。
「どこに行く?」
抱きかかえたムサシに尋ねる。
「にゃあ」
それに応えるように一鳴きして、ぴょんと私の腕から飛び降りると先頭を切ってムサシが歩き始める。
「案内してくれるのかしらね?」
「そのようですね。今日はムサシにお任せしますか?」
早く付いてこいとばかりに振り返り、私を見上げて声を出すムサシの様子にアシリカも苦笑している。
「私たちも知らないいい所、知っているデスカ?」
期待に目を輝かせているソージュ。
「そうかもしれないわね。じゃあ、今日はムサシに案内を任せましょう。頼んだわよ」
「にゃあ」
今度は任せろとばかりの鳴き声ね。
そんな頼もしいムサシに続いて学院内の小路を歩いていく。
やがて辿り着いたのは、いつも朝稽古に使っている池の畔のある林の中。林の中の小道を進んでいく。
ちょうどいつもの池の畔に近づいてきた時である。
「こんな時間に誰が?」
アシリカと顔を見合わせて首を傾げる。
いつも稽古に使っている池の畔の少し開けた場所に誰かいるようだ。休日の昼下がりに一体誰だろうか?
先頭を歩いていたムサシを抱きかかえ、木の陰に隠れてそっと覗き込む。
そこには一人黙々と剣を振るレオの姿があった。
レオ、従者にも隠れて抜け駆けで稽古しているのか。まだ一度も私に勝てないのを気にしているのかもしれないけど、ちょっとずるいな。
よし、急に声を掛けて驚かせてやろう。
いたずら顔で人差し指を口の前で立ててアシリカとソージュに静かにするように合図を送り、飛び出そうとした瞬間だった。
「あの……」
愛くるしい声。甘さを感じる声でもあった。
その声に相応しい顔をした少女。決して美人ではない。その小さな顔は、化粧っ気がなく、まだ幾分か幼さが残っていた。
その少女の姿に私の動きが止まる。胸がドクンと大きく高鳴る。
「ここで何を……?」
くりくりとした大きな目を瞬かせながらレオに尋ねる少女。
「……誰だ?」
剣を下ろしたレオが振り向くと同時に少女の肩まであるさらさらの髪の毛がに風に靡く。
その光景はキラキラと輝いているように感じる。
「あ、あのっ、私っ、フィオラって言います」
慌てて少女がその名を口にする。
硬直していた私の体がピクりと動く。
フィオラ……。ヒロインだ……。
これ、レオとヒロインの出会いのイベントだ!
いや、待てよ? 本来ならここでレオは一人の時間を欲し、静かな時間の中で内面にある苦悩に葛藤していたはずだ。そこにやって来た広い学院で迷子になっていたヒロインと運命の出会いをするのだ。
だが、今のレオは一人剣の稽古の真っ最中……。
えっと、どうなるんだ、これ?
「ここに何か用か?」
完全に不愛想モードのレオだ。
「その……、迷ってしまいまして……」
ああ、ヒロインはちゃんと迷子なのね。
「新入生か。すぐそこの道に出て左に進め。そうしたら、じきに校舎が見えてくるはずだ」
ひどく簡単な説明で済ましたレオが少女から視線を外し、再び剣を握りしめる。
いやさ、もうちょっと親切にしてあげろよ。例えヒロインでも道に迷った新入生相手の態度じゃないよ。
「あ、あのっ」
何故か教えられた道の方へ行かずにレオに話しかけるヒロイン。
「まだ何か用か?」
面倒臭さを隠そうとせず、レオがヒロインに顔だけを向ける。
「ここで何を?」
小首を傾げるヒロインのその台詞は池を眺めて悩むレオに掛けた言葉と一緒だ。
「見て分からんのか?」
だが、声を掛けられた方の反応は随分と違う。眉間に皺を寄せ、剣をヒロインの方へと見せる。
それはレオが正しいかな。どう見ても剣の稽古にしか見えないものね。
しかし、何だかちぐはぐな出会いだな。ゲームの中では、ぽつりぽつりとほんの少しだが、自分の本音を吐露するのだけどさ。
さて、いつまでこの場を眺めていようかと、考えていると突然腕の中にいたムサシが飛び出していく。
「あっ」
小さく叫ぶが、止める間もなくムサシがレオの方へと駆け寄っていく。
「ム、ムサシ?」
足元にじゃれついてきたムサシにレオが目を丸くした後、周囲を見回す。
「リ、リア?」
こっそりこのまま見ているわけにはいかなくなったな。仕方ない。
私は隠れていた木の陰から姿を現わす。
「ち、違うんだ、リア」
姿を見せた私に何だか慌ててるな。まさか、私が逢引きを疑っているとでも思っているのかしらね。
「今日だけだ。今日たまたま剣の稽古していただけだ」
そっちか。自分でも抜け駆けで稽古している自覚あるんだな。まあ、別に一人で稽古をしていても問題ないけどね。
「あの……あなたは?」
ヒロインの言葉に背後のアシリカからピリピリとした空気が発せられる。
無理もない。平民同士ならいざしらず、ここは貴族の集うコウド学院。いきなり名乗りもせず不躾に私を見ているのだから。
「あっ。もしかしてこの猫ちゃんの飼い主さんですか?」
再び私に抱っこをせがむ様に足に纏わりついてきたムサシを見てヒロインが尋ねてくる。
「……失礼ながら、名乗りを告げずに我が主に先に名乗らさせるおつもりにございますか?」
アシリカの低く冷たい声が響く。
正直言って、私はその辺あまり気にしてないのだけどね。
「お前、新入生と言っていたが特待生か? だが、特待生で平民出身とはいえ、コウド学院に入学するからには、ある程度事前にその辺のレクチャーは受けているはずだが……」
レオが眉を顰める。
「あっ、そうだった。ごめんなさい。私、フィオラって言います」
頭を軽く下げるが、特に気にした様子はない。頭を上げると同時にすぐにレオの方へ向き直る。そして、キラキラと光る瞳にレオを映す。
あの……、私の名前はもういいの? まだ私の方は名乗ってないよ? ちょっと寂しいけど、ま、いっか。特にこの娘と関わる必要ないしね。
もう私に用が無いようなので、とりあえずムサシを再び抱き抱える。
「ここ、すっごく綺麗ですね。何だか心が洗われるような気がします」
そう言いつつフィオラが見ているのは、レオの顔だけど。
「たまに私もここに来てもいいですか?」
ガンガンと勝手に話を進めていくなぁ。
「ここは俺が先に見つけた場所だ」
眉間の皺を深くし、低い声となったレオが来るなと言わんばかりにフィオラを睨み返す。
いや、レオ……。そんな子供じみた場所取り争いみたいな真似をするのもどうかと思うけど……。
「一人占めしたいほど気に入っているのですね。でも、一人でいるより、話し相手が居た方がいんんじゃないですか?」
めげないな。レオがどんどん不機嫌になっているの気付いてないのか? じっと顔を見つめているのにさ。
それと、今の私、空気状態ですけど。
「あっ。それよりお名前は? 聞きそびれてしましました」
小首を傾げるフィオラに、てへっと舌を出さなかっただけマシかなと思ってしまう。
「俺にも先に名乗らせるのか?」
「え? さっき言いましたよ? フィオラですよ」
もうっとばかりに少し頬を膨らませて拗ねたような口ぶり。
「……レオナルドだ」
一つため息の後、ぼそっとレオが答える。
「レオナルド様ですか。いいお名前ですね」
レオに続いてアシリカの盛大なため息。怒りを通り越して呆れているようだ。
この調子じゃ、王太子を目の前にしていると分かってないな。
「フィオラ様。王太子殿下にございます」
いい加減教えてあげないといけないかもしれない。
「ええっ!? 王太子殿下!? ごめんなさい。私、知らないとはいえ、とんだ失礼ばかりしてしましました」
フィオラが驚きの声と共に謝ってはいるが、悪いと思っている顔ではない。女の私には、自分の可愛さをこれでもかとアピールしているように思える体のくねらせようだ。それと同時に瞳がキラキラからギラギラに変わってきたようにな気がする。
「平民の出で大した取り柄もない私が殿下とお話出来るなんて迷子にもなってみるものですね」
一人盛り上がっているなぁ。
「でも、こんな広い学園で迷子になって偶然殿下にお会い出来るなんて、何だか運命みたいなものを感じませんか?」
私にも出会っているのですが、それも運命ですか?
「殿下はさすがですね。人知れず一人で切磋琢磨しているなんて……」
いいように取るなぁ。
「私も頑張らなくちゃ」
それにしても一人でよくしゃべるなぁ。レオの方はどんどん能面みたいな顔になっていっているのにさ。
いやあ、顔はともかくとして、明るく前向きな性格、そして強い心を持っていると思っていたヒロインだが、実際はどうだろうかしらね?
明るいのは、深く考えていない。前向きなのは、上昇志向が強い。そして強い心は、空気が読めていないだけなんじゃ……。
何だか、抱いていたイメージと違うな……。悪い方向にさ。
「学院に入学してから、随分といろんな友達もできたんです。殿下にも紹介させて頂きたいです」
延々と一人話し続けるフィオラに、ついにレオが何とかしてくれとばかりに情けない顔でと私に目で合図を送ってきた。どう対処していいか分からないのだろう。
私も早く解放されたいよ。いや、よくよく考えれば、さっきからフィオラの眼中には私はいない。ならば、私はさっさとこの場を立ち去っても問題ないよね。
ヒロインには関わりたくないしさ。レオがこのまま攻略される可能性もあるがその場合は関係が良好なうちに婚約の破棄を相談するつもりだしさ。
そうと決まれば善は急げだ。
「では、レオ様。私は散策の途中ですので失礼しますわね」
「え? ま、待て、リア」
頭を下げて、立ち去ろうとする私にレオが悲壮な顔となる。
一方のフィオラは、私にまだいたの? といった目だね。ずっといたんだけどさ。
「何ですの?」
早く立ち去らせてくれ。出来るだけ関わりたくないのよ。
「いや、そのだな、うん、そうだ。寮まで送ろうと思ってな」
この場から逃げ出す口実に、普段では発想すらしないであろう言葉を口にするレオ。
「まあ! 送ってくれるのですか!」
しかし、そのレオの言葉にすかさず反応したのは私ではなくフィオラの方だった。
「殿下は心根のお優しい方ですね」
今にも飛び跳ねて喜びそうなフィオラである。いや、ちょっと飛び跳ねているな。
「リア! 行くぞ!」
そんなフィオラの言葉は聞こえないとばかりにレオが私の腕を取り、歩き出す。
「え? ちょっと、レオ様?」
私はそのまま引っ張られるようにして連れていかれる。
レオ、必死だな。私を鍛え直すとレオに迫ったアシリカとソージュにタジタジだったように、ぐいぐいとくる女性が苦手なのかな。
「殿下?」
そんなレオにフィオラの戸惑いの言葉。その可愛い声とは裏腹にものすごい目で私を睨み付けていた彼女と目が合う。
えっと、あなたヒロインだよね?
何か悪役令嬢の私より怖い顔に感じたその表情だった。