172 新入生
シルビアの婚約騒動などいろいろあった春休みもあっという間に終わり、学年が一つ上がってコウド学院に帰ってきた。
昨日は始業式、そして今日が新一年生の入学式だ。
一部の上級生以外は入学式に参加しなくていいので、私も部屋でのんびりと過ごしていた。今頃多くの新入生が期待と不安を胸に入学式を迎えていることだろう。
その新入生の中にヒロインがいる。愛くるしい顔とその明るく前向きな性格、そして決して挫けない強い心。そんな一人の少女に攻略対象者たちは癒され恋に落ちていく。
その時、彼女と攻略対象者たちの仲を邪魔し、事あるごとにヒロインを苛めぬくのが私の役回り。もっとも、その行動がかえって彼女と彼らの仲を深める結果となるのだが……。
そんな悪役令嬢としての役目を果たすつもりもない私は、断罪回避の為の方策をすでに考え済みだ。
まずは、徹底的にヒロインと関わらない。
接点が無ければ苛めようがないし、彼女や攻略対象者たちから敵視されることもないだろう。
しかし、ヒロインと同じ学院に通う上、レオら攻略対象者たちと接点を持ったらそうもいかないかもしれない。
それに、シナリオという強制力が働かないとも限らない。私にそのつもりが無くても誤解をされる可能性もあるし、そもそも何もしていないのにしたことにされるかもしれないという考えも有り得る。
だから、もしレオとヒロインがいい感じになっていると判断した時点で、すぐに婚約の解消に動く。レオは悪い奴ではないが、己が断罪されるくらいなら喜んで差し出すつもりである。婚約解消は困難が付きまとうであろうが、逆にヒロインに心を奪われたレオも協力してくれそうだ。これが二つ目の対策。
それと期待しているというか、もしかして、という考えもある。
本来レオは心の内に悩みを抱えながらも俺様キャラ。その上非の打ち所がない優秀な王太子だった。
しかし、今のレオは王太子という立場から俺様的な部分もあるが、気遣いも出来る周囲の意見にも耳を傾ける。それ以上に、どこか残念な気配が漂っている気がしてならないしさ。今に彼に悩みがあるようにも見えないし、あるとしても剣術でいまだ私に勝てないことくらいだと思う。
つまり、それはヒロインにも当てはまるかもしれないのだ。攻略対象者たちを虜にするほどではなく、一学生として普通に過ごす。可愛い顔は変わらないし、特待生という立場から目立つとは思うけど、そんな攻略対象者たちと恋愛を繰り広げない可能性もあるのだ。ま、かなり望み薄だと思うけどね。
まあ、どっちにしろ、基本関わらない。これが一番。もし関わってきたら、その時はその時。全力でこの身と私の仲間を守って見せる。すでにその覚悟も出来ている。
もっとも、何よりも私には世直しというやるべきことがある。正直言って、ヒロインたちのいちゃらぶに関わっている暇などないのだ。
「ふわぁぁ……、眠いわね」
ムサシと一緒にソファーに寝そべるような態勢で、そんなことを考えていると大きなあくびが出てきた。
学院へと戻ってきて、早朝からの稽古が再開されのだ。久々の早起きは堪える。新学期が始まり初めての朝稽古ということもあり、ケイスとライドンも参加していた。あの二人は週のうち三日ほど朝稽古に付き合っているが、今朝の私への態度は今までと変わらなかった。まだ、ヒロインと出会っていないからだろう。
レオ以外の攻略対象者ともそれなりに友好的に接していた。今ではお互い冗談を言い合うことすらある。ヒロインと出会い、彼らも変わるのだろうか。それを考えると少し寂しい気もするな。
そういえば、攻略対象者の中でケイスが一番にヒロインに出会うのだったな。確か入学生の歓迎のパーティーでだったはずだ。
ゲームの中での我儘ナタリアがその時何をしていたのかの描写は無いが、私はそれをこっそりと見学するつもりでいる。
はたして本当にシナリオ通りに進むのかの確認と、単純に好奇心から見たいと思うだけである。だって、ゲームのワンシーンをこの目で見られるのだからね。こんな機会普通じゃ有り得ないからね。
しかし、それをするのに一つ問題がある。
入学式後、卒業式後、そして夏休みの直前にあるパーティーはコウド学院の中でも重要な行事の一つである。学生の為に開かれているとはいえ、上位貴族の開くそれと比べても遜色のないくらいの規模と格式がある。当然、私の立場は目立つ。レオのエスコートもあるから尚更だ。
そんな状況で一人こっそりケイスとヒロインの出会いを覗き見するなんて至難の業だと思う。
「ねえ、パーティーをこっそりと抜け出すのは可能かしら?」
ダメ元でアシリカに尋ねてみた。
「何をお考えですか?」
明らかに不審者を見るアシリカの目だ。
「またトンデモないこと、思いついたデスカ?」
ソージュがジト目でこちらを見ている。
「いや、ちょっと思っただけだからさ……」
この調子では、単独行動すら怪しい。まさかアシリカとソージュと一緒に覗きをするわけにもいかないからね。それこそ変な噂になっちゃう。
「そもそもパーティーをこっそり抜け出すなんて発想がおかしいのですよ」
アシリカが首を横に振りながら顔を顰めている。
「さ、それよりお嬢様。そろそろそのパーティーの準備を始めませんと。殿下がお迎えにこられる時間になってしまいます」
アシリカが自身の気を取り直すよう両手を合わせてパチンと鳴らし、私を急かす。
今日のパーティーのエスコート役であるレオが寮まで迎えにきてくれることになっている。
レオは去年に引き続き、在校生代表として祝辞を述べる為に入学式に出席していた。
「分かってるわよ」
寝そべっていたソファーから体を起こし口を尖らす。
やっぱり、パーティーの類は苦手だ。ドレスで着飾って笑顔を顔に張り付けなくちゃいけないからね。
嫌々ながらもアシリカとソージュに着替えを手伝ってもらい、慣れた手つきで私の髪を整え終わる頃にちょうどレオが迎えにやってきた。
「リア、準備は出来ているのか?」
我が家の様に私の部屋へと足を踏み入れてきたレオがムサシの頭を優しく撫でながら尋ねてきた。
あのさ、ここ私の部屋だからね。どうも皆ここをたまり場かなんかだと思っている節があるよね。
「ええ。今終わりましたわ。じゃあ、ムサシ。いい子でお留守番していてね」
さすがにパーティーに連れていくわけにもいかないのでムサシはお留守番だ。
「にゃあ」
ムサシが私を見上げ声を出す。本当に聞き分けのいい賢い子である。
名残惜しい感情を抱きながら部屋を後にして私はパ−ティー会場へと向かった。
一年前と変わらず華やかな雰囲気の新入生歓迎のパーティー会場である。
私がレオにエスコートされながら会場へと入ると新入生の注目を一気に浴びる。あまり私が社交の場に出ないせいもあり、知った顔などまったくいない。
あまり見ないでほしい。私は見世物じゃないからさ。
新入生は私とレオを遠巻きに眺めながらも誰一人として声を掛けてくる者はいない。
レオの腕に軽く手を掛け歩く私は表情を変えないまま真っすぐ前を向いて、目だけで周囲を伺う。
お目当てはもちろんヒロイン。だが、その姿を見つけられない。
もうすでにケイスとのイベントが発生しているのだろうか? そういえば、こんな時はすぐに寄ってくるケイスとライドンの姿も見当たらない。まあ、会場は広いしからどこか見えない場所にいるのかもしれないけど。
早い所集まる視線から逃れて何としてもケイスとヒロインのイベントをこの目で確認したいものである。
私たちが入場してしばらくしてから、学院長の簡単な挨拶の終了と同時にパーティーが始まる。
立場上レオと一曲ダンスをこなし、いつもの定位置である壁沿いに逃げ込んだものの、どうも注目を浴びたままで居心地が悪い。私を見て何やら囁き合っている者がいるように思えるのは、被害妄想でもあるのだろうか。最近マシになってきたと思っていたあの我儘ナタリアの噂がいまだ根強く残っているのか?
「レオ様、どこかお知り合いのところにでも行かれては?」
「いや、かまわん。それにリア一人にすると何をしでかすか分からんからな」
注目を集める要因の一つであるレオをどこかに追いやろうとするが、うまくいかない。何かしでかすって、アシリカとソージュも近くで控えているのにさ。
「注目の的ですわね」
うんざりとした感情が顔に出てしまいそうになっているところに、やってきたのはミネルバさん。エスコートを務めたザリウルス様と一緒だ。そして、その背後には、風紀向上委員会の面々。ミネルバさん、すっかり懐かられたみたいね。
「ええ……」
思わず疲れた溜息と一緒に返事する。
「仕方ないですわ。貴女様は殿下のご婚約者。しかも滅多に社交の場に顔を出さないせいで、初めてナタリア様をご覧になる方も多いですからね」
そんな私にミネルバさんが苦笑する。
「何か飲み物を取ってきましょうか?」
ザリウルス様は優しいし、気遣いの人だね。勝手に保護者面して突っ立っているだけのレオとは大違いだわ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、今は大丈夫です」
新入生の注目を集める中でザリウルス様に飲み物を取ってきてもらったら、パシリに使ったと妙な誤解されるかもしれない。
「お姉さまぁ!」
そんな声と共に私を抱きしめるのは一人しかいない。
「シルビア、やめなさい」
私の体を抱きしめるシルビアの腕を解きながら注意する。
「だって、多くの男性に囲まれて怖かったのですもの」
そう言って彼女が振り返った先には、八人ほどの男性。
春休みの婚約騒動を経て、すっかりシルビアの人気は急上昇しているみたいね。
皆、シルビアの元に来たさそうな顔をしているが、ここにいるレオや私に近づいていいものか戸惑っているようだ。
「風紀向上委員、新入生の歓迎パ―ティーで女性を追いかけているあいつらを放っておいていいの? コウド学院の品位を下げる行為よね。それに新入生にもよくないんじゃない?」
ミネルバさんの背後にいる風紀向上委員会の三人に告げる。
「た、確かに。すぐに取り締まってまいります!」
はっとした顔になった三人がすぐにシルビアへ熱い視線を向けている男性の元に歩み寄っていき、何やら注意をしているようだ。そんな彼女らに男性陣が退散していく。
彼女らにこんな使い方もあったのか。初めて風紀向上委員会を力強く感じられた。
それにしても、この調子じゃケイスとヒロインのイベント観察は無理そうだね。まったくヒロインの姿も見かけないし、こんな時いつものならレオの側にいるはずのケイスもどこに行ったのやら……。
ぼうっと考えている私の体に再び誰かが当たる。それと同時にお腹の辺りに冷たいものを感じる。
私と同じくらいの身長の男性がぶつかり、その手に持っていたグラスの中身を私にぶちまけていた。
「も、申し訳ございませんっ!」
顔面蒼白となり小柄な男性。その顔はまだ幼さが残っている。そして、この顔を私は知っていた。
「お嬢様っ、お召し物が……」
アシリカとソージュが慌てて飛んできて、すぐに私に付いた汚れを拭き取ろうとしている。
「本当にすみません! よく前を見ていなかったもので……」
またもや頭を下げるその男性に私の視線は釘付けになっている。
「リア、大丈夫か?」
周囲から見たら呆然となっているように見えるのか、レオが心配そうに声を掛けてくる。
「で、殿下? でしたら、この方は……」
顔面蒼白を通り越して、ガタガタと体を震わす男性。
攻略対象者だ。五人いるうちの最後の一人だ。今年の新入生、つまりはヒロインと同じ年。
セロン・スペンド。スペンド子爵家の長男だ。勉強もでき、魔術や剣術も申し分ない実力を持っている。だが、彼に足りないものは自信の無さ。あまりにも自分への卑下と自信の足りなさから本番に弱く、気弱な性格も手伝い周囲からも馬鹿にされていた。
そして、そんな彼を励まして自信を付けるのが、言うまでも無くヒロインだ。もちろん、ヒロインに恋心を抱くのも同じく言うまでもないだろう。
「申し訳ございません。どうか、どうかお許しを……」
私がじっと見つめるセロンは何度も頭を下げ、ひたすら謝罪を口にしていた。
「……大丈夫です。気になさらぬよう」
なるべく柔らかな顔を作り、首を横に振る。
「レオ様。ドレスが汚れてしまいました。今日のところはお先に失礼させて頂きますわ」
ドレスが濡れて気持ちが悪い。ケイスのイベントも見れ無さそうだし、さっさと部屋に帰りたい。
「ならば、俺が送ろう」
「いいえ。レオ様は王太子であり、最上級生にございます。最後までこちらにおられますよう」
レオの申し出を断る。
「いや、そういうわけにはいかん」
そう言って、レオが私の手を強引に取る。
「も、申し訳ございません……」
体の震えは収まらないまま、セロンは俯いている。
「グラスを持って動く時は気をつけるのだぞ」
レオはセロンに目を合わせずにそう言い残すと、私の手を引いて歩き出す。
手を引かれたまま私は会場を後にする。
そんな私たちに他の学生たちの視線が集まっているのを背中に感じていた。その中にヒロインがいるかどうか私に分かる由も無かった。
次回更新についてのお知らせです。
私事ですが、今週末に引越しをします。そして、転居先にネット環境が整うまで三日から五日ほどかかるようです。
その為はっきりとした次回更新日を言えないのですが、来週末には出来ると思います。
すぐ近くへの引っ越しなのですが時期的なものもありすぐにとはいかないようです。
次回、いよいよヒロイン登場回となります。是非、お楽しみに待って頂けたらと思います。
ちなみに年度末のせいで仕事がハード過ぎて引っ越し準備まったく出来てません。どうしよう……。