170 未来の話と過去の話
サンバルト家の応接室。
ちょっとしたホームパーティーの真っ最中である。パーティーと言っても大掛かりなものではなく、お茶会に近いものである。招待されているのもシルビアとミネルバさんのみ。残りのメンバーも、私とお母様、そしてメリッサ義姉様とその弟であるルーベルト君と身内ばかり。
ちなみに、レオは女子だけの集まりだとご遠慮願った。何か言いたそうな顔をしていたが、今日は王宮で大人しくしていることだろう。ルーベルト君も男性だが、まだ子供だし、弟みたいなもんだからね。
そして、このパーティーの発案者はお母様。シルビアの婚約が無くなったことを知り、急遽開かれたものだ。何度も遊びに来てくれ、私にとって初めての貴族の友人であるシルビアの事を慰める為に思いついたらしい。
「シルビア様、元気そうで良かったわ」
ショックを受けているかもと心配していたお母様がシルビアの元気そうな様子に安堵の表情を浮かべている。
「ご心配お掛けして申し訳ございません。その上、このようなお気遣いまでして頂いて何とお礼を申し上げればよいのか……」
優雅に頭を下げるシルビアの色気が一段と増したような気がするな。
「そんなこと気にしなくていいのよ。今日は楽しんでね」
にこやかにお母様がゆっくりと首を横に振る。
「でも、あのような男性だと先に分かって良かったではありませんか」
ミネルバさんは、ユアンへの怒りを滲ませている。
「本当ね。それだけが救いよね」
お母様とミネルバさんが顔を見合わせ頷き合っている。
そんな二人を給仕係として控えているアシリカとソージュは複雑そうな顔で見ていた。
ユアンの所業は一気に世間に知れ渡っていた。そりゃ、そうだ。あんなセンセーショナルな登場をしたからね。
そして、シップソン男爵家は取り潰し、ユアン自身も捕えられ今は厳罰を待つ身となっている。
世間は彼の不正と悪辣な行為に眉を顰め軽蔑し、反対にシルビアを悲劇の貴族令嬢として美化され耳目を集めていた。事実を知らない私たち以外の人たちは、彼をあのような目に遭わせた人物は誰だと詮索していたが、それ以上にシルビアへの同情とパーティーで見せたその美しさの方が話題になっていた。
まさに、今回の婚約騒動でシルビアはすっかり時の人となっているのだ。
あのパーティーでの演出の発案者がシルビアだと知っているなら、複雑な顔にもなるよね。
「でも、大丈夫よ。貴女ならすぐに素敵な男性が見つかるわ」
「そうですわ、シルビア様」
言葉に力を込めてお母様とミネルバさんが身を乗り出す。
この二人、初対面だけど何だか気が合いそうだうだね。お母様は言うまでもないが、ミネルバさんも根は素直な人だからね。
「あ、あの……」
そんな中、それまで女性陣の中で小さくなっていたルーベルト君がおずおずと口を開く。
「シ、シルビア様は、ど、どんな男性が……、その……お好みなのですか?」
「ル、ルーベルト?」
真っ赤な弟にメリッサ義姉様が目を丸くしている。
ルーベルト君、可愛いな。憧れに近かった彼のシルビアへの想いは幼い子特有の年上への憧れみたいなもんかもしれない。けれど、私へはそんな感情を見せたことがないのは、何故だろう?
「まあ!」
お母様はルーベルト君のそんな様子に手を口に当て、微笑ましそうに微笑む。
「ふふ。シルビア様。教えてさしあげては?」
ミネルバ様も優しい眼差しをルーベルト君に向け、楽しそうに笑みを浮かべた。
「好みにございますか……」
ルーベルト君の気持ちをどこまで理解しているのか疑問なシルビアは、小首を傾げる。
「あの、ルーベルト? あなたまさか……」
姉のメリッサ義姉様は今初めて弟に想い人を知ったようだ。
「そうですわね……」
シルビアが顎に手を添え、考え込む。
「お姉さま……、ナタリア様がお認めになられる方ですわ」
「まだ懲りてないの?」
思わず苦笑してしまう。
ユアンを思いっきり見間違えたのは私だよ?
「はい。私はお姉さまを信じておりますから」
そう答えるシルビアは、卒業パーティーの時に同じ言葉を告げた時と同じ信頼の眼差しを向けてくれる。
「……何となく分かります」
メリッサ義姉様が頷き、私に微笑みかける。
「そうですわね。私も……」
ミネルバさんも何度も首を縦に振り、納得している。
そんな中、お母様が不思議そうに私たちを見て尋ねてきた。
「リアって、占いしてくれるの?」
「え?」
お母様、私が相手の男性を占っているとでも思ってるのか……。
「えっと、お母様? 私、占いなど……」
うう。ここは何と答えるのが正解なのかな? それを今の私が占って欲しいよ。
「僕、絶対にナタリア姉さまに認められるような男になります!」
私がしどろもどろになっていると、ルーベルト君が立ち上がり、力強く宣言。
「勉強も頑張ります。剣術や魔術の稽古にも励みます。そして、必ず……」
こんな真っすぐに熱い眼差しのルーベルト君、初めて見たよ。普段が温厚で優しい顔だからさ。
「まあ、立派だこと!」
お母様が感嘆の声を上げる。
どうやら、ルーベルト君のこの行動はお母様にどストライクだったようだ。そのお陰で、私の占い話はどっかに消え去ってくれたみたい。
「そのお志し、素敵ですわ」
ミネルバさんも両の手の平を合わせ瞳を輝かせている。
うん、ミネルバさんの心も捕えたみたいね。
でも、肝心のシルビアは何と答えるのかしら?
皆の視線がシルビアに集まる。
きょとんとしていたシルビアの顔がゆっくりと笑みを浮かべていく。
「はい。楽しみにしております」
最後は妖艶な表情でルーベルト君に微笑みかけた。
「はいっ!」
そんなシルビアに顔を真っ赤にしたルーベルト君が大きく返事する。
いやあ、見ていてこっちが恥ずかしくなるな。
まあ何だかんだ言っても、まだまだルーベルト君は子供だ。シルビアと年の差もある。その気持ちが変わることも否定できない。
しかし、何と言ってもエリックお兄様との恋を成し遂げたメリッサ義姉様の弟だ。一途に思い続ける可能性の方が高いよね。
今からルーベルト君を徹底的に鍛えないといけない……。そう思う私だった。
その日の夕食後。
お父様やお兄様たちもお仕事から帰ってこられて団らんのひと時である。
「はっはっはっは。それはまた頼もしいな」
ルーベルト君のシルビアへの熱い宣言の話を聞かされたお父様が大笑いだ。
「今、思い返せば少し恥ずかしいです」
シルビアたちは帰ったが、そのまま夕食を一緒にしたルーベルト君が顔を赤らめ俯いている。
「私も突然のことで驚きました」
どこか困ったような、それでいて弟の成長に少し喜んでいるようなメリッサ義姉様だ。
「いやいや。恥ずかしがることなどないよ。男とはそうやって成長していくものだからね」
お父様が首を振り、ルーベルト君の頭を撫でる。
「そうだよ、ルーベルト。その志は立派なものだ。決して忘れるんじゃないよ」
エリックお兄様も優しい眼差しで微笑む。
「そうですよ。イグナスよりよっぽど将来のことをしっかり考えています」
最近、イグナスお兄様の嫁取りに本腰を入れ始めているお母様がルーベルト君を褒める。
「母上。何度も言っているではありませんか。まだまだ仕事に集中したいのです。結婚などまだまだ先です」
私が知っている以上に何度もせっつかれているのだろうか? うんざりとした顔となるイグナスお兄様だ。
「しかし、エリックには子供が生まれ、リアも婚約している。決まった相手がいなのは、三人の中でお前だけだぞ」
どうやらお父様も気にしているようで、お母様に加勢するようだ。
いつの間にか、話題の中心はイグナスお兄様のお相手探しに移っていた。
まさか、イグナスお兄様も密かに意中の人でもいるのかしら?
「ねえ、イグナスお兄様。まさか、誰かいい人でもおられますの?」
もしそうだったら、この恋のキューピッドの出番だけれでもさ。
「リアまで、何を言い出すんだい?」
苦笑するイグナスお兄様。
「そんな人がいるのか?」
お父様が身を乗り出す。
家族の視線を一身に浴びてイグナスお兄様が大きくため息を吐く。
「いませんよ、意中の人なんて。本当に、今は仕事が一番ですからね」
どうも嘘をついているようには見えない。
期待を滲ませていた家族一同も同じ様に思ったようで、乗り出していた身を元に戻す。
「結婚は悪いものではないぞ」
お父様がエリックお兄様に振り返り同意を求める。それに頷き返すエリックお兄様。
エリックお兄様の馴れ初めや結婚に至る経緯はよく知っているけど、お父様ってどうだったんだろか?
お父様は見た目はもちろん、その仕草や振舞も素敵な人だ。優しく温厚。その上名門の公爵家の当主。きっと若い頃が女性たちが争って近づきてきたに違いない。
お母様もいまだその美貌が衰えず、とてももうすぐ孫が出来るようには見えないくらい綺麗な人だ。多少天然気味だが、若い時は世の男性が放っておかなかっただろう。
この二人、どうやって出会い、結婚したのだろうか? 親に決められたのかな。お母様も侯爵家の出だし、不思議ではないな。
「お父様、お母様。お二人はどうやって出会い、結婚されたのですか?」
不意に湧き出た疑問を素直に口にする。
するとそんな私の言葉にお父様の動きが止まる。
「ふふ。懐かしいわね」
一方のお母様は、顔を綻ばせちらりとお父様に視線を向けている。
「そうですね。父上にも母上にもそんな話を聞いた事がありませんでしたね」
エリックお兄様も興味深げに二人を見る。
「あなたが話してくださいな」
「私が? い、いや、面白くもないし、子供たちに聞かせるような話でもあるまい」
何故か、戸惑うお父様。
「まあ! 面白くないですって!?」
お母様が頬を膨らませる。
「い、いや、グレース。違う。そういう意味ではなくてだな……」
そんなお母様に慌てるお父様。
「母上との思い出を面白くないとは父上のお言葉とも思えません。教えてくださいよ。ほら、後学の為にも」
さっきの仕返しとばかりに、イグナスお兄様がニヤニヤしながらお父様に催促する。
「私も聞きたいですわ。ね、お父様、お願いです。聞かせてください」
こんなにも狼狽しているお父様も珍しい。一体、どんなことがあったのだろう。俄然興味が湧いてきたよ。
さっきまでイグナスお兄様に向いていた期待の目がお父様に向かう。
「……仕方ないな」
肩を落として観念したようなお父様が小さく呟く。
「私たちが出会ったのは、どこかの貴族のパーティーだった。たまたま通りかかったグレースとぶつかってしまってね。それが切っ掛けだ」
お父様とお母様が見つめ合う。
「後から聞いたら、自分の侍女とはぐれてしまってどうしていいか会場を彷徨っていたそうだよ」
「そんなことは話さずともよいではないですか」
苦笑するお父様にお母様が口を尖らす。
「まあ、ともかく出会いはそれだったな。一緒に侍女を探してやったのだが、少しでも目を離すとフラフラとどっかに行ってしまうんだ。参ったよ、あの時は」
何だか簡単に想像出来てしまうね。お母様、昔からあまり変わってないのね。
「早く話を進めては?」
お母様に腕を小突かれてお父様が小さく笑いながら頷く。
「それから何度か別のパーティーで会ううちに親しく話す様になってね。いつしかこの人と一緒にいたいと思うようになっていた」
「そう思う切っ掛けとは何だったのですか?」
「それが、分からないんだよ。気づいたらそう思っていた」
イグナスお兄様の質問にお父様が首を捻る。
「まあ、人を愛する切っ掛けなど自分でも分からんものなのかもしれん。明確な理由も言葉に出来ないのかもしれない。なにせ、心の中のことだからね」
照れくさそうにしながらも、お父様が言うと様になる。
でも、その言わんとしていることが何となく分かる気がするな。人を好きになるタイミングなんてどこにあるか気づかないよね。
「ま、それで結婚に至った、というわけだ」
お父様が一人頷く。
なんだか最後は随分と駆け足になった気がするな。一気に結婚に至ったよね。
「何の問題もなく結婚した、とういことですか」
ご自身が苦労の末、メリッサ義姉様との結婚に至ったエリックお兄様が尋ねる。
お父様とお母様はお似合いだから、反対する人間もいなかっただろうし、特に障害となるようなこともなかったのだろうな。
ところが、その問いにお父様が目を泳がせる。
「何かあったのですか?」
驚いた様子でエリックお兄様が声を上げる。いや、驚いているのは私も一緒だ。
「いや、実は一度結婚を反対されてね」
お父様が弱々しく答える。
「グレースの父君にね……」
お母様の父親、つまり私からみたらおじい様に当たる人か。
実は、私はそのおじい様にお会いしたことがない。だからと言って、亡くなっているとか、絶縁しているとかではない。
そのおじい様、侯爵家の当主として、そして優秀な軍人として有名な人だ。今から六十年程前、突如エルフロントに攻め込んできた隣国の軍を寡兵であっさりと撃退、その上反撃し相手の国を一月かかからず平らげるという英雄ぶり。このお母様からは想像できないような人だそうだ。ちなみに、イグナスお兄様は幼少の頃このおじい様に憧れ軍人を志したようである。
そして、このおじい様は豪快な人だったそうだが、それはその身の処し方にもよく現れている。私が生まれる少し前にお母様の弟に家督を譲り隠居。そして、その直後に旅に出てしまい、今も世界のどこかを旅しているというリアルご隠居である。
「ふふふ。懐かしいですわね」
「君は懐かしいかもしれないが、私にとっては忘れられない思い出だよ。あの軍神と呼ばれる義父上からの一喝がどれほど破壊力があるか……」
肩を竦めるお父様にとっては苦い思い出のようである。
「よろしいではありませんか? 最後は認めてくださったのですから」
お母様はくすくす笑っている。
「まあ、そうだな。どこか甘えのあった私を鍛えてくれたのだと今では分かっている。それに、私は早くに親を亡くしたから、実の父の様に尊敬もしているしな。今はどこにおられるのだろうな」
お父様が腕を組み、目を細める。
「先日は、南の大陸におられると手紙が来ておりましたが……。どこでしょうね」
定期的に手紙のやり取りをしているお母様が、お茶に口をつけながら首を捻る。
世界を気ままに旅しているのか。羨ましい。一度会って、私も連れていってもらえるように頼みたいくらいだ。
「義父上が側に居てくれたら、もっと反対できたのにな」
悔しそうにお父様が突然言い出す。
「一緒にリアの婚約を反対してくれたろうに……」
そう言いながら、寂し気に私をじっと見る。
まだ、諦めてないのか。
「早すぎると思わないか?」
「あなたっ!」
また私の婚約に未練がましい思いを口にしたお父様を叱りつけるお母様の背後に軍神ならぬ鬼神の陰が見えた気がした。