169 シルビアのお仕置き
「こ、これは、シルビア様。そ、それにナタリア様まで……?」
突然訪れた私たちに目を丸くしているユアンである。
ここはシップソン男爵家の屋敷。自らも婚約の披露パーティーまでは準備の為に仕事を休んでいるユアン自ら出迎えてくれていた。
「突然の訪問、迷惑でございましたか?」
しおらしいシルビアの上目遣いだ。
「い、いえ、とんでもない。ただ突然だったので驚いただけです」
私が騙された爽やかな笑顔で首を横に振る。
「それにしても、お二人は仲がよろしいのですね」
連れだってきた私にも歓迎の笑顔を向けてくれるが、今となってはそれが逆に腹立たしい。
「はい。突然の訪問申し訳ありません。少々急ぎの要件がございまして……」
ユアンに頷き返しながら、軽く頭を下げる。
「急ぎの要件? 婚約披露のパーティーの件でしょうか? 何か問題がありましたか?」
ユアンが首を傾げる。
「いいえ。追加の試験ですわ」
私は、ふっと冷たい笑みを浮かべる。
「つ、追加の試験?」
まったく訳が分からないといった顔となり、ユアンが救いを求めるようにシルビアを振り向く。
「ええ。婚約者に相応しいかどうかの、ですわ」
シルビアもぞくっとするほどの妖艶さを漂わせて口元を綻ばせる。
「ところで……」
益々困惑の表情となっているユアンに話しかける。
「あそこには何がありますの?」
男爵家という身分のせいか、屋敷の敷地は然程広さはない。だが、その庭の片隅に、倉庫にしては大きすぎる建物が建っていたのだ。見るからに怪しいと思うのは私だけじゃないはずだ。
「ああ、あそこは倉庫兼作業場と言いましょうか……。こう言っては生真面目だとか、仕事以外に興味はないのかと言われてしまいそうですが、家でも簡単な実験を出来るようにと作ったものでしてね」
ほう、実験を、ね。以前の私なら感心しただろうが、今の私には疑惑しか湧いてこないよ。
「まあ。それは見てみたいですわ」
シルビアも何か怪しさを感じたのだろう。倉庫兼作業場と称する建物に興味を示す言葉を口にする。
「そうね。それがいいですわ。将来夫となるかもしれない方の仕事ぶりを見ておいた方がいいと思います」
伺うようにユアンを見るが、その表情に変化はない。
「ははは。それも試験ですか?」
むしろ、笑顔で頷くと、どうぞとばかりに手を小屋の方に差し出す。
あれ? もうちょっと動揺するかと思たけど。もしかして、あそこに娼館と結びつくものや、女性を隠しているんじゃないのかと思ったけど。それとも、何か罠か? 突然訪問してきた私たちを怪しんで始末するつもりじゃ。
「どうされました?」
先に小屋に向かって歩き出したユアンが動こうとしない私をに振り返る。
「い、いえ。では、見させてもらいましょうか」
ええい。ここまで来たらどうしようもない。
デドルとレオには外で待っているように告げる。万が一の時に備えて待機だ。
私とシルビア、そして侍女二人を伴ない、ユアンに続いて小屋へと向かう。
「決して綺麗な所ではありませんよ? それと、実験道具の中には危険なものもあります。勝手に触れないようにだけお願いします」
入り口に前でそう言ってから、ユアンが扉を開けた。
足を踏み入れると何やらひんやりとした空気を感じる。外観以上に古い建物なのか、歩くたびにギシギシと床が音を立てているのが耳に纏わりつく。
中には、大きな机が並び、実験に使うのだろう何やら道具の類が並んでいる。壁沿いに並ぶ棚には、本や実験の材料となるのか粉末の入った小瓶が無数にある。
「どうです? 何か面白いものでもありましたか?」
実験道具の並んだ机の間を歩いている私とシルビアに余裕の表情でユアンが扉に体を預けながら笑みを浮かべている。
「お姉さま」
私を呼ぶシルビアの視線が、床に向けられる。
床? まあ、随分と古いわね。歩くと軋む音がするし、何だか下から風が吹きあがってきているみたいにも……。下から風? まさか、地下でもあるのか?
部屋を見回すが、地下に続く階段は見当たらない。もちろん、床に一部が取り外せそうな場所もない。
「シルビア様、ナタリア様。もうよろしいですか? せっかく来られてのです。中でお茶にしませんか?」
ユアンは相変わらず余裕の笑みのままだ。
ここに理由もなく居続けるわけにもいかない。こうなりゃ、仕方ない。最後の手段だ。
「アシリカ、大きな氷でも出してすぐにこの床を破りなさい」
「はいっ!」
すぐに魔術を発動させて、みるみるうちに大きな氷の塊を出したかと思うと、それを床に向かって叩きつけるように落す。
「なっ!」
ユアンの表情が変わる。予想もしていなかった行動だったのだろう。目を見開いて言葉を失っている。
床がアシリカの氷の塊に突き破られる。
もうもうと煙が立ち込めた後から出てきたのは、猿轡をされたぐったりとした女性。しかも、三人もいる。皆、土がむき出しの土間に寝転がり意識が朦朧としているようだ。
「ユアン様。説明して頂けるかしら?」
唖然としているユアンを睨み付ける。
「くっ」
扉から一歩後ずさり、ユアンが顔を歪める。
床を突き破った時の大きな音に屋敷の中からシップソン男爵家の使用人たちが何事かと出てくる。
その中から一人、妙に身なりのいい人物が出てくる。
「ユアン様。何事にごましますか?」
「ディレスか。実験道具が見つかってしまってね。それも、我が婚約者殿にね」
落着きを取り戻したのか、ユアンが静かに答える。その顔にさっきまであった優し気な雰囲気がまったく無くなっている。
「ちょうどいい。紹介しましょう。薬問屋のディレスです。役所からも信頼されている立派な薬問屋でしてね。貧民に薬を分け与える仕事を一任されています」
なるほど。なんとなく読めてきた。役所の仕事と言っても実務は業者に丸投げしているのか。そして、それを任されたこの薬問屋が、貧しい女性を見繕い、娼館へと斡旋しているに違いない。薬が無いとかうまいこと言って、女性たちを騙す様にして娼婦の仕事に就かせたのだろう。
「私はそんな彼と一緒に新薬の開発を進めています。いわば仕事のパートナーですね」
「それより、この地下にいる女性たちはどおういうことかしら?」
「ああ。そうでしたね。彼女たちは、実験道具です。さっきもそう言いませんでしたか?」
確かに実験道具が見つかったって言っていたけど……。
「道具って……?」
眉間に皺を寄せユアンを睨み付ける。
「何か事を成し遂げようとするならば、多少の犠牲は付き物です。しかし、王立研究所はそこを分かっていない。ですから、私はこのディレスと一緒に新薬を自らの力で作ろうとしたのですよ」
まさか、こいつら……。
「あの者たちがその新薬の効果などを試す道具ですよ。なかなかうまくいきませんけどね」
まったく悪い事をしている自覚が無いような顔のユアンである。
「か、彼女たちを使って人体実験をしていたというのですか?」
思わず彼らのやり口に怒りで声が震えくる。
「はい。ついでに実験の資金を稼ぐのにも利用しました。有効利用ですよ」
その考えが名案だとばかりに得意げな顔となるユアン。
「薬をこっそりと横流ししてやると言えば、あっさりとこちらの言うがまま。娼館で働くことも働く理由も話すなと言えば話さない。本当に薬を分けてやるなどあり得ないのに、いとも簡単に信じる愚かな女どもです。せめて薬学の発展に役立てて本望でしょう」
娼館で金を稼がせ、その上最後は実験に利用される。この様子では、最後まで生きていた人はいないだろう。
「そう言えば、この前その実験道具の一つが逃げ出してね。あれは少し焦ったよ。でもあれだけの元気があれば、もう少し使えたのにな」
ディレスを見ながらユアンが笑っている。
「……不合格ですわね。シルビアとの婚約、認められませんわ」
怒りが込み上がてくる。
「シルビア様。あなたはそれでよろしいのですか?」
私からシルビアに視線を移し、ユアンが尋ねる。
「はい。お姉さまに認められる男性以外に興味はございませんわ」
はっきりとシルビアが言い切る。
「そうですか。それは残念です。ならば、仕方ないですね。まあ、いいでしょう。どちらにしても、私の崇高な考えを理解出来ない愚かな女に興味はありませんし」
残念そうには見えないユアンは、見下した目でシルビアを睨み付けて首を横に振る。
「ここで、不用意に実験道具を触ったあなた方は突然起こった爆発に巻き込まれたということで。不幸な事故でした」
小屋の中にいる私たちに向けてすっと手を前に翳すユアン。その手の平に大きな火球があっという間に出来上がる。
「下がってなさい」
シルビアたちを背後にして、鉄扇を取り出す。
「愚か者には死んで頂きます」
ユアンがそう言うと同時に火球が私に向かってくる。
「簡単に死ぬと思わないことねっ!」
鉄扇に横薙ぎにされて火球は霧散していく。
それを見たユアンの顔色が変わる。
「何だとっ!? ま、魔術を打ち消すとは、お前も化け物か! やはり、フッガー家の血を引く者の友人も化け物ということか。おいっ! こいつらを始末しろっ!」
ユアンが使用人たちに命じる。主の命に剣を取り出し構えている。
こいつ、あの笑顔の裏でシルビアをそんな風に見ていたのか。益々許せない。
「愚かなのはあなたですわ、ユアン。あなたのしていることはただ人を苦しめ殺めているだけ。いいえ、それだけではないわ。体だけではなく、その心までを壊したあなたは獣にも劣る」
鉄扇をユアンに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をユアンに向ける。
「お仕置きです!」
お返しとばかりにアシリカが氷の塊を扉に向けて放つ。
飛び跳ねてそれを躱したユアンだが、逃げ損ねたディレスは直撃を受けて、そのまま後方に吹き飛ばされる。
「な、何をぼうっとしている! さっさと片付けろ!」
立ち上がりながら、ユアンが使用人を怒鳴りつける。
その主の声に弾かれるようにして、一斉に扉に向かって駆け寄せてくる。その数五人。
ソージュがそこに飛び込み、迫ってきたユアンの使用人たちに蹴りを見舞う。
そこにさらにアシリカが氷の礫を降らせる。扉の前に辿り着く前に二人がアシリカの魔術が直撃して、倒れ込んでいる。
残る三人のうち一人は、ソージュの掌底を受けて白目を剥きながら崩れ落ちている。
「お姉さま。残る二人は私が……」
「どうぞ」
顔の表情からは伺えないが、シルビアも相当な怒りがあるのだろう。
そのおっとりとした顔からは想像出来ない速さで外に駆けだすと、残る二人の首元に両手同時に手刀を振り下ろす。
私が実験小屋から出た時には、ユアン以外に立っている者はいなかった。
「アシリカ、ソージュ。地下の女性たちを」
地下でぐったりしている女性の介抱をお願いした後、呆然となりへたり込んだユアンの前に立つ。
無言のまま、ユアンの顔を鉄扇で横殴りにする。
「ぐはっ!」
さらに返す鉄扇で反対の頬に打ち付ける。
「あなたが女性たちに与えた痛みに比べたらこれだけではまだまだ足りないわよ」
「ち、地下の女は保護していただけだ。そ、それの何が悪い? 私が何か法に触れることでもしたというのか?」
口から血を飛ばしながらすユアンが叫ぶ。
保護? さっきまでとまったく違う事を言い出しているね。
「証拠なら、これでいいですかい?」
手に紙の束を持つデドルが屋敷の方から歩いてくる。その横でレオも紙の束を抱えている。
「お嬢様。屋敷の中から見つけてまいりやした。娼館の売り上げ、娼婦の管理台帳に薬問屋との癒着の証拠。中には、ヤバい薬の販売をしていたものまでありやす。屋敷の中に誰もいなかったので、見つけ出すのが楽でしたよ」
どこにもいないと思っていたら、しっかり仕事してたのね。
「まだ、何か言い訳するつもりかしら?」
「くっ……! くそっ!」
突然立ち上がったユアンが私に殴りかかってくる。
そんな彼のみぞおちを鉄扇で突く。
「うぐっ」
さらに呻き声と共に崩れ落ちるユアンの首筋にシルビアの手刀。
そのまま、声も出せずにばたりと倒れ込む。
「これで、後はまたリックスさんにでも頼むかな」
「お姉さま。この者の処理は私がしても?」
事後処理のことを考え始めた私にシルビアが微笑む。
何、その笑顔。ちょっと、怖いよ。
「えっと、何するの?」
「ふふ。ちょっと面白いことを考えつきましたの」
妖艶な笑みのシルビアに頷くしかない私だった。
フッガー家の大広間。
一人娘の婚約を祝うパーティーである。シルビアの雰囲気に合わせたのか、美しくもどこか気品に満ちた落ち着いた飾りつけをされた会場である。
多くの招待客が歓談に花を咲かせている。
ユアンを成敗してから五日経っているが、その間のことを思い返す。
娼館の方はすでにジローザの手の者によって閉鎖されている。約束通り働いていた女性たちを受け取るという建前だろうが、閉鎖したのが意外だった。さらに驚いたのは、娼婦としては使わないそうだ。それぞれ商家の下働きに出すらしい。しかも一時金として金を渡してしっかり休養を取らせてからだという。
あの禿げ頭、いい所あるじゃないか。跡を継ぐ気はないけど。
「シルビア様です」
アシリカがそっと告げる。
今日の主役、シルビアが真っ白なドレスに身を包み、女の私でも思わず見とれてしまうほどの美しさだ。
当然、会場の人々も感嘆のため息を吐いている。
だが、一方でそんな光景を複雑な思いで見つめる私だ。なぜなら、今から起こる余興を知っているからである。
「父上。またユアン様が来られていませんが……」
眉を顰めているのは、シルビアの弟のレジナルド君。
「うーん。どうしたのかな。何かの演出でもするつもりなのかな。ま、焦らなくてもいいだろう。婚約者は今夜来るからな」
大きな笑い声と共にブルーノ様が盛り上がっている。
「父上……」
レジナルド君、苦労してるなぁ。しかも、この後のことを考えると、余計にね。
気の毒な思いでレジナルド君を眺めていると、庭からボンと大きな音が聞こえてきた。それと同時に大きな木の下で煙が立ち込めている。
始まったか……。
誰にも悟られないように小さくため息を吐いてから、庭に視線を向ける。
招待されていた人たちも、何事かと、庭に目をやっている。
「な、何だ……?」
「だ、誰かいるみたい……」
「こ、これは……!」
白い煙が風に飛ばされた後から出てきたのは、下着一枚で二人の男が背中合わせで縛られている。頭をがっくりと落とし、眠っている。
一人は、今日に一方の主役であるユアン。もう一人が薬問屋のディレスだ。
そして、その体には、彼らの犯した数々の罪が記された大きな紙。二人の脇にはその証拠の書類の束が置かれている。
本日のメインディッシュ。悪人二人に、証拠を添えて――だ。
いやね、これはさすがの私も反対したよ。でも、シルビアがやると言ってきかないからさぁ。
「……こんな男に大事なシルビアはやれんな」
罪を記された紙と証拠の品を見て、ブルーノ様が怒りに震えている。さすがに、今はダジャレが出てこないようだ。
一斉に注目を浴びるシルビアの肩を抱きかかえてそっと会場の隅に連れていく。
招待された人は俯き肩を震わせるシルビアがショックで泣いているとでも思っているのだろう。誰もが、シルビアには同情の目を、ユアンには怒りの眼差しを向けている。
だが、私の横のシルビアはくすくすと笑っていた。肩を震わせて笑っていた。まるで考えた悪戯が成功した笑いである。
今日のシルビアの美しさにやられた男性どもが、自分が慰めようと近づいてくるのを私が一睨みして威嚇する。
簡単にシルビアの婚約者になれると思うなよと、念じながら……。