168 大きな木の下で
サンバルト家の屋敷に戻ってきて、テラスにいる。
丸いテーブルに私とレオとシルビアが等間隔に並んでいる。だが、三人とも黙り込んだままだ。
娼館の経営者がシルビアの婚約者であるユアン様。花に教えてもらったというのは、おそらく部屋にあった一輪挿しの花のことだろう。
「失礼致します」
用意してくれたお茶をアシリカとソージュが私たちの前に置いてくれた。
「シルビア」
お茶が置かれたのを切っ掛けにして口を開く。
「ごめん。私、全然見る目がなかった。まさか、あのユアン様が……」
シルビアに頭を下げる。
本気で徹底的に調べておけばよかった。ユアン様、いやユアンにまったく疑念を抱かなかった。むしろ、好印象を抱いたくらいだ。もしもあの場に時間を巻き戻せるなら、あの時の私の頭を引っ叩いてやりたい。
「やめてくださいませ、お姉さま」
困った顔でシルビアが私の肩に触れる。
「で、でも……」
どんな手を使って娼婦を集めたかはまだ分からないが、少なくとも女性にあんな酷い仕打ちをする男だ。結婚してシルビアが幸せになれるとは思えない。それ以前に非合法な商売に手を染めているのだ。それだけで、まっとうな人物とは言えない。
「フッガー家の不思議な力のことは知っている。そなたと一緒にいて、その力の片鱗を感じたこともある。しかし、間違いないのか? あの娼館の経営者がシルビア嬢の婚約者だと?」
レオが複雑そうな表情で尋ねる。
「はい。間違いなく経営者はユアン様ですわ」
特に感情の乱れもなくシルビアは婚約者の名前を再び口にした。
そんな彼女を見つめながら、私がフッガー家に呼ばれた日のことを思い返す。
プロポーズのペンダントを差し出された時に戸惑っていたシルビア。
お祝いを言った私に何か言いたげな視線を向けていたシルビア。
そして、あの時ユアン様に花束を貰っていた。
まさか、あの花からも何か感じ取っていたんじゃ……。
「ねえ、もしかして私が行ったあの日に貰った花束からも何か感じたの?」
「……はい。お花が口々にこの男には気をつけて、と」
やはりそうだったのか。あの時からどこか不信感を抱いていたのか。それなのに私は何もシルビアの思いに気付いてあげれなかった。
「本当にごめん、シルビア。私にもっと見る目があれば……。あなたの表情に何か気付いてあげれていたら……」
後悔してもしきれない。
一般的に貴族の世界で婚約破棄は、女性の方がダメージが大きい。例え、それが男性側に大きな瑕疵や問題があったとしてもだ。
シルビアをそんな目に会わせたくはない。しかし、このままユアンを見過ごす訳にもいかない。
「お姉さま、聞いてくださいますか?」
自分の愚かさと馬鹿さ加減、それにシルビアへの申し訳なさから涙さえ出てきた私に、張本人が優しく微笑んでくれる。
「お姉さまは私のように、フッガー家の者にたまに生まれてくる不思議な力の持ち主のことをご存じですわよね?」
黙って頷く。
「力と言ってもほとんどの者は役に立ちそうでないものばかり。私だって、そうです。自然にあるものの意思が伝わってくるなんて、どう活用していいか分からないものです」
いや、すごいと思うけど。実際、その力に何度も助けられた。
「ですが、中には強力な力を持つ者も過去にはいたそうです。それこそ、国の繁栄に多大な貢献をする者や人々の苦しみを取り除いた者……」
そこで、シルビアが表情を曇らせる。
「そして、乱世を招き寄せるくらいの力を持った者も……」
乱世を招き寄せるって……。どんな力だ?
「アルハイン・フッガーか?」
レオが苦々しい顔となる。
「アルハイン・フッガー?」
シルビアのご先祖様?
「まあ、リアが知らんのも無理はないかもしれん。あまりフッガー家の力は公にされていないしな。まあ、実際貴族の間では公然の秘密といったところだな。口さがない貴族連中の間では、あることないこと囁かれているが」
気の毒そうな目をシルビアに向ける。
「エルフロント王国が建国されるまで、この地は百年以上に渡りいくつもの勢力に別れて乱れていた。その切っ掛けを作った人物が、アルハイン・フッガーだ」
言いにくそうにシルビアの方を気にしながらも、レオが説明してくれる。
今となってはどんな力を持っていたかは分からなそうだが、一言でいうと、そのアルハイン・フッガーという人は、まさに争いの種を撒く天才だったらしい。
それまで安定していた前の王朝で内部対立を煽り、あっという間に崩壊へと導いたのだ。どんな手を使ったのかは、未だに謎である。だが、それ以上に謎なのは、自らが王となろうとしなかったのだ。むしろ、各地で対立を芽生えさせ、騒乱の種を撒き続ける行動を取ったそうだ。しかも、それは自分の治めていた地でも部下の対立を煽るという理解に苦しむ行動を取り続ける。
「最後は部下や一族を巻き込んだ争いの中、アルハイン・フッガーも命を落としたそうなのだが、自分に刃を向ける家臣や兄弟を見て、笑いながら死んでいったそうだ」
狂気――。背筋が冷える思いと共にそんな言葉が脳裏に浮かぶ。
「唯一残ったフッガー家の者はアルハイン・フッガーの弟だ。その弟の子が人の傷を治すという不思議な力を持っていたから、殺されることなく生き延び、フッガー家の血を今に残した」
レオは、最後に気遣うような目をシルビアに向ける。
「そんな呪われた血が私にも流れているのです。そして、人とは、恐ろしい記憶ほど残るものです。フッガー家の者、というだけで得体の知れないものを見るような目で見られることも何度もございました」
その気持ち、分かるよ。私だって、我儘ナタリアの噂に苦しめられているもの。でも、シルビアの噂の元は遠い過去のこと。私と違い、どんなに頑張ってもその噂を解くことは出来ない。
「お姉さま、初めて会った時のことを覚えておられますか?」
「ええ。私の十三歳の誕生日パーティーよね。挨拶を交わした後、ずっとあの木を見ていたわよね」
テラスから見える大きな木。シルビアは、ずっとあの木を飽きずに眺めていた。変わった人だと思ったものだ。
「ええ、そうですわ」
懐かしそうにシルビアも庭の大きな木を眺める。
「あの日、お姉さまのお誕生日パーティーに行くのが不安でした。お姉さまは有名な方でしたし、そもそも私自身人と接するのも嫌でした。例え幼くともフッガー家の血筋。忌み嫌う目を向けられることも多かったですから……」
それも分かるな。私も一緒だもの。毎回怯えた目で見られるのも辛いよね。それと、我儘ナタリアの噂を“有名な方”と言い換えてくれたシルビアに感謝もしなくてはならない。
「ですが、お姉さまは普通に私に接してくれました。それにあの木に頼まれましたの。お姉さまと仲良くなってあげてと」
「あの木が?」
もう一度庭の木を振り返る。
「はい。お姉さまのことをいろいろ教えてくれました。毎日剣術の稽古に励まれていること、アシリカさんを助けてあげたこと。とってもいい子だからと……」
木……。ありがと。まさかあの大きな木が私の理解者だったとは。
思わず庭の大きな木に頭を下げる。
「その後、偶然屋台でお姉さまと会ったりもしましたが、何より心を動かされたのは、世直しをされているお姉さまのお姿を見た時ですわ」
ああ、従姉のジョアンナさんの時か。確かあの時が初めてリックスさんに会った時でもあったな。考えれば、シルビアもリックスさんとも長い付き合いよね。
「そのお姿を見た感動は今でも忘れられません」
「か、感動?」
キラキラと瞳を輝かせているシルビアに不思議そうにレオが見入っている。
「はい。感動です。お姉さまから何かを変えられる強い力を感じたのです。魔力でも私の持つような不思議な力でもない、強い力です。その力に感動しました」
「そ、それは、少し……」
熱く語るシルビアに頷いてレオはが何か言いかけるが、すぐに口を閉ざす。
「その時感じた力は間違ってなかったですわ。それからもお姉さまは多くの人を助けられて、多くの人の人生を良い方向に変えられてこられました」
「シルビア……」
ここまで認められているなんて、こっちが感動するよ。だからこそ、尚更今回のことが申し訳なく思う。
「お姉さま。私の運命も変えていただけますか?」
真っすぐな目を私に向けるシルビアの妖艶さ。今まで見てきた中で一番綺麗に感じる。
「……ねえ、シルビア。申し訳ないけどあなたの婚約、壊しちゃってもいいかしら?」
「……はい。私はお姉さまを信じておりますから」
これ以上ないくらいの笑みでシルビアが頷く。
私もそんな彼女に強く頷き返す。
「さて、どうしたものか……」
腕組みして考える。
そもそも何故、ユアンが娼館の経営などに手を染めているのだろうか。しかも、あそこまで劣悪な環境の娼館を。
お金の為? どれくらいの利益が出ているのかは知らないが、あまりにも負うリスクが大きすぎる気がする。王立研究所に勤めているのはエリートコース。それを失いかねないのに。
それに、女性をどうやって集めたのかしら? 男爵といっても貴族。その貴族があの若さでそんな伝手を得られるとは思えない。
「そっか。薬学の研究をしていると言っていたわね」
リタは、薬の為にあの娼館で働いていると言っていた。ひょっとしたら、彼女以外のあそこで働いている女性たちも同じなのかもしれない。
もしかしたら、薬を融通するとかうまいこと言って女性を騙す様にして娼館で働かせているのかもしれない。研究所で働いているなら可能そうだ。それならば、女性を集めるのに元手が掛からない。
「いや、それはないな」
そんな私の考えを話すと、レオにあっさりと否定される。
「薬を分け与えるのは、役所の仕事。王立研究所はまったくそれに関与していないからな」
そ、そうなんだ。
王立研究所というその名前の通り、研究のみの機関というわけか。
「それに、亡くなった女性があのような場所にいた説明が出来ません。娼館のある場所から貴族街まで、あんなに体が弱った人が歩いていける距離ではありません」
続けてアシリカからも疑問が出てくる。
確かにそれも説明が付かないわよね。
「うーん……」
疑問だらけだね。
悩む一同の中、シルビアが私の顔をじっと見つめている。
真っすぐな瞳から私への全幅の信頼を寄せているのを感じる。
そっか。私も信じればいいだけだった。
現時点では、あの娼館の経営者がユアンだという証拠は何一つない。シルビアの不思議な力である草木からの言葉を聞ける能力から知っただけだ。
だからこそ、何か確証のようなものが欲しかったのだが……。
そんな必要ないか。私はシルビアを信じる。
「何も考える必要なかったわね。突撃あるのみよね」
「賛成ですわ」
シルビアが笑顔で頷く。
「し、しかしお嬢様。まだ確たるものが何も分からぬまま娼館に行くのも……」
アシリカの不安も、もっともだ。万が一、ユアンとの繋がりが見つけられなければ意味がない。
「そうね。だから、直接本人の所に行きましょうかね」
娼館ではなく、ユアンの屋敷に直接乗り込む。
ん? ユアンの屋敷も当然貴族街にある。男爵家といえども、貴族だから当然である。そして、爵位が低いほど貴族街の中でも平民街に近い場所に屋敷があるのも普通のことだ。
「もしかして……」
亡くなった女性は貴族街に入ってすぐの所にいた。
娼館のあった場所からは遠く離れているが、シップソン男爵家からはさほど距離はないはずだ。だったら、彼女があそこで倒れていても不思議ではない。
何かしらの理由であの女性を屋敷に置かれていた。そして、隙を突いて逃げ出した。それこそ、最後の力を振り絞って。
ならば、他にも同じ様に女性がいるかもしれない。例えば、娼館で使えないくらい弱った女性とか。
「ふふ。屋敷の方が正解かもしれないわね」
「まあ、私もそう思いますわ」
シルビアと顔を見合わせて笑い合う。
よし、そうと決まれば、すぐに行動だ。
「善は急げよね。アシリカ、すぐにシップソン男爵家に行くわ。デドルにそう伝えてきて」
立ち上がった私は鉄扇をぐっと握り締めていて振り向くとそこにいたガイノスと目が合う。その横には悲壮な顔をしたルーベルト君もいる。
「……お嬢様」
ガイノスの視線は私の顔ではなく、鉄扇に釘付けになっている。
まずい時にまずい人に会っちゃった。
「い、今来たとこ?」
どこから話を聞かれていたのかしら。
「はい。ルーベルト様が来られましたのでシルビア様のご婚約をお知らせしたところ、お祝いを申し上げられたいと……」
ガイノスが隣に立っているルーベルト君に視線を動かす。
しかし、ルーベルト君の顔はとてもお祝いを言いに来た顔じゃない。悲しみをぐっと堪えている顔だ。
そっか。シルビアが憧れの君だったもんな……。婚約の話を聞いてショックを受けつつも、お祝いを言いに来るなんて男らしいところあるじゃないか。
「つい耳に入ってしまいましたが、今からシップソン男爵家に向かわれるので?」
「え? ええ、まあ……」
そこから聞いていたのか。
でも、婚約をぶっ潰しに行くなんて言えないよな。ルーベルト君は喜びそうだけど。
「それを持ってですか?」
再びガイノスの目が鉄扇に向かう。
「えっと、まあ……ね」
何をしようとしているか、絶対バレてる。
「はぁ……」
ガイノスが大きく首を横に振った後、しゃがみ込みルーベルト君に目線を合わせる。
「ルーベルト様。どうやら、シルビア様のご婚約はまだのようです。このガイノスの早とちりでございました。申し訳ございません」
「は、早とちりですか? え、でも……」
半分ほっとしたうような、半分戸惑った顔でルーベルト君がシルビアをちらり見る。
「それより、お嬢様、デドルの小屋が片付いておりません。お嬢様も少しヤツに片付けるよう言ってもらえませぬか?」
ガイノスがデドルの小屋の方を目で指し示す。
ふふ。もうちょっと素直に行ってこいって言ってもいいのにね。ガイノスらしいけどさ。
「……ええ。私も手伝おうかしらね、掃除」
「ルーベルト様。せっかくテラスに来たのです。少しこの年寄りの話し相手になってもらえませぬか?」
ほう。アリバイ工作も任せろということか。私の不在をうまく誤魔化せるのは、この人以上に頼もしい人はいないな。
「ルーベルト君、後で私も一緒にお茶しようね。もちろん、シルビアも一緒にね」
私にウインクされたルーベルト君が顔を赤らめていたのだが、その視線はずっとシルビアを追っていたのは、気づかなかったことにしよう。