167 娼館に入れるのは……
ジローザに教えてもらった娼館の近く。少し向こうにその娼館が見えている。
場所は、貧民街と平民街の境目辺り。やはり、貴族街からは遠く離れている。馬車だったらともかく、歩きなら数時間は掛かる距離だ。
「さて、さっさく店の様子を探りましょうか」
「お嬢様、お待ちを」
気合いを入れ、踏み出した私を止めたのはアシリカ。
「どうやって、様子を探るおつもりで?」
「そうね、まずは客として……」
店の様子や働く女性たちの状況をこの目で確かめたい。
「あそこがどういうお店なのかお分かりですよね?」
呆れた様子でアシリカが確認してくる。
「あ……」
私、お客さんになれない。
「じゃ、じゃあ、忍び込もう。デドル、お願い」
デドルを見るが、険しい顔を横に振る。
「お嬢様。あの店の中で何をされてるかお分かりですか? そこにお嬢様はもちろんですが、アシリカやソージュまで連れて忍び込むのは……」
「む……」
それもそうよね。さすがにマズイ。ただのノゾキになっちゃうもんね。デドルにしたら教育上良くないという考えなのかもしれない。
駄目じゃないか。これでは、中の様子を探り様がない。思わぬ落とし穴だな。
「そろそろのんびりしている時間もありません。今日の所はひとまず……」
悩む私に時間切れを知らせるアシリカ。
「仕方ないか。改めて明日にするわ。今晩のうちに何とか中の様子を探る方法を考えなくちゃね」
急ぎたいところだが、中に入る手段が無い現状ではどうしようもない。
「明日か。なら俺も明日に備えて帰るとするか」
え? レオ、明日も来るつもりなの? レオがいたら、裏口からこっそり出にくいじゃないか。自分の部屋に籠っているって言えなくなるんだからさ。
「何だ、その嫌そうな顔は?」
思わず眉間に皺を寄せてレオを見ているのを見て、むっとした表情をこちらに向けてくる。
「それにな、義母上にもいつでも来てもいいと言われたしな」
レオがしてやったりといった笑みを浮かべている。
くそう。うまくお母様を味方につけたわね。ここにきて、お母様の素直さが敵に回るとは……。
「仕方ないですわね。でも、お母様に媚びを売ってまでうちに来ようなんて、男性としてどうか……」
嫌味の一つでも言ってやろうと口を開くが、途中で止まる。
男性? そうよね、レオは男性だ。
ニヤリと笑みを浮かべた私にレオが首を傾げる。
「是非、明日も来てくださいませ。準備を整えてお待ちしておりますわ」
「な、何だ、突然……。それに、準備とは?」
急に態度が変わった私に明らかに不安そうになったレオが尋ねてくる。
「レオ様は気になさらず。お望み通りきっちりと下僕として活躍して頂きますわ」
不敵な笑みを浮かべる私にレオがごくりと喉を鳴らしていた。
翌日の昼過ぎ。再度昨日来た娼館の前である。
昨日のメンバーに加えて、何故かシルビアも一緒だ。
というのも、今日屋敷から出るのに使った理由がシルビアの婚約祝いをレオも述べたいというものだった。そして、実際に一度は顔を出さないといけないとフッガー家を訪問したのだが、そのままシルビアも付いてきていたのだ。
しかし、シルビア、本当にのんびりと私と一緒にいていいのだろうか。というのも、婚約披露のパーティーが五日後に迫ってきているのだ。どうも、彼女の両親は、婚約を了承するのを前提で準備を進めていたようだ。私がこの男はダメだと言っていたらどうするつもりだったのだろうか? ブルーノ様のダジャレ披露会にでも変わってそうな気がする。
そんな中、一人レオが不安そうな顔をしている。
「なあ、リア……。本当に実行するのか?」
昨日の下僕仕様の服から一変して、私が選んだ服を身に纏っているレオが情けない声となっていた。
「ここまで来て何を今更……。ほら、しっかりなさいませ。世直しに参加したいとご自分でおっっしゃっていたではありませんか。今がその時ですわよ」
私が選んだレオの服装のイメージは金持ちのお馬鹿なお坊ちゃま。元の顔がいいからよく似合っているよ。
そのレオの周囲に私とシルビア、そしてアシリカ、ソージュとより取り見取りの女性に囲まれている。
「さ、入りますわよ」
煮え切らないレオの背を押し、娼館の中へと入っていく。
「へい、いらっしゃ……」
出迎えに出てきた店の者の言葉が途中で止まる。
「……確認させてもらうが、ここが何の店が分かって来ているんだよな?」
女連れのレオを見て、顔を引きつらせている。
「ああ、もちろん」
棒読みのレオである。
「ああ、この人、一人や二人では満足できない人なの。今日はいつもより一人少ないから、ここに来たんだけどさあ」
いまいち頼りないレオに代わり、私が説明する。
「よ、四人でも足りないのか?」
店員が得体の知れないものを見る目でレオを凝視する。
「わ、悪いのか?」
不本意全開のレオだ。不機嫌そうに言い返す。
「いや、悪いとは言わねえけどよ……。身なりからして、どっかの金持ちだろうが、世の中広いもんだな……」
驚きと呆れに少々の感心が入り混じった顔でまじまじとレオを見続けている。
「それにしても、女の趣味にも統一がねえな。そこにも驚くよ」
理解に苦しむといった顔で私とアシリカ、ソージュ、シルビアを順に眺めながら呟く。シルビアを見ている時間が一番長いのは、気のせいだろうか。
「ねえ、いつまで待たせるの?」
呆けた様子の店員をせっつく。
「おっ、こりゃあすまねえな。こっちも、アンタらみたいな客は初めてで驚いちまったからよ。ま、こっちとしたら金さえ払ってくれればいいんだけどよ」
まあ、こんな客、いないでしょうね。レオ一人で行かす訳にもいかず、私が行くと言ったら、当然アシリカやソージュも付いてくる。最終的にこの人数になるとは昨日の時点でも思ってもいなかったよ。
「こっちで用意するのは女一人でいいんだな。普通なら銀貨二枚だけど、連れがいるってことでその分もらうぞ。金貨一枚でいいか?」
私たちも客として数えられたのかもしれない。その辺はきっちりしているのね。
「金貨一枚ですって」
レオに告げる。
「金貨一枚?」
動揺の色がレオの顔に走る。
まさか、レオ、無一文?
そ、そっか。よくよく考えればレオは究極のお坊ちゃん。王子だ。私以上にお金を自分で持つ機会なんてないよね。
「うちは、先払いでお願いしてるんで」
店員が早く払えと手を突き出してくる。
え、えーと、またこの失敗か。私も金貨なんて持ってないしさ。
「坊ちゃん!」
その時、背後からデドルの声。
「財布を忘れていやしたよ」
「女は忘れないが、財布を忘れるのか……」
店員が呆れている。
「いや、その……、え?」
レオが顔を引きつらせている。
「へえ。おいくらで?」
支払いをデドルがしてくれる。
「では、坊ちゃん。ごゆっくり……」
そう言い残してデドルが去っていく。
「アンタ、どこのボンか知らねえが、もう少し女以外のことにも頭を回した方がいいぜ。俺が口を出す事じゃねえけどよ……」
娼館の店員に心配されているレオ。心をどこかに飛ばしているのか、虚ろな目になっている。彼の人生で二度と味わえない経験になったのだろうな。誰かに頭を心配されるなんてさ。
「じゃあ、着いてきてくれ。部屋に案内するよ」
そう言った店員に案内されたのは、小さな部屋。古めかしいベッドと椅子が二つある以外には何もない殺風景な部屋だった。花瓶があるが、萎れかけた一輪の花が差されていいるだけで余計に侘しさを漂わせている。
女を呼んで来るから少し待っているように告げて、店員が部屋から出ていく。
「何もない部屋ね……」
まあ、この部屋の目的を考えれば致し方ないかもしれないけどね。
「お嬢様をこのような場所にお連れしてしまって良かったのでしょうか……」
今更だが後悔をしている様子のアシリカが天井を仰いでいる。その横でソージュも首を捻っていた。
「この花、萎れていて可哀そうですわ」
シルビアは、花瓶に差された花をそっと撫でている。
レオはというと、部屋に入ってから黙り込み、部屋の片隅で壁に向かって突っ立ったままだ。
「失礼します」
扉の扉が開いて、一人の女性が入ってくる。
私に看取られて亡くなった女性とまったく同じ露出の高い服だ。違いは薄汚れておらず、皺も無い。やはり、彼女もここで働いていたのか。
今入ってきた女性もやはり痩せ細っている印象を受ける。腕も細く、顔の頬も痩せこけている。スリムというわけではない。栄養状態が悪い病的な痩せ細り方だ。
「本当に四人連れているのですね……」
そんな彼女は私たちを見てぎょっとした顔になり、野獣を見るような目をレオに向ける。事前にさっきの店員から聞いていたようだが、改めて私たちを目にして、怯えさえ感じているようだ。
「そんなに怯えないでいいわよ。ね、名前は?」
「は、はい。リタと申します」
「そう、リタね」
リタの腕を引き、ベッドに座らせる。直に触れその細さを改めて実感する。
「アシリカ」
扉の方をちらりと見る。
頷いたアシリカが扉に耳を当てる。
「大丈夫です。誰もいないようです」
近くで聞き耳でも立てられていたら、自由に話せないからね。用心に越したことはない。
「あなた、細いわね。ちょっと失礼するわね」
露出度が高い服だが、隠れているお腹の辺りを覗き込む。やはり、ガリガリである。
「え? え?」
私の行動に困惑の声を上げるリタである。
「ねえ、ちゃんと食べてる?」
それに答えることなく、俯く。
「今日の朝は食べた?」
私の問いにゆっくりと首を横に振る。
「じゃあ、昨日の夜は?」
次は頷く。
「何を?」
「ス、スープを……」
小さく答える。
「スープだけ?」
リタは小さく頷く。そんな彼女にソージュがポケットから取り出したクッキーを差し出す。
「い、いいのですか?」
ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえる。
「ドウゾ」
一瞬迷ったリタだったが、震える手でソージュの差し出したクッキーを受け取ると一心不乱に食べ始める。やはり、碌に食べていなかったようで、途中何度かむせながらもあっという間に平らげる。
「あ、あの……、すみません」
食べ終わって、恥ずかしそうに謝る。
「いいのよ。気にしないで。それよりいくつか質問していい?」
不思議そうな顔をしながらも、リタは頷く。
「ここで働き始めてどれくらい経つの?」
「半年……くらいでしょうか」
自信なさそうに答える。外に出ることもなく、満足に食べれず時の経過も曖昧になってきているのだろう。
「働き始めた切っ掛けは?」
「それは……」
膝の上に置いた拳をぎゅうっと握り締める。
「うち、貧しくて……。そんな時、父が病気になったんです。それで薬が必要になって、ここで……」
貧しさからの身売りか。聞いていて、何とも言えない気持ちになる。
「ま、待て。だが、貧しい者の為に国から薬を無料で貰える制度があるのではないか?」
レオが壁を向いたまま、声を上げる。彼にしたら、自国の国民が貧しさからその体を売るという現実を目の当たりにしたのだ。ショックもあるのだろう。
「はい。あります。でもその薬も数に限りが……」
「そ、そんな……。十分な量を用意してるのではないのか?」
力なくレオが肩を落としている。
レオ、これが現実。貧民街だってあるし、恵まれない孤児だっている。王宮からは見えない現実があるのよ。
「じゃあ、あなたは薬代を稼ぐ為にこの仕事を……」
「い、いえ。私がここで働くのは――」
そこまで言いかけて、口を噤む。
「働くのは、何?」
薬代の為にお金が稼いでいるんじゃないの? でないと、こんな劣悪な環境でわざわざ働かないでしょ?
「それは……、ごめんなさい。言えません。そ、それより、始めなくていいのですか?」
始めるって、何を? ああ、そうか。ここは娼館、彼女は娼婦。
「ええ、いいわ。それよりもう一つ。最近ここからいなくなった女性っている?」
「な、何ですか? さっきから変な質問ばかり。父の為にも薬がいるんです。だから、ここで働くしかないんです」
目に涙を浮かべ、肩を震わす。
「……ごめんなさい。そうね。言えないことや言いにくいこともあるわよね」
何かしらの理由で、詳しいことを話せないのかもしれない。これ以上は、リタに負担を掛けてしまうだけだ。
だが、ここの娼館の女性たちへの扱いが良くないということは間違いないようだ。
「そろそろ帰るわ」
私はベッドから立ち上がる。
「え? で、でも、まだ何も……」
きょとんとリタが私を見上げる。
「今日はもういいわ。辛くても今は耐えてね。じゃあ」
そう言って部屋から出る。
リタを一人残して、娼館の入り口へと行くと、案内してくれた店員がぎょっとし顔でこちらを振り向く。
「も、もう終わったのか? 五人もいるのに?」
ああ、そうか。あまり時間が経っていないもんね。
「それがさ、うちの坊ちゃんが痩せた女は嫌だってさ」
そう言いながらレオをちらりと見る。
「か、金は返さないぞ。もう帳簿に書いちまったからな。下手に消したら旦那に怪しまれちまう」
旦那とは、ここの経営者のことだろか。
「いいわよ、別に。それよりさ、娼館って儲かるの? なんか全然お客さんいないみたいだけど」
静まり返った娼館の中に私たち以外にお客さんがいる気配がない。
「ああ。まあ、この商売の本番は夜からだからな。昼からの客は少ないな」
なるほど。まだ昼過ぎだから他にお客がいないのか。
「ふーん。じゃあ、儲かってるんだ」
「ま、それなりにはな」
暇な時間だからか、私の話に店員が付き合ってくれるようだ。
「じゃあ、きっと給金もいいのよね。私もここで働こうかしら」
「お、おい」
レオが慌てた様子で私の肩を掴む。
「ははっ。ボンが許してくれないってよ。それによ、うちは今のところ女の数には困ってねえし、ただの雇われの身の俺じゃ決めれねえしよ。諦めてくれ」
「そっか、残念だわ」
悔しそうな表情を見せる私に店員が笑い声をさらに大きくする。
「じゃ、そろそろ行くわ」
「おう。また、人数が足りない時には来てくれ。次はボンが喜びそうな女を用意しておくからよ」
笑顔で店員に見送られる。
「どうでしたかい?」
娼館から少し離れた所でデドルが待っていた。
「そうね……」
歩きながらデドルにリタとの話を聞かせる。
「うーん。それはまた変な話で」
「そうよね」
リタは薬代を稼ぎにきているのかという私の問いを否定した。その後にすぐに口を噤んでしまったが、否定したのは確かだ。それに、口を閉ざしたのもおかしい。まるで、店側から口止めされているようだ。
「何故、あの娼館で働く必要があるのかしら?」
「お嬢様。リタさんはまだ薬が必要だと言っておりました。もしかして、彼女があそこで働くのは給金の為でなく、薬では?」
アシリカが、小さくなった娼館を振り返る。
「薬? だから、その薬代……。そうか。薬代じゃなくて、薬そのものを渡すってこと?」
「そうです。必要な薬を給金の代わりに渡しているのでは?」
ああ、それならば、彼女の言葉も納得できる。でも、それを隠す理由が分からない。
「いや、それはどうでしょうかね?」
デドルが首を捻る。
「どんな病気が分かりやせんが、薬とは高価なもの。普通に給金を払う方が安くつくと思いやすがね」
それもそうよね。娼館の側だって、普通に給金を払う方が楽そうだし。
「あそこが酷い所ってのは分かったけど、逆に分からないことが増えた感じだわ」
思わず深いため息が出てくる。
さて、どうするか。あそこが酷い場所だとはっきりした今、次にするべきことは何か? まずは、あそこの経営者か。どんなヤツか分かれば、いろいろと見えてくるかもしれない。
「ねえ、デドル。あそこの経営者が誰か分かるかしら?」
「へい。何日か張り付いていたら分かるでしょうな」
そうよね。売上金を回収しにくるはずだし、あの店員の話ぶりだと管理にはうるさそうな経営者みたいだしね。
「お願いできる?」
「へい。かしこまりやした」
頭を下げるデドルの向こうにシルビアが見える。
「どうしたの?」
そう言えば、今日のシルビアは随分と口数が少ない。
「お姉さま。わざわざデドルさんに調べてもらう必要はありませんわ」
え? どういうこと?
「さっきのお部屋にあった花。あの子が教えてくれましたから」
そう言って、シルビアが微笑む。
「ユアン様ですわ。ユアン・シップソン様です」
シルビアが口にした名前は、彼女の婚約者のものだった。