166 突然の訪問者
翌日になっても、私は目の前で息を引き取った女性の顔が頭から離れなかった。
騎士団に身元不明の女性として届け出たのだが、すべてデドルに一任した。騎士団へは、たまたま通りかかったデドルが一人で発見したと届けたそうだ。そこに公爵家の令嬢が関わるのはいろいろと問題が出てくるかもしれないという判断に従った。
「後は騎士団の方で弔っていただけるように、お願いしときやした」
報告を聞きがてら、朝から一人デドルの小屋を訪ねていた。
「……そう。身元は分かりそう?」
「それは、難しいかと思いやすね」
デドルが首を横に振る。
無理もないか。身元が分かるようなものは何一つ持っていなさそうだったし、行き倒れに近いあの女性の身元を真剣に調べるとも思えない。
「それより、アシリカとソージュは? 付いてきてないんですかい?」
私が一人勝手にきたのかと、訝し気な表情でデドルが尋ねてきた。
「ええ。何か二人共忙しそうでさ」
この前のホームシック騒動のせいか、お母様が随分と学院での私の様子を知りたがり、朝食が終わってすぐにアシリカとソージュを呼びにきていたからな。ま、部屋で大人しく待っているように言われていたけど、それは黙っておこう。
それにしてもあの二人、どんなこと話しているのだろうか。それはそれで気になるな。
しかし、今は昨日のあの女性だ。
「あのさ、あの女性、体を売る様な仕事をしていたと思うのだけど……」
彼女の最後の言葉、恰好から想像したものだ。
「どこで、そのような商売の存在を知ったので?」
デドルが怪訝な顔になる。
そりゃ、そうか。貴族の令嬢がそんな商売を知る機会ないだろうからね。
「ほら、私もいろいろしてきたじゃない。世直しをしていたら、嫌でも耳にするからさ」
前世の記憶からと言ったら、余計にややこしくなるよね。
「なるほど。……お嬢様のご推察通りでしょうな」
デドルも同じ考えのようだ。
「あんなにも酷い扱いを受けるものなの?」
あれだけ痩せ細っていたのだ。それに、顔どころか全身汚れ塗れだった。まともに扱われていたようにはとてもじゃないが、見えない。
「いやあ、それが、あっしもそっち方面はとんと疎いもんでして……」
そっか。ミズールでの恋を未だに大切な思い出として持っているもんな。そう考えると、デドルって一途だよね。
「しかし、おかしな点はありやすな」
「おかしな点?」
「へい。まずはあの女性のいた場所です。娼婦は娼館に住み込みです。そして、その娼館は公的には認められておりやせん。ですから、娼館もこっそりと営業をしておりやす。例えば、貧民街に近い場所など騎士団などから目を付けられにくい場所で、です」
当然か。非合法の商売だから堂々とするわけにはいかない。必然的に貧民街など比較的治安が悪く、公権力が及びにくい場所で営むわけだ。
ならば、デドルの言うようにおかしい。何故、あの女性はあんな場所にいたのだろうか? 貧民街から遠く離れた貴族街に倒れていたのだ。
「それと、もう一つ。嫌な話でやすが娼館にとって、娼婦は大事な商品。それをあんな酷い扱いするとは……」
それもそうだ。人をモノ扱いするのは気に入らないが、娼館の立場になって考えればそうである。
ならば何かしでかしてしまい、娼館の経営者の怒りを買ったのだろうか。それが原因で折檻されて、命を落とした。
「ねえ、娼館のオーナーか何かに殺されたんじゃ。ほら、何か仕出かしたとかでさ」
しかし、その疑問にもデドルは首を横に振る。
「いや、それも考えにくいですな。あの女性に外傷はありやせんでした。明らかに衰弱した結果命を落としてやす。それに、もし何か不始末しでかしていた者なら、弱るのを待つなんてことをせずに、命を奪えばいいだけですからな」
それもそうよね。今回みたいに逃げられる可能性だってあるわけだし。
「おかしなことが多いわね」
顎に手を当ててうーんと考え込む。
「どうしやす?」
デドルが尋ねてくるが、わざわざ聞いてくることではないだろう。
「もちろん放っておけないわ。もし、他にも同じような目にあっている女性がいるのなら助けてあげたいもの」
あんな悲しみと絶望を抱えて死んでいく人をなくしたい。
「まずは、ジローザの所に行きます」
「ジローザの所ですかい?」
明らかに嫌そうな顔になるデドルである。信頼しつつも腐れ縁。二人の間にもいろいろあるのだろう。ま、彼の事だから何か対価を求めてくるのは間違いないから、そこも心配しているのかもしれないけど。
「ええ。裏のことは裏の人間に聞くのが一番よ」
そう言った時、小屋の入り口が勢いよく開かれる。
「お嬢様! やはり、こちらにおられましたか!」
顔を覗かせたのは、アシリカ。何故だか慌てた様子である。
「お嬢様に来客です」
「来客?」
屋敷に私を突然訪ねてくる人がいるなんて珍しい。シルビアかな?
「はい。殿下が……、殿下が来られております!」
「はい?」
レオが来た? 来るなんて一言も聞いていないけど。
「応接室でお待ちです。お急ぎください!」
ゆっくり驚く暇もなく、私は小屋から引っぱり出された。
突然のレオ訪問に屋敷の中はちょっとした騒ぎとなっていた。そりゃ、いきなり先触れも無しに王太子が来たら慌てるよね。しかも、お父様やお兄様たちは当然だけど、お仕事で不在だしさ。
もう少し気を使えと思いながら、応接室へと駆けこむ。
「おお、リア」
片手を軽く上げ、くつろぐレオに軽い殺意を覚える。
「ああ、リア。待っていたわ」
準備中と部屋に籠っていたことになっていた私が来るまでお母様がレオの相手をしてくれていたようだ。
「申し訳ございません。お待たせ致しました」
お母様の手前、腰を屈めて淑女の礼を取る。
「この子ったら、殿下にお会いするのにおめかしする時間が欲しいなんて」
お母様が微笑ましそうに私を見ている。
アシリカとソージュは、私を探す間レオを待たせるのになんて言い訳をしてくれんだ? 後ろで澄ましている二人を問い詰めたい気持ちをぐっと抑える。問い詰めても、勝手に一人デドルの所に行った私が悪いと逆に怒られるような気がするし。
「今日はどうされましたの?」
お母様の隣に腰を下ろし、睨み付けるようにしてレオに尋ねる。
「う……。い、いや、そのだな。王宮に来てもらってばかりだからな。たまにはこちらからもと思ったのだ」
どうして睨むとばかりに、戸惑いを見せるレオだ。
本当か? そんな発想がこの男に起るなんて信じられない。
レオの背後に控えているフォルクとマルラスを見るが、私と目を合わそうとしない。
「そ、それにだな、義母上ともゆっくり話したかったのだ」
ますます取って付けたような理由だな。そんな焦った顔で言われても信じないよ。本心はなんだ?
「まあ! 義母上とは!」
お母様が嬉しそうに叫ぶ。
「殿下! いつでも大歓迎ですわよ!」
あれ? 信じる人がすぐ横にいたよ。
「おお! それは、ありがたい言葉です、義母上。それと殿下など他人行儀ではなく、レオナルドとお呼びください」
「何とありがたいお言葉でしょう! ああ、息子が一人増えたみたいで嬉しいわ」
お母様が一人大喜びである。
ダメだ。お母様が篭絡されたよ。勝ち誇ったレオの顔に無性に腹が立つ。おい、本当に目的は何なんだ?
テンション高めのお母様と普段からは想像出来ない饒舌ぶりのレオが話に花を咲かせている。
「あら、あまり私ばっかりお話していたら、リアが拗ねてしまうわね。リア、私は少し席を離しますからゆっくりお話してなさいな」
しばらくしてから、気を利かせるつもりかお母様は退出される。
「で、何をしに来られたので?」
お母様が行ったのを確認してから、不機嫌さを隠さずにレオに尋ねる。
「それはだな、冬の長期休暇を終えた時に言っておったではないか」
忘れたのか、と言わんばかりの顔を私に向けてくる。
「屋敷に来られるなんて聞いてませんわ」
いくら私でも、そんな事を言っていたら忘れない。それ以前にレオを屋敷に誘うなんて発想が出てこないしさ。
「世直しだ」
声を小さくするレオ。
「世直し?」
「そうだ。簡単に王宮に知らせられないと言っておったであろう? だから、こちらから来てやったのではないか」
確かにそんな会話をした記憶があるな。
じゃあ、レオが訪ねてきた理由は世直しがあるかないかの確認の為なのか。
「よく、王宮から出る事を許してもらえましたわね」
「ああ。おばあ様にお前に会う為と言ったら簡単に王宮から出させてもらえた」
王太后様がお許しを出されたのか。
「義母上にも気に入ってもらえたし、これで毎日でも来られるな」
満足そうに頷くレオである。
その為にも、お母様にあれだけ媚びを売っていたのか。
そこまでするか……。どれだけ下僕扱いされたいんだ?
「で、今何か世直しをしておるのか?」
レオの問いに今度は私がさっと目を逸らす。
「暗くなる前にそろそろ王宮に帰られては?」
私はあの女性の無念を晴らす為に忙しいんだ。早いところジローザの所に行きたいんだよ。
「そうか。何やらあるようだな。よし、俺も手伝おう。それにな、まだ昼前だぞ。暗くなるまで時間はたっぷりある。さ、まずは詳しい話を聞かせてくれ」
そう言って、身を乗り出すレオだった。
久しぶりのジローザの邸宅。
レオと二人、王都郊外まで遊びに行くとお母様に告げたら、あっさりと外出を許してくれた。それを自分のお陰とばかりにレオがアピールしてくるが、別に裏門を通ればいいだけなんだけどね。
「ん? あんたか。久しぶりだな」
以前も玄関先で私を出迎えてくれた眼鏡の優男が出迎えてくれる。
「こいつは?」
私やアシリカ、ソージュは以前に来たしデドルは元々の知り合いだが、レオは初めてである。
「ああ、下僕よ。そう言えばここに連れてくるのは初めてね。ほら、ハチ、挨拶なさい」
「ハ、ハチです」
一瞬不本意そうな表情を浮かべるものの、すぐに頭を軽く下げる。
うん、レオの従者二人を連れてこなかったのは正解だ。さすがにあの二人も主のこんな姿見たくないだろうしな。それでなくても、最近のレオにお疲れ気味のフォルクとマルラスだからね。
「八チ? 妙な名前だな」
そう言って、レオにさほど関心を示さずすぐに私に向き直る。
「ボスは奥にいるぜ。通りな」
「じゃ、入らせてもらうわね」
玄関を抜け、ジローザの部屋へと続く廊下を進んでいく。
「な、なあ、リア……。ここは何なんだ?」
ピンと張り詰めた独特の空気に包まれるジローザの邸宅の廊下で、不安げにレオが尋ねてくる。
「そうですわね。ま、一言で言えば裏社会を取り仕切るボスの家ですわ」
その返答に立ち止まり、固まるレオ。
「何してますの? 早く行きますわよ」
「い、いや……。知り合いの豊富さに感心するべきか、付き合う相手は選べと注意するべきか、分からなくてな」
まるでテストに難問が出てきたように顔を顰めるレオである。
「深く……、イエ、何も考えないのが一番デス」
「そ、そうか。それが正しいな。ああ、考えない。俺は何も考えない」
ソージュの言葉に頷き、一人ブツブツと言いながら歩き出す。
困ったものよね。今更これくらいで、そんなに驚かれてもね。
「さ、着いたわよ。余計なおしゃべりはお終い」
廊下に一番奥、ジローザの部屋の前に辿り着く。
「ジローザ、私よ。入るわよ」
そう言って扉を開ける。
「おう、小娘。久しぶりじゃねえか」
ジローザも相変わらずドスの効いた声である。
私を小娘と呼ぶ彼にデドルが僅かに眉間に皺を寄せるがそれを愉快そうに眺めるのは変わっていない。
「ええ、久しぶりね」
ジローザの対面にある椅子に腰を下ろしながら、笑みを浮かべる。
「ついに、うちの跡目を継ぐ気になったのか?」
白い顎鬚を撫でながらどこか楽しそうなジローザだ。
「そんなわけないでしょ」
まだ言っているのか。
「ん? 初めて見る顔だな」
ジローザが鋭い視線を背後に立つレオに向ける。
「ああ。下僕よ。去年から私に仕えているの」
レオは戸惑いながらも、ジローザに頭を下げる。
「そうかい。随分と育ちの良さそうな下僕だな。まぁ、いいけどよ。で、小娘。今日は何の用だ?」
「今日は、ちょっと聞きたいことがあってさ」
私はフッガー家からの帰り道にあったことをジローザに話す。途中、あの女性の最後を思い出し、自然と拳を握りしめていた。アシリカとソージュもぎゅっと唇を噛みしめている。
「ほう。そうかい。なら、今回欲しいモンは情報ってわけだな」
ジローザは特に感情を見せることもなく、頷く。
「ええ。それにしても、娼館ってそんなに女性の扱いが悪いものなの?」
話の流れで、ちょっと聞いてみたという感じで尋ねる。
「基本的に娼館にとっちゃあ、娼婦は大事な商品だ。入手方法はいくつかあるが、どれもそれなりの金がかかる。その元手もかかり金を生み出す商品をある程度大事に扱うのは普通のことだ」
商品扱いに引っ掛かるが、やはりそうなのか。でも、あの女性は大切に扱われていたようには見えない。
だったら、尚更酷い扱いをしている娼館はすぐに分かりそうだ。
「そうなんだ。でも、普通はってことはそうでない娼館もあるのかしら?」
さりげなく尋ねる。
「おっと、そこから先は有料だぜ」
ちっ。やっぱり、うまく騙されてくれないか。
「で、何よ? お金?」
「まあ、代金の方は後回しだ。先におめえの知りたがっていることを教えてやる」
あら、随分と気前いいわね。ま、ジローザのことだ。何を言い出すか用心しないといけないけどね。
「三年ほど前に出来た娼館なんだがな。どっから女どもを入手しているかは知らんが、同業のヤツらも驚くほど女の扱いが悪くてな。しかも、女の入れ替わりも激しいらしい。まるで使い捨てのような扱いだな」
ふーん。怪しいわね。
「普通に考えたら、とてもじゃねえが元手を回収出来るようには思えんやり方だ。しかも、よその店より安くてよ。ますます分からねえ」
禿げた頭の古傷をパンと手で叩きながら、ジローザは顔を顰める。
「でよ、そこの店を教えてやる。知りたいんだろ?」
ずいと身を乗り出してくるジローザ。
「そうね、知りたいわ。でも、その前に情報の報酬は何?」
聞く前に交渉をしておいた方が良さそうな気がする。
「そうだな。小娘、おめえが関わるなら、その店はお終いだろ? でも、そこで働く女どもは別だ。代金はその女どもを俺に引き渡せ」
なるほど。普通ならそれなりの金額になる商品をタダで手に入れるつもりなのか。抜け目ないね。しっかりしてるよ。
「分かったわ」
あっさりと頷く私にアシリカとソージュが眉をひそめる。
「でもさ、もしその女性たちを手荒に扱ったり、望まないことをさせるのならば……」
私は鉄扇を取り出し、ジローザに向ける。
「私を敵に回したと思ってね」
ジローザと睨み合う形となる。
「くくっ、やっぱり面白い小娘だ」
ややあってから、ジローザが肩を震わせて笑い出す。
「分かったよ。約束する。おめえには、うちの跡を継いでもらわにゃきゃあ、ならねえからな。俺の代で潰すわけにはいかねえな」
「跡なんか継がないわよ」
鉄扇を仕舞いながら苦笑する。
「そうか? 着飾って澄ました顔で王宮にいるより楽しいと思うがな」
白い顎鬚を撫でながらニヤニヤするジローザである。
「私が大人しくしているとでも?」
「それもそうか」
さっきより大きな声で笑うジローザ。私も一緒に笑う。
そんな私を不安そうに見ているレオだった。