165 シルビアの婚約
それは、シルビアからの手紙がきっかけだった。どうしても家に来て欲しいという手紙。何度かフッガー家の屋敷にお邪魔したことはあるが、今回の手紙からは切実に来て欲しいという思いが伝わってくる。
そこで、次の日に早速向かう事にしたのだが……。
「妻の焼いた菓子にございます。お口にあうかどうか……。なにせ、ツマらんものですから!」
「もうっ、あなたったら、面白すぎますわぁ!」
え? え? 何? もしかして、ダジャレ?
「いえね、ナタリア様。それでも長年連れ添った夫婦です。ほら、証拠にこのカップ。お揃いなんですよ。カップルだけに」
目の前にいるのは、シルビアの父君のブルーノ様と母君のオーフェル様。
さっきから、ブルーの様のダジャレが止まらない。
「ち、父上……」
そんなはしゃぐ両親を冷めた見ているのはシルビアの弟、レジナルド君。十歳という年齢のわりには、しっかりした印象を受ける。
「まあ、お父様ったら。お姉さまに初めてお会いされたので、随分と調子がいいですわね」
姉であるシルビアの方はニコニコと両親を眺めている。
「いや、シルビア。今日は、調子が悪くてちょーしんどいのだがな」
そう返すブルーノ様に声を上げて笑うシルビア一家。ただし、レジナルド君を除く。
「申し訳ございません……」
一人頭を下げるレジナルド君。
「いえ、楽しそうで何よりですわ」
ほほほと口に手を当てて笑える私は気遣いが出来る子だよ。ちょっと、顔が引きつっているかもしれないけど。アシリカとソージュはさっきから能面みたいになって固まっているけどね。
でも、改めて見てみると、いい家族よね。ブルーノ様はややぽっちゃり気味の体形に丸いお顔をされていて、その温厚でサービス精神溢れる性格を表しているみたいだ。
オーフェル様には何度かお目にかかったが、さすがシルビアのお母様だけあって綺麗な人である。そして、シルビアの妖艶さと羨ま……、いや豊かな胸は母親譲りだろう。そして、どこか能天気とも言えるシルビアの性格も母親譲りに違いない。
それにしても……。どうして、一家総出で私を出迎えてくれているのだろうか。何度かお邪魔したけど、初めてである。
「ナタリア様には感謝しております。この子、どこか変わっているでしょ?」
オーフェル様が艶やかな瞳をこちらに向ける。
「いえ、そんなことありませんわ。こちらこそ親しくして頂いてとても嬉しく思っています」
この環境で育ったなら、どこか変わっていても不思議ではないとも思う。
「この子ね、初めて連れてきたお友達がナタリア様でした。それまで、友人がいないとばかりに心配していましたから……」
ああ、それはうちも一緒だね。シルビアがうちに遊びに来てくれた時、お母様、とても喜んでいたもんなぁ。
「いつもこの子は木を気にしている、からね」
「いやだわ、あなた。これ以上笑わせないでくださいな」
ごめんなさい。今のは気づかなかった。こりゃ、片時も油断出来ないな。
「姉上。それよりそろそろ本題に……」
十歳の子供が取り仕切るフッガー家の応接室。
うん、なんとなくレジナルド君がしっかりしているのも納得出来るな。
「そうでしたわ。今日はお姉さまにお願いがありましたの」
お願い?
「ええ。先日、父からある男性を紹介されましたの。婚約者にどうかって」
「婚約!?」
シルビアが? まったくそんな話を聞いていなかったので思わず叫んでしまう。
「私の古い友人の息子さんでしてね。これがなかなかの好青年。シルビアの婚約者にと思いまして」
ブルーノ様の発言には気を抜けない。今のにはダジャレ入ってなかったよね?
「お父様。私はまだ婚約を了承しておりませんわ。お姉さまのお眼鏡にかなった方としか婚約しないと申し上げましたでしょ?」
何、その責任重大な役目は? 確かに、この前のパーティーの時にシルビアに婚約や交際する相手に求める条件は私が認めることって言っていたけどさ。
「シルビアがそう言って聞きませんでして。お手数をお掛けして申し訳ないのですが、ナタリア様にその婚約者候補の男性に是非とも会って頂きたいと……」
なるほど。それが、私が今日に限って一家総出で迎えられた理由か。ん? ということは、今日、その婚約者が来るのか?
「では、相手の方をお呼びしてきますわね」
オーフェル様が控えていた侍女に頷く。
もうすでに来ていたのか……。いいも悪いも、断れないよね。
ややあって扉がノックされる。
多分、今一番緊張しているのは、私のような気がする。
「失礼致します」
入ってきたのは、凛々しい顔をした男性。
「ユアン・シップソンと申します」
第一印象は悪くない。見た目もいいしね。
「シルビア様。またお会いできたこと、嬉しく思います」
そう言って、花束を差し出す様が実に似合っている。
「まあ、ありがとうございます」
受け取ったシルビアが花束を見つめる。その横顔もまた絵になるな。
こりゃ、ポイント高いんじゃないの? 普通ならキザな印象を与えかねない行為だけど、爽やかさとさりげなさでまったくそうは思わない。
「シップソン男爵。今日はわざわざ来て頂いて申し訳ないね」
「いえ。シルビア様に納得して頂いて晴れて正式な婚約者となれるなら……」
ブルーノ様らシルビアの家族にも挨拶を済ませた後、私に視線を向けられる。
「初めまして。ユアン・シップソンと申します。貴女が試験官ですね? 話を聞いて、正直なところ少し羨ましく思いました。こんなにもシルビア様に信頼されているなんて」
そうにっこりと微笑む。
「お初にお目にかかります。ナタリア・サンバルトと申します」
立ち上がり、貴族の礼を取る。
「ナタリア様! これは失礼致しました。サンバルト家のご令嬢、しかも王太子殿下のご婚約者様に軽口を叩いてしましました」
驚きの表情を浮かべて、ユアン様は頭を下げる。
「そんな……。頭を上げてくださいませ」
そんな畏まられてもやりにくいよ。ま、ダジャレを連発されるのもどうかと思うけどさ。
「はっ。では、お言葉に甘えて、もう一言。私は必ずシルビア様にあなた以上に信頼されるようになってみせますから」
いやさ、そんなライバル視しないでよ。
「シルビア……様をそこまで?」
私の言葉に、キリっとしていた顔が真っ赤になる。
「お、お恥ずかしながら……、一目ぼれ、というものであったようで……」
凛々しさから一転して照れたようにはにかむ。
おいおい、このギャップ、ポイント高いよ、やっぱり。レオには無い反応だよね。
「あの、どこに惹かれて?」
どうせなら聞いてみたい。これで、体が……とか言われたら、すぐに鉄扇の出番だけど。
「はい。その澄んだ眼差しにごいます。まるで、その綺麗なお心を表しているようで……。その目に釘付けになりました」
ちらりと一瞬だけシルビアに視線を向けるが、すぐに下を向くユアン様。
「まあ……」
おお、シルビアのいい所を分かっているわね。体より先にその目と心根に思考が向くなんて珍しいくらいよ。
「あのっ、シルビア様!」
ユアン様はそう言うと、突然シルビアの前に跪く。
「その、これを受け取って頂きたい」
取り出されたのは、ペンダント。だが、どこか古めかしい。
「これは、かつて父が母に贈ったものです。当家の紋章を刻んだものです」
ユアン様の家の紋章だろう、盾と狼をモチーフにした紋が刻まれている。その家の紋章が入ったプレゼント。明らかにプロポーズの贈り物である。
その場にいる者皆の視線がシルビアとユアン様に注がれる。
「両親はすでに亡くなりましたが、とても仲が良かった。二人とも幸せでした。私もあなたとそんな夫婦になりたいと思い、これを……」
ポイント、さらにアーップ! いいじゃないのよ。下手に宝石をちりばめられたプレゼントより、よっぽど想いが籠っている。
「当家は男爵家。決して身分は高くありません。ですが、必ずあなたを幸せにしてみせます」
そう言って、両手でペンダントを差し出し頭を垂れる。
シルビアは少し戸惑った様子で私を見る。
なんで、戸惑う? これ以上の男性、なかなかいないと思うよ。
私はゆっくりと頷く。
それにシルビアは、もう一度さっきユアン様から手渡された花束に目を向ける。そんな彼女に早く受け取れとばかりに熱い視線を向けている彼女の両親。
「……ありがとうございます。お受け致します」
シルビアがペンダントを受け取る。
「あ、ありがとうございます!」
破顔した顔を上げるユアン様。
「おお!」
歓声を上げるシルビアの両親と私。
「これから忙しくなるな」
そう冷静に呟いているのは、最年少のレジナルド君。
「では、早速婚約披露パーティーの準備だ! ひろーうい部屋でな!」
「まあ、また、あなたったら!」
喜びをだじゃれで表現しているのだろうか。それとも言いたいだけなのかな。判断が付かない。
「シップソン男爵、いや、ユアン君。娘を頼むよ」
「はい。必ず大切に致します、お義父上様」
そう盛り上がっているユアン様とブルーノ様。
フッガー家に仕える者も皆笑顔を見せている。その中には、カレンさんの姿もある。
そんな中、シルビアが私をじっと見ている。
「おめでとう」
お祝いの言葉を贈る。
「……はい、お姉さま。ありがとうございます」
何か言いたげな目をした後、静かに頭を下げる。
どうしたのかな? 照れているのかしらね。ま、家族や私の目の前でのプロポーズだもんね。そりゃ、照れるよ。
「私は何よりもお姉さまのことを信じておりますから」
頭を上げて真っすぐに私を見てシルビアが呟いた。
フッガー家での歓談は夕方近くまで続いた。婚約が正式に纏まり、前祝いとばかりにちょっとしたホームパーティーの雰囲気だった。そんな中、私は所々で入るブルーノ様のダジャレを最後には的確に把握できるまでになっていた。そして、その頃には一周回って、面白く思えてきたのが不思議である。
夕焼けに染まる空を眺めながら、シルビアの表情を思い返す。
どこか彼女の様子が気になっていた。あまり嬉しそうに見えなかったのだ。
「ねえ、シルビアさ、婚約嬉しくないのかな?」
帰りの馬車の中、アシリカとソージュに尋ねる。
「シルビア様とユアン様もまだ会って間がありません。どこか戸惑いのようなものも感じられているのでは? お嬢様も殿下と初めてお会いになった後は不安な面持ちになっておられましたし」
いや、私の場合はもっと別の深い事情があったからさ。
でも、アシリカの言うことも分からないでもない。この先、ずっと一緒に過ごす相手が親によって決められるのだからね。私みたいな断罪あれこれが無くても、いろいろ考えてしまうよね。
まあ、あのユアン様なら、大丈夫だろう。あの後も一緒にいたけど、半端ない好青年ぶりだったしね。人当りも柔らかくて、朗らか。話も上手で人を楽しませてくれる。まったく……。レオに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ。
しかも、人柄だけではない。ブルーノ様によると、仕事ぶりも真面目で優秀だそうだ。ユアン様は、王立研究所で働いておられる。王立研究所は身分だけで働ける所ではない。極めて優秀な人しか採用されず、様々な研究をしている。そこで、薬学を研究しておられることからも、優れた才能を持っている事が窺える。早くにご両親を病で亡くされたことから、薬学に興味を持ち研究に打ち込まれているという所も好印象である。
まったく非の打ち所がない人だね。
大丈夫。きっとシルビアを幸せにしてくれるに違いない。時間が経ち、もっと打ち解けることが出来れば、彼女もこの婚約を喜べるはずだ。
そう一人頷いていた時、馬車が軋む音を立てながら急に止まる。
「デドル?」
揺れる馬車の中で体を支えながら、御者台のデドルへと声を掛ける。
「申し訳ありやせん。人が倒れているようで……」
御者台から、申し訳なさそうに顔を覗かせたデドルが斜め後ろを指差す。
「人が?」
場所は、ちょうど平民街を抜け、貴族街に差し掛かった辺り。
デドルの指差した所に確かに人が倒れている。すぐに馬車から降りて、その人の元へと駆けつける。
「大丈夫ですか!?」
倒れていたのは、女性だ。しかし、その体は痩せ細り腕なんか折れてしまいそうなほど細くなってしまっている。
「息はあるようですが……」
女性の上半身を抱き起して、アシリカが顔を曇らせる。
確かに息はあるが、もうすでに虫の息だ。唇がカサカサとなり、目も虚ろで視線が彷徨っている。衰弱しきっており、今にもその命が消えそうなのは一目瞭然だ。
「あ……、も……」
掠れた声、というか呻きだ。
「どうしたの? 大丈夫、側にいるから」
女性の隣にしゃがみ、そっと手を握りしめて顔を覗き込む。せめて一人寂しくではなく、側にいてあげたい。
「い、いや……だ……」
最後の力を振り絞るように訴えかけてくる。
「も、う……、お、男の……人、相手……、いや……だ」
男の人の相手が嫌?
女性の恰好を改めてよく見てみる。色褪せて随分と汚れているが、薄着すぎる。いや、薄着どころの話じゃない。いくら何でも露出が多すぎる。
まさか、男の人の相手って……。
「わ、私、モノ……、じゃ、な……い」
それが最後の言葉だった。一筋涙を流して、目から光を失う。この涙は悲しみの涙だろか。それとも、悔しさだろうか。
私はそっと、女性の手を握る。細く骨と皮しかないような手だ。
この人に何があったかは分からない。でも、苦しんで、世の中に絶望を感じながら生を終えたのは分かる。
己の無力さを痛烈に感じながら、熱を失っていくその手を握りしめていた。