164 第二王子
春休みに入った。冬休みから二カ月も経っていないせいか、どことなくせわしさを感じる。
そして、冬休みの二日目、私は王宮に来ていた。王太后様から誘われたのだ。もちろん、喜んでお誘いを受けていた。
「すっかり大人になりましたね」
王太后様が私の姿に目を細められる。
「いえ、そんな……」
そうなのかな? 確かに最近胸の辺りも成長してきてると思っていたのよね。
「中身はあまり変わってないようだがな」
ニヤニヤ笑うレオだ。テーブルの下で足蹴にしてやろうか?
「そんなことありませんよ。女性は内面の成長と共に美しくなっていくものなのですよ」
そうですよね、女の美は内側から滲み出るものですよね。
「ところで、レオも学院での生活もあと一年を残すのみとなりました。ナタリアはまだ二年ありますが」
王太后様が真剣な表情となる。
「二年という月日はあっという間です。そろそろ二人の婚姻を進めねばなりませんね」
婚姻を進める? いや、婚約はしてるけどそんなに急ぐものなの?
「おばあ様? 父上からは、卒業してから三年は政務に集中するように言われていますが?」
レオにしても意外な話だったみたいだ。
「陛下には、私が話します。レオには早くナタリアと結ばれて欲しいのです」
どうされたのだろうか? レオの言う通り、卒業後しばらくは王太子として学ぶべきことや実際に政務を執り経験を積むことを優先すべきである。過去の例からも卒業してすぐに結婚などなかったはずだ。
王太后様は何を焦っておられるのだろうか?
ま、まさか、どこか体がお悪いとか? それで孫であるレオの結婚を見たいと思って……。
レオも私と同じ考えに至ったのか、王太后様を不安な眼差しで見つめる。
「ごめんなさい。どうやら二人に余計な心配をさせてしまったようですね」
私とレオの様子から考えていることを察したようで慌てて王太后様は、首を横に振る。
「大丈夫ですよ。どこも悪いところはありません。元気ですから心配入りません」
その王太后様の言葉にほっとする。
「いえね、サンバルト卿にお孫さんが生まれるお話を伺って、曾孫の顔を見たいと思っただけです」
王太后様は、柔らかい笑顔を見せる。
「おばあさま……、あまり驚かせないでください」
レオは安堵の色を顔に浮かべながらも、眉間に皺を寄せる。
「ごめんなさいね、レオ。でも、二人が正式に夫婦となる日が一日でも早く来て欲しいのです」
「曾孫を見たいという理由だけで、父上を説得できるはずありませんよ」
レオの言葉はもっともである。
「王太后様、レオ様には将来立派な王となって頂く為にも政務に集中し、経験を積む時間も必要でございましょう」
断罪も嫌だが、王宮暮らしも嫌だ――。そんな本音を口にできるはずない。
「そ、そうよね。二人の言う通りです。でも、今の話、少しでもいいですから覚えておいてくださいね」
そうおっしゃる王太后様。
やはりどこか、何かに焦っているように感じて仕方ない私だった。
王太后様とレオとのお茶会も終わり、馬車へと向かっていた。
春が近づき、木々が色づき始めている。
普段なら、もっと近くまで馬車で迎えにきてもらうのだが、その春が近づいてきている景色を眺めながらのんびりと歩いていくことにしていた。
しかし、こうやって歩いていると、改めて王宮の広大さを感じる。すでに二つの門を抜けて結構な距離を歩いたはずだが、次にある門を潜ってようやく王族のプライベートなエリアが終わる。
ちなみに最初の門の内側が国王陛下の家族が暮らしている邸宅がある。邸宅というより宮殿か。もちろん、レオもそこで暮らしており、いつもお茶会で使う中庭もその宮殿の中だ。宮殿をダル為の最初の門を出た所が、王太后様や王弟であるデール様が暮らしているエリア。さらに二つ目の門を抜けた所に庭園が広がり王族の憩いの場としても使われている。私が以前に忍び込んだ王宮図書館もここにある。
間もなく見えてくる門を超えた先に政庁が並んでおり、王国の政治の中枢である。きっと今頃、お父様やエリックお兄様もそこで仕事に励んでいるに違いない。
「本当に綺麗ですね。屋敷の庭も美しいですが、やはり王宮は規模が違います」
景色に目をやり、アシリカが感嘆の声を出している。
「そうね……」
そう頷くが、こっそりと抜け出すのは至難の業だな、と密かに考えていたなんて口が裂けても言えない。
「デモ、数年後にはここでお嬢様も暮らしておられるのデスネ」
ソージュが感慨深そうに周囲を見渡している。
「……そうなるのかしらね」
うん、それを考えると憂鬱になるよ。
思わずため息を吐いてしまいそうになる私の視界の端で、草木が不自然に揺れている。
立ち止まり、よく見てみると一人の男の子がいる。どうやら隠れているつもりのようだが、こちらから丸見えである。
そのせいで、ばっちりと私と目が合う。この顔、見覚えがある。第二王子だ。
最後にパーティーで見たのは二年以上前だから、その時より大きくなっているが間違いない。
「えーと……」
こんな所で何しているのかしら? しかも、見たところ一人みたいだし。
「う……」
本人も私に見つかったのを自覚したのか、立ち上がり姿を現わす。
「そちは、何者だ?」
さすが、王子。随分と偉そうな態度だ。でも、私の顔を覚えてはいないみたいね。ま、最後に会ったのは彼がまだ六歳か七歳くらいだったもんな。しかも、会話もしたことないしね。
「ナタリア・サンバルトにございます」
腰を屈め、王族への敬意を示す。私に倣い、アシリカとソージュも頭を垂れている。
「ナタリア・サンバルト? レオナルド兄上のご婚約者か! 私は、第二王子のロレンスだ」
あれから随分と大きくなったみたいだな。十歳くらいだと思うけど、態度は一人前だね。
「やはりロレンス王子にございましたか。しかし、このような所でお一人にございますか?」
いくら何でも一人でここまで来たとは思えない。しかし、周囲に従者や護衛らしき人物は見当たらない。
「うむ。母上と庭園の散策に来ておってな」
「そうでございましたか。それで王妃様は?」
私の問いにフンと鼻を鳴らし、目を逸らす。
もしかして、迷子か? なら、今頃騒ぎにでもなっているんじゃ……。
「失礼にございますが、王子。もしや、王妃様とはぐれて迷われ――」
「迷ってなどおらん!」
私の声を遮り、頬を膨らませる。
ああ、迷子になったなんて、恥ずかしいんだな。この辺、幼いなりにもプライドがあるのかもしれないね。自宅で迷子ってことだからね。ま、規模がデカすぎる自宅だからしょうがないと思うけどね。
仕方ない。さりげなく救いの手を差し伸べてやるか。
「王子。お願いがあるのですが……」
「お願い?」
再び私に視線を戻すロレンス王子が首を傾げる。
「はい。私、今から帰る途中なのですが、この道で合っているか心配にございまして。もし、よろしかったら、次の門までご一緒して頂けませんか?」
門には必ず衛兵がいる。そこで王子を引き渡せば王妃様の元に送り届けてくれるだろう。
「む。仕方ないな。レオナルド兄上のご婚約者の頼みだ。断わるわけにもいかんな。よし、分かった。付いていってやろう」
ふふ。生意気そうな態度が逆に可愛いな。
ロレンス王子と並び歩き始める。
「ロレンス王子。レオ様……、兄上様とはどんな話をされますの?」
あのレオ、この弟とどんな会話をするのだろうか?
「兄上とか……。あまり話さぬ」
少し言いにくそうに俯くロレンス王子。
「え? 話さない?」
「うむ。学院に通われる前からも一緒に食事をすることも滅多になかった。それに二人だけになったこともないな」
一緒に暮らしているのに? 母親が違うとはいえ、兄弟なのに?
「……私は兄上に嫌われておるのだろうか?」
唐突なロレンス王子の寂しいそうな呟き。
「そんなはずありませんわ」
すぐに否定する。確かにレオは不愛想な所がある。特に初めて出会った頃はムカつくくらい酷かった。でも、今はかなり人間らしくなったと思う。友人と一緒に笑い、自分の気持ちを表現するようになった。
「そうだろうか? 私の気のせいか? 兄上から私のことを何か聞いておらんか?」
立ち止まり、私を見上げるロレンス王子の目に不安と疑心が入り混じっている。
「ご心配には及びません」
しゃがみ込み、目線の高さをロレンス王子に合わせる。
「レオ様は気難しいところもあります。感情を見せるのも苦手な方です。ですが、心根は人一倍お優しい方にございます。そんな方が弟君のロレンス王子を厭うなどなさるはずありません」
本人には絶対に聞かせたくないが、これは出まかせではない。たまにその行動にイラついたり、度を超す負けず嫌いにうんざりすることもあるけどね。それでも、悪い人間ではない。普通に会話するようになってから嫌いと思ったことは一度も無い。
「……そうか。ならば、その言葉信じよう」
ロレンス王子は一つ頷き、私を置いて歩き始める。
「ありがとうございます」
立ち上がり私もロレンス王子の一歩後ろを付いていく。
「学院とはどんな所なのだ? 兄上はどのように過ごされておるのだ? 兄上とはどんなことを話すのだ?」
普段レオの話題が出てこないのだろうか。盛んにレオに関することを尋ねられる。
私はレオの学院での生活を教えてあげる。兄としての尊厳を傷つけない程度に。
「あの兄上が、そこまで雪合戦に?」
雪合戦でのレオの勝利への執念を話してやると、信じられないという顔になるロレンス王子。
もっと信じられないこともあるけどね。例えば、鶏と一緒に寝るくらい溺愛しているとか。これは言わないであげよう。だって、ちょっと引くくらいの溺愛ぶりだからね。
「ロレンス!」
目を丸くして兄であるレオの学院での生活ぶりに驚いているロレンス王子を呼ぶ女性の声がする。
振り変えると、王妃様が立っておられる。その後ろでは多くの侍女や警備の者も控えている。
慌てて跪き、臣下の礼を取る。
だが、そんな私に何も言わずに、一直線にロレンス王子を抱きしめる。
「どこに行っていたのですか! この母がどれだけ心配したことか」
やはり迷子だったか。
「ご、ご心配おかけしました。母上」
しゅんとなり謝るロレンス王子に先ほどまでの生意気な態度がまったく無い。
「ナタリア嬢?」
王子の安全を確認し終えた王妃様がようやく私の存在に気付く。
「はい。王妃様。ついさきほどロレンス王子とお会いしまして」
顔を上げ答える。
「……そうでしたか」
跪く私を見る目から親しみは感じられない。自分の背後に守る様にしてロレンス王子の前に立ち、警戒心を漲らせているようにも感じる。
「何をしておったのですか?」
問い詰めるような王妃様の声色である。
「母上。迷子になっておったそうなので、ロレンスが案内しておりました」
私が答える前にロレンス王子が母親の背中に言った。
「案内……」
ちらりと後ろのロレンス王子を見てから、もう一度私の顔を見る。
「ロレンスに道案内ですか。さすがは王太子殿下のご婚約者にしてサンバルト公爵家のご令嬢ということですね。第二王子など、格下であると?」
冷たい視線を向けてくる。
「い、いえ。決してそのようなつもりは……」
とんだ言いがかりだと思うが、相手は王妃様。下手にでる以外にない。
「あの、母上、決してそのような……」
「ロレンス、あなたはもっと王子、王族としての自覚を持たれませんと」
おそらく私を庇おうとしてくれたロレンス王子だったが、眉間に皺を寄せる王妃様に黙り込む。
「まったく。そのような不敬を目にしながら侍女たちは何をしておったのやら」
王妃様の冷たい視線はアシリカとソージュにまで向けられる。
「申し訳ございません。我ら侍女が王宮内に不慣れなゆえ。すべての責は我ら侍女に――」
「無礼者! いつ発言を許しました? 侍女が口出しするとは、何事か!」
王妃様の鋭い一喝。
いや、今のは完全にアシリカとソージュに話を振っていたじゃないか。
「王妃様、申し訳ありません。この者には後できつく叱りますのでどうかご容赦を」
腹立たしいが、ここは頭を下げるしかない。
「サンバルト家はこの私を見下しておるのですか? そうとしか思えない所業。いいえ、私だけでなくこの第二王子たるロレンスまでを」
怒りに染まる顔の王妃様の後ろで、ロレンス王子が俯き小さくなっている。
「そんなつもりはありません。どうかお許しくださいませ。この通りにございます」
地面に額を着ける勢いで謝罪する。
「まあよいでしょう。貴女は王太子殿下のご婚約者。事を荒立てるつもりは毛頭ありません。そうですね、その侍女の言う通り責はその者にとってもらいましょう」
王妃様の冷たい視線がアシリカに向けられる。
「責、とは、いかような?」
「命までは奪いません。国外追放くらいで許しましょう」
国外追放? アシリカを? もう我慢ならない。よし、喧嘩だ。先に売ってきたのはそっちだからな。アシリカやソージュと引き離そうとするなら、その喧嘩、買ってやる。
ゆっくりと顔を上げ、王妃様をじっと見つめる。
「な、何ですか、その目は?」
殺気の籠った目に王妃様がたじろく。
「侍女の責は主の責にございます。その責は主であるこの私が取るべきかと。すぐに国王陛下にお目通り願い、処罰をこの身に受けようと思います」
私はすっと立ち上がる。
「へ、陛下に?」
王妃様の声が裏返っている。
「はい。国王陛下に白ユリの紋章をお返しします。そして、王都から離れ、どこか遠くに去り静かに余生を過ごしたいと思います」
これ、よくよく考えれば、悪くない案にも思えるな。いや、むしろ私にしたらいいこと尽くしな気もする。周りにはすごい迷惑を掛けちゃうけど。
「お、お待ちなさい。そんなこと許されるとでも?」
王妃様の目が泳ぎ、明らかに動揺している。
「私は殿下の弟君であるロレンス王子と親しくなりたいと思っただけにござます。ですが、私が至らぬばかりにそれが無礼、不敬と王妃様にお叱りを受けました。王太子殿下の婚約者たる者として相応しくございません」
言外に、ロレンス王子を見下すつもりなどなかった、そして王妃様、あなたが理由ですよ、と滲ませる。
「お、お忙しい陛下の手を煩わせるなどなりません」
さっきまでの気迫はどこへやら、急に弱気な王妃様である。たぶん、ご自身でもロレンス王子が迷子になっていて、それを私が保護していたのを分かっているのだろう。
じゃあ、これが、世に言う嫁いびりってやつか? まだ嫁になってないけど。
「ならば、まずは王太后様に」
だからといって、引き下がらないよ。ほら、私悪役令嬢だから性格悪いしね。それに、喧嘩を売ってきたのはそっちだからね。
「王太后様にですって!」
王妃様の顔色が変わる。
「ああ、両親にも報告せなばなりませんね。侍女の一人をすぐに使いに出しましょう。では、王妃様、数々のご無礼申し訳ございませんでした。罰はこの身でしっかりと受けますので……」
話は終わりとばかりに、腰を落とし頭を垂れて辞去の礼を取る。
「も、もうよいっ!」
どんどん顔色が悪くなっていた王妃様が叫ぶ。
「今日の所は何も無かったことでかまいません。ロレンスも疲れております。早く部屋で休ませてやりたいので、もう終わりです」
王妃様の何も無かった宣言。貴族特有の解決方法ね。
「よいですね、何もありませんでしたからねっ」
捨て台詞のようにそう言い残し、王妃様が多くの侍女を引き連れ去っていく。
ロレンス王子は、母である王妃様に手を引かれながら俯いていた。
「ふう……」
王妃様の姿が見えなくなり、大きく息を吐き出す。
「申し訳ございませんでした、お嬢様」
アシリカが泣きそうな顔になっている。
「何でアシリカが謝るのよ? 何も悪いことしてないじゃないのよ」
「しかし、私が軽率に口を開いたばっかりにお嬢様にこのような汚れを……」
アシリカが私の額に着いた土をそっと拭き取ってくれる。
「大丈夫よ。それにしても……」
私は王妃様たちが去っていた王宮の奥へと続く道を眺める。
「いろいろと大変かもね」
さっきまで綺麗だった景色が少し変わったように感じる私だった。