163 一年
無事、学年末の試験も終わる。
結果は、平均点を大幅に超えた教科もあった。夏休み前の試験から比べたら随分と成長したと思う。これも早朝稽古の後の勉強に付き合ってくれているレオに感謝せなばならない。
学年末の試験が終わり、次に迎えた行事が卒業式。その式を終えた夜に開かれている卒業パーティーの真っ最中である。
そう、いわゆる断罪イベントが発生するパーティーである。もちろん、起きたとしても一年後の話だけれども。鶏のジョセフィーヌがヒロインじゃなかったらね。
こんな冗談を思えるほどに私の中では覚悟が出来ていた。諦めの覚悟ではない。絶対に断罪を回避してやるという覚悟が、である。
来年の下見、というわけではないが、出席が義務付けられているパーティーなのでレオのエスコートの元、参加していた。
卒業のお祝い、ということで堅苦しい雰囲気はない。ダンスに興じる者、歓談を楽しむ者、それぞれがこの祝いの場を楽しんでいる。
そんな光景を眺めている私の隣にはレオが立っていた。アシリカとソージュは、少し離れた場所から私たちを見守っている。
「リアが入学してから来月で一年か。早いものだな」
「そうですわね」
確かに言われてみればあっという間だったな。
「いろいろあったな……」
しみじみと語るレオだが、脳裏にはどんな思い出が浮かんでいるのだろうか。少なくとも私に下僕扱いされるとは思ってもいなかっただろうけど。
「だから、楽しいのではなくて?」
辛いことや悲しいこともあったけど、決して悪い一年ではなかった。
「まあな」
納得顔でレオも頷く。
「いやあ、殿下、参りましたよ」
そう言いながらも、まったく参ったという顔ではないケイスがやってくる。その後方には、十人あまりの女性陣。彼を囲んでいた女性たちである。私がいるせいか、一定の距離を保ってこちらを見ている。話しかけてくる勇者はいないようだ。
「とても、その言葉を素直に受け止められない顔だがな」
レオが苦笑してケイスを迎える。
「そんなことございませんよ」
おどけた様子で返すケイスである。
「ん? あっちからも何やら来たようだな……」
レオが視線を向けた先から同じように女性から囲まれたライドンがやってくる。
「殿下。こちらにおられましたか」
ライドンが逃げるようにして私たちの元に小走りでやってきた。彼が引き連れていた女性たちは、またしても側まで来ることなく、遠巻きにこちらを伺っている。
「いやいや、参りました。だからパーティーの類は苦手なのです」
ケイスと違い、ライドンの方は本当に困った顔である。
この二人は攻略対象者だけあって、もちろん見た目に不足はない。だが、レオと違うのは婚約者がいないこと。将来有望で見た目も最高とあれば、まだ婚約前の令嬢から見れば超が付くほどの優良物件だろうな。群がるのも分からないではない。
「ならば、早い所婚約すればよいのに」
レオが顔を顰めている。
「そうしたいのはやまやまなのですが、なかなか良い方がおらずでして。その点、殿下が羨ましい」
嘘ばっかり。ケイスには、本当は幼い頃から好きな人がいるのだ。二つ年上の女性である。しかし、その女性は彼の兄の婚約者。その人からは弟としてしか見られていない。どうしようもないと頭では理解しつつも諦められない彼の気持ちを溶かしてあげるのがヒロイン。ケイスはヒロインと接するうちに、兄の婚約者への想いが憧れだったことに気付くのだ。そして、本当に人を愛するということをヒロインを通して知ることになる。
「立派な騎士になるまでは、婚約せぬと決めておりますので」
こっちも嘘。ライドンは確かに剣術にも優れ見た目も偉丈夫だ。だが、その実は己に自信を持てずにコンプレックスの塊だ。比較する相手は騎士団長である父親。あまりに偉大すぎる父親と彼生来の生真面目さが悪い方向に作用したのだ。そのコンプレックスを解きほぐすのは、もちろんヒロイン。誰も気づいていない彼のコンプレックスを見抜き彼自身の良さを認識させてあげる。そして、そんな彼女にいつしか恋に落ちる。
「では、諦めるしかないな」
「殿下、それは冷たいのではありませんか?」
「そうにございます。何かいい知恵を授けてくれるのを期待しておりますのに」
悪戯っぽく笑うレオにケイスとライドンが口を尖らせる。
こうやって見ていると、この三人がいい関係を築いているのがよく分かる。男同士の友情を感じるな。
「あれは、確か……」
ケイスやライドンほどではないが、数人の女性から囲まれて困惑の表情をしたオーランドがいた。
滅多にパーティーに出ない彼でも参加必須のこのパーティーには出ざるを得ないものね。
高い魔術の力への二人の兄からの嫉妬という名の虐待、高位貴族からの妬み。それらから自らを守る為に世の中に反発し、孤高を貫く。でも、その彼が何故に女性に囲まれているのかしらね。
「殿下とご一緒に魔術学園との雪合戦に出てから、どうやら密かに人気があるようですね」
ちょっと悔しそうなケイスだ。だったら、寒いと嫌がらずに参加すれば良かったのに。
孤高を貫いていた彼だが、ヒロインに出会うことで人と触れうこと、世の中には信じられるものもあることを知るオーランド。そして、言うまでもなく恋に落ちる。
こう考えれば、ヒロイン、すごいな。
しかも、来年入学してくるヒロインの同級生にも攻略対象者がいる。その彼も、当たり前のようにヒロインを愛するようになるのだ。
ヒロイン、一体、何者だ?
私も重点取締対象者だから、同じ対象者のよしみで攻略してくれないかな。
「うーん。こうなったら、男性で誰が一番人気なのか知りたくなりますね」
ケイスが手を顎に当てて、唸る。
「俺は興味ないな……」
「それは、殿下には、ナタリア嬢という素晴らしく愉快な女性が側におられるからです」
えっと、さりげなく私を馬鹿にしてない? 素晴らしい女性じゃなくて、素晴らしく愉快な女性って……。
「いや、俺も興味ないがな」
ライドンもレオに同調する。
ちなみに私も興味はない。
「おいおい、ライドン。よく考えろ。騎士になるのだろう? だったら、女性から支持のある騎士の方がよくないか?」
「それはどうしてだ?」
ライドンが首を傾げる。
「花があるからに決まっているじゃないか」
自信満々でケイスがビシッとライドンを指差す。
さすがにレオもライドンも呆れた眼差しで一人盛り上がっているケイスを眺めている。もちろん、私もである。
「まあまあ、ちょっとした余興ですよ。ちなみにナタリア嬢に尋ねますが、この学院でどの男性がいいと思われますか?」
「私が答えるのですか?」
これはとんだ飛び火だ。
はっきり言って、いない。
「もちろん、殿下だということはお二人の仲睦まじさからはよく存じています。ですので、単純に顔だけで選ぶとしたら、という条件でお願いしたい」
「顔だけで選ぶ?」
顔だけって言われてもさぁ。それに、仲睦まじいってどこをどう見たらそう思えるのかしらね。
「ええ。その人の内面は置いておいて、あくまで顔、見た目だけで選ぶとしたらです」
「え、ええ……?」
困惑の眼差しをレオに向ける。すると、何故か期待の籠った目をこちらに向けている。
おい、興味ないと言いながらきっちり参戦するのか?
本当にとんだもらい事故にあった気分だよ。
「そ、そうですわね……」
まあ、レオと答えるのが無難なのは間違いない。しかし、それも癪に障る。しかも、この期待の籠った目を見たら尚更だ。変にこの事を後から持ち出されても嫌だしな。
じゃあ、ケイスかライドンか?
いや、この妙な状況を作り出したケイスは論外だ。なら、ライドン?
ライドンをちらりと横目で見ると、そわそわとしている。ダメだ。こっちもレオとたいして変わらない。
男って、そんなにかっこいいと言われたいものなの? めんどくさいな。
「あの、学院にいる殿方で、ということにございますよね?」
「ええ、そうです。おっ。もしや、ナタリア嬢は生徒でなく教師の中に?」
ほんと、ケイスは楽しそうだな。
「リ、リア?」
レオが俺ではないのかといった顔で不服そうに声を出している。
「では、お答えしますわね」
三人がじっと私を見つめる。
「ムサシですわね。あの子が一番凛々しい顔をしておりますわ」
ムサシも学院にいる殿方だよね。
最近のムサシは成長からか、可愛らしさだけでなく、凛々しさも出てきたもの。
「ムサシときましたかあ」
やられたとばかりに手を顔に当てケイスが笑う。
「そ、それならジョセフィーヌも最近、女性らしくなってきたぞ」
レオが訳の分からない対抗心を出してきているな。ペット自慢のつもりかしらね。でも、鶏の女性らしさって、どんなだ?
「うーむ、確かにムサシは可愛い。あれには勝てんな」
あら、ライドンって動物好きだったのか。
三者三様の反応だが、やはり女性からの人気を気にするものだんだね。
ああ、でも、ムサシに会いたくなったわね。ちゃんと、お利口さんにお留守番しているかしらね。
ムサシのことを考えている私の目にシルビアが見える。一人、パーティー会場であるホールから庭園へと続くテラスへと向かっているようだ。
また、木でも見に行くつもりかしらね。
「レオ様、ちょっとシルビアの所に行ってまいりますわ」
これ以上、馬鹿な話に付き合っているのもね。
「そうか、なら俺も……」
「いえ、レオ様はこちらでケイス様やライドン様と楽しんでおられませ」
付いてこようとするレオを制する。そもそも、何で付いてこようとするのかしらね。
「いや、しかしだな……」
何かしでかさないか不安なのかな? 一応、婚約者だし、私が何かしでかせばそれはレオへの評判に繋がるとでも思っているのだろか。
「大丈夫ですわ。アシリカとソージュもいますから」
学院の中まで高位貴族の令嬢が侍女を連れている一番の理由は警護の為である。しかし私の場合、お目付け役と言った方が正しいからね。何があっても付いてくるだろうしさ。
渋るレオに一礼し、シルビアの後を追う。
テラスに出ると、急に静かになる。微かにホールから聞こえてくる音楽が心地よいBGMに感じる。
テラスから少し離れた所で空を見上げているシルビアを見つける。
「シルビア」
「お姉さま!」
声を掛けられたシルビアが振り返り微笑んでいる。
月明りに照らされたその顔は益々妖艶さを増してきたようだ。
「何してるの?」
「はい。空を見ておりました」
へー。今日は木じゃなくて、空なんだ。
シルビアの横に並び、私も夜空を見上げる。
無数の星がきらめいている。じっと見ていると吸い込まれそうな感じになってくる。でも、悪い感覚じゃない。
「お姉さま」
シルビアが呼びかける。
「何?」
「私の持っている不思議な力、気味が悪いとは思いませんか?」
夜空から視線を離し、シルビアを見る。彼女はじっと見上げたままだ。
「いいえ。一度も思ったことないわ。そんなこと、いうヤツがいるの?」
そんなヤツには、私の悪役ぶりをたっぷり味合わせてやる。
「いいえ。おりませんわ。そもそも知っている方がほとんどおられませんから」
殺気がこぼれ出たのを感じたのか、シルビアが私の方へと顔を向けて首を横に振る。
「シルビアの力に何度助けてもらったと思ってるの? これでもシルビアには感謝しているのよ。もっと自分の力に自信を持っていいと思うよ」
私にしたら、こんな私に付き合ってくれることの方が不思議だしさ。
「ふふ。ありがとうございます」
初めて会った時よりも数段力を増した妖艶な笑みだ。こんなにも妖艶なのに、シルビアに言い寄ってくる男がいないのも不思議よね。ま、本人が男性より木だから気付いてないだけかもしれないけどね。
あっ、そうだ。せっかくだからシルビアにもさっきのケイスの質問をしてみようかしらね。
「ね、シルビア。この学院でさ、どの男性が一番いいと思う?」
「そうですね……」
うーん、と顎に手を当ててシルビアが考え込む。
「そう、誰がいいと思う?」
思い返せば、シルビアの男性の好みって聞いたことがない。
「そのようなことを考えたことがありませんので、すぐには思い浮かびません。ですが、いいと思った方に対して一つだけ条件がありますね」
条件? まあ、シルビアは美人でスタイルもいいから、それくらいのことなら許されるよね。
「どんな条件?」
シルビアが身分に拘るとも思えないし、お金に執着もなさそうだし。一生愛してくれる人とかの乙女な条件かな?
「はい。お姉さまに認められる方にございます。それが唯一の条件です」
「え? 私に認められる?」
意外な条件に驚いてしまう。
「そうです。お姉さまに認められた方なら、きっと立派な方でしょうから」
そう言ってから、妖艶な微笑みを浮かべて再び空を見上げるシルビア。
いや、そこまで買ってくれるのは嬉しいけど、プレッシャーにも感じるな。そこまで人を見る目に自信がないよ。
もし、シルビアが婚約なり好きな人が出来るなりしたら、徹底的にその人を調べ上げなければと思う私だった。