161 今守るべきもの
夏休みの休暇中にディーガス伯爵親子でアルマさんが住んでいた町を訪れたらしい。目的は狩猟。ディーガス伯爵は弓の名手だそうだが、その弓での狩猟を趣味としている。
森に入り狩猟を始めたのはいいが、薬草の採取にその森を訪れていたアルマさんの旦那さんを誤って射てしまったそうだ。すぐに助けてあげればいいもをそのまま放っておかれた。
帰ってこない旦那さんを心配して森へと探しにきたアルマさんに見つけられたものの、長時間放っておかれたせいもあり翌日には亡くなってしまう。
意識が朦朧となりつつある旦那さんから森であったことを聞いたアルマさんが役所に被害を訴え出たそうだが、相手にされず。ならばと、森で狩猟をして人物を探し当てて、改めて役所に訴え出たそうだ。しかし、結果は一緒。いや、それ以上に酷い扱いを受けることになる。
名指しされたディーガス伯爵家側の主張。それは、森で盗賊に襲われた、それに反撃した、というものだった。つまり、アルマさんの旦那さんを盗賊扱いしたのだ。
もちろんアルマさんは必死に否定したそうだが、信じてもらえず。
軍の高官である貴族の主張と平民の主張。役所の人間がどちらの言葉を信じるか、いや、どちらに付くかは明白である。
「そんなことが……」
胸が締め付けられる。
アルマさんは悲しみと悔しさで一杯だったに違いない。いや、今でもだ。それに旦那さんもまだ幼いジェナを遺して無念だっただろうに。
「酷い……」
アシリカが口に手を当て、深く眉間に皺を刻ませている。その横でソージュもぎゅっと拳を握り締めている。
「このエルカディアで心機一転母娘で頑張っていかれると思っていましたが……」
ヘクターさんもまさかアルマさんが復讐を遂げる為に帰ってきたとは思ってもいなかったのだろう。
「昔から思い込んだら真っすぐな方でございました。だからこそ、イリス様のお気持ちは痛いほど理解しているつもりです。しかし、まだ幼いジェナ様のことを考えると……」
苦痛に歪む顔で、ヘクターさんが唇を噛みしめる。
侯爵家の令嬢という立場を投げうってでも一緒になりたかった人だ。どれだけ彼女にとって大切な人だったかは分かる。仇を討ちたいという気持ちも分かる。でも、それをしたら、間違いなくジェナは一人になってしまう。
ヘクターさんも苦しい立場だ。私も苦しい。だって、彼女に苦しみや悲しみが嫌になるほど分かるからさ。
「このような事をあなた様にお願いするのは筋違いだと重々承知しております。ですが、どうか、お願いします。コウド学院でイリス様が妙な行動をされないようお気にかけて頂けたらと」
その場に土下座してヘクターさんが頼み込んでくる。
「止めてください。どうか頭を上げてください」
私は慌ててヘクターさんを起こす。
「頼まれずともそうするつもりです。必ずアルマさんと亡くなった旦那さんのの無念を晴らし、ジェナも一人にさせません」
決意を込めてヘクターさんに告げる。
「無念を晴らすですと? いくら何でもそこまでは望めません……」
ヘクターさんが悔しそうに首を振る。
まあ、半年以上前の出来事。相手は軍の高官で伯爵家。確かに難しいかもしれない。でも、私は諦めるわけにはいかないのだ。
「権力や暴力に怯え、理不尽に虐げられている者を助ける。それが私の信念です」
その言葉に唖然となるヘクターさんである。
「この紋章に誓って」
鉄扇を開く。
「白ユリ! で、では、あなた様は……!」
一転して驚愕の表情でヘクターさんが叫ぶ。
「ええ。ナタリア・サンバルトです。マリシス様にはお世話になっております。そのマリシス様の娘さんとお孫さんの為。力添えするのは当然です」
「お嬢様にお任せを」
アシリカの言葉にも力が籠っている。相当立腹しているのだろう。
「絶対、許さないデス」
ソージュも怒りに満ちた目だ。
「では、何かありましたら、遠慮せずに私に知らせてください」
「は、はい……」
半ば呆然となりながらヘクターさんが頷く。
まずは、アルマさんの旦那さんが亡くなった状況の再確認ね。申し訳ないが、デドルには明日から当時アルマさんの住んでいた町に行ってもらおう。その間アルマさんが敵討ちをしないようにしないとね。今下手に手をだせば、アルマさんがただ貴族に襲い掛かっただけの犯罪者になってしまう。
「アシリカ、ソージュ。頼むわよ」
私の言葉に力強く頷くアシリカとソージュだった。
だが、その翌日事態が大きく動く。
朝稽古に向かう私の前に現れたのは顔を真っ青にしたヘクターさん。寮の前で待ち構えていた。
昨夜の夜のうちにアルマさんが姿を消した。しかも、ジェナを頼むことと、身勝手な自分を許してほしいこと、そして、今までの感謝を記す置手紙を遺していったのだ。
それを見たヘクターさんはどうしていいかも分からず、慌てて私に知らせに来てくれていた。
「イリス様……」
心配のあまりか、頭を抱えてヘクターさんはしゃがみ込んでしまう。
「それは、まずいわね……」
アルマさんにそこまでの行動力があるとは……。痛恨のミスである。よくよく考えば、駆け落ちなんてする人だもんね。行動力があって当然だ。
「どうされますか?」
アシリカとソージュも心配そうに私を見ている。
「うーん……」
いい考えが浮かばない。
「朝からどうされたのですか?」
悩む私の背後からの声。
振り返った先にマリシス様が立っていた。
「マ、マリシス様……」
これはまずい。朝から困難続きだ。アルマさんの今の状況をマリシス様の耳に入れるわけにはいかないのに。
頭を抱えていたヘクターさんが私の声に顔を上げる。
「あら、これは久しい顔ですね。ヘクター」
言っている内容は久しぶりにあった人へのものだが、その顔と声色はかつての女当主だった頃の威厳に満ちていたものだ。
「お、お久しぶりにございます……」
立ち上がり、頭を深く下げるヘクターさん。
「昨日の講義を出来なかったお詫びに伺ったのですが……。何があったか聞かせてもらいましょうか」
困惑の表情でヘクターさんがこちらを見ている。
「えっと、ですね……」
無理だ。このマリシス様を誤魔化すのは不可能だ。
「ナタリア様。何がありましたか?」
「マリシスさま」
意外にも口を開いたのはソージュである。
「アルマさんを……、イリスさまを助けてあげてくだサイ」
「イリスを?」
眉間に皺を寄せ、険しい顔となる。
そこからソージュが今までのいきさつをマリシス様に打ち明ける。
じっと黙ってソージュの話を聞いている彼女の表情に変化は見られない。
「愚かな……」
それがすべてを聞いたマリシス様の最初の言葉だった。
「お許しください。すべてはこのヘクターの不徳の致すところ。我ら夫婦はどんな罰でも甘んじてお受け致します。ですが、どうか、どうかイリス様をお助けくださいませ」
ヘクターさんは、マリシス様の前で地面に額を擦り付け涙を流している。
「……今の爵位も領地も持たない私には何の力もありません。それに今更あの子の前で母親の顔など出来ません。なぜなら、私はとうの昔に母親失格ですから」
ひれ伏しているヘクターさんに静かに告げる。
「失格でも母親は母親デス!」
叫んだのはソージュ。珍しく感情をむき出しにしている。
「私は孤児デシタ。親の事も記憶にほとんどありまセン。でも、私を抱きしめてくれたマリシスさま、暖かかったデス。娘さんを抱きしめてあげてくだサイ。お孫さんを抱きしめてあげてくだサイ」
そうか。母親であるマリシス様ならアルマさんを止められるかもしれない。
「ソージュさん……」
こちらも珍しくマリシス様がたじろく。
「ソージュの言っていることは正しいかと思います。それとも、また檻の中に閉じ籠るとでもおっしゃるのですか? 今度は自らの意思で」
ここでアルマさんに手を差し伸べなければ、マリシス様はきっと後悔する。
しかし、マリシス様は踵を返す。
「イリスに家を継がさなかったのは、結果的に正解のようですね。今守るべきものが何かも分からないほどまで愚かな者には無理なこと」
歩き始めた足を一旦止めて、マリシス様が振り返ることなく言った。
「ナタリア様。この件にはもう関わらぬよう」
「マリシスさま!」
そう叫ぶソージュの言葉にも耳を傾けることなく、立ち去っていく。
「そうね、今守るべきものが何か分かっていないのが愚か者なら、私は愚か者じゃないわね」
小さくなっていくマリシス様の背中を見ながら、ニヤリと笑う。
「それってさ、守る為なら多少の無茶をしてもいいてことでしょ?」
「え? 少々違うような……」
何をしでかすつもりかとアシリカがありありと不安を顔に浮かべる。
「マリシス様、アルマさん、ジェナ。全部私が守りたい人よ。まずは、アルマさんを探すわよ」
「探すと言ってもどこを?」
彼女の狙いはルティエント。きっと学院のどこかに潜んでいるはずだ。レオには申し訳ないが、早朝稽古はキャンセルだ。
「まずはルティエントの寮の周囲を探すわ」
そうアシリカに答える。
小道を小走りで駆け抜け、ルティエントの暮らす中位貴族用の寮を目指す。
「ヘクターさん、ジェナは不安がっていませんか?」
一度家に帰る様に促したものの、やはり心配なのか付いてくると言って聞かないヘクターさんに尋ねる。
「はい。今日は少し早くに仕事に出掛けたと伝えております」
そっか。なら、無事にアルマさんをジェナの元に帰さないとね。
「お嬢様、あれを!」
小道を進む私たちの前方をレオが歩いている。その隣にはアルマさん。レオの従者の二人に両脇を抱えられている。
「イ、イリス様!」
ヘクターさんが短く叫ぶ。
「レオ様!」
「おお、リアか」
どこか誇らしげに答えるレオである。
「その方、どうされましたの?」
無表情だったフォルクとマルラスに腕を掴まれたアルマさんが私とヘクターさんの姿にはっとした顔になる。そして、悔しそうな顔に変わる。
「うむ。朝稽古に向かおうと思って歩いていたら、偶然この者を見つけてな。何やら不審であったの問いただしたところ、短剣を所持していたのだ」
レオが証拠の品とばかりに短剣を見せつける。
アルマさんもこんな朝早くから生徒が出歩いているとは思ってもいなかったかもしれないが、随分とあっさり捕まったものね。
「怪しいので捕えたのだ」
レオは自慢げに胸を張る。彼にしたら、学院に忍び込んだ怪しげな女を捕えたつもりなのだろう。
「それで、どこに?」
「何やら、ディーガス伯爵家のルティエントの関係者だと言い張っておるのだ。それを直接本人に確認しようと思ってな」
アルマさんの瞳を見つめる。彼女の目はまだ諦めていない。
なるほど。アルマさんの策か。最初から狙っていたのか、捕えられたことを逆に利用しようと咄嗟に考えたのかは分からないが、これなら確実にルティエントに近づける。
「でしたら、私もご一緒しますわ」
アルマさんの目が見開かれる。
「かまわんが……」
どこか、これは俺の手柄だと言いたげなレオである。
「レオ様のお裁き、この目で見たいと思います」
「そ、そうか。なら、ついてまいれ」
持ち上げられたと思ったのか、レオが満足そうに頷く。アシリカとソージュが気の毒そうな目を向けているのには気付いていない。
「ところでその者は?」
レオがヘクターさんに目を向ける。
「気になさる必要はなりません。それより、早くルティエント様の元へ」
「そうだな」
レオは特に気にする素振りを見せないが、従者二人の方は急に不安そうに顔を見合わせている。どうやら、アシリカとソージュの視線に気づいたようだ。
「さ、行きますわよ」
ごめんね、露払いをさせてしまって。心の中でレオに謝りながら声を上げた。
中位貴族の寮の前。
マルラスに呼び出されたルティエントは状況をよく掴めていないのか、困惑の表情を浮かべて私たちの前に立っていた。その背後で彼の従者二人も不安そうな顔つきとなり、レオを見ている。
朝早くの訪問だが、さすがに王太子からの呼び出しに否とも言えなかったのだろう。身支度もまだだったようで、髪も整えられていない。
「この者を知っておるか?」
レオがアルマさんを指差す。
「申し訳ありません。記憶には……」
その顔から嘘を付いているようには見えない。
「知らんと申しておるぞ。そなたはディーガス伯爵家に関係する者ではないのか?」
レオがアルマさんに振り返る。
「ハリーという名に心当たりは?」
レオに答えず尋ねるアルマさんにもう一度首を傾げる。そんなルティエントに唇を噛みしめるアルマさんだ。
「……そう、ですか」
そう呟いたアルマさんの表情が変わったかと思った瞬間、彼女の手から、火の玉が繰り出される。
魔術だ。
小さな火の玉は地面を直撃し、土煙を上げる。
「うわっ!」
レオたちは予想外だったのだろう。突然の出来事に慌てふためいている。その隙にフォルクとマルラスを振りほどくアルマさん。
「夫の仇!」
そう叫び、ルティエントに風の魔術を起こして吹き飛ばす。
「ルティエント様っ!」
慌てた彼の従者は一人が主の元へ、もう一人はアルマさんの前へと立ちはだかる。
邪魔はさせない。
まだ収まらない土埃の中を突っ切り、ルティエントの従者を鉄扇で薙ぎ倒す。
「リア!?」
レオの驚愕の声が聞こえてくる。
「アルマさん、今です!」
私の行動にレオ以上に驚くアルマさんだったが、すぐに尻もちを付いているルティエントを睨み付ける。その前には、残る従者が主を庇うようにして立つ。
「ナタリア様。これはいかなるおつもりか? いくら公爵家のご令嬢にして殿下のご婚約者といえども――」
「あなたに用はありません。ソージュ、お願い」
「ハイ」
私に食ってかかるルティエントの従者のお腹目がけてソージュの掌底。その一発で目を剥いて倒れ込む。
「さ、邪魔者はいなくなりましたわ」
土埃が収まり脇に避け、アルマさんに告げる。
「こ、これは、いったい……」
ルティエントは顔を青くして、アルマさんと私の顔を交互に見ている。
「去年の夏です。あなたは父親のディーガス伯爵と狩猟をしたはずです。その時、謝って射殺したのは、私の夫です」
アルマさんの冷めきった目がルティエントを見下ろす。
「なっ。あ、あの時のっ!」
そう言いかけたルティエントは手で口を覆う。
「知らんっ! 俺は知らんっ!」
必死で首を横に振りながらもその顔はさらに青くなっている。
「知らない? では、構いません。もう一度詳しく調べてもらいましょう。あなたと私の首を賭けてね」
ルティエントの側にそっと歩み寄り、その首に鉄扇を付き当てる。
「うっ……」
鉄扇からルティエントの体の震えが伝わってくる。
「ち、違うんだ、聞いてくれ。確かに、俺は見間違って人を射た。でも、その後のことは父上に言われた通りにしただけなんだ! だから、オレは知らない!」
罪を認めるも父親のせいにして自分は悪くないと主張する。こいつ、最低な男だな。
ルティエントから離れ、アルマさんの側に立つ。
「……だ、そうですけど」
アルマさんは無言のまま、ルティエントに手の平を向ける。
「ひっ。お、俺を殺せば、父上が黙ってないぞ。なにせ、俺はたった一人のディーガス家の跡取りだぞ」
腰を落としたまま、後ろに下がる。
「だからこそ、あなたを狙いました」
なるほどね。貴族の家にとって跡取りは重要。そのことはアルマさん自身がよく知っている。
「た、助け……」
立ち上がろうとするルティエントのすく側にアルマさんが火球を放つ。
「夫は助けてもらえませんでしたよ、あなたに」
そう言ってから、次に放った火球はルティエントの足を直撃する。一瞬で服は焼け焦げ、肌も黒くくすんでいる。
「ぐあうっ」
苦痛に顔を歪め、涙を流すルティエント。涙だけでなく、恐怖から失禁してしまっているみたいで、地面も濡らしている。
「夫の仇、討たせてもうらいます」
そう言うアルマさんの腕を掴む。
「このまま殺してもいいけどさ。こいつを殺せば、私はあなたを放っておけない。どんな理由があれ、人を殺めれば騎士団に引き渡さなくちゃいけなくなるわ」
いくらアルマさんでも、そして敵討ちの為であっても、見過ごすわけにはいかない。
「本当にいいの? 父親に続いて母親もいなくなったらジェナはどうなるの?」
「ジェナ……」
アルマさんの顔に迷いが浮かぶ。
「イリス様。どうかジェナ様の事を一番に考えられませ」
ヘクターさんの悲痛な叫びだ。
「どうしますか?」
そう告げてから掴んだアルマさんの腕を離す。
彼女は、一度目を閉じて大きく息を吸い込む。そして、目を見開き、ルティエントを再び睨み付ける。
そして、連続して火球を放つ。しかし、すべてルティエントの体ではなく、その周囲へと打ち込まれていた。
「貴族を憎みながらも、その貴族であった時に学んだ魔術を使うなんて皮肉なものです……」
そう小さくアルマさんは呟いた。