16 王宮散歩
一週間寝込んだ後、ようやく私は元気になった。
またもや、ひっきりなしに両親とお兄様たちが見舞いに部屋へと来た。それに、なんと王太子からも見舞いの品が送られてきた。たいそう立派な花である。ま、これも、誕生日プレゼントと同じく王太后様が選ばれたのだろう。
そう言えば、誕生日パーティー以来、王宮に行ってないな。本来、行くべき日に風邪で寝込んでいたからな。
元気になったし、稽古がてら、行ってみようかしら。
うん、そうしよう。一週間の間、ベッドの住人だったから、すっかり体がなまっているわ。
すぐに、王宮へと行く旨を、伝えさせると、早速明日行く運びとなった。
そして、翌日。久々の剣術の稽古が出来ると少しウキウキとした気分になり、準備をしていると、お母様が部屋へとやってきた。
「まあ、随分とご機嫌ね。そんなに王太子殿下に会えるのが嬉しいのかしらね。こんなリアを見たら殿下の心も益々、リアに鷲掴みされるわね」
嬉しそうに私を見て、からかう。
いや、お母様、ごめん。違うんだ。私が会えて嬉しいのは王太子より、剣術の師範かな。王太子はもっぱら、本格的な稽古の前の慣らしみたいなもんだし。
「嫌ですわ。お母様ったら」
一応、可愛らしく照れておこう。これも親孝行だね。お母様は、私の風邪が自分のせいだと、責任を感じていたしね。
「リアは照れ屋さんね」
お母様は楽しそうに、私の頬をそっと撫でる。これは、嫌いじゃない。いや、むしろ、されて嬉しいかも。本気で照れるけどさ。
前世では味わえなかった親の愛情を感じるんだよな。親って、こんななんだ。
私は無意識に、お母様に抱き着いていた。
「まあまあ。甘えたにもなったのかしら」
そっと、私を優しくお母様は抱きしめてくれる。
「さあ、もうそろそろ出る時間でしょう。遅れる訳にはいけませんよ」
「はい……」
私は照れて、下を向きながら返事をした。
ちなみに、私がお母様に抱き着いた話を聞いたお父様がしばらくの間、毎日の様に私の部屋を訪ねて、物欲しそうな顔をするのは、後日の話だ。
王宮に着き、いつもの通り剣術の稽古に励んだ後、王太后様とお茶を楽しむ。王太子はというと、やはりいつもの通り、私に勝てない悔しさから、熱の入った稽古を続けていた。
「あの子ったら、いつもナタリアを放っておいて、剣術の稽古ばかり。やる気を出してくれたのは、嬉しいですが……」
王太后様は、困った顔で素振りを繰り返している王太子を眺める。
私としては、剣術の稽古さえ出来ればいいのだけどね。出来れば、婚約の話など流れて欲しいくらいだし。最近忘れがちだが、私はこの先、悪役令嬢として、断罪される可能性があるのだ。
はっきり言って、今の生活には満足している。いや、幸せと言ってもいい。前世では味わえなかった両親からの愛情をいっぱいもらい、アシリカやソージュの事も大切な存在だ。
私はこの世界で居場所を作れた。
だが、その世界の未来を私は知っている。私が裁かれる未来である。大好きな家族や屋敷の者たちと二度と会えないかもしれなくなるのだ。
久々に思い出した自身の運命に、鬱々とした気持ちとなる。
「ナタリア?」
急に沈み込んだ私の顔を心配気に王太后様が覗き込んだ。
「い、いえ……」
私は慌てて、顔に笑みを作る。
「レオを呼んできて」
王太后様が、ご自分の侍女に指示を出す。
しばらくすると、王太子がこちらにやってきた。
「おばあ様。何ですか?」
稽古の邪魔をされたのが、気に入らないらしくあまりご機嫌がよろしくないようだ。
「一度、ナタリアに王宮に中を案内してあげなさい。いつも、ここでお茶会ばかりですから、たまには、散策がてら二人で行ってみては?」
王太后様からの余計なご提案。しかも、二人でって。
「……はい」
おい、王太子。一瞬、邪魔臭そうな顔しただろ。見逃さないわよ。私だって、遠慮したいわよ。
明らかに乗り気の無い私と王太子は、王太后様に急き立てられる様にして、王宮内の散策へと出さされた。
なぜか、アシリカとソージュも付いてこない。王太子にも護衛は付いていない。つまり、二人っきりである。これは初めてだな。
どちらも口を開かない。無言である。この状況、苦行だね。
王太子は幼さを残すものの、会う度にイケメン度が上がってきている。さすが、攻略対象者だね。
しかし、そんな王太子に私は心ときめかない。だって、そうでしょ。数年後に、こいつに断罪されるんだよ。下手したら、殺されちゃうんだよ。ときめくわけないじゃん。むしろ、心がざわめくよ。
はー。しかし、無言の時間は辛いな。王宮内は静かな分、言葉が無いのが余計に私に重圧を与える。
でも、王太子はどこに向かって進んでいるのだろう。何も考えずに、適当に進んでいるだけだろうか?
一人では、絶対に中庭には戻れないくらい、右に左に曲がり二人は無言のまま、進んで行く。さっきからは、やけに長い階段を登り続けていた。
いつまで、この階段続くんだよ、と愚痴が口から出そうになる頃に、不意に王太子が立ち止まった。
「ここの景色、見事だろう」
私たち二人の前には、エルカディアの街並みが眼下に広がっていた。
小高い丘の上にある王宮の更に高く作られた城壁の上。どうやら、王太子は初めからここを目指していたらしい。
「キレイです」
確かに、ここからの眺めは素晴らしい。よく整備された道が幾何学的な模様となり、広大な緑に包まれた公園が点在している。家々がまるでミニチュアの様に並んでいる。
改めて見てみると、エルカディアは大きな都市である事が分かる。
王太子が城壁の際まで進む。私もおずおずと、ほんの少し城壁の際まで進む。
塀はあるものの、低い。一メートル程しかないな。ちょっと、あそこは怖いな。城壁はかなりの高さがあり、落ちたら絶対に助からない高さだ。
チャンスじゃね? こっそりと王太子を始末するチャンスだ。こいつさえ、いなければ、将来の不安が消えるのだ。しかも、今周囲には、誰もいない。ここには私と王太子だけだ。
ここで、この城壁から突き落とせば……。
いや、駄目だ、駄目だ。馬鹿な考えは止めよう。いくら何でも、してはいけない事だ。人の命を奪う事はもちろん、もしバレたら、私の断罪が早まるだけだ。
「どうした? 寒いのか?」
王太子が振り返り、私を見ている。もしかして、怖い顔してました?
「いえ、大丈夫ですわ。それよりも、殿下はこの場所がお好きなのですか?」
口が裂けても、あなたを突き落とそうかと考えてましたなど、言える訳も無い。
「ああ。俺は王宮の中しか知らない。あの街で人々がどんな生活を送っているか、考えている」
あー、分かるわ、その気持ち。王太子なんて立場なら、私以上に制約があるのだろうなぁ。
「もちろん、民の生活の様子は、教えてもらっている。だが、それは学問としてだ。実際の暮らしなどは想像するしかない。俺はここから、街を眺めて、想像しているのだ。もし、自分が、王家になど生まれなかったら、と……」
どこか、王太子の顔から苦痛に近い感情が垣間見える。
そう言えば、この王太子、ゲームの中で密かにいろいろ悩みを抱えていたんだっけ。それをヒロインに癒されて、惹かれていくんだったな。親しくなるきっかけも、平民の暮らしに興味を持っていた王太子が、ヒロインに教えてもらう事だったはずだ。
でも、悩みって、どんな悩みだっけ? そんなにやり込んだゲームじゃ無かったから、よく覚えてないなぁ。
「考えても仕方のない事だがな」
表情は自嘲気味に変わる。
「殿下はご自分から何かしようとか、やってみようとは、思われないので?」
こんな所で考えて、想像を巡らしているだけでは、何も起こらない。私だって、自分の夢の世直し計画の為に、行動に移したからこそ、出会いがあり、わずかだが人を救う事も出来たのだ。
「自分から?」
再び、王太子の顔から表情が消えた。
あれ。気に障ったかな。究極のお坊ちゃんだから、人に意見されるなんて、無い事だろうしね。
「申し訳ございません。出過ぎた事を言ってしまいました」
私は頭を下げる。こんな所で、しかも、この王太子と議論をしてもそれこそ仕方ない事だ。
「いや、謝る事ではない。そうか。自分から動くか。そうだな。大切な事かもしれんな」
何かに納得する様に王太子は頷いた。
そんな王太子は放っておいて、私は再び眼下の街並みを眺める。今もこの街のどこかで苦しみ、怯えている人がいるはずだ。私はその人たちを救いたい。だからこそ、突き進む。例え、未来に破滅という運命が待ちかまえていようとも。
「そろそろ戻るか」
私が決意を新たにしている所に、王太子が声を掛けてきた。
「はい。そうですね」
あまり遅くなってもね。それに、この二人っきりは結構、苦痛だ。
元来た道を再び、戻っていく。またしても、沈黙が続く。みんなの所に帰るまでの辛抱だ。
それより、さっきから、王太子がちらちらと横目でこちらを伺っているけど、何かしら? しかも、胸元。イヤらしいわね。いや、それとも、こいつ胸ねーな、とか考えてるのかな。放っておいてくれ。今後、成長するんだからねっ。
「それ……、付けてるのだな」
ん? ああ。このネックレスか。私の誕生日に王太子からのプレゼントとして届けられたものだ。
「はい。殿下からのプレゼントですわ。今日、王宮に伺うのに、付けて参りました。こんな素敵なプレゼント、本当にありがとうございます」
そう言えば、王太子とは稽古着姿でしか会ってないからな。付けているのを見るのは初めてか。礼状は送ったものの、直接お礼を言ってなかったし、一応、言っておかないとね。
「気に入ったか?」
ありゃ。なんか、目を逸らすな。何だ、この反応は?
「はい。もちろんです。わざわざ、殿下が選んでくださったものなのですから」
これは、皮肉だ。どうせ選んだのは、恐らく王太后様だろう?
「そ、そうか。女性への贈り物など初めて選んだから、心配していた」
え、嘘? まさか、自分で選んだの?
「本当は、短剣でもと思って選んでいたんだが、おばあ様に止められてな」
やっぱりかい。武具をチョイスしようとしてたのかい。パーティーで大恥かくところだったよ。
「そうですか。でも、殿下から頂いたこのネックレス、とても可愛らしくて気に入りましたわ。ありがとうございます」
「ああ」
もう一度礼を言うと、王太子は短く返事をした。
「それと、殿下ではない。俺の事はレオと呼べ」
レオ? そう言えば、レオナルドだっけ。王太后様もレオって呼んでたな。
「分かったか、リア」
おい。私はの事はリアかよ。家族からしか呼ばれてない愛称だぞ。
「しかし、殿下……」
そんなに馴れ馴れしくしていいのかな。ってか、それ以上に、微妙に親しくなってないか? 出来れば、あまりお近づきになりたくない人物、筆頭なんだけど。
「レオだ」
「はい。かしこまりました。レオ様」
「ああ」
それでいいとばかりに、頷いている。
いいのか? 悪役令嬢とそれを断罪する王子だぞ。私から見たヒロインに匹敵する天敵なのに、距離感が近づいているぞ。
くそっ。剣術の稽古を受けたいばかりに、通い続けたせいかな。まさか、こんな落とし穴が待っていたとは……。
「あと一年。俺が、コウドの学院に入るまで一年だ」
王立コウド学院とは、このエルフロント王国で、魔術学園と双璧をなす、名門校である。貴族の子弟を中心に高度な教育を施される学校である。
十六歳で入学し、十八歳まで通う。貴族や王族に混じり、成績優秀な一部平民の子も通う。貴族の子弟は勉強と共に、人脈も養う。平民出身の者は、高い知識を吸収し、国の官僚や研究者になる。
そして、乙女ゲーム『ロード・オブ・デスティニー』の舞台でもある。
ヒロインは成績優秀な平民出身の生徒の一人だ。私は、十八歳の卒業を待たずに断罪される。
最近忘れがちだった自分の未来に鬱々としてきたな。
「リア、聞いているのか?」
呆けていたのかな。王太子、いや、レオが私の顔を覗き込む。
「申し訳ございません。少し、疲れたのかしら」
咄嗟に令嬢の笑みを浮かべて、誤魔化す。
「大丈夫か?」
心配そうな顔を見せるレオ。今日は、よく表情が出るな。珍しい。ま、普段は、お互い、真剣な顔を突き合わせての剣の訓練でしか、顔を見ないからな。
「ええ。ご心配には及びませんわ。そうですね、レオ様とも、後一年しか一緒に剣術の稽古をできませんね」
それは、それで痛いな。
「ああ、そうだな」
あれ、少し寂しいのか? 妙に神妙な顔になったな。あれえ? もしかして、ヒロインじゃなくて、私に惚れたか?
「それまでに、一度はリアに、絶対に打ち勝ってみせるからな」
今度は固い決意の籠った表情になるレオ。ほんと、今日は表情豊かだね。
そんな事より、お母様、ごめんなさい。やはり、彼にとって私はライバルとして、心を鷲掴みにしているみたいです。